064
ガッタがオンサのパン屋でのんびりしてる頃、荒物屋を出たニースは、店先で旧知の人物にばったり遭遇していた。
「あら、ニース。お久し振りね。相変わらず、見た目だけは若々しいこと」
「そういう君は、すっかり円熟味が増したようだな、ミオ」
ニースは額にシワを寄せ、苦虫を嚙み潰したようような顔をしながら、皮肉を込めた口調で言い返した。ミオと呼ばれたマダムは、山猫のような耳を垂れ、艶やかな尻尾をゆらりゆらりと動かしながら、ニースの皮肉を柳に風と躱して話を続ける。マダムの腕には、小さな紙袋が抱えられている。
「何か探し物でもしてる様子だったけど、薬草でも落としたの?」
「まだマオのことを根に持ってるのか? 僕は手を尽くしたが、戦後の食糧難と物資不足で、どうしようもなかったんだ」
「そうね。でも、栄養失調でベッドに臥せる前に、会いに来ることくらい出来たでしょうに。この、薄情者」
「衛生兵にでもならなかったら、最前線に立たされて命を落としてた。あの当時は、誰もが明日の終戦まで生き残ることで精いっぱいだったんだ」
「えぇ、そうでしょう。殿方なら、みんなそうおっしゃるわ。でも、覚えておいて。私は、あなたがお姉さまに対して行なった仕打ちを、決して許しはしないから」
「もとより、許されるものとは思っていない。どうぞ、ご勝手に」
ニースが話を切り上げて立ち去ろうとすると、ミオは行く手に立ちはだかり、さらに話を続ける。
「過去のことは、さておき。何を探してるかくらい、おっしゃったらどうなの? ひょっとしたら、知ってるかもしれないわよ?」
「仮に知ってたとしても、すんなり教えてくれるとは、到底思えないが?」
「いいから、おっしゃいなさい」
「はぁ、わかったよ」
ニースは、ガッタを見失った経緯を、かいつまんで説明した。
「独り身なのに子供がいるって、どういうこと? 逃げられたの?」
「縁起でもないことを言わないでくれ。預かることにしただけだ」
「エルフの一生は長いのよ? 結婚の一度や二度、経験しておきなさいな」
「するとしても、一度で結構だ。三度も経験するのは間違ってる」
ニースが離婚歴について当てこすると、ミオは話題を変える。
「お姉さまのことを忘れられないのね。あなたの目には、私の他に、お姉さまの面影が重なって見えているのでしょう。でも、それは言い訳よ。あなたは、現実から目を背けているだけ」
「違う」
「違わないわ。まぁ、逃げるのは勝手よ。好きなだけ、追憶と感傷と懐古に浸ってなさい。だけど、過去は亡霊となっている付き纏うの。亡くなった事実を受け入れるまで」
「やめてくれ!」
珍しくニースが声を荒げると、ミオは「大きい声を出せば女子供が黙ると思ったら、大間違いよ」とでも言いたげな顔をしてから、上っ面な謝罪を口にする。
「……言い過ぎたわ。ごめんなさい。でも、私は私で、お姉さまとは違うの。別の人格持った個人なのよ。それだけは理解して」
「あぁ。わかってるさ」
自分に言い聞かせるようにニースが俯いて呟くと、ミオは、少し前にガッタが向かった方角を指さしながら言う。
「赤い風船を持った女の子なら、この先の角を曲がった先にあるパン屋に居たわ。瞳の色が赤だったかは、定かじゃないけど」
「本当か?」
「この期に及んで嘘を言うほど、陰険な性格をしてないわ。早くお行きなさい」
「ありがとう、と言っておこう」
ニースは踵を返し、急ぎ足で立ち去った。
「せっかくよく眠れるお薬を買ったところだけど、飲むのはよそうかしら」
ミオは、抱えていた紙袋の中から小瓶を取り出し、コルク栓を抜くと、中の液体を側溝に流し捨てた。側溝にいたヒルは、ミオが立ち去ってすぐに痙攣を起こし、水面に浮かんだ。




