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小麦の穂が描かれた看板が目印のパン屋を一歩中に入ると、右手の窓辺にはイートインスペースがあり、通路を挟んで左手には、トレイに並べられたロールパンや、バスケットに入れられたバゲットが、棚の上に所狭しと置かれている。
「おいしい!」
「そりゃ良かった。そのバスケットに入れてるのは出来が悪いやつばっかだから、好きに食べな」
「わぁい。ありがとう、オンサ」
「へへっ。照れるじゃねぇか」
イートインスペースの奥は厨房に繋がっていて、分厚い一枚板が据え付けられた作業台や、煉瓦造りのパン窯が見える。窯の覗き窓からは燃え上がる炎の一部が見えるので、予熱が進んでいることが分かる。
ガッタが、窓辺の席でクルミとレーズンの練り込まれたマフィンを食べ始めると、オンサは、厨房に戻ってサワードウを作り始めた。ガッタの腕に括り付けられていた風船は、座っているイスの脚に結び直している。
オンサは、作業台の上で小麦とライ麦の粉に水を加え、大きく太い指をした手でダイナミックに混ぜ合わせつつ、ガッタに話しかける。
「今日は、どこから来たんだい?」
「えーっと。さかをのぼったところにある、ちいさなおうち。あかいきのみと、みどりのはっぱがかいてるの」
「あぁ、あの、駅から上がったところにある宿屋か。そこから、ニースと一緒にこっちへ来たんだな?」
「そうなの。きれいなおやさいとか、ピカピカのおさかなとかをみたり、ステッキをおはなにかえるおじさんがいたりしてね。あっ、そうそう。ニースも、おうちでいっぱいバラをつくってるの」
「バラを作ってるって? 内職でもしてるのか?」
「ないしょくって、なぁに?」
「いや、きっと違うな。スマン、忘れてくれ。――よし、一丁上がり!」
そんな話をしているうちに、オンサは混ぜ合わせた生地を手際よくスピーディーに捏ね終わり、それをボウルに入れて布巾を掛けた。
それからオンサは、窯の火が弱まっていないのをチラッと確認してから、エプロンの端で手を拭いつつ、ガッタの横に立った。
「もう食べ終わったんだな。そんなに腹が減ってたのか?」
「えへへ。おいしかったから、とまらなかった」
「そっか。ガッタくらいだよ、美味しいって言ってくれるのは」
「なんで? これだけおいしかったら、たべたひと、みんないうとおもうよ?」
「どうだろうなぁ。なかなか客が来ないし、来てもあたしが店先に立った途端、すぐに逃げて行くんだ。なんでかねぇ……」
きっと顔が怖いからじゃないかな。いつもは遠慮なしに話すガッタにしては、珍しく本音を胸のうちにしまい、視線をオンサから窓の外へと移した。
すると、見慣れた二人組の姿が目に入ったので、ガッタは急いでイスからピョンと飛び降り、ドアを開け、二人に大声で呼び掛けた。




