006
ニースが書斎でヒトに関係する書物を読み漁っている頃、キッチンでは、ルナールがパイ作りを再開していた。その隣には、洗い替え用のエプロンをしたガッタもいる。ルナールは、食事の準備が出来たら呼びに行くからと待つように言ったのだが、ガッタは応接間に一人でいるのは嫌だと言い、キッチンまで付いて来てしまった。
料理を覚えさせておいて損は無いだろうし、ひょっとしたら、何かを思い出すキッカケになるかもしれないわ。ルナールは、そう心の中で言い訳しつつ、ガッタにエプロンをさせて背中で蝶結びにし、ちゃっかり自分の仕事を手伝わせることにしたのである。
「それでは、ワカサギとホウレンソウのパイを作りましょう」
「ワカサギ?」
ガッタがさっそく疑問を挟んできたので、ルナールは、下処理を終え、ぶつ切りになった状態のワカサギを見せながら説明した。
「この細長い小魚が、ワカサギ。今日は、これをホウレンソウと一緒にパイに包みます。ガッタちゃんは、パイを作ったことはあるかしら?」
「ううん、ない。どうやるの?」
ルナールは麺棒を手に取り、ボウルから出した生地の塊に押し付けて円形に広げていきながら手順を解説する。
「こうやって、まずは生地を薄く平らにして、さっきのお魚やホウレンソウを入れる土台を作っていくのよ。やってみる?」
「やってみる!」
そう言って、ルナールはガッタに麺棒を渡した。ガッタは、麺棒に体重を乗せながら、ぐりぐりと生地を薄く伸ばしていく。凹凸が出来たり、楕円に広がってしまったりと、そのままでは使えない形になりながらも、ある程度、生地が広げられたところで、ルナールはガッタにストップを掛け、手早く軌道修正してから、次の工程へ移った。
「今度は、お皿に生地を載せます。はみ出した部分は切り落として、あとで蓋として使います。ナイフを使うから、顔を近付けたり、手を出したりしないで、大人しく見ていてね。目を突いたり、指を切ったりしたら危ないから」
「はーい」
ガッタは、実に良い返事をした。ルナールは、丸く大きめの浅皿に生地を乗せ、底に沿うように軽く押し付けて整えてから、余分な部分をナイフで削いでいく。
切り終わると、ルナールはナイフをガッタから離れた場所に置き、続いて、ガッタにフォークを持たせる。
「このあと、ここに卵を塗って、お魚とホウレンソウを入れて、オーブンでこんがり焼いていきますが、その前に、底にフォークで穴を空けておきます。この辺を、フォークの先で適当にちょんちょんちょんと刺していってください」
「はーい」
返事をしたガッタは、ルナールが示した生地の底部分にフォークを突き刺し、ランダムに穴を空けていく。
「なんで、こんなことするの?」
「焼いた時に、生地が縮んでパイが小さくならないようにするためよ」
「ふ~ん」
なんとなく納得したガッタは、パイの底一面に無数の穴を空けた。ルナールは、ガッタから使い終わったフォークを受け取ると、それをナイフの横に置き、刷毛で生地に卵黄を塗ったり、中身を詰めたりしはじめた。
ガッタは、最後に余った生地で網目状にワカサギとホウレンソウが包まれ、それが、予め火を入れてあったオーブンに入れられたところまで見届けると、思わず口の端に涎を垂らした。
「あらあら。待ち切れないみたいね」
「えへへ。だって、おいしそうだもん」
照れ笑いするガッタの口元を、ルナールはハンカチで拭いた。
あの生意気な弟にも、こんな可愛らしい頃があったなぁ。ルナールは、ガッタの姿にかつての弟の姿が重なって見え、そこはかとなく懐かしい気持ちに包まれた。