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氷雪が解け、大地に緑が表出する春は、草花も生育すれば、鳥獣や昆虫も活動的になる季節である。
ニースは、コンパニオンプランツとして薔薇の周囲に植えているマリーゴールドが、今年も効果を発揮するかどうかといったことを考えつつ、じょうろで水をやっている。
すると、そこへ井戸端の方からバケツに水を汲んだガッタがやってきた。ニースは、じょうろの水を出し切ってから作業台に置くと、バケツの水を種まきした畝に掛けようとしているガッタを止めに入った。
「ふわっ! わたしも、みずやりしたい」
「それなら、じょうろを貸そう。バケツから水をやってはいけない」
「なんで、じょうろじゃなきゃだめなの?」
「その量では、種が流される」
ニースは、取り上げたバケツの水をじょうろに移し、半分ほど水を入れたじょうろをガッタに手渡した。
「この列は水やりが済んでいるから、あとは、一番向こうの畝にやってきなさい」
「はぁい」
じょうろを受け取ったガッタは、水音をちゃぷちゃぷいわせながら、ニースが指し示した列に水をやりはじめた。
ニースは、バケツを足元に置き、手袋を外して作業台の端に乗せておくと、観察記録を付けようとペンを手に取り、かぶら型のペン先にインクを浸そうとした。その時である。
「ニース! あおいかみのおにいさんがいる!」
空になったじょうろを持ったガッタが、ニースの方へと走ってきた。ニースはペンを置いて作業台から離れ、ガッタが誰を目撃したのか見当が付いた様子で、ガッタからじょうろを受け取り、まだ半分以上水が入っているバケツを持ってガッタの方へ歩いていく。
ガッタは、ニースのスラックスの裾を引っ張りつつ、謎の人物を発見した場所へと誘導しながら、興奮を抑えきれない様子で息を弾ませて言う。
「あのね。かみがあおくて、しっぽがにほんあるの。おそらからビューンってとんできたから、びっくりしちゃった」
「落ち着きなさい、ガッタ。おそらく、君が見たのはルナールの異母弟だ」
「イボテイ?」
「ルナールと母親の違う弟だ。悪さを働く男ではないが、近付かない方が良い」
「なんで? かわいいのに」
そうこう言っている間に、ガッタとニースの近くまで、スワロー属の青年が歩み寄ってきた。童顔で若く見えるが、よくよく近くで観察すれば目元に加齢による疲れが残っているので、三十路そこそこであることが分かる。
「できれば、カワイイより、カッコイイって言ってほしいんだけど」
「あなたの身長では無理よ。私と三インチしか違わないじゃない。――おはようございます、ニース様、ガッタちゃん」
「おはよう」
「おはよう、ルナール」
三人が話しているところへ、出勤してきたルナールが顔を出し、ニースとガッタへにこやかに挨拶した後、すぐにルナールは笑みを消し、片眉を吊り上げながら青年を追及にかかる。
「昨夜から、お友達の家に泊ってるんじゃなかったの?」
「いやぁ、それがさぁ。そのお友達とカフェに向かってる途中で、別のお友達と鉢合わせしちゃって。お友達同士で取っ組み合いになったから、逃げてきた」
「ベタな修羅場ね。同情の余地もない」
「そっ、そういうことを言わないで助けてよ、姉ちゃん。――うわっ!」
青年の話を聞いたルナールが溜息をつき、横でニースが飽きれて言葉も出ないでいると、ガッタは青年の尻尾にじょうろで水を掛けた。いつの間にか、ニースのバケツから水を移し替えていたようである。
驚いた青年が尻尾を立てると、ガッタは可笑しそうにケラケラ笑いながら心底無邪気に言う。
「アハハ。おにいさん、おもしろ~い」
「急に水を掛けないでくれよ、嬢ちゃん」
濡れた尻尾をシャツの端で拭いている青年と、それを面白がっているガッタを見ながら、ニースとルナールは顔を見合わせて意見を交換する。
「招かれざる客だが、ガッタの遊び相手にはなりそうだな」
「そうですね。ガッタちゃんと精神年齢が近そうですし、どのみち、他に行く当ても無いことでしょうから」
結論が出たところで、ニースはガッタからじょうろを取り上げ、ガッタの手を引いて作業台の方へ向かい、ルナールは青年の耳をむんずと掴み、屋敷の通用口の方へと引っ張って行った。




