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ガッタが忍び込んだ地下室は、かつてはワインセラーであった。もっとも、それはバトラーやフットマン、メイドやナニーなど、今よりも使用人が多かった時代の話であり、現在は木樽もガラスボトルも無く、単なる物置状態となっている。
そんな中で、地下の特別展覧会は、まだ続いていた。
ニースは、骨董品や絵画が出てくるたびに、軽く埃を払っては、なるべくガッタにも分かるように解説を試みている。
「このおんなのひと、こしほそいね」
「それは、コルセットをしているからだ」
「コル、セット? なにかと、いっしょなの?」
「いや、コルセットで一単語だ。背中の部分をクジラ髭で出来た紐か何かで編み上げブーツように縛り、ウエストをスリムに見せているのさ。サーヴァが幼い頃は、ちょうど今のガッタくらいの年頃から、貴族だろうと庶民だろうと、挙って競い合うように着用していたそうだ」
「おなか、いたくならない?」
「手順に添って正しく着用すれば、姿勢や体形の維持を補助する働きがある。だが、締め方を誤ると、肋骨が変形したり、酸欠になったり、内臓が破損したりする危険性がある」
「ヒッ。むかしじゃなくて、よかった」
「フフッ。そうだね」
キャンバスを横に置くと、そこに小さな木の箱が現れた。実用性一点張りの飾り気のない箱で、他の所蔵品に比べると、明らかに場違いな感さえある。
「あのはこは、なぁに?」
「あぁ、こんなところに置いてあったのか。ずっと、失くしたものと思っていたよ」
「ニースのものなの?」
「いや、元々はマオのものだったんだ」
懐古の情に浸りつつ、ニースは箱を手に取ると、蓋を開けてみせた。中には、スカーレット、イエロー、ビリジアン、コバルト、ヴァイオレット、ブラウン、チャコールの計七本のパステルが入っている。どれも使いかけで、長さがマチマチであるが、一様に小さな傷がある。
「かわいいね。どうして、ニースがもってるの?」
「今のガッタより、もう少し幼かった頃、マオと喧嘩したことがあってね。マオが描いた絵が何か当てるよう言われたんだ。だけど、なかなか正解に辿り着かないものだから、マオは怒って、このパステルを投げつけてきたんだ」
「あっ、これは、おえかきのどうぐなんだ。それで、なんのえだったの?」
「あとでミオから聞いたところでは、どうやらマオは、僕の似顔絵を描いたつもりだったらしいんだ。謝ろうと思って、パステルを拾い集めたんだけど、いくら探しても一本足りないくてね」
「えっ? これで、ぜんぶじゃないの?」
「もう一本、白のパステルがあったんだよ。その日、僕の髪を描くのにマオが使った白いパステルは、今も見つかっていない」
そう言って、ニースが蓋を閉めると、ガッタは物欲しげな目をしながら言った。
「ねぇ、ニース。このパステル、つかっちゃダメ?」
「いや、使いたければ、ガッタにあげよう。ただし、条件がある」
「なぁに?」
「あとでスケッチブックをあげるから、そこ以外には絶対に絵を描かないこと。もし、壁や床に悪戯描きしたら……」
「したら?」
「元通り綺麗にするまで食事を与えないから、そのつもりで。いいね?」
「わかった!」
返事は良いが、守れるだろうか。
一抹の不安を感じながらも、ニースはガッタに木箱を手渡した。




