097
石碑の前に佇んでいたのは、ミオであった。ニースたちが三ヤード程度の距離まで近付くと、ミオは三人の気配を察して振り向いた。
「やれやれ。慰霊塔では姿を見かけなかったから、良い調子だと思っていたのに」
「そのセリフ、そっくりそのままお返ししよう」
ギリギリ会話が聞こえる距離感を保ちつつ、ミオもニースも一歩も動こうとしない。ルナールも、ニースと同時に足を止めたままである。
ガッタは、二人のあいだにピリピリと張り詰める緊張感を察知し、ニースのスラックスをキュッと控えめに握り、心配そうに眉尻を下げながらニースの顔を見つめた。ニースはミオからガッタに視線を移し、黒髪を撫でて優しいテノールで言う。
「大丈夫だ。君が怖がる必要は無い」
ミオは視線を隣に移し、まるで品定めでもするかのように、靴の爪先から頭の天辺までなめるようにガッタを見た。
「その子が、預かってるっていう女の子ね?」
「あぁ、そうだ」
「よろしくね、おねえさん」
おっかなびっくりではあるが、ガッタはミオにフワッとしたスマイルを見せた。ミオは氷柱のようにツンと刺々しい態度で応えた。
「おねえさんは、よして。私はミオよ。この男とは、切っても切れない因縁があるの」
「インネンって、どんなネン?」
いつもの調子でガッタがハテナを問うと、ミオは呆れた様子でフーッと深い溜め息を吐いてから、不愉快そうに片眉を吊り上げ、視線を上げてニースへ言った。
「ニース。この子、天然入ってるの?」
「テンネン?」
「話をややこしくしないでくれるか、ミオ。――ルナールの側に居なさい」
「はーい」
ガッタは、ニースのスラックスから手を離すと、ルナールの横に移動した。ルナールは、ガッタに対しては柔和な笑みを浮かべるが、ミオに対しては獲物を狙う猛禽類のような鋭い視線を送り、無言の圧を掛けた。
そんなプレッシャーをものともせず、ミオは涼しい顔でニースとの会話を続ける。
「私ね。正直に言って、あなたとは口を利きたくもないくらいなのよ。でも、春に旧市街で遭った直後に、その子と同じような特徴の婦人が現れたのよ」
「ほぉ。どんな婦人なんだ?」
「髪が黒くて、目が赤くて、その子と同じヒト属の女性よ。カリーネと名乗ったわ」
「カリーネ。――聞き覚えは、あるかい?」
ニースが顔を横に向けて問い掛けると、ガッタは小首を傾げたあと、両手をコメカミに当てながら唸るように答えた。
「ウーン。モヤモヤしてて、わかんない。きいたことあるかもしれない。きいたことないかもしれない」
「そうか。ハッキリした記憶が無いなら、無理に思い出さなくてもいい」
申し訳なさそうにするガッタに、やんわりと穏やかな声で気遣ってから、ニースはミオに向き直り、追及するような口調に戻った。
「それで、そのカリーネ婦人は、どこに居るんだ?」
「お食事とベッドを保障するという条件で、しばらく一緒に行動してもらってるの。今は、湖畔のホテルで寛いでるはずよ」
「どこのホテルに宿泊してるんだ?」
「そんな有力な情報は、それに吊り合うだけのことをしてもらわなきゃ、教えられないわ」
「情報が有力かどうか判断するのは、僕の方だ」
「ガッタっていう名前の、七つになる娘を探してると言ってたわ。女手一つで大事に育ててきたんだけど、半年ほど前に急に姿を消してビックリしたそうよ。まっ、その子の名前が違うなら、別人でしょうけど」
カリーネがガッタの母親である可能性が、濃厚になって来たな。しかし、ガッタは、どうして母親の存在を忘れてしまったのだろうか? 何より、どうしたらミオは、カリーネの居場所を吐く気になるのだろう。
ニースが脳内であらゆる可能性を高速演算していると知ってか知らずか、ミオは針に獲物が掛かったと確信した釣り人のように、ニヤリと不敵に口角を上げた。




