28 伯爵の話
自分の記憶で1番古い物は、目の前にある湖の景色だった。
恐らく年は30を少し過ぎた辺りで、とても質素な生活をしていた時だったと認識している。
家族はおらず、よく1人で湖の周りを歩いていた。
「人間は楽しいですか」
いつもと同じように湖の周りを歩いていた時、突然目の前に女性が現れた。
彼女は私を見つめながら、急にそう問いかけて来たのである。
私は驚いて彼女の瞳を覗き込んでしまった。
夕焼けを切り取ったようなその瞳は、湖の光を反射してきらめき、今まで見たことがないほど美しかった。まるで世界に彼女と2人きりになったような感覚に、私の心は完全に彼女へ吸い込まれてしまったのだ。
「あ……に、人間ですか?」
「ええ、貴方は幸せですか」
彼女の瞳には感情はなく、ただ、何気なく聞かれたその問いに私は少し戸惑ったのを覚えている。
恐らく彼女は魔女として生まれたばかりだったのかもしれない。私が答えられない事をただ黙って見つめて来ていた。
「あなたは、人間ではないのですか」
「私は……まだ、人間ではないようです」
彼女の、その『まだ』という答えに、私は何かを感じてこう伝えていた。
「また、貴方と、お会いしたい。貴方のその『まだ』の終わる時に。そこでお答えしましょう」
もしかしたら、この言葉のせいで今までずっと記憶を引き継いで生まれ変わって来たのかもしてない。
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「だめです」
「そんな事言わないで、エマ。せっかく不死身になったんだから試してみたいじゃないか」
「そう言ってこの間は骨折をしておりました!怪我はするんだから死のうとしないでください!」
「じゃあキスをして」
「だっ、やだ!」
頬を赤くしてふいっと顔を背けてしまう彼女を見ていると、もうそれは確実に『人間』で、ずっと成長する姿を見てきた自分としては、より愛おしさが増す。
彼女の髪を指ですくうとキスを落とした。
エマが誘拐された事件から約一年が過ぎた。
もう、あの無能殿下の死を嘆く者はこの世に存在していない。
「ねぇ、機嫌を直して」
「首をつろうとしていたのに簡単に許せません」
「私はただ、エマとキスをしたいだけなんだ」
「またそう言って!」
不死身になった私は、カランから『世界』から南の魔女であるエマとの結婚が許された、と聞かされた。
不死身の人間を適当に処理できなかったというのもあるだろう。その点、魔女と結婚をしてしまえば管理は簡単になる。
エマは今回の人間の生活を終えた後は、私と共に旅に出てくれる約束をしてくれた。
ただ、両思いであり、好きに触れ合っても良いと分かった瞬間からエマが距離を取ってくるようになったのだ。
私が少しでも近づくと顔を赤くして離れていく。
恐らく、色々と出来ると分かってしまった為に恥ずかしいと思っているらしい。
そんなところも可愛いのだけど、流石にずっとそうされるのは堪える。
だから構ってもらう方法として、私はちゃんと不死身なのかを検証し始めたのだ。
まぁ、初回階段から落ちて足と腕を骨折するという失態を犯した訳だが……。
頭から血を流す私を見た瞬間のエマは忘れられない。
真っ青な顔をして私に向かってきて、名前を呼びながら治癒の魔法をかけてくれた。
愛されているという感覚に私が感動していると、今度は真逆にかなり怒られてしまった。
無茶はするなということらしい。
お陰で骨折まで治癒魔法をかけてくれず、1ヶ月以上ベットからまともに出られない日々をおくることとなった。
その事を思い出して少しだけ笑うと、やっと彼女はこちらを見て睨みつけてきた。
「何を笑っているんですか」
「ああ、前の事を思い出してね」
「もう!二度としないでくださいよ!」
「……じゃあエマとキスしたいな」
「あ、え、ゆ、夕食を準備しなければ……!」
彼女が再び私から離れようと、彼女の今の家族が住むお屋敷に戻ろうとしてくる腕をつかんで引き止めた。
今回の彼女の人生で、私と正式に結婚をして結婚式までする事になっているため、今は婚約者として過ごしている。
だから今現在のように、私の屋敷に彼女が足を運んでお喋りをするという事も普通のことであり、少しだけ彼女を引き止めて抱きしめたりしても特段問題ではない訳で。
というよりも寧ろ、私はどんどんやっていきたい。
「エマ、分かっているでしょう。私の使用人は優秀だからエマがこちらに来ているときは夕食の準備くらい終えているんだよ」
「……だって、貴方がキスしたいなんて言うから!」
ソファから立ち上がろうとしていた彼女を引き止めた為に、彼女がふとこちらを見た瞬間、とても良い位置に彼女の顔が差し出されていた。
だから私は、彼女の頭の後ろに手を当てて引き寄せてみる。
「……!!」
抵抗する彼女の肩を抱いて少しだけ力を込めてると、ふわりと柔らかい香りが鼻をかすめた。気分の良くなった私は、そのままの状態でソファに彼女を寝かせる。
唇を離すと、少し呼吸を乱した彼女が涙目で驚いた表情をしていた。
「ごちそうさま、エマはかわいいね」
「な、な、」
やっと状況が分かったのか、全身を真っ赤にさせて口をわなわな震わせている彼女は、本当に可愛い少女である。
魔女は人間とそういうことは出来ないというから、私とが全て初体験となるはずだ。
なんて至福。最高である。
「大丈夫、これからゆっくり、これ以上の事をしていくからね」
大丈夫、まだたくさん時間がある。
ゆっくり慣れてくれればいいのだ。
ただ、絶対に離してはあげられないから、それだけ許してくれればいい。
「馬鹿じゃないですか……」
「バカでいいさ、エマの前だけだから」
ニコリと笑うと、いつものように睨まれてしまった。だかが全く怖くないその瞳には、幸せそうな私の顔が刻まれている。
いつか、エマからもキスをしてもらおう。
そして、私の瞳にも、幸せそうに笑う彼女の顔を刻むのだ。
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