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「おっと、危ない」


我に返った途端、目の前が真っ暗になった。なぜならば、伯爵の胸板が目の前に押し付けられているから。


「はい、勢いよく離したらだめでしょう、エマ」

「ありがとうご……ほんとに伯爵?」

「はい、伯爵だよ。本当は伯爵なんて他人行儀ではなく、リチャードと名前で呼んでくれてもいいんだけどね……」


私は、なんだかとてつもない事を言い始めた伯爵から滑車から滑り落ちそうになっていた紐(私の家の井戸は壊れているので、水の入った容器をそのまま下に落とすと滑車から紐が外れてしまう場合がある)を丁寧に頂戴すると深くお辞儀をした。


「この度はこの小さな危機から救ってくださりありがとうございます、それではこれで」

「エマ」


そそくさと去ろうとした私の後ろから伯爵の声がかかった。甘く通るその声に私はビクリと反応して止まる。

まずい、どうしても動けない。そう思っていると後ろからふわりと抱きしめられた。


「はぁ……会えるか分からなかったから私はとても嬉しいのに、エマは冷たいな」

「…………私も伯爵がここに居ることに驚きを得ずにはいられませんです」

「本当かい、ふふ、エマと朝から話せるなんて、なんて幸せなんだ……ああ、しかしそろそろ時間になってしまうな」


私を抱きしめたまま懐中時計を胸ポケットから取り出すと、時間を確認した伯爵は私の肩におでこをのせてため息をついた。


「お時間……というと」

「実は王宮でとある仕事を任されているんだ、だからそこに向かわないといけなくてね」

「…………は?」


あ、いかんいかん、またしても伯爵に対して“は?”などという言葉を吐いてしまった。

しかし、今回も私がつい驚いてしまうことは仕方がないと思う。

昨日王宮近くの侯爵の家で舞踏会が開かれ、伯爵もそこに出席していたはずだ。私の屋敷(と言ってもほぼ山の中にあるボロボロの幽霊屋敷)はそこから馬車で3時間の場所にある。

つまり、王宮まで馬車で3時間はかかるということ。

そもそも昨日伯爵は自分の屋敷に泊まったのでは……。


「え?なんで今ここに伯爵が……」

「実は貴方の屋敷と王宮の間に宿を借りてね」

「やど……」

「そうすればここまで馬で1時間程度だし、王宮まで馬で走れば2時間程度でしょう?」

「……………はぁ…」

「確認も取れたし、これからは毎日会いに来れるね。ではまた明日」

「え、ちょ、」


伯爵は私に手を振ると、屋敷の壊れた柵をひらりと飛び越えて馬に乗って走っていった。

私は、肩の高さまで上げた手を宙に止めたまま固まっていたが、近くの木から鳥が飛び立った音で、はっとする。


「………本当にここに伯爵が居たのよね」


否定しきれないと頭が言っている。これだけはっきりと記憶が残っているということは現実だと認めざるを得ない。

たしか、明日も来るとか言っていたような……というか、宿って今後もずっと取るつもりだろうか……。


「ああ、もう!何もしてないわ!」


今は伯爵の心配をしている暇ではなかった。朝の仕事を終えねばならない。

私は頭を切り替えて井戸から水を汲み始めた。






「ああー……やはり明日も来るのかしら」


誰も居ない店の中、私は1人密かに呟いた。

今は王宮近くのアクセサリー屋で働いている最中だ。今日は店番だが、宝石の鑑定や研磨作業(売り物には出来ないけど)などもしている。

これでも一応貴族なので、宝石を見る目は確かと評判であり、今までお店で鑑定した物を間違えたことは恐らく一度もない。

このお店の店主は貴族と通じている人物であり、私のことも貴族だと知っているが黙って雇ってくれているとても素晴らしい人だ。そして、私の鑑定能力も買ってくれているので私としては一生ここで働きたいと思っている。

そんな事を考えていたら店の扉がガチャリと音を立てて開いた。


「いらっしゃ……」

「エマ?」

「…………」


前言撤回しよう。

もうここでは働きたくないかもしれない。


「トルネン伯爵ではありませんか……」

「ああ、同じ日に二度も会えるなんて、やはり運命ということだね」


色気が漂うその顔がふわりと微笑みを浮かべると周りに花が散っているように見える事を初めて知った。

ニコニコとした顔をしながら私の方に近づいてくる姿は恐らく、自分に歩いてくる姿だと知らなければ眼福だと感じていたのだろう。


「いらっしゃいませ、伯爵」

「エマ、貴方はここで働いているのかい?」

「…………ええ」

「ふふ、嬉しいな、ここは私の管轄する店なんだよ」

「………………」


ああ…………。

今までありがとうございました店主……本当に感謝してもしたりないほどの事をして頂いたと思っております。

至らない点もあったと存じますがそれでも頑張ろうと思えたのは___。


「なるほど、ガルスが言っていた凄腕の鑑定士は貴方の事だったんだね、なんて素晴らしいんだ。絶対に辞めさせてあげられないね」


ニッコリと微笑んだ顔からは断れぬ圧を感じた。

恐らく私が今辞めようとしていた事も、そしてそれを自分が防げるという事も十分に理解しているといった表情だろう。


「…………お褒めに与り光栄ですわ、おほほ」


とりあえず私もにこりと微笑んでおくことにした。



その後すぐに店主ことガルスさんがやってきてトルネン伯爵と裏の部屋で話し合いを始めた。

なにやら販売する内容について話しているようだ。


ガルスさんがここで働いているのは、トルネン伯爵の領地で取れる宝石の原石を発掘する仕事をしていた延長のようだった。発掘中に怪我をしてしまったからここを任されたらしい。

どれだけ安い賃金であっても、トルネン伯爵の為に働き続けていた結果としてここの店主を任されたんだよ、と話すガルスさんの瞳は輝きに溢れ、それはそれはもう伯爵のことを憧れの眼差しで見ていた。


これ、絶対辞めれないやつじゃん。

ガルスさんがどれだけトルネン伯爵を尊敬しているのかを話し始める前に伯爵自身が手で静し、『恥ずかしいからやめてくれないか』と言って裏に連れて行ったのを見たとき、その姿はなんとなく可愛いなと感じたことは秘密だ。


「はぁ…………」


何かにどんどん流されている気がするが、気のせいだろうか。

一体裏でなにが起きているのか知らないが、私も気を引き締めて毎日を送らねば。そう考えながら店番を続けた。




「エマは何か欲しいものはないのかい?」

「ありません」

「これだけの宝石に囲まれているんだから、なにか……」

「ありません」


ガルスさんと話を終えて戻ってきた伯爵はやっと私と話せるとばかりに私に近づいて話しかけてきた。

更に言えば宝石を買ってあげたいと迫ってきている。


「確かにここの研磨師の宝石はどこの宝石屋ともカットの形や、光の入り具合などが違うので魅力的ではありますが、私はこうやって毎日触れ合えるので問題ありません」

「ふむ……他の研磨師の宝石の差も分かるのか」

「当たり前、で……あ……や……」

「やはり、エマは魅力的な女性なだけあるな」

「…………」


まずい、と思って伯爵の方を向くと、先ほどと変わらずに微笑みながら私を見つめる伯爵がいた。目が合うとゆっくりと手を伸ばして私の頬にふれてくる。


本能が逃げろと言っていた。

これ以上話を聞いてしまったら、私は何かから逃げられなくなってしまう。きっと、今の私の平和な生活とはかけ離れたものになってしまうと。

でも、この、私を優しく見下ろす伯爵の視線から目が離せなかった。体が言う事を聞かない。もう、逃げられない。


「エマ、1つお願いしたいことがあるんだ」

「……なんでしょう」

「とある宝石の鑑定だよ」





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