19
伯爵はブラック様
「ああ……睡眠作用と、脳微弱麻痺作用だ」
伯爵のお屋敷から出た瞬間に思い出したのは、私が寝ていたあの部屋から香っていた甘い香りの作用についてだった。おそらく何かの花をブレンドして作るそれは、よく医療などで使われる物だったと思う。
あの匂いをかなり薄めたものが、主に緊張して眠れない時などに使用する目的として一般的なお店にも売られているはずだ。
作用としては、頭の働きが鈍くなり、眠くなる事が主な特徴。問題は、媚薬と一緒に使われたりもすること。
媚薬と一緒に使うと、脳が働かなくなりいつもの判断ができなくなる為、まぁ……、流されてしまう事が多い。
この国は特に性に関してのお咎めはない為、割と貴族の女性でも初夜が初めてという訳ではない方多くいる。
だからこそ、そういう事件があっても結婚に対しては問題にならない。私としてはそういう事件があまり問題にならない事が問題だと思っているのだけどね。
「エマ……!」
「ん?」
馬車に乗ろうとしたタイミングで声をかけられて振り向くと、何か手に持って走ってくる伯爵の姿が見えた。
近くまで待っていると、伯爵は嬉しそうに微笑んでくる。
「はぁ……良かった、エマ、これを」
伯爵が手に持っていたのは小さな箱。
彼は私に手渡す前にそれを開き、中身を見せてくれた。
「ネックレス?」
「そうだよ、これを持っていてほしいんだ」
「そんなに物を貰うわけにはいきません」
「だめ、エマの為に買ったのに他の女性に渡させるつもりかな?」
伯爵はいつものようににこにことした顔を崩さないまま、箱からネックレスを取り出して私の首へかけてくる。
すると、パチリと耳元から音がした。
「!!?」
びっくりして耳を触ると伯爵から初めてもらったイヤリングがある。驚きつい外そうとするも、まるで耳の一部でもあるかのように外れなかった。
「あ、あれ?家に置いてきたつもりだったのに……外れない……」
「さすが、すぐ気がついたね。実はランクに魔術をかけてもらったんだ」
「魔術……」
嫌な予感しかしないが、一応内容を伺おう。
「それは、どんな魔術でしょう」
「ネックレスとイヤリングが対になっていてね、両方が付いていると外れない仕様だよ。私の許可があるまでね」
ああ、そうですか。
つまり両方とも私では外れない仕様になっていると……。
何でそんな高度で無駄な技術をランクさんに使ってもらっているのか。そもそも許可なくこんな事をしていいものなの?
とりあえず、少し、抵抗を試みるとしよう。
「えーと……まず、これ2つに合う洋服を持っていないのですが」
「大丈夫、それについては既に家に送ってある」
「は?」
「ああ、家というのはエマのという意味で、」
「そこじゃないです。それは私の中で全く、大丈夫とは言わないのですが」
「もしかして枚数のことかい?それも大丈夫、10着は既に届いているよ」
そうじゃない。
寧ろその枚数だと今私が所有している洋服の枚数よりも多いほどだ。
「外れないと衛生面で良くないのでは?」
「それについても考慮した魔術をかけてあるから、寧ろ着けている方が綺麗な状態を保てるだろね」
「引っかかったら危ないと思いますし……」
「大丈夫だよ、エマ以外の障害物については負荷がかかるとすり抜ける仕様だ」
「あ、そうすか」
残念ながら私が頭で考えられる抵抗はここまでのようだ。
ていうかアクセサリー取れなくさせる魔術を使うとか良く思いついたね。びっくりするわ。
と、心の中で悪態をつくことしか私には許されないみたい。
「ほら、私も同じデザインのピヤスとネックレスをつけているんだよ」
「……はぁ」
「ふふ……これでいつでも一緒だろう?」
うーん。
この人思考大丈夫かなぁ、やばい奴の思考じゃないのこれ。好きなとこを今から考え直した方がいいかもしれないよね。なんか、前よりもどんどん行動が怖い方向に向かっている気がするんだけど。
そして、含みのある『いつでも一緒』これについては言及ら避けておこう……。そうでないと……
「これがあれば、いつでも貴方がどこにいるか感じ取る事が出来るんだ」
ああ……。
せめて聞きたくなかった。
なんだろう、今私の目は虚ろになっている気がするのだけど。
きっと、気のせいじゃない。
「心の中から全て、愛してる……」
私の頬を優しく撫でながら、ニコリと笑った彼の顔はとても美しい顔をしていた。
___________________________
「それで、エマ・ワンダーソンはお前を好きになったのか」
「ええ、もちろんです。これで北の魔女が言っていた材料が揃いました」
その部屋には2人の男が居た。
1人はこの国で最も偉いとされる人物の息子であり王位継承第1位の人物。そしてもう1人は最近になって社交界に出てきた有名人と言ったところか。伯爵という位にしてはこの偉い人物と共にする時間が随分と長いらしい。
この伯爵位についている人物の急な浮上も相まってこの2人が出来ているのではないかという噂もある程である。
「ふん、これでやっと魔女の力が手に入るのか」
「いいえ殿下、まずその魔女の居場所を知る必要がございます」
「なに?それでは材料は全て揃っていないではないか!」
「殿下、しかしこれは力を手に入れる人物のみが知るべきこと、殿下自身が見つけ出さねばならないのです」
「お前がそう言うならば仕方がないな……」
殿下と呼ばれた男は座っていたソファから立ち上がると、もう1人の男が持ってきたワインの瓶を手に取りラベルを読んだ。
“クラウン”
「我が君に相応しい名かと」
「当然だ」
瓶とナイフを男に手渡して開けろと命ずると、男は瓶の口を綺麗にナイフで切り落とした。
そのまま用意されていたワイングラスに注ぐ。
「……今夜、俺の部屋に来い」
「仰せのままに」
噂通り、殿下と呼ばれた人物はそう言う意味でもこの男を気に入っている。ただ、男の表情はこの部屋に入った時から微動だにしていないため、それが喜びからくる表情なのかは読み取れそうにない。
男は頭を下げた後部屋を出て廊下を歩く。
しばらくすると、後ろから声をかけてくる人物があった。
「リチャード・トルネン伯爵」
男が黙って振り返ると、ハットを被った人物が立っていた。顔は暗闇の中にいても整っている事がよく分かる。深いブルーの瞳が目の前にいる人物を貫いてしまうのではないかと思うほど鋭く見つめていた。
「……これは、エルレジェンダ侯爵、先日はどうも」
「殿下とのお話はいかがだったかな」
「…………」
「カティネス嬢との婚約の話しも……」
「あまり時間がありません、手短にどうぞ」
にこやかに話しかける侯爵の言葉を切り、その男は温度の見えない声を発した。
普通、位の高い人物に対して無礼とされるその行為であったが今の2人にはあまり関係が無いようだ。
男のその言葉に侯爵と呼ばれた人物が動く。
距離が、いつのまにかミリ単位にまで縮まり手にしたナイフが男の首筋に光っていた。
「貴様、エマをどうするつもりだ」
「エルレジェンダ侯爵、貴方には関係のない事ですよ」
その言葉を交わした後、互いに微動だにせずしばらくの時間がすぎた。先に動いたのは侯爵の方だ。
手元にあったナイフが消え、頭に置かれていたハットまで無くなっている。
「私は貴殿を信用していない」
「ええ、私もですよ。フォーリカウスの長殿」
驚いた顔をした侯爵に、その男はニコリと微笑んだ。
「大丈夫、脅すことは致しません。ただ、協力して頂ければいいのです。そのくらい、貴方には容易ですね?」
その言葉自体、脅しだと言うことはおそらくこの男も把握しているはずだがそれを感じさせないほどの優雅な空気を漂わせていた。
まるで、今日は天気がいいので外で朝食をどうですかと誘われているかのような、そんな雰囲気だ。
これを断れば、一体どうなってしまうのか。
侯爵は、この男に声をかけてしまったことを後悔したのだった。
お読みいただきありがとうございます!




