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遅くなってしまい申し訳ないです。
「………………」
朝だ。
昨日家まで一目散に帰ってきてから私は、家族とはろくに会話もしないままベッドに潜って体を沈めた、寝ることができたのは明け方ごろだっただろうか。
昨日の私はどうかしていたのだと頭で考えながら体を起こして準備を始めた。長年朝の準備をしているだけあって、いつも通りの時間に目が覚めたのに褒めてくれる人物は誰も居ないので心の中で自分に賛歌を歌う。
「体重い……頭いたい……」
やはりお酒なんか飲むんじゃなかった。
過ぎてしまった事柄に文句は言えないが、今後無いようにしたいものだ。
外に出ると僅かに雨が降っているようだった。早く仕事を終えなければ大雨になりそうだ。
洗濯物は出来ないにしても今日も水は必要になる為、急いで井戸へと足を向けた。
「おはよう、エマ」
「ひっ!!」
相も変わらず来ていたらしい。
声のした方を向くと、手を後ろに組んだ伯爵が立っていた。昨日あんなにお酒を飲んでいたのにすごく涼しい顔をしている。なんだか少しだけ気に食わない。
「伯爵、雨が降りそうです、早く帰った方がいいのではありませんか?」
「うん、まぁ……帰るときには降るだろうから諦めているんだ」
「……いや、ですが」
「心配してくれているんだね、優しいんだなエマは」
この人の頭には言葉を良い方に捉えてくれる変換機がついてるんじゃないだろうか。早く帰ってほしいという単語をこんなにはっきり告げているのに全く響いていない。
「そうだ、今日は午後まで予定が無いから、このままエマの手伝いとかどうかな?」
「……いえ、結構です」
「でもほら__雨が酷くなってきたよ」
伯爵が手のひらを上にすると雨が先ほどよりも強く降ってきた、このままではびしょ濡れになってしまうだろう。
そもそもこんなに雨が降りそうな日によく馬だけで来ようと思ったものだ。
私は自分の家の馬車でも貸して帰ってもらおうとも考えたが、あんなボロい馬車貸せないし、私の家の馬車でなんか伯爵家に帰したらどんな噂が立つか。たまったものではない。
「…………とりあえず家に入ってくださいませ」
「ふふ、お人好しだよねエマは」
「え?」
「いいや、なんでもないよ」
伯爵の言葉は、雨の音にかき消されて良く聞こえなかったが、私は伯爵を家の中に案内した。
「そういえば、エマ」
「はい、なんでしょうか」
家族はまだ皆んな寝ている為挨拶は後回しにし、伯爵を客室に案内をした後温まるよう彼に紅茶を入れた。
濡れた髪の毛を少しでも乾かせるように乾いたタオルも手渡す。風邪なんかひかれたら後味が悪くなってしまうだろう。
「昨日の事なんだが……」
「……………………」
突然、伯爵が弱々しい声で話しかけ、そして言葉を濁して俯いた。
少しだけ見える耳は少しだけ赤いように見える。
一体何を言おうと思っているのかは分からないが、私からは絶対に言葉を発したりなんかしないんだから!と心の中で意気込んで次の言葉を待った。
「実は…その……覚えていないんだ」
「覚えていない?」
「あ、ああ……恥ずかしい事に、記憶が飛んでしまってね」
「……記憶が飛んだ」
「せっかくエマと食事をしていたのに気がついたら部屋にいたんだ……あんなに近くで食事をした緊張で酒を飲みすぎたせいだね」
「それは、とても良かったですね(私が)」
彼が顔を赤くしていたのはお酒で記憶をなくした事に対してだったらしい。
なんだ、そんな事なら早く言って欲しかった。
しかし、昨日のあの姿が酔った状態で意識的にやったものではないなんて……とんだ生き物だな。
「お酒……美味しかった?」
「お酒なんか、」
「飲んでくれたと聞いたんだ、私の用意したあの甘いワインを」
「え!?あれワインだったのですか!」
「ああ……ふふ、飲んでくれたのだね」
「あ、ええ……まぁ、飲みましたね」
飲んだことすら誤魔化そうと思ったがそれは失敗に終わったようだ。
あんなに甘いお酒がワインだったという事実に口が勝手に動いてしまっていた。あれくらい美味しい物であればたまに飲んでもいいかもしれないと、その場では思った位には気に入ったのだから仕方がない。
あれがなんとワイン……。辛い物しか飲んだことが無かったからあれがワインだなんて想像もしていなかった。
「それで、ワインは?」
「もう、飲みませんよ」
「美味しく無かった?」
「…………美味しく…無くは無かった気がしないでもないような感じでしたけど…」
「はは!エマは嘘がつけない性格なんだね、より好きになってしまうじゃないか」
「伯爵はより頭に霞がかかってしまったのですか」
非常に残念です。
そんな話をしていると家の奥の方から物音がし始めた。きっと家族が開き始めたのだろう。
突然客間に伯爵が居たら驚いてしまうに違いがないので、一応こちらに来る前に声をかけてこう、そう歩き出そうとした時だった。
ドドドドとこちらに走ってくる音が聞こえたかと思うと、バーンと扉が開き、そこには息を切らした人物が立っていた。
「……ね、ねえさま」
「エマちゃん!?」
「おはようございます、ワンダーソン男爵令嬢殿。私はトルネン伯爵家当主のトルネン・リチャードと申します。こんな朝早くに無許可で訪れたこと、申し訳ありません」
「ト、トトトルネン伯爵……さ、ま」
惚けて伯爵を見続ける姉様に私は慌ててかけ寄り、腰の辺りをバシバシと叩いた。
既に知られてしまっているかもしれないが、姉様がバカなことを少しでもカバー出来たらという私の熱い想いは知ってほしい!
「姉様、挨拶挨拶」
「はっ!!え、え、ええと!お、お初にお目にかかります。ワ、ワンダーソン家長女の、フェミリーノと申します。こんな遥々山奥のボロ屋敷に……」
「姉様!」
「はっ!!ち、違うのよエマちゃん。私はすごく落ち着くのだけどここが山奥のボロ屋敷という事実は」
姉様が慌てて私に言い訳を述べていると、扉の方から何かが崩れ落ちるような音が聞こえてきた。何やら崩れ落ちた山が口を揃えて何かを言っている。
『…トトトトトル、トル』
ああ……私の愛する家族が全員集まったようだ。
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