259 リゲル、村のために役に立つ (リゲル視点)
ゴブリン村の鍛冶師のリゲル。
そう呼ばれるオデだけど、やっているのは何も武器や防具の作成だけじゃない。
オデが武器を作り始めたことで、オオイノシシや蛇肉が手に入るようになったけど、ゴブリンたちは生肉に平然と齧り付く。
「腹を壊さないのか?寄生虫は大丈夫なのか?」
生肉を食うなんて、オデから見れば正気じゃない。
しかしゴブリン村は、火を起こすことすら知らない文明レベルだ。
でも、オデたちは人間じゃなくゴブリン。肉食動物だって生肉を食べても腹を壊さないので、生肉を直接食べても大丈夫だと思った。
――グキュー、グルグルグルグル
「やっぱりダメだった」
オオイノシシの生肉を食った後、同じものを食べたゴブリン村の住人が腹を壊して、下痢と腹痛に襲われることになった。
村中で100人を超えるゴブリンが腹を下したものだから、それはもう悲惨なことになった。
「生肉はダメだ。これからは火を通して食べよう。でないと腹を壊すどころか、最悪死ぬぞ!」
「リゲル、火ってどうやって起こすんだい?」
「母ちゃん、火の起こし方はだな……」
生肉には火を通す。
だけどその前に、オデはゴブリンたち全員に、火の起こし方から教えなければならなくなった。
と言っても、オデたちの環境で火を起こすためには、木と木をこすり合わせて、摩擦で火を起こすしかない。
幸い森の中なので燃やす物には困らず、火種さえできれば、そこから焚火にするのは苦労せずできた。
……なんてうまくはいかない。
「ゼーゼー、ハヒーハヒー。火を起こすのがこんなに大変だとは思わなかった……」
火種を作る作業で俺は額に大汗をかき、息を切らしてしまう。さらにそれを木くずに移して燃やすまで、散々苦労させられた。
前世でボーイスカウトでもしてればよかったんだろうけど、知識でしか知らないことだった。実際に火を起こすまでに何度も失敗して、オデは疲れ果てれることになった。
「ギャー、何だいこれは!熱い、眩しい!」
あと、ゴブリンたちは火を見ること自体稀だったようで、オデが興した火に驚き、戸惑って逃げ回った。
「ゴブリンって野生動物と一緒で、火を怖がるんだな……」
オデたちゴブリン村は文明と無縁。
これじゃあ野生生物と何も変わらないな。
でも、オデは生肉を焼いて食べる事を教え、さらに飲料に使う水も煮沸して使うことを教える。
今までゴブリンたちは雨水を直接飲むか、水たまりの泥水を飲むか、でなければ水を豊富に蓄えている蔦を切って、そこから出てくる水を飲むかの3つしかなかった。
蔦から取れる水は問題ないけど、雨水と泥水をそのまま飲むのは危険だ。
この世界では公害なんて無縁だから、雨水はまだいいかもしれない。
だけど泥水に関しては、細菌が繁殖していたり、虫が卵を産み付けていることがある。
こんな水をそのまま飲むとか、正気じゃない。
もし、村の近くに川があればいいんだろうけど、モンスターでも生きていくためには水が必要で、水辺にはゴブリン以外のモンスターが多い。
オデたちゴブリンが水場に近づくのは、死の危険を冒さなければいけないことだった。
なので、そんな危険な場所の近くに、村は作れない。
武器があって、ゴブリンは弱いから仕方ない。
でも、オデは村で衛生に関する概念も教えていき、ゴブリンたちの生活を改善していった。
そうしてゴブリン村での生活を続けていると、ある日の狩りで、オデは森の地面に銅と錫が転がっているのを見つけた。
「マジで!?」
銅と錫なんて、普通その辺に転がっている物か?
最初はここが異世界なので、銅と錫に似ている何かと思ったけど、村に持って帰って鍛冶場で火を起こして溶かしてみると、本物の銅と錫っぽかった。
さらに溶けた2つを混ぜて、合金にする。
「たしか、この2つで青銅ができるんだったな」
青銅の材料自体は、前世の学校の授業で知っていた。
『古代文明を支えていた青銅の材料は、銅とスズを混ぜて作った青銅で……』
社会科の先生が、そんなことを話していたと思う。
そんな知識が何の役に立つのかとその時は思ってたけど、異世界転生して、こんなところで役に立った。
社会科の先生曰く、銅はそれ自体では柔らかいが、青銅にすることで頑丈になる。それで武器や防具を作って、古代の青銅器文明が築かれたとのことだ。
青銅は、武器と防具に使える。
「ありがとう社会科の先生。オデ、今物凄く先生に感謝してる」
そうしてオデは、この世界で初めて青銅を手に入れることに成功した。
「あんれまー、凄い金ぴかに輝いているねー」
「うわー、ピカピカ!」
「兄ちゃん、これ食えるの?食いたい……硬っ!」
出来立ての青銅は、時間がたって酸化して緑青色になった青銅と違って、黄金色に輝いる。見た目は金にそっくりだ。
前世の古代文明で黄金という場合、本物の金でなく、青銅の事を示すのが普通だったそうだ。
これも、社会科の先生の話だ。
そんな金ぴかの青銅に、母ちゃんは目を丸くし、弟たちは試しに齧って顔を顰めていた。
「これは歯で噛みついたくらいじゃ壊れないぞ。でも硬いから、すごくいい武器に使えるんだ」
「へぇー、兄ちゃん頭いいー」
この村で武器と防具を作れるのはオデだけなので、弟たちは「頭いい」の一言で片づける。
ゴブリンって馬鹿なんだよ。
オデだけでなく、他のゴブリンも鍛冶仕事ができるようになれば、もっと道具を普及させることができる。
なのに、皆そこまで考えが至らない。
「オデの技を近くで見て、オデと同じものを作れるようになろう!」
そう言って、他のゴブリンに石斧や石槍などを作らせようとしたこともあった。
けれど、
「リゲルのすることは難しくて分からん」
の一言で、済まされてしまった。
誰も、オデの技を真似ようとしない。
本当にゴブリンはバカだ。
オデがいなくなったら、武器を作れる者がいなくなる。
そうなれば、また昔のモンスターに食われるだけの生活に戻ってしまうのに……
でも、ゴブリンが馬鹿でも、オデはこの村で鍛冶師として頼られているので、村で生活するのが楽しかった。
最初は自分の命惜しさで武器を作り始めたけど、今では皆がオデの道具を使ってくれている。
狩りの武器や防具だけでなく、火の起こし方を教え、かまどの作り方を教え、さらに青銅を手に入れたことで、鍋やフライパンまで作って料理をしやすくした。
オデはこの村にとってなくてはならない存在で、誰からも必要とされるゴブリンになっていた。
鍛冶師のリゲルという、この村に必要不可欠なゴブリンだ。
オデは村から必要とされることに満足して、前世では感じることが出来なかった幸福感を得た。
――こんなオデでも必要とされるなんて、前世では考えられなかった。
おぼろげな霧の向こうにしか見えない前世のオデだけど、オデはこの世界に転生して、その時より今の自分の方が幸福だと思えた。
確かに、ゴブリンの生活は過酷で仲間が死んでいく事が多い。
生活も不便で、前世と比べるだけ無駄。
でも、誰から必要とされることが、これほど心地いいものだとは、前世の俺は全く知らなかった。
この世界に転生して、その喜びを初めて知った。
このまま村のために、オデの知識と技術を役立てていこう。
いい事をしていけば、それだけ村の皆も幸せになれる。
そう思っていた。
オデは、こうすることが村のためになり、正しいことなのだと思っていた。
"いい事をしていればよくなる"。
でも世界とは、優しいだけではないことを、その時のオデは気づいてなかった。




