201 姐さん帰る (シルバリオン視点)
『もう、嫌ねぇ、イグニスは』
――ブンブンッ
往復ビンタならぬ、往復パンチを姐さんからもらうイグニス。
だが、殴られたイグニスはポカンとした間抜け顔をしていた。たぶん、俺もマヌケ面で、その様子を見ていただろう。
さて、姐さんが人間との交尾を終えた後、俺たちは人間と魔族が戦っていた戦場をあとにした。
その時には、俺も人化を解いて、元の竜の姿に戻っておいた。
ただ去り際、姐さんに対して、地上にいる人間たちがものすごい感謝の声援を送っていた。
まあ、たった10万ぽっちの軍勢で、その10倍以上いた魔族の軍勢と戦っていた連中だ。
驚いたことに、その中に姐さんの旦那さんまでいたけど、姐さんがいなければ、人間に勝ち目があったのかと疑問に思わざるを得ない状況だった。
そんな戦況が、姐さん(あと俺たち)の登場であっさりとひっくり返ってしまった。
姐さんも俺たちも、上級魔族を狩りに来ただけで、その他大勢の魔族を倒したのは、単についでだった。
ついでというか、ただ移動しているだけでゴブリンとかを潰しているだけだった。
まあ、いずにしても、あっさり戦況を覆したものだから、人間たちから非常に感謝されまくった。
特に姐さんの場合、人間の間で信仰されている竜神その人(竜?)なので、人間たちから見れば、自分たちの危機に颯爽と駆けつけたように見えたのだろう。
だが、それは完全に人間の錯覚だ。
彼らが今回の姐さんがやってきた真相を、知ることはないだろう。
何しろ真相は、姐さんの子供の飯を捕りに来た。
だもんな。
そんな理由で蹂躙された魔族は気の毒なものだが、この事実を人間たちが知れば、物凄く微妙な感情を抱くことだろう。
こんなことがあったが、その後戦場を後にすると、俺たちは今回獲得した上級魔族を姐さんに差し出した。
俺は無限収納に上級魔族を収納していて、その中から100を超える数を取り出す。
『あら、さすがはシルバリオン。やるわね』
と、姐さんからお褒めに預かった。
そしてイグニスも、最後に回収することができた上級魔族の死体を姐さんに差し出す。
『どうぞ姐さん』
『これ、私が仕留めて投げておいた奴じゃない』
『へっ!?』
俺が思った通り、イグニスが拾った上級魔族は、やっぱり姐さんの獲物だったようだ。
『他にはないのかしら?』
「え、ええっと。これが、あるん、です、が……」
旦那さんと交尾した後とあって、姐さんの鱗艶は非常によくなっていて、表情もニコニコとご機嫌な様子。
ただ昔から姐さんに虐げられてきた俺たちは、姐さんがご満悦な状態でも、すぐに機嫌が悪くなることを知っていた。
そしてイグニスは、ビビりながら、消え入りそうな声になってしまう。
イグニスが今回獲得できた残りの上級魔族と言えば、アンデット化して骨だけになっている死体だ。
『もう、嫌ねぇ、イグニスは』
そうして、冒頭の展開となり、イグニスは姐さんから往復パンチをされるのだった。
だが、だがしかしだ!
姐さんが欲しがっていた上級魔族を、今回イグニスは取り損ねていた。アンデットの骨なんて、論外だ。
だから、姐さんにボコられるのは当然。
なのに、なのにだ!
ただの往復ビンタだけで終わった。
いつもだったら、『この役立たず!』とか言われて、空から地面に叩き落されたり、地面に亀裂が入るレベルの拳骨を叩き落されたりするのに、それが往復ビンタだけだ。
もちろん姐さんのビンタなので、その辺のドラゴンが体当たりしてくるより痛い。
だけど、あの姐さんだぞ!
あの姐さんが、その程度しかボコらないだと!?
俺とイグニスは大混乱に陥ってしまう。
どうしよう。
もしかすると、今日は本当に世界が終わる日なのかもしれない。
それだけ、いつもの姐さんからは考えられないお仕置きで終わってしまった。
『あ、姐さん。頭がお……モガッ』
『イグニス、それ以上は言うな』
俺も姐さんの頭がおかしくなったんじゃないかと思った
だけどな、それを口に出したら死ぬぞ、イグニス。
俺はとっさにイグニスの口を押えて、それ以上の失言を防いだ。
『ウフフッ、子供たちも喜ぶでしょうね。ウフフーッ』
イグニスの失態など気にしない。
姐さんは春爛漫という感じで、物凄く上機嫌にしていた。
姐さんも、男ができるとここまで変わってしまうんだな。
マジで、人間ってすげぇ。
姐さんの旦那さえいれば、もしかして横暴な性格が治るんじゃないのか?
そこまで、俺は考えてしまったほどだ。
まあ姐さんなので、一時的な効果があるとしても、多分無理だろうけど。
その後、姐さんは目的の上級魔族を獲得できたので、その中から特に状態のいいものを見繕っていく。
最終的に姐さんは自分で仕留めた上級魔族と、俺が獲得した上級魔族を十数体ほど選んでいた。
『残りはどうします?』
『いらないから、好きにしていいわよ』
『じゃ、捨てるってことで』
別に空腹も覚えてないので、残りの上級魔族はその辺に放置していく事にした。
珍しいけれど、食べないならただのゴミだからな。
とはいえ、これで姐さんの依頼を無事に達成だ。
この後、大陸中に散らばっていたドラゴンたちを、咆哮ネットワークで呼び集める。
集ったドラゴンの数は百以上。
その先頭に、俺とイグニス。
そして今回留守にしていた姐さんの舎弟の一人ゼロの名代として、老齢のエンシェントドラゴンが並んだ。
『姐さん、どうぞお達者で』
『お呼びになれば、何をおいてもすぐさま駈けつけます』
『竜神様のお姿を拝見でき、僥倖でございました』
代表して俺たちは姐さんに挨拶。
できれば、もう千年ぐらいは会いたくない。
でも俺たちは姐さんの舎弟なので、本心を口にしてはならない。礼儀にかなった挨拶をしなければならなかった。
『うん、皆ご苦労だったわね』
『へへーっ』
姐さんがねぎらいの言葉を掛けたので、俺たちを含め、この場に集う全てのドラゴンたちが、姐さんの前で平伏した。
こういうのって、時代劇のお約束って言うらしい。
情報源は、創主様だ。
そんな俺たちに見送られて、姐さんは一人大空へと羽ばたいて飛んでいった。
向かう先は南。
『もう、千年は会いたくねぇー』
姐さんの姿が視界から消えるまで見送った後、最後にイグニスがつぶやいた。
『同感だ』
と、俺も追従。
『ああ、竜神様の神に等しきお姿。生きているうちに、もう一度拝見できればいいのですが……』
なお、ゼロの所の老エンシェントドラゴンだけは、なぜか姐さんに心から心服しているようだった。
……あの暴力クイーンにまた会いたいとか、この老エンシェントドラゴン頭大丈夫か?
俺とイグニスは全く同じ感想を抱いたため、互いに複雑な表情になってしまった




