152 フレイアマジ切れ (ユウ視点)
「燃やしますわ」
フレイアのその声は特別大きかったわけでない。
ただそこには殺気がこもっていて、僕の肌が泡立った。
そこから先は、ミカちゃんとの模擬戦で鍛えられていた僕の体が、考えているより早く動き出していた。
「レオン!」
近くにいたレオンの手を引っ張って、思い切り走りだす。
「ユウ兄さん!って、あれっ!?」
驚くレオンだけど、あの暢気なレオンでさえ、危険を感じたらしい。
僕の肌がチリチリとして、嫌な危険を感じ取っている。
いや、これは僕の勘違いでなく、実際に肌が焼ける様な感覚を感じ取っていた。
僕たちドラゴニュートは100度のお湯を被っても、火傷一つしない。フレイアのファイア・ブレスに炙られても、肌の鱗のおかげで火傷を負うことがなかった。
だけど、いまその鱗に守られているはずの肌が、チリチリと焼ける感覚を伝えてくる。
僕たちの周囲にはいまだにアントの大群がいるけど、そんなものはもはや無視だ。
今はそれより、フレイアから一刻も早く逃げる。
背後からは巨大な熱量と、そしてこの世界に転生することで目覚めた魔力を感じとる感覚が、命に関わるほどの警告を告げ続ける。
一体背後で何が起きているのか?
僕が一瞬フレイアの方を振り向くと、妖艶な美貌を持つフレイアの瞳がルビーのように赤いきらめきを放っていた。
そして赤い髪は炎の様にメラメラと燃え上がり、重力に逆らって空へと立ち昇る。
その体からは、膨大な魔力が熱となって、周囲へ溢れだしていた。
「レオン、水だ!それと大急ぎで氷魔法。冷やせるなら何でもいい。そうだ、今すぐ氷で壁を作れ!」
気が付くとドナンさん相手に戦っていたはずのミカちゃんまで、僕たちの傍に来ていた。
「ええっ、いきなり言われ……」
「やかましい、とっととやれ!」
戸惑っているレオンの頭をぶん殴るミカちゃん。
いつも乱暴だけど、今日はそれに輪をかけて冷静でない様子だった。
だけど脱皮する前は、頭を叩かれてはウォーター・ブレスを吐き出していたのがレオンだ。その時の癖があったから、この時もレオンは口から水を吐き出していた。
「ええっと。と、とにかく水と氷!」
レオンは半べそかきながら、僕たちの周囲に水を作り出し、さらに氷魔法で固めていった。
その直後、ドンッと音がして、辺りが真っ赤に染まった。
洞窟の中に溢れていた黒い巨大蟻の体が、一瞬にして全身炎に包まれる。
数百のアントがいきなり燃えだしたと思ったのも束の間、その体がすぐにボロと化して崩れ去る。
そこにフレイアから炎の衝撃波が放たれて、崩れていく途中のアントの体を、全て吹き飛ばしてしまった。
あれだけいたアントが、残骸すら残らず全て消え去ってしまった。
「ああ、イライラしますね!」
そしてフレイアの不機嫌は、まだ収まらない。
髪や瞳だけでなく、フレイアの体に赤い鱗が浮かび上がる。
フレイアの持つ炎の属性竜としての性質。それが体の表面に現れるかのように、フレイアの肌に赤い鱗が浮かび上がる。
そしてそれが炎へと形を変えていき、フレイアの全身が炎に覆いつくされた。
炎の魔人。
そう表現したくなる異様な姿と化していた。
「ヒエエッ、冷却が追いつかないよー!」
「アホたれ。泣いてないでもっと冷やせ、冷やせ、冷やせ!」
フレイアから放たれる熱波はさらに温度を増し、レオンが展開している氷の壁が、溶ける暇もなく水蒸気へと変えられていく。
それでもまだ残っている氷の壁で僕たちは守られているはずなのに、冷たさなんて全く感じられず、体中の血が沸き立つような温度を感じてしまう。
『ヒィヤアアアッ。お前らの妹は、化けもんかー!』
――ガタガタガタ
それといつの間にか、霊体のドナンさんと、さらに玉座に座っていた骸骨まで、僕たちの傍に来ていた。
「をぃ、なんでお前が俺らの所に来てるんだよ。幽霊だから物理攻撃は効かないんだろ!」
『アホいえ。あんなとんでもない炎、死んでるワシらでも死にかねんわ!』
「もう死んでるだろうが!」
ミカちゃんとドナンさんの間で、物凄くどうでもいい言葉の応酬がされる。
『主様ー』
あと、いつの間にか僕の僕とか言い出したレイスも、ついてきていた。ただし涙声になっているけど。
でも、もうそんな言葉をいちいち聞いている余裕なんてない。
「皆、天井が……」
僕はこの洞窟の天井を見て、そこから先の言葉を続けられなくなってしまった。
なぜなら、土や岩でできているはずの天井が、今は真っ赤な色に変化していた。
「あ、マグマだ。溶けるな」
あまりの事態に、返って冷静になってしまったミカちゃんが言った。
次の瞬間、洞窟の天井があまりの高温でマグマとなり、液体化して、ドバっとはじけ飛んだ。
フレイアの放つ炎魔法。
いや、もはや魔法なんてレベルで片づけていい次元でない炎が、洞窟の天井を一瞬にして溶かしてしまった。
その後、僕たちの前で世界が妙にゆっくり動いていく。
そういえばこんな光景を、一度だけ見たことがある。
……僕が前世で、車に轢かれて死んでしまう前、その時も世界が妙にスローに動いていた。
「僕たち、もしかしてここで死ぬのかな?」
『ヒエェェ、ワシは死にたくないー』
「うわああんっ、氷が全部溶けちゃうー」
フレイアの放つ炎の勢いはとどまるところを知らず、洞窟の天井が溶けた後、さらにその上に堆積していた岩や土砂まで、超高温の熱でマグマに変えていく。
――ドンッ
ひときわ強い音がすると、マグマになった土砂がはじけ飛んだ。
――ボタ、ボタタタッ
マグマ化して溶けた土砂が、僕たちのいる傍に次々に降り注ぐ。
だけどあまりの高温ゆえ、降り注いでくるマグマが途中で蒸発し、気化してしまった。
マグマの塊に僕たちは飲み込まずに済んだけれど、代わりにマグマですら溶かしてしまう超高温が、辺りを支配している。
レオンは訳の分からない言葉を叫びながら、それでも必死になって氷魔法を放ち続けている。
そのおかげで僕たちは未だに生きているけど、僕たちも全身が燃えてしまうかのように熱かった。
ここでレオンに踏ん張ってもらわないと、僕たちは一瞬で黒焦げにされてしまう。
その間にもフレイアの留まることのない炎魔法はさらに熱を放ち続け、遂に洞窟の上に堆積していたすべての土砂を蒸発させ、その向こうにある空を露出させた。
外は既に夜になっていて暗く、空には星が瞬いていた。
でも、その星の光が一瞬で霞んでしまう。
フレイアの力が、さらに膨れ上がる。
「太陽だ……」
蒸発してしまった洞窟の天井の代わりにのように、僕たちの頭上に巨大な太陽の如き炎の塊が現れていた。
その形は火球と同じ球形。
ただし直径は100メートルなんてかるく超えている。単位がキロメートルには届きそうな巨大さで、、空を炎で染め上げていた。
しかもその色が赤から青、そして白へと変化していく。
「ウ、ウフフッ。全て片付いて、スッキリしましたわ」
もはやアントは体が全て蒸発。洞窟の堆積していた土砂も全て蒸発。
フレイアが鬱陶しがっていたものが全て消え去った中、太陽の如き炎を作り出しているフレイアの全身は、いまだに炎に包まれた姿をしていた。
「アカン。フレイアを怒らせたら、俺ら確実に死ぬわ……」
フレイアのとてつもない魔法を前に、あのミカちゃんが兄さん以外に対して、珍しく怯えていた。
うん。僕も、フレイアが怖い。
「ひええっ、誰か助けてー」
そしてレオンは涙目だ。
それでも氷魔法を使って、冷却をやり続けてくれている。
レオンの魔法がなければ、僕らも今頃アントの様に、体の欠片も残ることなく蒸発していたかもしれない。
『嫌じゃ、嫌じゃー。ワシ、ドラゴニュートに関わるんじゃなかったー』
そしてどさくさに僕たちの傍まで逃げてきた、ドナンさんは泣き声。
既に死んでいるのに、その顔にはもう一度死んでしまいそうな死相が浮かんでいた。
「あら、そこにも生き残りがいたんですね」
その声がいけなかった。
フレイアの視線が動き、僕たちの傍にいるドナンさんの姿を見つけた。
って、フレイア。
もしかしてドナンさんどころか、僕たちごと燃やしたりとか……。
「フフフッ」
どうやらブチ切れ状態のフレイアには、僕たちのことが視界に映ってないようだった。




