147 アント、アント、アント…… (ユウ視点)
あの後もミカちゃんとドナンさんの間では、物凄くどうでもいい口論が続き、それに巻き込まれた僕は、もう何も考えずに通訳にだけ徹することにした。
頭の中を真っ白にしたら、それだけでかなり気が楽になった。
その間、変態の2人が何を言い合ってたかなんて、僕はこれっぼっちも覚えてない。
覚えていたくもない。
そうしていたらなぜか、
「頑迷な筋肉主義者の遺体を弔って、もう2度と地上に戻ってこないように始末してやろう」
『おおっ、この脂肪マニアが。ようやくワシの頼みを聞いてくれる気になったか』
なぜか2人の間で話がまとまっていた。
えっ、2人とも仲が悪かったのに、どうしてそうなるの!?
「てことで行くぞ、ユウ。それと起きろレオン!」
「フギャー!」
眠りこけていたレオンを、足蹴りで起こすミカちゃん。
「フレイアたーん。朝でちゅよー」
「アアン、フフフッ」
一方フレイアに対しては、セクハラ行為をして起こすミカちゃん。
弟と妹に対する扱いの差が激しい。
でもなぜか僕たち4人、それにスケルトンたちを連れて、ドナンさんの遺体を埋葬することになった。
僕はドナンさんの頼みは無下にできないと思っていたけど、あれだけ反目しておいて、ミカちゃんがあっさり頼みごとを飲んだのに驚きだ。
スケルトンの多くは、この洞窟にいたゴブリンの死体を第2拠点まで持ち帰る予定だったけど、ドナンさんのために、その作業は一時中止にする。
でも、このまま兄さんに何の連絡もなしというのは問題だと思い、僕は1体だけ兄さんに、事のあらましを伝えるように命令して送り出した。
兄さんなら、アンデットの声が聞こえてるから大丈夫だろう。
「それで筋肉おっさんの体は、どこにあるんだ?」
『実はこの洞窟の中にあるんじゃ。ただ、少しばかり問題があってのう……』
「問題って、何ですか?」
『蟻どもがおるんじゃ』
この洞窟の中は既に制圧したつもりでいたけれど、僕たちはドナンさんに連れられて洞窟の奥へと案内された。
でもそこは、ただの行き止まり。
「蟻?それにここは行き止まりじゃないか?」
『この壁を壊せばわかる事じゃよ』
首を傾げるミカちゃんに、ドナンさんが答える。
「よく分からんが、とりあえずこの壁を壊せばいいのか。トリャッ!」
ミカちゃんが一度後ろに下がり、それから勢いをつけて駆ける。空中へジャンプし、そのまま目の前にある壁に踵を振り下ろした。
――ドゴーン
「ええっ、これだけで壁が壊れるとか、おかしいでしょう!」
「馬鹿言うな。レギュレギュだったら拳一つで、この壁ぶち抜いてるぞ」
「そう言われればそうかも」
キック一つで壁を破壊してしまうミカちゃんも大概だけど、それでも兄さんの拳に比べればまだかわいいものだ。
ミカちゃんは兄さんの拳を受けて、過去に何度も壁にめり込んでいた。
……いくら僕たちがドラゴニュートだからって、あんなことされてよくミカちゃんが死なないものだ。
それにあんなことされたら、僕だったら兄さんに逆らおうなんて気は、絶対に起こさなくなる。
そう思っていくと、ミカちゃんって本当に打たれ強い。あるいは学習能力がない、ただのバカかもしれないけど。
そんなことを考えている間に、目の前の壁が崩れ落ちていき、向こうに続く通路が現れた。
「んー、結構深いんだな」
『気を付けろよ、この先には蟻がおる。ワシは、あいつらに殺されてしもうた』
ミカちゃんが洞窟の奥まで届くようにライトの光を強くするけれど、それでも通路の奥まで光が届かない。
もっともミカちゃんと違って僕には暗視スキルがあるので、光が届かなくても洞窟の奥まで見通せる。
「結構道が入り組んでるみたいですね。迷子にならないといいけど」
「ユウには見えてるのか?」
「はい、左右にたくさんの道が分かれていて……アレッ?」
通路の奥の方を見ていると、黒く動くものがあった。
最初は気のせいかと思ったけど、それはただの陰でなく、確かに動いている。
『お前さんらなら大丈夫と思うが、死ぬんじゃないぞ』
僕が目を細めて確認していると、ドナンさんがそう言ってきた。
――ギチギチッ
通路の奥にいた影が、気味の悪い音を立てて、僕たちの方を睨んできた。
「ユウ、何がいるんだ?」
「巨大な蟻です」
『さよう、巨大蟻のモンスター"アント"じゃ』
僕の目は、黒い全身鎧を着たように見えるモンスター、巨大蟻のアントを捉えた。
この世界で初めて見るモンスターだけど、前世でプレーしていたゲームで似たようなのを見たことがある。
人間と同じくらいの大きさをした、二足歩行で歩く巨大な蟻だ。
「なんかマズそうな奴だな」
――ギチギチギ……
暗闇の中から迫ってきたアントだけど、それを特に気にする風でもなく、ミカちゃんが鈍器剣を一閃して、頭と胴体を切り落とした。
――グギャッ
っと、頭を落とされたアントが悲鳴を上げる。
だけどなぜだろう、何か普通でない違和感を感じがする。
「?」
それはミカちゃんも感じ取ったよう。
頭が切り飛ばされても、それでもアントの胴体がギチギチと音を立てながら、さらに前進し続けていた。
「うへー、気持ちワリー。虫だから頭を落としてもまだ動くのかよ」
僕が感じた違和感の正体は、これのようだ。
頭を落とした後も迫ってくるアント。だけどミカちゃんは物凄く冷静で、そのままアントの体を、足で蹴り飛ばしてしまった。
――ドガンッ
という音がして、通路の壁に体ごとめり込むアント。
『お前さん、脂肪胸が好きなくせして、恐ろしく強いのう。それだけの力があれば、胸が筋肉でできていてもいいものを……』
「んな気色悪い胸などいらん!そもそも俺の信仰する乳神様の力をもってすれば、この程度序の口だ」
戦闘では、兄さんとフレイアを抜きにすると一番凄いのがミカちゃんだ。
でも、ミカちゃんの頭は相変わらずだし、ドナンさんもミカちゃんの同類だった。
2人とも目指しているものは同じでも、方向はズレているけど。
『じゃがのう、アントが本当に怖いのは、数が多い事じゃ』
――ギチッ
――ギチギチギチ
――ギチギチギチギチ
最初に倒した一体を皮切りに、左右に伸びる複数の通路から、次々にアントが気味の悪い音を上げながら現れた。
その数は見えるだけで数十匹。
まるでゴブリンみたいに、次々に出てくる。
「まあ、気色悪いですわ。ミカちゃん、全部焼いていいですか?」
「フレイアたん、ここで炎はダメ。酸欠しちゃうのでやめよう」
「でしたら一度外に出て、レオンに洞窟ごと水没させればいいのでは?」
アントが次々に迫ってくる中、フレイアは全滅させることしか考えてない。
閉鎖された場所での炎は問題だ。けれどこの前ゴブリン洞窟をレオンの水攻めで攻略したときは、洞窟が水のせいで脆くなって、洞窟のある丘ごと崩壊してしまった。
今回はドナンさんの遺体を弔おうって話だから、水攻めをすると下手すればドナンさんの遺体を丘の崩落に巻き込みかねない。
「このぐらいの数なら、魔法なしでも問題ないだろう。ユウは後ろを頼む」
そんな中、ミカちゃんは剣を片手にクルクルと振り回しながら、気負いなくアントの集団に1人で突っ込んでいく。
「大丈夫ですか?
最初の1体は簡単に倒せたけど、初めて見るモンスターですよ?」
「大丈夫ー」
僕の心配も気にせず、ミカちゃんは迫ってきたアントに、剣を振っていった。
ミカちゃんの剣は恐ろしい速度で蠢く。しかもその動きは直線に振られるだけでなく、まるで剣が鞭になったかのように、曲線を描きながら動き回る。
実際に剣が鞭になったわけじゃない。
ただ、ミカちゃんの操る剣は本当に速い。
疾風や、疾駆の剣。
なんて言葉よりも早い、光の速度で動くかのような剣だ。
「おー、やっぱりこいつら大したことねえぞ。ものすごく弱い」
ミカちゃんはアントの数を気にすることなく、次々にアントの頭と胴体を切り離していく。
頭が飛んで行った後も、アントの残った胴体は相変わらず前進し続けている。それでも既に頭がなくなっているせいで、前進以外の行動ができなくなっていた。
「あっち行ってろ!」
なんて言って、ミカちゃんが頭を切り飛ばしたアントに蹴りいれると、アントは180度方向転換して、後ろにいる仲間たちの方向へ全力疾走していった。
そのまま仲間同士で大激突。
「ヒャッホー」
大激突して身動きを取れなくなっている所へ、さらにミカちゃんが襲いかかっていき、ミカちゃんが一方的にアントを仕留め続けていった。
ドラゴニュートが強いというより、ミカちゃんの剣技が本当にばかげたように強い。
おまけに戦いの中で、相手の習性をあっさり手玉に取っている。
このままなら、ミカちゃん1人でもアントの集団を全滅させられそうだ。
それくらい戦いに一方的な差がある。
けれどその時、アントの1体が口から妙な液体を飛ばしてきた。
それをミカちゃんは簡単に回避する。
液体はそのまま飛んで行って、土の壁に衝突した。
そして、
――ジュッ
と音がして、液体の触れた壁がドロリと溶けた。
『言い忘れておったが、アントが吐き出す酸性の液に触れると、軽くても火傷。ひどいと溶かされてしまうぞ』
「ドナンさん、なんでそういう重要なことを早く言わないんですか!」
今頃になって危険な情報を出してくるドナンさんに、僕は大声で抗議する。
『いやー、すまんのう』
だけどドナンさんは、ひどくのんびりしていた。
『ワシ、死んでしもうとったから、すっかり忘れとった!』
「Noー、脳味噌まで筋肉の幽霊がー!」
最前線に1人突っ込んでいったミカちゃんが、絶叫を上げていた。
それでも次々に飛んでくるアントの酸性液を、ミカちゃんは次々に回避。
しかしそれにも限界があり、ベチャッと、地面に垂れていた酸性液に触れてしまった。
「靴の底が解けちまった……体は無事だけど」
「えーと、もしかしてアントの酸性液って、ドラゴニュートには効かないのかな?」
『お前さんら、一体どんな体しとるんじゃ……』
ドナンさんが驚きと呆れの混じった声をしている。
だけど、
「フハハハハ、所詮雑魚どもの攻撃など、このミカ様には通じんのじゃー」
酸性液が効かないと分かって、ミカちゃんが更に強気になってしまった。
その結果ゴブリンの時と同じで、アントの大群も、ミカちゃんによって一方的に惨殺されていった。
「おっと、後ろからも来てた」
ミカちゃんが前線で殺戮をほしいままにしているけれど、一方で僕はPTの後方警戒役だ。
後ろからアントが数体現れたので、こっちは僕が鈍器剣を使って、対処しておく。
――ドンッ
ミカちゃんにならってアントの頭と胴体を狙ったけど、ミカちゃんみたいに綺麗に切断することはできなかった。
アントの首に鈍器剣がめり込んで、そのまま力任せに振るった結果、切れるのでなく、抉れて頭が取れた。
僕とミカちゃんの間には、剣技では埋めがたい差があるので、綺麗に切ることはできなかった。
でも、これなら僕でも簡単に対応できそうだ。
僕は後ろ迫ってくるアントに接近して、剣を振るって頭と胴体を叩き落とす。
さらに突きを放って、アントの体を鈍器剣で貫いていった。
体を貫いた鈍器剣を抜き取ると、緑色の体液が飛び散る。
酸性液のこともあるので、僕はその体液が周囲に飛び散らないように、できるだけ慎重に剣を引き抜いた。
『おいおい、アントの体はかなり頑丈なのに、それを力任せの剣で叩き切るとは、どれほどの握力があるんじゃ』
僕がアントを倒すと、ドナンさんが呆れる声を出していた。
「僕は普通ですよ。ミカちゃんや兄さんみたいに、常識人離れはしてませんから」
『あの脂肪乳好きはともかく、お前さんの言う兄さんとやらも、トンデモなさそうじゃな』
「ええ、いろいろトンデモないです」
そう、ミカちゃん以上に、兄さんは強い。
物理的にも、そして魔法では、僕たち兄弟が絶句するほどの使い手だ。
「ほらレオン。右から来てるのをさっさと倒してしまいなさい」
「氷の弾丸」
「もっと撃ちなさい」
「分かってるよー」
なお、この間にもアントは通路から次々に出てきていて、ミカちゃんが取りこぼしたアントもいる。
それをレオンが、アイスバレットを撃ちまくって倒していく。
氷の刃がアントの体に数発、数十発と命中していく。
アイスバレットはアントの体を貫けない場合もあるが、中にはアントの黒い殻を貫いて、体に深く突き刺さる場合もある。
貫通した物が与えるダメージの方が高いだろうが、貫通していない物にも打撃効果があるようで、アイスバレットが命中するたびに、アントが体を仰け反らせていた。
それでもレオンのアイスバレットだけでは捌ききれず、目前にまでアントが迫ってくる。
それをこの場に連れてきたスケルトンたちが迎撃する。
ただし、あまり数を連れてくると戦闘で邪魔になるので、連れてきたのは5体しかいない。
スケルトンたちはアント相手に奮戦するものの、アントの黒い外皮がかなり固いようで、骨の体で蹴ったり殴ったりするだけでは、アントにまともなダメージが入ってないようだった。
これでは完全に戦力外だ。
「チッ、このクソ虫が。燃えてしまえばいいものを」
そんなところで、なんだか聞いてはいけない声を聞いた気がした。
ものすごい低音でフレイアが言うと、
――ドンッ
という音がして、アントの体をフレイアの拳がぶち抜いていた。
アントの体のど真ん中を、拳だけでなく腕までめり込ませたフレイア。
ボタボタとアントの緑色の体液が、貫通した腕から滴り落ちる。
「嫌ですわ。汚い虫はこれだから」
貫通したアントを、腕の一振りで吹き飛ばし、フレイアは不機嫌そうな顔をしていた。
「レオン、お水を出して。腕が汚れてしまいましたわ」
「ちゃっと待ってー。まだ敵が残ってるからー」
「クズグズしないで、さっさと片付けるんですよ」
……えっと、フレイア。
怖すぎない……?
『ノウッ、お前さんの妹フレイアと言ったかのう。怒らせると怖すぎんか?』
「あら、何か言いましたか?」
ドナンさんがぼそりと僕に耳打ちしてきた。
幽霊のドナンさんの言葉は、僕が通訳しないと分からないはずなのに、フレイアが一瞬鋭い目をして睨んできた。
『な、何も言っておらんぞ!』
ドナンさんは大慌てで、首を左右に振るう。
「ならば、よろしいです。フフフッ」
笑うフレイアは、兄の僕から見ても、物凄く怖かった。
フレイア、頼むから怖い女の人にはならないで。
僕は、心の中でフレイアの将来を心配してしまった。




