122 番外編、図書館と呼ばれる場所
前書き
今回の話は、時系列的にはレギュレギュがまだ転生をしたことがない、一番最初の人生での話です。
――ガルルルルルッ
人の形に似た、しかし人ではない獰猛な獣が雄たけびを上げている。
その声は憎悪であり、憎しみ。
狭い空間の中に監禁され、実験のたびに手足をもがれては、回復魔法によって再生される。
欠損した手足や臓器、果ては心臓や脳が抉り出されて死んでも、そこから神の如き奇跡の技をもって黄泉から生き返らされる。回復魔法、いやもはや回復などというレベルではない蘇生魔法。
神の領域の御業。あるいは、神を冒涜する悪魔の業によって、この獣は生かされ続けている。
――ガルルルッ、ガルーウウウ
獣が咆哮を上げ、両手を伸ばして僕へ掴みかからんと突進してくる。
だがその突進も、目には見えない次元結界と呼ばれる領域によって阻まれる。
壁にぶつかるわけでもないのに、不可視の存在によって、そこから先へ侵入することができなくなる。
だかけど僕は、この憎しみに吠える獣に、ひどく親近感を持った。
こいつは似ている。
憎しみではなく、本当はただ怯え、恐れているだけ。
自分の体に痛みを与え、死んでも甦らされる究極の拷問の日々。
だからその目にあるのは、暗い絶望に包まれた怯えだけ。
そう、こいつは僕に少し似ている。
信頼する者から、2度にわたって殺されかけ、生死の縁を彷徨った僕に。
あの一見すれば煌びやかに見える王宮の中で、いつ命を奪われるか分からない日々を送っていた僕に。
……気づくのに少し時間が掛かってしまったが、ここでようやく僕は気が付いた。
ここは夢の中。昔あった、ちょっとした出来事の記憶だ。
ここは僕がまだ、不老でも不死でもなければ、転生すら経験したことがない、一番最初の人生での出来事。
シリウス・アークトゥルスと名乗った、魔王と呼ばれる存在をただの雑魚以下として扱い、倒してしまうほどの化け物。
王宮で殺されることを恐れていた僕は、あの環境から逃げ出すためだけに、この化け物に師事した。
切羽詰まっていなければ、こんな化け物に師事などしなかっただろう。だが、やはり化け物は化け物だった。
シリウス師匠は、図書館と呼ばれる場所を本拠地にして、そこで日々様々な言語で書かれた本を書いていた。
師匠が本を書いている執筆部屋は、四方全てが本棚に囲まれている。
本棚には本が隙間なくびっしり並べられていて、見上げれば天へと向かって、果てることなく、どこまでも本棚が続いている。
その最上部は空の果てに霞んでしまって、地上から見つけることができない。
この部屋は、室内に存在していながら、天井が存在していない。
代わりに見上げる空の果てには、いかなる技術で作られているのか不明だが、天の中心に人工太陽と呼ばれる明かりが存在し、それによって室内が真昼の明るさに保たれていた。
部屋中であるはずなのに天井が存在しない空間。その空間の空に浮かぶ、人工の太陽。
既にオーバーテクノロジーという単語だけでは片づけきれない不可思議の場所だ。
そしてここに並べられている本は、あらゆる世界における技術や知識、魔術、科学、その他ありとあらゆる事柄が、事細かに書かれている。
この執筆部屋に存在する本の中には、神の領域に迫る叡智すら存在する。
致死の傷を一瞬で回復させる薬、不老不死の薬、死者の蘇生方法、あるいは人工的に魔王を生み出す方法などなど……。
ここにある本は全て師匠によって書かれたものだけど、もっともこれを書いている理由は、
「ボケ防止の記録」
「ボケ防止……ですか?」
一つの魔法で魔王が支配していた領土ごと滅ぼせる化け物が、自分の知識を忘れないために、ボケ防止で本を書いた結果がこれなのだという。
まるで意味が分からない。
「僕って今までに数えきないほど転生を繰り返してきて、かなり生きてるけど、脳みそのスペックは人間の頃と大して変わらないんだよね。昔の事ってすぐに忘れちゃうから、思い出しながら本を書いて、ボケ防止に使ってるわけ」
「はあっ……」
なんともすごい理由というべきか、訳の分からない理由というべきか……
「その、師匠は今までに、どれくらいの年月を生きてきたのですか?」
「さあ?1000年ぐらいで数えるのを辞めたし、転生した回数の方も数えてないや。
転生した回数も千とか万ではきかないだろうけど。まあ、数えても仕方がないからね」
ああ、この目の前にいる人物は、本当に人の姿をした化け物だ。
ただ、とんでもない化け物のはずだけど、
――コロコロコロッ
本を書いている机の上には、飴玉がぎっしり詰まった瓶がある。
「ああ、甘いものは最高だ。これは僕の命の源泉、生命力の源。
○○も食べる?」
「は、はい、いただきます」
心底幸せそうな顔をして、飴玉を舐めている師匠。
師匠が呼んだ名前は、僕がまだレギャラス・アークトゥルスという名を師匠からもらう前の名だった。
あの頃の僕の名前がなんだったかは、もう覚えていない。
それに今更思い出したいとも思わなかった。
僕は断ることもできず、飴玉の一つをもらった。
ただ、僕は警戒していた。
今までに食べ物によって毒殺されかけた経験があったからだ。
この頃の僕はまだ不死でもなければ、不老でもなかったから仕方がない。
「大丈夫だよ。毒なんて入ってないから。
というか僕だったら甘ければ毒入りでもいいかなー。やっぱり糖分は絶対正義だよね」
「……」
化け物だけど、頭の思考回路がおかしな人だった。
……今思えば、この人の頭も相当だよね。
ミカちゃんとは方向性が違うけど、本当に頭がおかしい。
師匠はこんな風にしていれば一見無害そのものに見えるのに、暢気な表情のまま図書館の一角で飼っている実験動物たちを、平然と切り刻む男だった。
「うーん、やっぱり不死性をもう少し高める必要があるのかな?
DNAをこれ以上いじくり倒すと、生殖細胞が壊滅するだろうし……繁殖能力を取り除くのは不味いよねー」
などと言いながら、あの人は実験動物の脳を開いて、電極を突き刺していた。
……マッドサイエンティストも極まれりだ。
何の実験をしたいのかわからないが、頭の中が開かれていても、あの時の実験動物は目が動いていて、死ぬことなく生きていた。
……僕はなぜこんな過去の夢を見ているのだろう?
夢に理由を求めること自体が無意味だけど、これは確かに過去にあった記憶の夢だった。




