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 幼い頃、母親と継父が私が寝ている間に話し合っていたことが何回かあった。

 継父は私を祖母に育ててもらえと言った。

 母親は私のことを育てる約束で結婚したじゃないか、と怒った。

 それを夜な夜な聞いていた私が、まともに育つわけがない。愛に飢えた私が、愛されるわけない。こんな価値のない私が必要とされるわけがない。


 意識が戻ると、私は檻の中に丸まって横たわっていた。まるで頑丈な犬の檻。狭くて鉄製で鍵がかかっていそう。外は暗い部屋。ちゃんと把握する前に、私は動かずに考えた。

 私は十中八九、噂の殺人鬼に連れ去られた。

 よもや自分が連続殺人鬼の被害に遭うなんて、思いもしなかった。偶然、被害に遭うわけがない。たまたま連れて行かれた店で殺人鬼に狙われたなんて、映画みたいに出来すぎた話になるわけないだろう。

 デビー達に、囮にされたんだ。殺人鬼の件を捜査していたセヴァリーノに部屋に呼ばれていたあの二人も関わっていたに違いない。セヴァリーノは、あと少しで捕まえられると言っていた。それであのクラブが怪しいと突き止めたはず。セヴァリーノが私を囮にしろと指示したとは考えにくいから、デビー達はこう思ったに違いない。標的にされそうな客人をクラブに連れてって殺人鬼を誘き出してもらおう、ってね。……ぶっ飛ばしてやる。

 万が一、セヴァリーノが無理に関わらせるために指示をしたというのなら、何が何でも日本に帰ってやる。

 幸い、手も足も縛られてはいなかった。開けた瞬間に、反撃に出よう。それまで薬が効いているふりをして横になっているべきだ。急に動くのもよくないだろう。

 目を閉じて、深呼吸。鉄の匂いがする。

 この殺人鬼は、連れ去った女性を拷問して殺したのだという。だから、ここはその拷問部屋。

 そうだとわかっても、私は大して動揺をしない。また呆れてしまっているのだろうか。

 私はただ利用されるだけ。殺人鬼の餌にされるし、他にいないから余命僅かなボスの跡継ぎにされる。他に、価値なんてない。

 殺人鬼に狙われる美人ではある。それは認めよう。そりゃ何度も男を手に入れている美人な母親の娘だもの。父親だっていい男だ。それに、外見をよくする努力だってしている。デビーが物欲しそうに見つめてくるのも、当然とも言える。

 けれども、所詮は外見だけだ。心から愛してもらえるなんて、到底思えない。愛を注いでもらえるなんて、信じられない。愛をもらえるなんて、ありえない。

 セヴァリーノが心から気遣ってくれるなんて、私を利用したいだけなんだ。ただそれだけよ。

 セヴァリーノは、迎えにくるだろう。ボスの血を引き継いだただ一人の後継者なのだから。後継者だからであって、私のためなんかじゃない。

 ああ、なにをぐだぐだ考えてしまっているのだろう。


「……!」


 足音が聞こえてきて、私は目を閉じる。気絶しているふり。殺人鬼のバーテンダーだろう。部屋に入ってきた。近付いたけれど、私の様子を確認しただけらしく、すぐ離れていく。

 それから、音楽がかけられた。この曲、聞き覚えがある。と思えば、男はオペラ歌手のように歌い出した。被害者からすれば、この上なく恐怖が掻き立てられるだろう。


 ああ、思い出した。サンタルチアだ。中学校で習った。日本語歌詞で習ったのだけれど。いい歌よね。青々しい海が思い浮かんでくる。殺人鬼に聞かされては台無しだけれど。

 殺人鬼は歌いながら、カチャカチャとなにかやっている。きっと拷問準備だろう。そろそろ檻を開けるはず。

 予想通り、歌声が近付いてきた。ガチャン、と鍵が開く音がする。今気がついたかのようにゆっくりと瞼を上げて、殺人鬼を確認した。注射器を片手に、屈んで手を伸ばしてくる。

 起き上がるとほぼ同時に、顎を狙って掌を叩きつけた。自衛にはこれが一番。マフィアに食らわせることはできなかったけれど。

 倒れた男から注射器を奪って、すぐに腕に突き刺して注入してやった。中身はわかっている。意識があるまま身体だけ麻痺させる麻酔薬を使って拷問していたと調べはついている。まぁ、私が調べたわけじゃないけれど。

 檻から出られた私は、部屋の中を把握する。まるで手術室みたいだった。それは、手術台と似た器具が並んでいるせいか。どう見ても廃墟。廃れたコンクリート壁だ。

 音楽は、年代ものの蓄音機で流されていた。ひょいっと針を退けて、曲を止める。

 殺人鬼を見下ろす。薬は効いて、目を開いたまま横たわっている。サイコパスって結構顔立ちのいい人だったりすると聞いたことあるのだけれど、この男はそうでもない。惹かれる要素は特になく、いたって普通。

 フン、と鼻で笑ってから、少々重いけれどもその男を手術台へ引きずり上げて乗せた。ご丁寧にベルトがあったから、念のためつけておいてやる。


「さてと。ここで観光に来た女性を拷問して殺したのよね? 医療器具っぽい……元医大生ってところ? 挫折してバーテンになったの?」


 メスを一つ手にとって、訊ねてみる。もちろん、返事はない。麻酔が効いてて、喋ることもできないのだろう。


「ああ、言葉通じない? 私はイタリア語、勉強中だから話せないのよね。なんとなく解読しておいて」


 わざとらしく言って笑いながら、鋏で殺人鬼のシャツをシャキシャキと切っていく。


「標的が女ってことは、母親に愛されなかったの? それとも女性にこっぴどくフラれた? その女性は、旅行できていた美女だったとか? その憎悪を客で来ていた子達に向けていたってところ?」


 惨殺しているのは、憎悪の表れ。どちらにせよ、女性関係が根源だろう。そんな犯罪心理学をドラマで言っていた気がする。


「あなたがどこの美女にどんなことされたかなんて、知ったこっちゃないわ。あなたが薬を盛って拷問して殺していい言い訳にはならない。素敵な国を楽しみに来た可愛い子達を、怖がらせて痛めつけて殺したのでしょう? なあに? それって自分はこんな風に痛めつけられたって、思い知らせてやりたかったの? ふざけんじゃないわよ。このイカれ野郎が」


 ハサミを殺人鬼の頬をかすめて、突き刺してやる。


「次はお前が被害者達の痛みを思い知れ。おまけに不機嫌な私の怒りをぶつけてあげる」


 にこっと笑って見せてから、私はメスに持ち変える。言葉が通じなくとも、これからされることは想像つくだろう。殺人鬼が恐怖で目を見開いたように見えた。


「こんな風に、怖がらせてたのでしょう? 楽しかった? ん? 今楽しい?」


 メスの先で、輪郭をなぞっていく。


「あなたを痛めつけたくらいじゃ、死んだ子達は報われないけれど、ね? あなたもこの痛みを知るべきよ。さてさて、どこから斬り刻む? 私は医学生でもなんでもないから、きっと切ることに苦戦するわ。すぱって切った方が痛みは軽いけれど、ぎこぎこって切ったらそれはそれで痛いはずよ。ああ、いっそノコギリで腹を削ってあげましょうか? とっても痛いでしょうね」


 ノコギリもあるから、私は笑顔で腹に当ててやる。殺人鬼の顔は真っ青だ。


「先に他のところからやってほしい? 爪を一枚ずつ剥がす? 指を落とす? 掌の皮をきれいに剥いでほしい?」



 力の入っていない彼の右手を掴み上げて、メスを当てる。


「私は別に平気だと思うの。ゾンビ映画も食事しながら観れるもの。……それとも、実物は別かしら。まぁいいわ。やってみましょう。私はすっごく機嫌悪いのよ。自業自得なんだけれどね。私をただの客人だと思っているイケメンにもてなされていい気になっていたら、殺人鬼に餌にされたんだもの。八つ当たりであなたの喉元をめった刺しにしたいわ!」


 バン、と叩きつけるように殺人鬼の手を手術台の上に落とす。


「だいたい、二十年も連絡しなかった実の親に強制的に日本からイタリアに呼び出されたかと思えば、病気で余命僅か? マフィアのボスの後継者は私だけ? ふざけんなってーの! 病人相手に罵倒もできやしない! 一切連絡をしてこなかったくせに、いきなりそばにいてくれなんて身勝手にほどもある! 血を分けてやったんだから当然ってことっ? ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!!」


 ガンガンガンっとメスを持った手を何度も、殺人鬼の顔の横に叩きつける。


「思春期の子どもみたいな態度なんて、できるわけない! こんな風にぶつかったことなんてない! どうして私は嫌われているのかって、捨てられちゃうのかって、訊くことが怖すぎて言ったことなんてない! こんな臆病な私のどこが魅力的なのよ!! 自分を好きになることがどんなに難しいか、あなたにわかる⁉︎ 片親がいなくて我慢ばかりで堪えてばかりで生きるのが辛くって、そんな自分を好きになろうって努力してきた! マフィアのボスになる自分なんか好きになれるわけないでしょ!!」


 頭を抱えて、悲鳴を上げたくなる。


「なのに、父親は酷いほど優しい! マフィアのボスのくせに穏やかな声で、自分のことを語って、楽しそうに微笑んでくる! 何度も手を握って、私のことも訊ねてっ……なんなのよ!」


 涙が込み上がってしまう。この一週間、堪えていたものが全部溢れて出てしまう。

 酷いほど、その優しさが痛い。今まで感じていないふりをして、病人の父親の話を大人しく聞いている娘を演じていた。

 愛があるなんて、思ってしまいそうになる。


「どうせ亡くした息子達の代わりのくせにっ! 離れていても想っていたのならっ……そう示してくれていたらいいじゃない! 誕生日に花を一輪くらい……メッセージカードくらい贈ってきてくれればよかったのに! 捨てられて父親に愛されないって思い続けることもなかったのに! 生まれてくるんじゃなかったって! 誕生日が来る度に、父親はきっと私が生まれた日を知りもしないだなんて思うこともなかったのに! 離れていても想ってるって! 私が生まれた日だけでも教えてほしかった!!!」


 ポロポロと涙が落ちてしまう。結局、悲鳴のように声が上がった。

 少しでも証明が欲しかった。記憶にも残っていないから、たった一通でも手紙が欲しかった。たった一つ、欲しかった。

 たった一言でもあれば、変わっていたのに。

 私は父親を知らなかったも等しい。怖くって知ろうともしなかった。実の父親にすら愛されていないだなんて、一生知りたくもなかったから、今まで会おうともしなかった。

 けれども一緒に過ごす時間、愛されているのではないかと思えてきた。

 受け入れられない臆病に育ったから、愛を受け止められない。


「セヴァリーノだって! 本当に私を助けたいなら、今すぐに現れなさいよ! もっと疑えないくらいにっ! 証明してよ! わからせてよ! 私が受け入れられるまで、尽くしてよ!!」


 とても独り善がりでバカなことを叫んだ。

 殺人鬼の目にメスの先を突きつけて狙いを定めてから、振り上げた。

 その時、ドンッと扉が蹴り開けられる。入ってきたのは、黒い手袋をつけた両手で銃を構えたセヴァリーノだった。手袋を同じ黒いワイシャツ、それから暗めのグレイのズボンといった姿がこれまたかっこいい。さながら、アクション映画のイケメンスパイのよう。

 セヴァリーノは私に注目して、動きを止めてしまった。

 私は殺人鬼を手術台に縛り付けて、メスを振り上げているところ。どう足掻いても、自己防衛では通用しない状況だった。

 本気で殺人鬼を拷問しようとしていたわけじゃない。ただ死ぬほど怖がらせようとしていただけで、本当に目に突き刺すつもりではなかった。本当だって。

 そう答えようとしたのだけれども、セヴァリーノの方が先に動いた。


「グラナドートお嬢様! ご無事ですか⁉︎」


 殺人鬼が動けないことを一瞥で確認してから、銃を下ろして私に駆け寄る。革の手袋のまま私に触れて、怪我を探す。頭を両手で包んで、探りながら私の目を覗き込む。

 泣いたことを思い出して、目をこすっていれば、腕や手をとって確認した。どこまで隅々と確認するつもりなんだ。


「怪我はありませんからっ」

「グラナドートお嬢様っ!」


 手を退けたら、セヴァリーノが私を抱き締めた。その腕に閉じ込めるかのように、しっかりと包み込む。


「あなたに……もしものことが、と想像するだけで、戦慄が走りました。申し訳ありません、こんな目に遭わせてしまい申し訳ありません。グラナドートお嬢様」


 セヴァリーノは震えていた。心配のあまり怯えていた風。なんて言っていいかわからない。

 ということは、デビー達の囮作戦を指示したわけではないのか。当然か。


「デビー達が勝手に私を囮に利用したってことですか?」

「はい……あのクラブでもう被害が出ないように見張っているようにと指示をしたのです。デビーとオズなら、クラブに長居をして女性に話しかけても不自然とは思われませんから。私が頼みました。それなのに、あなたを連れていったら消えてしまったと……連絡がきて慌てました。同じく消えたバーテンダーの身元と今まで得た手掛かりから、この廃墟に辿り着けました」


 セヴァリーノは答えながら、私をひょいっと抱え上げた。銃を持った手で、私からメスを取り上げる。

 方向転換したセヴァリーノが一瞬だけ手を離したけれど、私をちゃんと抱える。その一瞬で、ザクッと刺す音が聞こえた気がする。痛みで呻くような声もするのだけれど。

 セヴァリーノは表情を変えないまま、なにしたの。ちょうど死角で見えやしない。見たいとは思わないけれども。


「デビーはあなたが連れ去られる前に犯人を捕まえる気でいたようですが……しかるべき罰を与えますね」

「あーそれは私に任せてくれませんか?」

「グラナドートお嬢様がそう望むのならば」


 さらりとメスを突き刺したらしいセヴァリーノに、デビー達の罰を下させてはいけない。セヴァリーノは、私を見つめて薄く微笑んだ。


「……」


 そもそも、私が抜け出さなければこうならなかった。クラブに行くなんて、頷かなければこんなことにはならなかった。私がはぐれなければ、上手く捕まえられただろう。

 マフィア流の重い罰は下さなくていい。

 ああ、そうだ。セヴァリーノにお礼言っていない。助けに来てくれたのだから、お礼を一言。


「……セヴァリーノさん。ありがとうございます、助けに来てくれて……」


 ちらちらとセヴァリーノのペリドットの瞳を見る努力をしながら、ボソリと小さく伝えた。

 セヴァリーノは廃墟の廊下を進んでいた足を止めて、私をギュッと片腕で抱き締める。


「もったいないお言葉をありがとうございます。これからも、私はあなたを助けに駆けつけます」


 そっと囁くセヴァリーノにお礼を返されてしまった。

 そこで、カッと顔が熱くなる。自然に抱え上げられて運ばれてしまっているけれど、下ろしてくれないだろうか。怪我をしているわけでもないのだから、一人で歩ける。


「ところで、一人でここに来たのですか?」

「いえ、外で待機していますよ。デビー達に犯人を確保してもらいます」

「……デビー達は、私がボスの娘だと知りました?」

「いえ、まだです。明かすより、先にあなたを見つけることに専念していました。家に帰れば知ることになるでしょう。お嬢様が見つかったことをボスに連絡しますね」


 私がいなくなったと、当然知っている。幹部の子ども達に正式に紹介されて、それから父親ハロルドに会うのか。気が重い。

 遠い目をしていたら、廃墟から出られた。すぐ目の前に車が停まっていて、そこにデビーとオズがいる。

「連絡を入れてください、下ろして」とセヴァリーノに頼んで下ろしてもらう。

 気がついたデビーもオズも、安堵の色を顔に浮かべた。


「すみません、ロートさん。危ない目に遭う前に解決するつもりでしたが……本当に、本当に勝手に巻き込んでしまい、すみません。お怪我は? 怖かったでしょう。本当にどう償えば……」


 オズは心から反省しているように必死に謝罪をする。


「無事でよかった! 一時はどうなるかと……ロートが消えちゃうから、焦っちまったぜ!」


 デビーの方は笑い退けて反省の色を見せなかった。

 そんなデビーに、にっこりと笑みを返しながら近付く。キョトンとしたそのデビーの腹に飛び込むように、蹴りを食らわせてやった。かなり鍛えた身体つきだけれど、不意をつけたらしく、デビーは派手に倒れる。

 結構なダメージを与えられたみたいだ。よかった。


「ゲホゲホっ! いってぇ……なにすんだっ?」

「なにすんだじゃないわよ。人を勝手に殺人鬼の餌にして、客人だっていうのにこの扱い! 女一人もまともに守れないわけ? だっさい男」


 見下して思いっきり吐き捨ててやった。


「悪かったよ! オレだってちゃんと連れ去られる前に助けようとしたけれど!」

「ちゃんと謝罪なさい!」

「はぁ⁉︎ なんでそこまで言われなきゃいけないんだ!」


 謝罪するのは当然だろう。ムキになるデビーの顔面を踏み潰そうとしたけれど、電話をすませたセヴァリーノに止められた。


「お嬢様、怪我をしてしまいますよ。私が代わりにしますので、どうぞ命じてください」

「なに怖いこと言ってんのセヴァリーノさん⁉︎」


 セヴァリーノの発言にデビーはギョッとしたけれど、私も同じく反応をする。この人、どこまでやる人なんだろう。怖すぎて知りたくない。


「セヴァリーノさんが命令を聞くほどの大事な客人って……一体何者なんだよ」


 理解できないと顔をしかめて問い詰めるデビーに、セヴァリーノは沈黙を返す。


「お嬢様、連絡は済みました。フィデリコが迎えにきます」


 そして、私に告げる。

 フィデリコ。確か、マリオさんの息子の名前だ。ちょうど、別の車が横に停まって到着した。迎えだ。

 運転席から出てきたのは、眼鏡をかけた長身の男性だった。髪はアッシュ色。マリオさんと雰囲気がよく似ている。とてもクールな感じ。近寄りがたい。この男性を、昔泣かせたのか。

 地面に座ったままのデビーに、なにやってるんだと蔑んだ視線を送ったあとセヴァリーノの前に立った。イタリア語でなにかを訊ねる。たぶん、客人のロートは見つかったのですか……的なことだろう。

 この人も私がボスの娘だとは聞いていないらしい。セヴァリーノの隣で、まじまじと見上げていたら、目が合ってしまう。

 眼鏡の奥の冷たい目が、大きく開かれたのが見えた。


「……グラナドート……お嬢様?」


 信じられないと唖然とした様子で、フィデリコが私の名前を口にする。

 髪を真っ赤にしているし、幼少期に一度会ったきりのはずなのに、何故かフィデリコは気付いてしまった。セヴァリーノと同じく、覚えていたみたいだ。


「……」


 言葉を失って立ち尽くすフィデリコに、なんて返答すべきだろうか。とりあえず、誤魔化してもしかたないので、肯定のために返事をした。


「また……お会いできて、光栄です」


 やがて、フィデリコさんは深々と丁寧に頭を下げた。


「グラナドート? ロートじゃないのか?」


 デビーが立ち上がって問うと、フィデリコさんはこれ以上は無理なほど蔑む眼差しを向ける。デビーはその眼差しの意味がわからず、困惑した表情になる。

 ボスの娘の名前を知らないみたいだ。


「ロートは適当に言った名前。私の名前は……グラナドート・デルギア」


 躊躇したけれど、初めてその名前を名乗る。正式名はデル・ギアだけれども、通称はデルギアでいいらしい。


「……デルギア? 面白い冗談だ」


 デビーは吞み込めず、冗談だと思って笑った。

 オズの方は理解が早い。驚愕を浮かべて固まってしまっている。

 幹部の子どもなのだから、ボスに娘がいることくらいは聞いているだろう。デルギアの家名を名乗る私が、ボスの残されたたった一人の娘だとわかったはず。

 ケラケラと笑ってお腹をさすっていたデビーは、空気を読んでようやく吞み込めたらしい。これでもかと目を見開いた。


「グラナドート・デル・ギア」


 私はもう一度名乗る。それから、デビーのアホ面に一発平手打ちをした。夜の街に、その音は木霊する。


「っ……もう、申し訳ありませんっ!」

「初めからそうやって謝ればいいのよ」

「本当に、申し訳ありま」

「煩い」


 事の重大さを理解して何度も謝ろうとするけれど、一回で十分。それ以上はいらない。

 車に向かって歩けば、フィデリコさんが先回りをして後部座席の方のドアを開けてくれる。セヴァリーノも乗り込んで、フィデリコさんの運転で戻ることになった。



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