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20160804
マフィアのボスである余命半年の父親のそばにいることを決めた私は、豪邸の中で部屋を与えられた。
初めからこうなることがわかっていたみたいに、クローゼットの中には買い物の最中に買わなかったはずの服や靴が綺麗に並んでいた。
試着させられた服も、悩んでいた靴も、アクセサリーまで。
クローゼットは、私の1Kの部屋より広く感じる。
驚くことに、気に入らなかったものはそこにない。気に入っているけれど、しぶしぶ諦めたものばかり。
私はそんなにわかりやすい顔をしていたのだろうか。大抵は親しくない相手に、にこりともしないから怖いとまで言われるのに。
大方、セヴァリーノの仕業だろう。会計の時、やけに長く喋っていた。
怖い人だな、あの人。
狂気を垣間見た瞬間を思い出して、身震いした。
そして、ばっちり私が目を奪われていたベビードールまで、揃っていることに悶えた。
父親のハロルドはなにも言わなかったけれど、ボスの座を継げるのはこの世で私だけ。
ハロルドが亡くなったら、私をボスにする気だ。
私はそれを回避する方法を考えないと。
お断りに決まっている。
そもそも堅気育ちの小娘が認められるわけがない。そこを上手く利用して、ハロルドを味方につけよう。
回避する方法を考えながら、日中はハロルドの部屋に居座った。
他愛ない話ばかり。時にはこの街のおすすめの店、またはマフィアとしての武勇伝を聞かされた。
たまにセヴァリーノ達が訪ねてきて、仕事についての報告をしてきたのだけれど。私はその場に残され、その内容を聞かされるはめとなった。
しかも日本語。私にも現状を覚えさせようとしている。
ハロルドも他にどんなマフィアがいるか、私に話す辺り、継いでほしいと思っているようだ。
当然か。子どもは私しかいない。だから、私を呼び寄せた。
直接ボスになれとは言ってこない。それはきっと、あくまでハロルドを看取るために私を留まらせていることにしたいのだろう。私がきっぱり拒否することがわかりきっているから。
非情になって帰ると喚きたいとは思わない。でも、ハロルドと会って愛情が芽生えたわけでもない。
家族愛なんて、私には縁がないものだ。そもそも親の勝手な都合で、嫌な子ども時代を送った私が、心の底から愛なんて持てるものか。
複雑な家庭のせいで秘密主義になって、他人と親密になる方法もわからなくて、こんな事情を打ち明けられる友もいない。楽しんで遊ぶ友はいるけれど。
存在意義は感じないし、むしろ死ねばいいとさえ時々思う。どうせ、孤独に死ぬ。
だからこそだろうか。大切な子を亡くし、病気で死につつあるハロルドのそばにいることに決めたのは。同情かもしれない。
昔を懐かしみながら語っていればいい。最期の時、私と過ごした時間が楽しかったと思い返せるように、私は精一杯いい娘ぶるだけだ。
それまで、説得するつもりなのだろうか。看取ったボスの座を継ぐように。
どうやって、諦めさせよう。納得させないと、私は日本に帰してもらえない。
一週間後の朝、私は窓辺に頬杖をついてため息をついた。
ふと、下に人がいることに気付く。
長いブロンド、セヴァリーノだ。朝はよく窓から見掛けるから、庭の散歩をする習慣でもあるのだろう。
眺めている分は、本当にいい男だとしみじみ思った。
スラッとした長身で、朝陽を浴びたブロンドは艶やかに光っている。上から見えた横顔は美しく整っていて、優雅で素敵だ。
マフィアじゃなければ、ぜひお近づきになりたい異性。
日本では滅多に見られないオリーブグリーンの瞳にも惹かれる。見つめていたい。
朝からぼんやりと眺めていたけれど、いつの間にか彼が顔を上げて私を見ていた。
ギョッとして、後ろに仰け反って彼の視界から外れる。
しまった。変な反応をしてしまった。
適当に挨拶をしておけばよかったのに。そもそも見つめすぎたことがまずかった。反省。額を押さえて、深呼吸をした。
「!?」
息を吐いたところで固まってしまう。
窓と同じくらいの高さの木の枝に、セヴァリーノがいた。
登ったのだろう。今日もきっちりとスーツを着ているのに、どうやって登ったんだ。俊敏すぎる。
「少し退いてください、ぶつかってしまいます」
にこり、と穏やかにセヴァリーノが笑いかけて、その場から退くように言うけれど、私は唖然としたまま立ち尽くす。
セヴァリーノは首を傾げたあと、枝の上で立ち上がったかと思いきや、足から窓に飛び込んだ。
窓の前にいた私と、当然ぶつかる。
倒れるけれど、セヴァリーノが私の頭と腰に腕を回した。その腕がクッションになったから痛みはしない。
「おはようございます、グラナドートお嬢様」
床に押し倒したまま、セヴァリーノは優雅に朝の挨拶をする。右肩からしなやかな髪が、私の顔の横に垂れた。
「……な、なに、しているのですか」
「私に用があるのかと思いまして、急いできました。違いましたか?」
「……違います」
「そうでしたか」
勘違いを気にした様子もなく、セヴァリーノは私を抱えて立ち上がる。すぐに椅子に座らせた。
「……目に隈が浮かんでいますが、眠れていないのですか?」
片膝をつくと、セヴァリーノは私の目の下を親指で撫でる。相変わらず、触れることに躊躇がない。
あなたがボスの座につかせようと目論んでいると思うと、夜も眠れないだけですが。
「まだ時差で身体が不調ですか? 無理をなさらず休んでください」
「大丈夫です。大体慣れてきましたから」
セヴァリーノの手を退かして、淡々と返す。
七時間の時差と新しい環境に少し怠くて体調良好とはいかなかったけれど、順応し始めたと思う。
「……」
「……なんですか?」
セヴァリーノがじっと見上げてくる。さっき見つめてしまったせいで、居心地が悪い。
「……グラナドートお嬢様」
私の掌が、セヴァリーノの大きな両手で包まれた。
「ここではあなたに安心を与えたいのです。私はあなたの味方ですから、助けてと言ってください。どんな些細なことでも、私が助けます」
オリーブグリーンの瞳で真っ直ぐに見つめてきて、優しく諭すように言う。
「ここはお嬢様の家です。だから甘えてください。素直に思ったことを言ってください。私が全て受け止めます」
私の家――……。
受け止めると言うセヴァリーノの言葉を、私が受け止められなかった。
なにを言い出すんだ、この人。
むずむずして、私は掴まれた手を引っこ抜きたかった。
その手の甲に、セヴァリーノは見つめながら唇を押し付ける。
「無理をなさらないでください……」
私の身体を気遣う。本心を探るようだった。
「……じゃあ、半年後、日本に帰りたいと言ったら?」
私は、鋭く問う。
私が帰りたいと望んだら、それに応えると言うのか。
どうせ口先だけだろう。ボスになれと説得するために、心を開かせたいだけ。目を細めてセヴァリーノの本心を探る。
「半年後に、また言ってください」
セヴァリーノは、微笑みを深めた。
そのオリーブグリーンの瞳を交互に覗き込んだけれど、動揺が見当たらない。変わらず、私を見つめている。
困惑して私は身を引くけれど、手を放してくれない。また手の甲に口付けを落とす。
「……体調がいいのなら、外へ出掛けましょう。この街をご案内いたします」
ずっとこの豪邸にこもっていた私を、セヴァリーノは外へと誘う。
私は顔を背ける。
「今日も父といますので」
「そうですか。また誘いますね」
ハロルドといると言えば、セヴァリーノは引き下がった。
「……殺人鬼を追う仕事があるのでは?」
「それなら、もう捕まえる直前です。捕まえたら、ミラノで安心して遊べますから、またミラノでショッピングをしましょうか」
立ち上がってセヴァリーノはさらりと答える。
一週間のうちに、どうやって調べ上げたのだろうか。毎日、セヴァリーノと顔を合わせていたのに。
「……殺人鬼に興味があるのですか?」
「……いえ、別に」
正直言ってある。だから少し引きつってしまった。
サスペンスは好きだ。よくアクション映画や海外ドラマで観る。殺人鬼を追う犯罪捜査ものは特に好きで、出来ればセヴァリーノがどんな手掛かりから犯人に迫っていくのかを聞いてみたい。
しかし、その手のことに興味を示しては、呑み込まれかねない。どんどんそちらの世界に沈められてしまいそうだ。
「もう出ていってもらっていいですか?」
「はい。犯人を捕まえたら、ボスに報告するので、その時に一緒に聞いてくださいね」
私の本心を見抜いているセヴァリーノは、私に殺人鬼の件を話すと勝手に約束する。
だめだ。この人に操られそう。一番、警戒すべきだ。
セヴァリーノを部屋から追い出したあと、椅子にぐったりと凭れた。
殺人鬼の話からマフィア業をやりたいなんて思うはずないから、これはミスじゃないと言い聞かせる。
ふと、目頭を押さえる手に、意識が向いた。
セヴァリーノがこの手を包んで言った言葉。歯痒くて歯痒くて、受け止められない。なのに、考えてしまう。
彼の思うツボかも。
もう少し本音をぶつけて、後継者の件を話し合ってみるか。またはセヴァリーノの本性を探る。
そのために、街の案内をしてもらおう。
広い広いクローゼットを漁って、キャメル色のレースアップブーティに合うワンピースを着た。ハイウエストスカートのデザインで、腰部分はコルセット風。髪はストレートに下ろして、軽く化粧もする。
準備を終えてから、一階にあるセヴァリーノの部屋を訪ねた。
幹部はそれぞれこの豪邸に部屋を与えられているけれど、別宅も持っているから、住み着いているのはセヴァリーノぐらいらしい。
「おや」
扉を開けたセヴァリーノは、着替えの最中だったらしい。
「こんな格好で申し訳ありません。グラナドートお嬢様」
変わらない微笑みで私を見下ろす彼は、隠そうともしなかった。
上半身は、なにも着ていない。
やはり鍛えていて、いい身体をしていた。肌はなめらかな色白で、鎖骨がくっきりと浮き出ていて、胸は見るからに固くて厚そう。スーツの上からではわからなかったけれど、二の腕にも筋肉がしっかりついていて、あんなに素早く木に登れたわけがわかった。括れているのに、腹筋もくっきりあって、なによりズボンから伸びる線に注目してしまう。足のつけ根や腰回りの色気に、呆気にとられてしまった。
セヴァリーノが扉に寄り掛かって、私をおかしそうに見下ろしていることに気付き、我に返る。
服を着ろ、と言おうとしたけれど。
「どうぞ、入ってください」
手を掴まれて、部屋の中へと入れられた。
半裸のいい男の部屋に、入ってしまった……。
落ち着け、私。この男は、確かに魅力的だけれども、マフィアで狂気的な一面を持つ。性的な魅力にクラクラしていてはだめ。
セヴァリーノの部屋は、落ち着いた深緑色を基調にしていた。
まるでホテルの部屋みたいに綺麗に片付いていて、生活感は見当たらない。
一通り見たけれど、ついまたセヴァリーノの上半身に目を向けた。
「どうぞ、ソファーに座ってください。今着替えますので」
「……あの、それ……撃たれた傷ですか?」
座るように促されたソファーに手をかけながら、私は目に留まった右胸の丸い傷を指差す。
色気に目が眩んでいたけれど、よく見れば目立たないだけで傷がいくつかある。古そうな傷。
「ああ……そうです。二年前に、お父様の長男を庇った傷です。もう少し上だったら、死んでいました」
「……二年前、ですか」
私は目を見開く。
二年前は確か、その長男が亡くなった年。
「激しい銃撃戦で……結局、彼はその最中に亡くなりました」
そう答えると、セヴァリーノはクローゼットから、黒いYシャツを取り出して袖に腕を通す。
そこで、ノック音がした。
ボタンもつけずに扉を開けに行く様子を見て、セヴァリーノに客人の予定があったと知る。だから半裸のまま扉を開けたのか。
「私、部屋に戻ります」
「出掛ける気になったから、着替えて訪ねてくれたのではないのですか?」
「気が変わったので、また今度お願いします」
「……はい」
扉を開けたのにセヴァリーノは訪問者に挨拶もせずに、私を不思議そうに見つめた。
私はきっぱりと言い切って部屋を出ようとしたけれど、訪問者二人が邪魔だ。
私と歳が近い青年。
一方は黒髪だけれど左側に青と赤いメッシュが入っていて、父親に似ていて長身。茶目っ気のある笑みを向ける彼は、デレクさんの息子。デビー・エルカーン。
一方はヒールを履いた私よりも少しだけ高い身長、一つ年下。丸目で幼さが残る顔立ちで、プラチナブロンドとグリーンの瞳の持ち主。
幹部の息子、オズ・ジュベッセ。
時折、廊下で見掛けた程度で、正式な紹介はない。
まだハロルドの娘だと紹介する時期ではないと言って、デレクさん達は紹介を避けている。頃合いを見計らっているのだろう。
ボスの後継者として、紹介をする絶好のタイミングが来ないことを祈る。
流石はイタリア男。目が合う度にニコリと笑いかけてくる。
特にデレクさんの倅であるデビーは、私に興味津々で上から下まで吟味するように見てきた。
「Buon giorno」
私はいかにも、あなたには興味がないという態度を示す。目を合わせないままイタリア語で素っ気なく挨拶をして、部屋から出してもらう。
廊下を歩きながら、彼らがイタリア語で話すことを耳にした。
ハロルドや世話役のエミリアから少しだけイタリア語を学んだけれど、早くて聞き取れない。でも予想はできる。
セヴァリーノさん。あの女の子、一体誰なんですか。
セヴァリーノさんと出来ているんですか。
秘密ですよ。
そんな類いの会話だろう。
与えられた部屋に入って私は、蹴るようにブーティを脱ぎ捨てた。
ワンピースも脱いで、ブラウスを着てからベッドに背中から倒れる。
「……はぁ」
なんてバカな女だろう。あんな口説き文句にやられて、のこのこと部屋に行って、色気に当てられてしまった。
身体を張ってまで守ろうとした後継者を亡くし、今はもう私しかいない。だから何でもする。
私がこの家にいる以上、どんな我が儘にも応えるつもりなんだ。
私をこの家に引き留めるために、なんだってするつもりなだけ。
あんな甘い言葉に靡いてしまったなんて、私は本当にバカな女。
耐えきれず、ベッドに拳を叩き落とした。それでも気が晴れず、夜までそれを引きずる。
やがて、部屋にいると息苦しくなってきてしまい、私は気晴らしに外に出ることにした。黒のデニムと、白と黒のブーティを履いて、髪は一部を三つ編みにしてからまとめて束ねる。
問題は、一人の外出が許されるはずはないってこと。なら、黙って出るまでだ。
セヴァリーノが登ってきたなら、降りることも出来るはず。
少しの運動不足が引っ掛かるが、自分の身体能力には自信がある。
二階から飛び下りるくらい、死にやしない。
窓辺に乗ってから、暗い庭を確認。一応自分の自信にも確認してみたけれど、いけると思った。
セヴァリーノの乗っていた枝に飛び込んで、幹に抱き付いて膝で着地。ホッと息をつく。
まだ二階分の高さがある。枝にしがみつくように腕で体重を支えて、宙ぶらりん状態から、思い切って飛び降りる。
地面に着地して、グッと背伸びをする。
なんかこれだけでも、ストレスが発散して気が晴れた。この程度のスリルはいい。銃撃戦よりは、遥かに。
豪邸に戻る気は起きないので、散歩することにする。庭はまるでグランドのように広い。たぶん、ゴルフでもする場所だろう。
バルコニーの方に綺麗に咲き誇る花の庭園があるけれど、グランドを囲うのは低い茂み。見付かる前に一番近い柵まで駆け寄る。
二メートルはある黒い柵は、足をかけてなんとかよじ登れた。
無事に脱出が出来て、今度こそほっとする。自由になった気分。このまま、質素な我が家の1Kに戻りたい。でもパスポートも持たない私が、この国から出ることも叶わない。
夜の道を歩きながら、周囲を眺めてみる。初めて見る景色だから、心細く感じた。
高級住宅地、だろうか。立派な門ばかりが並ぶ。歩道も道路も煉瓦が敷き詰められている。
行く先に、カフェらしき店の明かりが見えた。とりあえず覗いてみよう。
すると、後ろからクラックションが鳴らされた。振り返ると、夜の中でもブルーに艶めく車が脇に停まる。
運転席の窓から顔を出したのは、デビー・エルカーン。早速見付かってしまった。
「お嬢さん。一人でどこ行くの?」
またニコリと愛想よく笑いかける様子からして、ボスの娘が一人で家を出たとは知られていないようだ。
「少し、散歩をしているだけです」
「体調が悪いって聞いていたからデートにも誘えなかったけれど、今は平気みたいだな。よかった。ねぇ、オレ達がイタリアを案内するよ。乗って、もてなす」
日本語を不自由なく使うデビーは、運転席から降りると後部座席のドアを開いた。
幹部からは、海外からの大事な客と聞いているらしい。
「折角だけれど、遠慮します。気晴らしに歩いているだけだから」
「気晴らしなら、クラブに行こう。楽しませるよ」
「クラブには縁がないの。こんな格好だし」
「じゃあなおさらだ。イタリアでクラブデビューをしよう。十分、素敵だ」
デビーは私の手を取り、放さない。
ぐいぐいと押してくる。どうやら私は押しに弱いらしい。
日本でこんな風に触れて、甘い言葉を真っ直ぐに見つめながら言われたことなどない。そもそも、ぐいぐいとアプローチをしてくるいい男と出会ったことはなかった。悪い気はしない。
マフィアだってことを差し引けば、幹部といるよりはいいし、歳も近いし私をただの客人と思っているところがいい。セヴァリーノよりもいい。
知らない街を一人で出歩くよりは、彼らといる方が安全。楽しませてくれるなら、いいかもしれない。私をボスの後継者と知らない人と楽しもう。
いなくなったと知り、セヴァリーノは焦ってしまえばいいんだ。




