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 数時間後に、イタリアの空港に到着。

 十二時間経っても夜を迎えず、まだ昼だ。そのせいで怠すぎる。

 地上に足をつけてから、また背伸びした。

 イタリアの空気を吸い込んで身体をほぐしていたかったけれど、セヴァリーノが手を引いて待機していた黒いリムジンにリードされる。

 大袈裟なほど広いリムジンの中は、落ち着けない。一番奥の後部座席に座れば、セヴァリーノ達はサイドの長い座席に並んで座った。


「飲みますか?」


 セヴァリーノが棚にあるお酒を手にして、私に注ごうとしたけれど首を振って断る。


「お酒はお嫌いですか?」

「あまり飲みません」


 昼間から飲むなんてしない。酔ってしまいたいけれど。

 セヴァリーノがお酒を戻すと、三人はイタリア語で話し始めた。

 イタリア語の日常会話本を持っていただけの私には、なにを話しているかさっぱりだ。半分イタリア人でも、もちろん私は喋れない。

 三人を眺めていれば、マリオさんが運転席の硝子をノックして、なにかを伝えた。デレクさんとセヴァリーノが、私に笑いかける。


「では、ショッピングに行きましょうか」


 ミラノでショッピング。さっきから、その話をしていたと知る。

 車から降りれば、ショッピングモールらしいところ。

 イタリアなのだから当然だけど、イタリア人がいっぱいだ。お洒落でスタイルもいいイタリア人が、早口で会話しながら行き交う。お店もお洒落の一言。

 気品があって上質で、場違いに思えてしまうけれど、セヴァリーノは私の右手を引く。

 デレクさんは左側にピッタリついて、マリオさんが後ろを歩きながらキョロキョロと周りを見張っていた。

 これはボスのお嬢様相手に対する当然の対応なのだろうか。


「一通り見て、気に入ったものは何なりと言ってくださいね?」


 セヴァリーノがそう言うので、安心して買ってもらおう。

 すぐに気になる靴の店を見つけて、足を止めた。ずらりと並んだブーティが素敵だし、好みだ。セヴァリーノが手を放してくれないから、そのまま中に入った。

 コルセット風の編み上げデザインのブーティは、私のお気に入りだ。様々な色とデザインを手に取り、物色をした。何足も試して履いてみて、迷いに迷って二足に絞る。


「二足でいいんですか?」

「……一足でいいです」

「遠慮しなくてもいいのですよ。全部でも構いません」


 金銭感覚が狂った発言をするセヴァリーノが、試し履きをした全てのブーティを購入してしまう前に、私は選ぶ。ホワイト。


「これでいいです」

「……」


 もう一つのキャメル色の方がいいかもしれないと目を向けたけれど、潔く諦めて付き添ってくれた美人な店員さんに渡す。


「あ、履いていきます」


 美人な店員さんには話せないから、セヴァリーノに向かって言う。

 ペラッと話すとセヴァリーノはそのブーティを取り、跪いて私に履かせた。日本男性諸君もこれを見習ってくれたら、免疫がついたのに。気障ね。

 古い方はお気に入りだけれど、仕方なく捨ててもらうことにする。新しい靴を履くと、ちょっと嬉しい。ひねくれていても、まだまだ女ってことね。


「お似合いですね、お嬢さん」

「可愛らしいです」

「本当にお似合いです。次のお店に行きましょう」


 褒め言葉を並べるイタリア男に、また寄り添われて移動をした。

 次はレディースの店を回る。

 これから父親に会うための服を、マフィアのボスと対面する服を選ぶ。

 オフホワイトのAラインワンピースは、レース柄で上品に見えた。試着室に入って着てみる。後ろを向いて背中を見て、隅々まで確認した。

 一人暮らしを始めてから、徹底的に体型を気にかけていたから、みっともなさは見えない。これでいいか。試着室のカーテンを開いて、合格点かを問う。


「お似合いです。とてもいいです」

「可愛らしいですね、さっきのブーティとぴったりだ」


 マリオさんは淡々と、デレクさんは笑顔で、また褒め言葉を出す。


「ボスの前に出ても、問題ないですか?」


 私が聞きたいのはお世辞ではない。


「どんな格好でも、ボスはあなたに会えれば喜びます。でもその清楚で気品あるワンピースで現れたら、天使だと間違えてしまうでしょうね」


 セヴァリーノは優雅にも思える微笑を浮かべて、見とれたような眼差しを向けてくる。

 歯の浮くような台詞に、私は思いっきり顔をしかめた。……イタリア人め。


「……あなたの誕生日パーティーを思い出します。あなたは純白のドレスを着てました」

「パーティー? 以前に会ったことが?」

「はい。お会いしています」


 カーテンを閉めようとしたら、セヴァリーノが呟いたから手を止める。


「確かマリオの倅を、馬にして遊んだことがありましたよ。リコの奴、しまいには泣いちゃって!」


 マリオさんの肩に腕を回して、デレクさんがお腹を押さえて笑った。

 改めて顔を見てみたけれど、実の父親と同じく記憶にない。一歳なら無理もないが、ドレスを着た小さな自分をうっすらと覚えている。写真かなにかで見たはず。


「一歳の誕生日は、幹部で祝いに行ったのです。私は父に連れられて、幸運にもあなたを抱え上げる許可をいただけたのです。愛らしかった……とても。あの娘が、そのまま成長したようです」


 小さい頃に抱き上げられたなんて、妙な感じだ。

 そういう人達に会ったことが、今までないせいだろう。母の身内も遠い国にいるし、私も日本から離れなかった。


「背が伸びて、髪も伸びた……でも、丸い輪郭も大きな瞳も鼻も口も耳も……同じ」


 懐かしむ眼差しのままセヴァリーノが、私の髪に触れてきた。


「何故髪を染めたのですか? ……この髪色も素敵ですね」

「……」


 一歩下がってその手を避けてから、カーテンを閉める。

 私は本来黒髪。赤毛に染め上げた。鏡と向き合って髪をいじってから、自分のブラウンの瞳を覗き込む。

 母親似だと思っていたけれど、母は父親に似ていると言ったことがある。同じ黒髪でブラウンの瞳だろうか。

 このワンピースにして、髪型はどうしよう。髪をまとめようとしていたら、声をかけられた。


「これも試着してみてください。似合うと思います」

「お嬢、これも試着してください」


 セヴァリーノとデレクさんから、手渡されてしまい、仕方なく他も試してみることにする。


「あの……皆さん、私の買い物に付き合っていても大丈夫なんですか? 幹部なんですよね」

「仕事は倅に任せてますから、問題ないですよ」


 カーテン越しから、デレクさんが答える。

 息子もマフィアなのか。そう言えば、デレクさんとマリオさんも結婚指輪を嵌めていた。

 セヴァリーノは右手にペリドットの石がついたゴールドリングを三つ嵌めていたことには気付いたけれど、左手は知らない。


「でも幹部がわざわざ一般人の娘の買い物に付き合わなくともいいのでは」

「いえ? 俺もマリオも娘がいないので、新鮮で楽しいですよ。お父様が悔しがるでしょうね」


 デレクさんは悔しがる姿でも思い浮かべたのか、ククッと喉を鳴らして笑う。

 デレクさんに渡された服を着てから、カーテンを開くとまたカシャリと写真を撮られた。


「ちょっと、試着してるものを撮影するのはっ」

「大丈夫ですよ、許可をいただきました。お父様に送れば、一緒にショッピングしている気になるでしょう?」


 セヴァリーノの携帯電話を奪おうとしたけれど、避けられる。

 店員さんを見てみたけれど、気にした様子はなく一着手にしてデレクさんに話し掛けていた。

 病人のことを持ち出されては抵抗しずらい。でも、喜ぶだろうか。今まで会わなかった娘だ。


「ボスの……子どもは何人いたのですか?」


 次はセヴァリーノに渡された服を着ようとカーテンを閉めて、訊ねてみた。


「息子が三人、いらっしゃいました。長男は二年前に、五年前にもう二人、亡くしました」


 私の腹違いの弟達は、随分前に亡くなっている。追い打ちに病か。相当参っているだろう。

 人を慰めることは得意ではないし、看病も経験がない。私でいいのだろうか。小さくため息を溢す。

 もう一度着てから、カーテンを開くとまたカシャリと撮られた。

 試着と撮影を嫌なほど繰り返したあと、当分の着替えとして全部購入されてしまう。いつまで私を引き留めるつもりなのか。


「次はランジェリーですね」


 デレクさんの発言に驚いている間に、ランジェリー店に連れていかれる。

 マリオさんだけは紙袋を抱えて、リムジンへ戻った。

 下着まで選ぼうとするセヴァリーノの腹に、拳を打ち込んだ。


「お嬢は本当に威勢がいいですねー」

「一歳の誕生日に抱き上げた時も、小さなパンチをいくつももらいました」

「どうでもいいですが、見ないでください」

「おやおや。シャイですね」


 あまりダメージがないセヴァリーノは、クスクスと笑う。

 なかなか固い腹部だったから、腹筋がついているのだろうか。見目麗しい長髪のスーツ姿だから、想像しにくい。

 脱いだらすごいのかと考えてしまいそうになったけれど、女性の下着に選び慣れた様子のイタリア男には他所を向いてもらう。

 ランジェリーはどれも高そうで、きらびやかでセクシー。ちょっと、楽しい。

 ……イタリア男が、そばにいなければ。


「見ないでください」

「そう恥ずかしがらなくともいいじゃないですか。日本の方は噂通りシャイですね、本当に」


 絶対に離れようとしないセヴァリーノとデレクさんは笑う。落ち着いて選んでいられない。


「それにしても……グラナドートお嬢様は小柄でいらっしゃる。……愛らしくて、抱き締めたくなります……」


 後ろから耳に囁かれて、私は拳をセヴァリーノの腹部に叩き込む。

 耳は弱いから、自己防衛でもある。

 身長が低い者はそのことで、からかい続けられてきた。大半はひねくれるし、私もそれだ。身長について言うなら、何度だってパンチを食らわせてやる。……鍛えているマフィアの固い腹筋には、大してダメージはないらしいが。


「離れてください、目を背けてください。命を狙われてるわけでもないのに、何故そばにいるのですか?」

「あー、それは……今、ミラノに殺人鬼がいるからですよ」


 落ち着いて選んでいられないと怒ったけれど、デレクさんが妙な単語を口にしたから顔を歪める。


「殺人鬼?」

「ええ。あなたのように男性を誘惑することも容易い美貌の持ち主の観光客ばかりが、行方を眩ませた後に惨殺死体で見付かっているのです」

「……ああ、そうですか」


 セヴァリーノが、私を見つめながら答えた。殺人鬼の餌食になることを危惧しているから、離れない。

 でも被害者には当てはまらないから、私はただただ呆れた。杞憂だ。


「ご心配なさらずに、私が捕らえますので」

「……あなたが?」


 殺人鬼の逮捕をセヴァリーノが言うから、目を丸める。


「お父様が懸念し、私に相談をしました。なので、私が片付けることにしたのです」

「……今は買い物に付き合ってるだけじゃないですか」

「はい。あなたが最優先事項です。この殺人鬼は二週間に一度動いていますから、次の被害までには時間がありますので間に合いますよ」


 にこ、とセヴァリーノは笑って返す。

 殺人鬼を捕まえる仕事があるが、私を父親の前に無事連れていくことがなによりも優先すべきこと。

 毎日殺されているわけじゃないなら、それもそうか。どちらにせよ、私には関係ない話だ。

 フリルやレースが施された下着を手にしては戻す。どれも洗練されたデザインで、うっとりしてしまいそうだ。

 服も靴も。イタリアは素敵だ。マフィアの財布があるからこそ、味わえているのだけれど。あえて値札は見ない。

 店内を歩いていくと、ベビードールコーナーに目が留まる。透けていなく、シルクやナイロン素材で艶やか。

 私は家では基本ベビードールとブラウス姿でいる。それくらい好きだ。

 特にシルクシフォンの黒いベビードールを手にして、ため息を溢してしまいそうになる。肌触りを確認すると、ほどよい冷たさとなめらかさを感じた。それを着たら、気持ちいいだろう。これを着て、一日中まったりしたい。

 純白で黒の薔薇が刺繍されたベビードールもいい。隣の背中から腰部分まで露出する深紅のベビードールも素敵だ。長めの純白のベビードールの胸元に青い蝶が描かれているのもいい。


「それが……あなたのお好みなのですか?」


 後ろから囁かれて、私はまた震え上がる。

 夢中になってベビードールを物色している姿を見られたと知り、火がついたように顔が熱くなった。


「おや。耳まで真っ赤です」


 耳をなぞってくるセヴァリーノの手を振り払い、飛び退く。耳は性感帯なのだから、気安く触らないでもらいたい。

 だから、選びにくいんだ。長めのベビードールだけを取り、店員さんに渡す。


「もっと、じっくりと選んでも構いませんよ?」

「いりません!」

「これも、これも、いらないと言うのですか?」

「そうです!」


 そっぽを向いて次の店に行こうとすると、デレクさんに腕を掴まれて止められる。

 セヴァリーノが支払うまで入り口で待つ。

 店内の冷房のせいか、ちょっと肌寒く感じて腕を擦る。時差による体調不良かもしれない。いくら夏でも、半袖のワンピース姿では凍える。

 上着も買ってもらいに行こうか。考えていたら、上着がそっと肩にかけられた。

 振り返ると、戻ってきたマリオさんだ。なにも言わず、店を出てくるセヴァリーノを見ていた。寡黙な紳士さんだ。


「コーヒーを買いますよ、なにがいいですか?」


 セヴァリーノは私の手を取って温めようと擦りながらも、言ってくれた。

 その気配りは、プライベートにも向けてほしいものだ。


「カフェラテ、エスプレッソ追加でお願いします」

「はい、すぐに」


 胸に手を当てて軽く会釈をすると、セヴァリーノは一人で買いに行った。

 デレクさんは次の店に行こうと、マリオさんと挟んで移動する。

 寒いから、ニットのボレロを買ってもらった。これで十分だと言っても、デレクさんにぐいぐいと試着をさせられる。父親のためだと言われては、嫌々ながらも引き受けるしかない。


「はい、グラナドートお嬢様」


 セヴァリーノからコーヒーを受け取るけれど、手に持つだけで熱いとわかって、少し息を吹き掛けて冷ます努力をする。

 でも足りなくて、一口飲む前に熱さにやられてしまったから、両手で包むだけで温まることにした。

 本場のコーヒーの匂い。落ち着く。


「もう、買い物はいいのですが」

「まだ必要では? アクセサリーや化粧品がまだです」


 アクセサリーはともかく、化粧品は必要だ。バックがどこにあるかも知らない。返さない辺り、イタリアまで持ってきていなさそう。飛行機で化粧を落としたっきり。マフィアのボスに、すっぴんはよくないか。


「イタリアの化粧品はわかりませんので、店員さんに聞いてもらえますか?」

「畏まりました」


 私は折れて、化粧品を買いにいくことにした。元々こだわりはない。外国だと取り揃えられている品も違っていてよくわからないだろう。

 宝石を売る店みたいに、化粧品類がケージにきらびやかに並べられている。

 セヴァリーノが通訳している間に、やっと人肌並みの温かさになったコーヒーを飲む。あったかい。これ飲んだら、一眠りしたい。

 ちょっと座りたくて、勝手にドレッサー前の椅子に腰を下ろす。


「こだわりはないのですよね? 若い女性向けのブランドで構いませんか?」

「はい……」

「では、全て購入しますね」

「はい……」

「お試しにメイクをしてくれるそうです」

「はい……え?」


 ぼんやりしている間に、さっと化粧品類は買われた上に、店員さんにメイクを施された。

 目尻をはね上げたアイラインは、店員さん曰く私に似合うそうだ。服装に合わせて、あとはナチュラルに仕上げてもらった。

 次はアクセサリーだと手を引かれた頃には、眠くて眠くて額を押さえる。

 セヴァリーノ達が勧めてくるアクセサリーに、適当に頷いた。

 やっと買い物は切り上げることを了承してもらい、リムジンに戻る。もう瞼を開けていられなくて、座席に凭れて目を閉じた。




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