ー2 セヴァリーノ
髪がガーネットのように真っ赤だったことには驚いた。写真の中ではまだ髪は父親譲りの黒だったからだ。
連れ去るために何日も見張って人目がない時に決行。徒歩で出勤していたグラナドートお嬢様の前に阻めば、彼女は私の胸を見てキョトンとした。身長差が広く、小さなグラナドートお嬢様がとても愛らしく感じる。
目が合う前に、口封じも兼ねて袋を被せた。途端にグラナドートお嬢様は、手にしていた折り畳み傘で私の溝を突く。慌てて傘を取り上げようとしたデレクの顎に、大きく振り上げられた足が直撃した。凄まじい蹴りだった。
マリオが両腕を封じている隙に一斉にバンへと押し込んだが、そのあともお嬢様は大暴れ。昔と変わらないところがあると知って、嬉しいと思えてしまった。
長年会っていなかった実の父親に会いたがっていると伝えると、暴れることはやめてくれた。
「グラナドートお嬢様」
飛行機に乗せる前に袋をとれば、お嬢様と目が会った。変わらない大きな瞳はブラウン。不機嫌に私を睨み上げる姿も、猫のように見定めているようで昔を思い出す。笑みが堪えきれなかった。
必要以上に口を開こうとしなかったお嬢様は、誰かに連絡をすることを望まなかった。考える素ぶりを見せたが、現状を知らせる相手がいない。助けを呼ぶヒーローの名がないことは、私には救いでも、彼女にとっては悲しい事実だ。
それでも私の方は、胸が高鳴ってしかたなかった。彼女に恋をしているという実感を覚えた。だから、彼女の好きなものを知ろうと、シャンパンを勧めた。お酒は好かないようだ。
それにしても面白い。黙り込んでいるだけでも、彼女がなにを考えているのかがわかってしまう。それは好意がある故に無意識に読み取っているせいだろうか。そういう目は養ってきたものだが、お嬢様の場合は言葉さえも浮かんでしまいそうだった。
ボスの病気を伝えると、顔を俯かせて暗くした瞳は何も考えないようにしていたようだ。……申し訳ない。それを理由に暫く滞在してもらうことは決定している。
イタリア流の挨拶バーチの仕方を聞かれた時は、お嬢様の優しさを感じた。申し訳ないと思いながらも、愛おしさを感じてしかたなかった。
だからバーチで触れ合った時、唇を狙いたくなる。こんな衝動に戸惑いと嬉しさを覚えてしまう自分がいた。もちろん、初対面同然である身、そんなことはしない。しかし、お嬢様自身が望んでくれさえすれば、いつでも。
グラナドートお嬢様は、冷静沈着を装う人だった。
それは姉がいない分、長男と後継者を背負っていたアーガートによく似ていた。凛として冷静冷徹な面差しでいる。彼は知っていただろうか。
アーガートの方は、身内にも堅気にもフレンドリーで街の人にも愛されていた。
グラナドートお嬢様は、よく見ていれば心情がわかってしまう人。そして気遣いをする人だとわかった。
当分の持ち物を購入しにショッピングモールに行けば、幹部三人が付き添うことを気にした。それは嫌がっている風にも見えたが、立場を考えて断ろうとしていたからだろう。そしてそれは、自分に構うほどの価値はないという自己評価の低さの表れ。機内でもその発言があった。
自分が唯一残っている後継者だと知らないというのもあるが、自己評価の低さは元からに思える。そんな環境で育ったのだろう。
憂いあるあの写真を見て、想像はついていた。
だからつい、お嬢様の写真を撮った。新たな表情を収めたお嬢様の写真を手に入れたかったからだ。もちろん、ボスに送るためでもある。さぞ、喜ばれるだろう。
ショッピング中は手を繋いでいた。昔の名残り。懐かしい温もりを握っていたかった。忘れていたそれを再び感じた喜びは隠しきれなかっただろう。
嫌がる表情をするお嬢様だったが、すぐに慣れた様子で歩き回った。流石は美しい女性。買い物が楽しいようで、
目を輝かせて選んだ。そんな時も心情は分かりやすく、こちらとしても楽しいものだった。
お嬢様は遠慮をしたが、どれも欲しいと目を輝かせていたから、私からのプレゼントということで店員にあとで取りに来ると伝えて買った。服も靴も、彼女がお気に召した全てを。
「おいおい、大丈夫かよ。こんなに買って、お嬢様がすぐ帰ったらどうすんの? セヴァリーノ」
デレクにそう笑われたが、例えそうだとしても構わない。これは私からの贈り物だ。
ランジュリーへ連れて行けば、お腹にお嬢様の拳を打ち込まれた。鍛えているとは予想外だったようで、驚いた視線を向けられる。それよりも下着選びを見られることは嫌なのようで、途端にお嬢様は頑なになってしまう。
そんな恥ずかそうな反応が可愛らしすぎて、私もデレクも笑ってしまった。
それでもお嬢様は、すぐに下着選びに夢中になって、また目を輝かせた。そんな後ろ姿を見ていると、愛おしさが膨れる。
ふっと息を吹き込むように耳に囁けば、また彼女は拳を打ち込まれてしまう。今度は、耳を押さえて赤くした顔を俯かせる。くすぐったい反応。もしかしたら、弱いのかもしれない。
確認のために、もう一度。夢中になってベビードールを見ていたお嬢様の耳に囁いた。的中して、お嬢様は耳まで真っ赤になる。それとも、ベビードールの好みを言い当てられて赤面しただけなのか。どちらにせよ、くすぐったい。胸の中で熱く焦がれてドロドロになってしまいそう。なんて可愛らしい人なんだ。
「もっと、じっくりと選んでも構いませんよ?」
切り上げようとするお嬢様を引き止める。もっと彼女の好みを教えてほしい。もっと夢中になっている姿を見ていたい。
「いりません!」
そっぽを向いて逃げ出してしまうお嬢様をデレクが掴んだ。一人にはさせられない。
「お前、はしゃぎすぎ」
イタリア語で、デレクにまた笑われた。
そう見えてしまいますか。
店の外で待ってもらっている間に、お嬢様がじっくりと眺めていたベビードールを手にして店員に渡して支払う。どれも繊細で洗礼された美しいものばかり。黒い薔薇の刺繍が施された純白のベビードールを着たお嬢様を見てみたい。なんて、叶うだろうか。
店に出れば、マリオがお嬢様の肩に上着をかけていた。
お嬢様の手をとれば、明らかに先程より冷たい。疲れてきたのだろう。コーヒーを飲ませることにした。お嬢様の好みはコクの深いもの。
どうやら猫舌のようで、両手に持ったまま匂いを楽しむ。もう眠たそうな表情が、また可愛らしい。
少しだけ耐えてもらって、化粧品やアクセサリーを買うことに付き合ってもらう。着飾ってより美しくなったお嬢様は、リムジンに乗ればすぐに私の肩に凭れて眠った。
起こさないようにそっと、膝の上に寝かせれば顔がよく見れる。機内でも少し見ていた寝顔。着飾ってより美しし寝顔。写真を撮りたいが起こしてしまわないように我慢した。
マリオがタオルケットがわりに上着を差し出したので、それをそっとかける。
「今日だけでいくら使ったんだ?」
「いくらでも構いませんよ。グラナドートお嬢様のためならば」
「ククッ……お前が今まで恋人を作らなかった理由がわかった気がする」
「……」
「はしゃぎ過ぎなんだよ、お前」
デレクに、またもや笑われる。
やはりそう見えてしまうものか。
イタリア語で話していれば、お嬢様が起きた。唸るように謝ってはマリオに上着を返す。
「メイクは崩れていませんよ」
「どうも……」
メイクを崩さないように目元を拭うお嬢様は、眠って少し楽になったか、一息ついた。やがて到着。
お嬢様は髪を全てまとめて、蝶型の髪留めをつけた。下ろしていても十分美しいが、お嬢様が選んだのならばそれが一番だろう。
「美しいですよ」
褒めたが、お嬢様は信用しない目をする。受け入れられないのだろうか。
本邸を見るなり逃げ腰になった可愛らしいお嬢様の手を引いて、中に入る。彼女は諦めてついてきてくれた。階段を上がる際は、手摺を手にしたから私からも手放す。
「息子達を後々紹介しますね」
二階の長い廊下を歩きながら、デレクが言った。
「……息子さん達もマフィアですか」
「そうですよ。幹部の見習いです。オレ達の死後か引退後に、ポジションを継ぐ予定です」
「トラテレーノファミリーの伝統なのです。代々血族の者が継いできました。私も亡くなった父の跡を継いで、顧問を務めています」
話に合わせてつい、口を滑らせた。ここまで悟らせないようにしていたのに、本当にはしゃぎ過ぎてしまったようだ。
振り返れば、もうお嬢様は走って階段を駆け下りていた。私も追いかけ、階段を使わずに一階へ飛び降りる。
お嬢様は行く手が塞がれて急に止まった。その瞬間、私は我を忘れていたのかもしれない。どんな手を使ってでも、彼女を逃したくない衝動に駆られた。
後退りしてまで逃げようとしたお嬢様を掴めば、押し倒す形になって来客用ソファーに倒れる。
「状況把握が早いですね、警戒心も強いです。いいことです、身を守るために必要なことですから」
「冗談じゃない!」
微笑むも、現状を把握したお嬢様は、マフィアのボスを継ぐことはお断りだと怒鳴る。
逃げるという決断力の速さも素晴らしいが、逃げないでほしい。息が乱れているお嬢様の唇に人差し指を当てる。
「しー。グラナドートお嬢様」
お嬢様は呼吸を整えようとした。
「我々はまだなにも言っていません」
「へぇーそう? じゃあ誰が後継者なの?」
とぼければ、噛みつくような言葉を返される。しかし、本当になにも言ってもいないのは事実。知られてしまい警戒されてしまったのは予定外だが、嬉しい誤算でもある。彼女は優れている証。そしてこんなお嬢様を見れた嬉しさから笑みが零れる。
「グラナドートお嬢様……お父様に会ってください。そのために、お連れしたのですよ?」
あくまで、そのためにお連れした。暗いガーネットの瞳を覗き込みながら、息が触れ合う距離で囁く。
「髪留めから少し溢れてしまっています。……でも美しいですよ」
全てまとめていた髪が溢れて、まるでセットしたような美しい髪型になっている。どんな姿も美しい、と心が擽られた。
観念してお嬢様は実の父親と再会した。
そこで、お嬢様のとびっきりの優しい笑みを見た。涙も見た。
心から、お嬢様にはここにいてほしいと願った。
彼女のためにも、ここで安らいでほしい。
ボスと過ごしている間に、お嬢様の部屋に買ったものを運んだ。取りに行かせたものも全て、クローゼットの中にメイドのエミリアとともにセットした。喜ぶ顔を想像したら楽しい作業だったが、実際見ることは叶わない。
お嬢様に安全でいてもらうために、街の方はまず犯罪に巻き込まれる心配はない。気がかりなのはボスも危惧しているミラノの殺人鬼。それの確保を急いだ。




