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ちゃおー、ちゃおー、ちゃおー。
誕生日に新しい物語を投稿したい病です。
20160803
昔、ある国で見目麗しい男女が愛し合っていました。
二人の間に子どもが出来たことを機に、結婚をしようと決めましたが、男には秘密がありました。
プロポーズと同時に、男は女に秘密を打ち明けました。
男はある国のマフィアのボスになることが決まっていたのです。マフィアだということも、女に隠していたのです。
女は激怒をしました。
そして別れてしまったのです。
その男女とは、つまり私の父親と母親。間に産まれたのは私だ。
父親という存在は、私にとって夢のように実感のないものだった。
実の父親の記憶はなく、母親の再婚相手を父親と呼んだ。
最初の継父には愛されなかったから、嫌な子ども時代を送った。
次の継父はいい人だと思う。つい最近、これがいい父親の背中なのだと、ふと過った。
でも、子ども時代はやり直せない。もうすぐ二十四歳にもなるのだから、家族を捨てるように自立をし、一人で生活を始めた。
そんなある日。
物心がつくより前に離れたから、記憶にもない実の父親と会うことになった。
正しく言うと、強制された。
私は、拉致られたのだ。
淡々と生活費を稼ぐために働いていたバイト先に、いつも通り向かおうとしていた途中。
強面な雰囲気を纏うスーツの男性に囲まれたかと思えば、視界は真っ暗になり無理矢理どこかに押し込まれた。危機を感じて暴れたが、無意味に等しかった。
視界が真っ暗になったのは、袋のような布を被されたからだ。ドアが閉まる音とエンジン音で、私は車に押し込まれたことを理解した。
「お嬢さん、俺達怪しいもんじゃないですよ! 怖くないですから! 俺達、君のお父様の部下でして、これからお父様と会っていただきたいんです!」
言っていることとやっていることが一致していない。
前方から聞こえる低い声が言っていることが嘘ではなければ、強制的に二十年以上連絡のなかった父親に呼び出されたということ。
私の予定も意見も聞かずに連行だ。仕事に行く途中に、浚われた私に拒否権はないのか。しかも、別の男が私のバイト先に電話して緊急入院したから当分出勤できないと平然と告げた。いくら代わりがすぐ見つかるバイトとはいえ、いきなり休むなんて迷惑に決まっているだろう。
父親は物心つく前に何度か会ったと母親から聞いたものの、私にその記憶はない。
なので私にとって、これがファーストコンタクトとなる。
私が実の父親に会わずにいた原因はたくさんある。
先ず、私が物心ついた頃には母親が再婚していて継父を"お父さん"と呼んでいたからだ。
次に、彼も私に会いに来なかったからだ。
次に、なにより彼はマフィアのボスと言う敵の多い仕事をしている。娘と言うだけで私は危険。だから遠く離れた日本で名前を変えて育った。私は隠し子扱い……だと思う。
会わなかった理由なら、いくらでも挙げることができた。
さて、今回は何故今更、そんな父親が私を呼び出したのか。その理由が問題だ。
「……お嬢さーん? 大丈夫ですかーい? 息苦しくないですかい?」
抵抗どころか動かなくなった私があまりにも喋らないので、声をかける男の人が心配する。私はただただ黙った。
初めは恐怖を覚えたけれど、"父親"というワードを聞いて冷静になったので落ち着いた。落ち着いているを飛び越えて、冷めている。すごくすごく呆れている。
「グラナドートお嬢様」
少しして、顔の袋を外された。
スモーク硝子の車の中、目の前にいたのは、イタリア人の男。ブロンドの長髪で一本に髪を束ねていた。じっと、好奇に満ちた瞳で私を見ている。
グラナドート。
久し振りに聞く名だ。母親でさえ呼ばない、初めの名前。
母親が結婚してから、日本人の名前を使って生活していた。お嬢様とは、むずむずする。
「今から飛行機に乗ります。一緒に……来ていただけますよね?」
「……」
どうせ、強制連行するんだろう。さっき私が緊急入院すると職場に電話して手配をすませた本人のくせに、なにを笑顔でぬけぬけと。
「連絡しておきたい人はいますか?」
「……いません。行きます」
睨み付けながらも、私は頷く。マフィア相手に逃げられるわけない。観念して、一緒に自家用機に乗った。
刹那考えたけれど、ほとんどバイト先と家の往復だけ。友だちはいるけれど、遊ぶ約束を取り付ける時しか連絡しないから、連れ去られたなんて気付くわけもない。連絡しない方が自然。母親も同じ。マフィアなんだし、関わらせない方が最善。
「グラナドートお嬢様、シャンパンはいかがですか?」
いるわけねーだろ。私は睨むだけで拒む。
私と向き合うように座る長髪の男は、ただ笑っている。
白いリボンで束ねた髪は艶やかなブロンドで、瞳はペリドット。整った顔立ちの上、モデルのように長身。
こんな状況でなければ異性として意識して緊張するところだが、私はひたすら怒っていた。
「飲んだ方がいいですよ? あと十二時間はかかりますから、楽しんでください」
「……常温の炭酸水を」
「お嬢様は、炭酸水がお好きなんですか? 健康的ですね、本邸でも用意させておきますね」
海外ドラマで見かける下手な日本語とは違い、不自由なく日本語を使う男は、シャンパンを片手に、携帯電話をいじり始める。
シャンパンを持ってきた客室乗務員の女性が、私に炭酸水を渡してくれた。お礼を言って一口飲むと、目の前から手が差し出される。
「セヴァリーノ・レブローニです。ファミリーの顧問です」
「……顧問?」
「ボスの相談役、または身内内の問題処理が仕事です」
一応握手をしながらも、疑心を抱いて彼を見た。
そんな役職の男が、私を迎えに来たのは何故だ。
身内、つまりはマフィアのファミリー内の問題処理。私を処理……するのか。
「どうかしましたか? グラナドートお嬢様」
にこにこ、と上機嫌な笑みのマフィア顧問は問う。
いや、処理なら、わざわざ飛行機に乗せるわけがない。本当にマフィアのボスである父親と会わせるつもりだろうと思うことにした。
「オレはデレク・エルカーン。幹部でお父様の右腕です」
機内の向かいの席に座るオールバックの男に名乗られて、私は目を丸める。
「……自分は、マリオ・デスリコ。同じく幹部です」
右腕の男の向かいに座っているアッシュ色の髪と目元に切り傷があり寡黙な男も名乗った。
私は機内を見回す。黒いスーツに身を包んだ男三人は、幹部や顧問。父親に近い立場のマフィア。
「……幹部が、わざわざ私の迎えに来たのですか?」
「当然です。なにを仰るのですか。あなたは大事なお嬢様なのです。本来なら幹部、いやファミリー総出でお迎えしたかったのですよ」
強面のスーツ姿の男が数多、出迎える光景を想像して、ゾッとした。
顧問の男は、クスクスと笑う。
「今はそんな状況ではないので……申し訳ありません」
視線を床に落として、右腕の男が苦笑を溢す。
私は首を傾げて、怪訝な眼差しを向ける。
「とても、話しにくいことですが……グラナドートお嬢様」
前にいる顧問に目を戻す。
「ボスは……いえ、あなたのお父様は重い病にかかり、余命は残り半年と宣告されました」
俯いたまま告げられたそれに、心が遠退くような感覚に陥った。
私の父、ハロルド・デル・ギアは、病に蝕まれて余命はあと半年。
私の他に子どもがいたが、抗争の最中に皆が命を落とし、生存している子は私のみ。私が最初の子。ハロルドは、命が散るまで私にそばにいてほしいと願ったそうだ。
だから、幹部が迎えにきた。
話を聞いたっきり、私は黙り込んだ。毛布をもらって眠ろうとしたけれど、機内を暗くしてもらっても眠れなかった。
向かいにいる顧問の男が、私をじっと見ている。鬱陶しい視線。
「いつまで見てるんですか。飛行機から飛び降りるわけじゃあるまいし、見張るのはやめてください」
隣の幹部達を起こさないように、潜めた声を投げつける。
「……申し訳ありません。あなたを見ていたくて……」
そっと上品に微笑んで、まだ見つめてくる。
は? 口説いているのか。
病に蝕まれているボスの娘に向かって、非常識だ。
軽蔑の眼差しを向けたあと、私は窓を向いて目を閉じる。
深く息を吐いて、眠ろうとすると。
カシャリと音が聞こえた。
まさかと思いきや、彼が携帯電話で写真を撮ったらしい。にっこりと笑って、彼は反省しなかった。
カチンときて、間にあるテーブルの下で脛をブーティのヒールで蹴り上げる。顧問の男が呻けば、隣の幹部が笑い出した。
「威勢がいいですねー、お嬢。確保した時も、大暴れしたでしょ? 蹴りが顎に入って、オレ外れちゃうかと焦っちゃいましたよー」
そう言って顎を擦る。
「私なんて傘を鳩尾されましたからね。流石はボスのお嬢様です」
顧問も、にっこりと笑う。
女の一人暮らしだ。さらには注目されやすい外国人フェイス。出歩く時だって、警戒している。曇っていようとも、常に折り畳み日傘は手に持つように心掛けてきた。身を守る武器だ。襲ってきたなら、手にしていた物にボコボコにされても文句は言えまい。三人のマフィアには敵わなかったけれど。
抵抗したからなんだとイラッとしながらも、毛布を被って改めて睡眠をとる。
少しだけ眠れたあと、ピンクゴールドの腕時計を確認した。
誘拐されたのは午前七時、今は五時を回っている。もう少しで地上だ。そう言えば、時差があるんだっけ。
イタリアは魅力的な国だと認識しているし、一度は行ってみたかった国だ。私の稼ぎでは到底無理だと思っていた。
今回来れて嬉しい、とは思えない。初めて会う父親の上に、マフィアのボスだ。浮かれてはいられない。でも時差は、何時間だったかしら。
「時差は七時間ですよ」
目を擦っていれば、声をかけられた。
目の前の顧問が、眠る前と変わない笑みを浮かべて私を見ている。
私は特に反応せずに、時計を確認した。あと数時間すれば、私は眠気に負けてしまうだろう。嫌になる。
背凭れに背を合わせて、ぐっと両腕を天井に伸ばす。
それでも足りないから、トイレに行って身体をほぐしながら身なりを整える。
こんな格好でマフィアのボスに、会ってもいいのだろうか。
フィットしたタンクトップとハイウエストショートデニム、ネイビー色のドルマン風ブラウス。ラフな格好だ。幹部達に訊ねてみようか。
「あの……イタリアの挨拶の仕方を、教えてくれませんか?」
席についてから、向かいの顧問に話し掛ける。彼はきょとんと目を丸めたあと、口元を緩めた。
「バーチのことですか? 日本にはない挨拶ですね。郷に入りては郷に従え、ですか? いい子ですね」
彼の言う通り、日本にキスやハグの挨拶は習慣にない。
日本では道端でキスしている場面を見ることも、稀である。
母親に再婚相手を紹介される前に、手の甲にキスして挨拶しろと言われた嫌な思い出があった。日本育ちの私には抵抗があったけど、結局しなくて済んだ。今回ばかりはやらなくては。
どうせ私は酷い子ども時代を送り、相当ひねくれている。病人相手に悪態をつかないように、挨拶くらいはまともに出来るようにしよう。
「ではお嬢様、こちらに」
「……は?」
ポンポン、と顧問は自分の膝を叩いた。
その膝に移動しろという意味か。私は蔑むように睨み付けた。
「では、私がそちらに」
腰を上げたかと思えば、私の横に立つ。左手で背凭れを掴み、テーブルに右手を置いた。自然と私は壁に身を引く。
「左右の頬を重ねて、チュッとリップ音を立てるだけです。手本を見せますね」
囁くように言って、顔を近づけてきた彼の瞳を見た。間近で見ると、ブロンドの睫毛がとても長い。
オリーブグリーンの瞳を見張るように覗いていれば、瞳孔が開いたように見えた。
左の頬に頬を重ねて、チュッ。右の頬に頬を重ねて、チュッ。
そんな彼の首から、仄かに甘いコロンが香った。
「カップル同士なら、唇を重ねますが……お父様は愛しい我が子の頬に口付けをするでしょう。そして、別れる際には、手の甲に口付けをします。嫌がらないでくださいね?」
人差し指が私の顎を撫でたかと思えば、私の手を取り甲に唇を重ねた。席に戻るまで私の手を握ったけれど、座ると同時に手を離す。意味ありげな仕草。
不可解に思いつつも、私は次に訊ねたいことを考えた。
「そのお父様に会うのに、こんな格好で大丈夫ですか?」
「それなら心配ありません。ミラノでお買い物をしましょう」
「……はい」
ニコッ、と笑みで答える顧問から、目を背ける。
私のバックは取られた。携帯電話もしかり。当然、拉致した彼らが支払ってくれるだろう。それくらいしてもらわなくては、わりにあわない。
「……あの、名前、なんでしたっけ?」
「え……覚えてくれなかったのですか?」
「人の名前を覚えるのは苦手で」
白状をして、今のうちに名前を改めて訊ねる。役職に気を取られていたし、長すぎて。
顧問は初めて沈んだ表情をして、肩を竦める。
「セヴァリーノです。セヴァリーノ・レブローニ。セ、ヴァ、リー、ノ」
「……セヴァ、リーノ……セヴァリーノさん」
「ただのセヴァリーノでいいです」
すぐに笑みに戻るセヴァリーノは、他の幹部の名前も教えてくれた。




