~兄弟喧嘩は犬も食わない ③~
それはやけにリアルな夢だった。
暗い路地を走っているのが分かった。
でも前に見た夢と違う点がある。
それは自分の後ろについて走っている有希だ。
二人が今ちゃんとこの状況を夢だと意識してここに存在している事が、まじめに考えるとおかしな事だと思うが、それが現実なのだから仕方ない。
大切な人を守る為に、最大限の努力をする。それは当り前の事だ。
自分たちが目覚めた夕暮れの丘から走って10分はたっただろうか。
時間の感覚がない。
前にこの夢にいた時も、ずっと夕暮れだった気がする。
ただし、夕暮れとは言っても太陽の光が見えたわけではない。
茜色と言うには暗すぎる空の色を覚えていただけだ。
ここまで来るのにやつらには出会っていない。
どこから現れるか分からないやつらを気にして行動するのはひどく精神力を削られたが、その度に頬を叩いて気合を入れた。
やる前から弱気になるな。
でも3度目に頬を叩こうとした時、有希に止められてびっくりした。
いや、そうか、隣のやつが自分の頬を叩きまくっていたら引くよな。
ごめん、肝心な時に弱くて。
「大丈夫。知ってるから。でも私もいるから。そばにいるから」
胸が痛む。
泣きそうだ。
自分の事を知ってくれている。
無理に元気づけるわけでもなく、ただ横にいてくれる。
その言葉で頬を叩く何十倍も力が湧く。
その事で頬を叩くより何百倍も心が落ち着く。
でも慣れない。
どうやら5年は長過ぎたようだ。
過ぎ去った時間は戻らない。
でも今生きている。それで十分じゃないか。
うだうだ考える暇はない。
生きよう。
それから更に10分ほどいったところで急に有希が立ち止った。
さすがに疲労の色が見える。
でもちょうど良かった。
俺もそろそろ走り続けるのが厳しくなってきたところだったからだ。
肩で息をする有希に近付こうとして手で制された。
も、もしかして臭うんですか?
で、でもそれは不可抗力だと思うなぁ。
臭うってんなら有希も同じ条件なはずでしょ?
いや、俺はいいんだよ?
有希の臭いなら。
逆にいえば有希もそうじゃないの?
俺の臭い嫌なの?
そうですか、ま、まぁ分かりますけど。
分かりますけど、寂しい。
とか勝手に妄想を迸らせてたら、有希が俺を制していた手の形を変えた。
どうやら方向を指し示しているらしい。
なるほど、愛ちゃんがそっちにいるのか。
「近付いたからかな。ずっと愛ちゃんを近くに感じられる。そこの角を曲がって、突き当りの建物の中の、物陰に今は隠れてるみたい」
なんかすごいな。
そんなに詳細に分かるのか。
これから有希とかくれんぼをしても勝てる見込みがないな。
よし、そんな有希にはマスターオブかくれんぼの称号を与えよう!
とかくだらない事を考えてると急に胸が苦しくなった。
この感じ。
この嫌な感じは、まさか。
隣をみると有希も苦しそうで怯えた顔をしている。
やつが来る。
間違いない。
しかも考えている暇はあまりなさそうだった。
でもやる事は一つだけ。
有希がやったんだ。
俺が出来ないとか言えない、考えない、あるわけない。
精神を集中させる。
思い出せ、昨日の事じゃないか。
ふとあの少女の事が頭に浮かんだ。
彼女もこの世界のどこかにいるんだろうか。
ふっと自分の心が弱くなる。
頼りたい気持ちが疼く。
ダメだ。
弱気になるな。
守りたいものがあるんだろうが。
隣にいた有希から「ひっ」という息をのむ音が聞こえる。
俺も目は閉じていたが徐々に近付く嫌悪感がひしひしとその存在を伝えていた。
距離にして約50メートルといったところか。
実際昨日は上手くいったけど今日もうまくいくとは限らない。
タイミングが重要だ。限界まで引き付ける。3、2、1、今だ!
・・・・・・・
「あれ?あの人たちはどこいっちゃったんだろう・・・」
有希が隣で深呼吸しながら周りを見渡している。
どうやら有希にはあの長時間が一瞬として処理されているらしい。
結局は成功した。
有希の声を聞いて膝からがくんと落ち、地面に片膝をついた。
それに気付いた有希が肩を貸してくれる。
「ごめん、有希と同じだから大丈夫」と強がって見せたが、乱発は出来ないな。
俺の強がりをどう捉えたのかは分からないけど、有希は無理矢理に作った笑顔を見せてこくんと頷いてくれた。
虚勢でもなんでもいい。
ばれていたって関係ない。
ただいつまでも有希の肩を借りているわけにもいかなかったので、「ありがとう」と告げ一人で立ってみる。
うん、少しクラクラするけどいける。これで終わりじゃない。
何も解決していないのだから。
「とりあえずあいつらが戻ってくる前に愛ちゃんと合流しよう」
近くにいるであろう愛ちゃんを目指し、再び俺と有希は歩き始めた。
寒気を感じて目を覚ました。
昨日と同じ知らない街並みを見て予想は当たったと思ったが、思ったより悲観していない自分に驚いた。
何故か心が澄んでいる。
あっちの世界にいた時は一度もこんな風に思わなかったのに。
すっと立ち上がり腕を回してみる。
感覚はあちらと同じ。
夢の世界だとスーパーマンになっているんじゃないかと思って期待したけど、やっぱりそんな事はないらしい。
とりあえず同じくここに来ているであろう他の3人と合流するのが良さそうだ。
ふと何か気配を感じ先の曲がり角を見る。
ジャージ姿の女の子が走り抜けるのが見えた。
女の子のジャージを見て自分の服装がどうだったかを見てみる。
何故か制服だった。
家でベッドに入った時はパジャマに着替えていたから、寝たままの姿というわけではないらしい。
ん?
女の子?
あの子は一体誰だ?
待てよ、そういえばあいつの話の中で女の子の話が出たな。
もしかしたらあの子がこの夢の事を何か知っているかもしれない。
慌てて曲がり角まで走り、左右を見渡したが女の子の姿はなかった。
見失ったか。
いや、右から左へ抜けていったのだから、左へ曲がり追いかけていけば、出会う可能性もあるだろう。
左に曲がろうとして昨日も感じたあの感覚が襲ってきた。これが、あいつのいっていた恐怖か。
僕には・・・・・。
黄色と黒が入り混じり、大きなサングラスをかけ、両手に大きな槍をもったそいつは、あっちの世界にいるやつより数倍は大きく、そして若干デフォルメされていたが、聞くだけでも身の毛のよだつ、あの羽音を僕が間違うはずない。
やつはこちらにまだ気付いていないようだったけど、あの音を聞くだけで動けなくなる。
必死の思いで角に身を寄せた。やつは音で自分の場所を主張してくる。
ココニイルゾと。
モウスグイクゾと。
どれくらいの時間が経っただろうか。
いや少しも経っていないのかもしれない。
全身から汗が噴き出して止まらない。
噴き出す汗の音で気付かれてしまうんじゃないだろうか。
これ以上ないというほど嫌な音が近い。
どうする?
逃げるのか。
このまま隠れ続けるのか。
どっちにしろやつが曲がり角にさしかかったら見つかる。こっちは隠れるといったって、角に身を寄せているだけだ。
かといって逃げても逃げ切れる保証はない。
万事休す。
音からやつが曲がり角に来たと思った瞬間、自分の横にあの女の子がいた。
しかも角の外、つまりやつと対面するような形で。
耳障りな音を立てていたやつは、その音を倍増させる。
「久しぶりだね」
女の子がやつに向かって言った。
久しぶり?
まさか知りあいなのか?
やつと?
そう言った女の子はいつの間にか手にしていた日本刀を抜き放ち、やつに向かって構える。
剣呑な雰囲気。
「この世界からは消えたと思っていたが、まだ未練があるのかヒューよ」
耳障りな奴がこれ以上ないという耳障りな言葉を発した。くぐもっていて聞き取りにくいが何とか理解できた。
というかあいつ、話せるのか。
「未練じゃないよ。ただの暇つぶし。付き合ってくれるんでしょ?」
にやりと笑った女の子は刀を構えたままやつに向かって飛んだ。
瞬間やつの二本の槍が女の子を貫く。
やられたと思いはっと息を飲むが刹那、女の子の姿が陽炎のように消える。
女の子は刀を構えた姿のまま、やつの後ろ側にいた。
さっきやられたように見えたのは残像だったのか。
ほっと胸をなで下ろしたが、女の子が放つ剣呑な雰囲気が変わっていない事に気付き、また息を飲む。
ジリジリと距離を詰めるやつ。
対して女の子は先ほどと打って変わり動かない。
不意にやつの二本の槍が女の子を襲う。
今度は避ける事無く受け止めた。
受け止めた!?
「っくぅ、なかなかやるじゃん」
受け止めながらまたニヤリと笑う女の子。
余裕があるのかないのかよくわからない。
やつにしたってサングラスをしているのでその表情は読めない。
というかやつにそんな感情があるのかさえ分からないのだけど。
女の子は受け止めていた槍を右に流し、その力で一回転して一気にやつの胴体を薙ぐ。
やった!と思ったけど、今度はやつの体が陽炎のように消える。
しかしそれを女の子は分かっていたのかいつの間にか刀を鞘に納め目を瞑っていた。
やつが急に女の子の背後に現れる。瞬間、ズルリとやつの首がずれた。「ぐ、うっぐぐ」やつがうめく。大きな音と共にやつの体が崩れ落ちた。
何だ今のは。
僕はアニメでも見ているのか。
女の子は刀を軽く振りパチンと音を立てながら刀を納めた。
見事な腕としかいいようがない。
あれでジャージじゃなかったらもっと決まっていたのだが。
「もう出てきていいよ。ハチさんはいなくなりました」
僕に気付いていた?
まぁそりゃそうか。
おそるおそる角から出る。
にっこりと笑った女の子はジャージでごしごしと手を拭いて、その手をこちらに差し出した。
「はじめまして、だよね?前の時は会う前に終わっちゃったから」
何となく差し出された手を握り返す。
何のことはない。
普通の女の子の手だ。
いや、普通の女の子はハチの化け物をあんなにばっさり切ったりしない。
普通じゃない。
「な、何者だ」
自分でも随分と失礼な物言いだとは思う。
思うが仕方ない。
それ以外に言葉が見つからないのだから。僕の言葉を聞いた彼女はにっこりと笑って言った。
「あれ?あの子から聞いたんじゃないの?さっき君はボクの事を話していたように感じたのだけど。でもまさか違うわけないよね?じゃあ知っているはずだよ、ボクの事は」
ボク?男?いやいや、そんなわけない。
男・・・、いやいやいや、そんなことどうでもいい。
この子が男だろうが女だろうが関係ない。
知っている?僕が?頭をフル回転させて考えるが答えは一つしかない。
あいつの夢の中の女の子という事だけだ。
「せいかーい!なんだ、わかってるんじゃん。やっぱりね」
ニコニコしている女の子は握っている手をぶんぶんと上下させる。
「君はあの子とは随分違うんだね。お陰でボクも楽しめたよ。気分がいいから一つだけ質問に答えてあげる。なんでも聞くがよいぞ」
握っていた手を離したと思ったら急に胸を張ってふんぞり返っている。
この子のペースにはまっているが何でも質問に答える?
これはチャンスじゃないか。
あいつの話を聞いても、この子がこの夢のカギを握っているに違いない。
ここでの質問如何によって、この状況を打破できるかもしれない。
考えろ、考えるんだ。どうやったらこの世界を終わらせられる?君は何者なんだ?女の子でしょ?色々な質問が頭を過ぎる。ここでベストな質問は・・・?
「こ、ここはどこですか?」
瞬間女の子の目が丸くなり、その後大爆笑が起きたのは言うまでもない。
まさか僕からそんな質問が飛んでくるとは思ってもなかったんだろう。
自分でも何故こんな質問をしたのか理解できない。まださっきのハチを引きずっているんだろうか、いやそうに違いない。
「どんな質問が来るんだろうとワクワクしてたけど、その斜め上を突き抜ける質問だったよ。こんなに笑えたのは久しぶりだから、全部の質問に答えてあげる。ここはボクの世界、君達の世界では夢の世界とでもいうのかな?言われ方はいろいろあるけど、まぁボクの庭だね。ボクはさっきのハチにも言われてたけど、ヒューって呼ばれてる。本名は違うけど、ヒューでいいよ。そして」
ここまで一気に喋った女の子が、一息つく。事の一番重要な部分に差しかかる。
「この世界は終わらせられない。まぁ、ボクを君達が倒すっていうなら話は別だけどね」
ニヤリと悪い顔をしながらヒューが言う。
確かにそうだろう。
さっきのハチとヒューの仕合を見ても、僕たちがヒューを倒すのは現実的に考えて無理だ。
だが、この事態を引き起こしている本人がハチにやられそうになっている僕を助けるっていうのが理解できない。
ハチとのやりとりを聞いていても、完全に仲間同士とも思えないし。
そこに僕たちが助かる道があるんじゃないだろうか。
「さっすが、あんな鮮明なハチを作れるわけだ。キミはなかなか賢いね」
ぱちぱちと手を叩いて僕を褒めるヒュー。
さっきのやりとりに答えがあるとしたら。
思い出せ、さっきのハチとヒューのやりとりを。
さっきのやつは何か重要な事を言ってなかったか?
確か、未練、と。
そこまで考えてはっとした。
そうだ、未練だ。
「いやぁ、ボクは最近暇で暇で仕方なかったんだけど、久しぶりに楽しめてるんだよ。でもあんまり現世の人に干渉するのは良くないって兄様に言われていてね。だから終わらそうかとも思っていたんだけど、まだ楽しめそうじゃない?だからもう少し付き合ってよ」
何となく、本当に何となくだが、事の真相がつかめてきた。
つまりは。そう、つまりは。
「暇つぶし、そういう事ですか、神様」
『神様』と言われてぴくっと反応した女の子だったが、それには肯定も否定もせず、たださっきまでの笑顔は崩さずにじっとこちらを見つめてきた。
全てを見透かすような深い緑の瞳。
そうか、相手が神ならこちらの考えはお見通しか。
でも何も答えないという事は逆に雄弁に語っている。そしてその事が僕に自信を与えた。
見えたよ、この問題の答えが。
「神様かあ・・・、あんまり察しがいいのも嫌われそうだよね」
急につまらなそうな態度で下に落ちていた石ころを蹴るヒュー。
神の遊びだか何だか知らないが、これ以上自分や周りの人を巻き込まないでほしい。
やるならどこかよそでやってくれ。
「なんでここなんだ」
逆に気になった。
神というなら他にいくらでも場所があったろう。
なぜここを選んだんだ。
「特に理由はないよ?でも君の友達が活きの良さそうなのを飼ってたのが見えてさ。遊ばせてもらってたってわけ。君のも良かったんだけど、彼のはまた別物。彼の奴は残念ながらまだ狩れてなくてねー。遊んでいるうちに何個か力を落としちゃったし。まぁ拾ってくれた人がいるみたいだから、気にしてないけど」
悪びれもなく言うヒュー。
悔しいが自分にはどうすることも出来ない。
ただ、望みはある。
このまま日を越えていけば、この世界は終わる。
それがいつになるかは分からないが、確実に終わる。
それにかけるか、あるいはもう一つの答えを使うか。
あまり自信はないが、長期戦にはならないだろう。
「考えてるね。心配しなくても君らは帰すよ?それに考えてる通りにこの世界はもうすぐ終わる。ただ、もっとひどい事が起こる可能性もあるけどね」
「な、もっとひどい事ってなんだよ」
そこまで饒舌に話していたヒューが急に悲しそうな顔になり、そして微笑んだ。
だがそれ以上は答えてくれない。そこまで優しくないってことか。
「さて、そろそろ行こうかな。君があまりに優秀な人間だから、ボクもついつい喋りすぎちゃった。君がどこまで覚えているかは分からないけど、準備だけはしておく事だね。あ、そうそう、君ので満足したから他の人のは解放するよ」
他の人のは?
ちょっと待て、あいつらのはどうするってんだ。
「何でもボクに求めないでほしいなぁ。自分の事は自分でするもんだよ?じゃあねー」
そういって消えるヒュー。
あいつのお陰で現状のほとんどは理解出来たが、結局何も解決していない気がする。
だが、ヒューが消えると共に急に立っていられないほどの目まいを感じ、そのまま僕はそこに倒れ込んだ。