ああ、いいなあ、微笑ましいなぁ
「ひああ!」
「大丈夫?ミクロ」
「あ、大丈夫…!顔に葉っぱがくっついただけだった」
夜の外はどうしてこんなに怖いものでしょうか。野草の採取でよく外を歩くことはありますが、夜は滅多に出歩かないのでどうも馴れません。
「リヨンは怖くないの?」
私がそう聞くと、リヨンはふふっと笑いをこぼしました。
「一人だったら怖いでしょうけど、二人ですもの。それともミクロは二人でも怖いほど臆病者なの?」
どこか挑発するようにリヨンは言います。
「リヨン…!」
「ごめんあそばせ、冗談よ」
リヨンは相変わらず鈴を転がすかのような声で笑います。
私たちはランタンで足元を照らしながら、ゆっくりと…いいえ、リヨンは明かりが届くか届かないかの先を早足でどんどんと進んでいき、私は木の根などにつまづかないようにと注意深く進みたいのですが、リヨンが速いので必死に駆け足でついていっている状態です。
耳には乾いた金づちの音が一定間隔を置いて聞こえてきます。やはり気のせいではなく、誰かがまだ作業しているようです。
「けど、こんな夜になんで作業してるんだろうね。こんなに暗かったら仕事の効率悪いだろうに」
私がそういうと、リヨンも、
「そうね、何考えてるのかしら」
と相槌を打ちます。
暗いだけで歩きにくくなった小道を進み切り、私とリヨンは辺りをぐるりと見渡しました。
と、屋根の壊れた建物の下に、かすかにランタンの明かりが揺れています。傍には人が居るのが分かりますが、あまりにも明かりがか細すぎてその人物が黒い人影と化し、非常に不気味な雰囲気が漂っています。
私はそっとリヨンの服を引っ張り、裾を引かれたリヨンも私に続いて茂みの傍にしゃがみます。
「とりあえず、誰か分からないけど作業中みたいだね。確認もしたし、帰ろう?」
こんな夜で茂みの多い状況で誰かも分からない人に近づくのは非常に危険です。
もちろん、作業している人は昼間ここで働いていた人たちの誰かかもしれませんが、確実にそうだとも分かりません。むしろ昼にここで働いていた人だとしても、もしかしたら不埒な心を持った人だっているかもしれません。
そんな誰なのか分からない人の近くにリヨンを近づけるのは避けたいところですし、あの人影は非常に体つきがたくましので何かあった時には私とリヨンの二人がかりでも太刀打ちできません。
やっぱり、リヨンが拒否したとしても兵士の誰かを連れてくればよかった…。
私は部屋を出る時に見張りの兵士を連れて行こうと言ったのですが、こそこそと城内から庭に抜け出すのが楽しいのよ、とリヨンが言い張ったのです。
私も夜は危険だからと頑張ってみましたが、リヨンの自己主張の強さには負けました…。
「けど、誰なのか見てみたいわ」
「えっ…」
「だって、一人でやってるのよ。何か事情があるんじゃないのかしら」
「…危機管理というものがありましてね。夜に茂みの多い所で見知らぬ男に近づくのは危ないとか思いませんか」
あまりの危機管理のなさに私はいささか呆れ、リヨンに軽く忠告しました。
そういうと、リヨンもふと我に返ったような顔つきになって私と目を合わせます。
「じゃあ、あれは危ないかもしれない人だと言いたいの?」
「かもしれないという想定の話です」
「じゃあ、あなたはこの城内に危ない人物が入り込んでると言いたいのね?この兵士が見回ってる城内に?ローゼ以外で?」
言っていることは怒っているように聞こえますが、リヨンの口調は怒ってるというよりは「そんなことがあるかしら」とでも言いたげな口調でした。
「それじゃあ、兵士でも呼びましょうか」
「それがいいと…」
と話して私は人の気配を感じて話を止めました。
口をつぐんだ瞬間、目の前に大男の姿が浮かび上がります。
「ぎゃああああ!」
思わず私は驚いて叫んで尻もちをついてしましました。夜露に濡れた地面に手をついてその姿をみると…。
「セ、センドレス…」
明かりに照らされながらのっぺりと立っているのは、顔に痣のあるセンドレスでした。
「……」
何か言いたげな表情で、センドレスは私を見下ろし、ふと視線を横にずらしてリヨンを見ました。
すると今度は驚いた表情をして一歩後ろに引いてから片膝をつきます。
「……」
しかし、センドレスは何をいうでなく、黙って膝をついて頭を垂れています。
「……」
リヨンも私も黙ってセンドレスを見ていましたが、ふいにリヨンが沈黙を破って声を発しました。
「何を…しているの?」
リヨンの言葉には戸惑いが大いに含まれています。
言葉をかけられたセンドレスの視線が一瞬泳ぎましたが、また視線は地面に戻って、
「彫っていました」
と呟くように一言発しました。
「…何を?」
「彫刻を」
相変わらずの低いテンションでセンドレスは呟きます。
どうしてこんな夜中に一人で彫刻を?という疑問が私にも、恐らくリヨンの中にも膨れ上がっていると思われます。そんな私たちの考えを察したのか、センドレスは続けました。
「ジョエル大臣に、許可を得ています」
「じょえる…大臣?」
誰でしょう?私がリヨンの顔をみると、リヨンは一言
「この国には五人大臣がいるの。一人だけだと権力をもちやすいから。ジョエルはその中の一人」
なるほど。私は納得して頷きました。
「だからって、こんな夜にまでやらなくても良いでしょう?」
相手が分かって安心したのか、リヨンはいつも通り女王らしい口調で言います。センドレスは目を伏せたまま、横を見ながら小さく呟きました。
「女王が夜に出歩く方が問題ありだ」
「あら、口数が少ない割にずいぶんと悪い口だこと」
リヨンはセンドレスをからかうかのように言いました。センドレスは口を引き結んで完璧に下をうつむき、一拍置いてから、
「…すみません」
と謝りました。
「気にしなくていいのよ。面と向かって言われた方が清々するわ。で、あれがあなたの彫っていた彫刻?見せてちょうだい」
リヨンは優雅に身を翻すと、元々センドレスが作業していた方へと歩き出しました。
センドレスは何か言いたそうに言葉を詰まらせ、立ち上がってリヨンの後を追いかけようとしましたが、ふと私の方を見ました。
そしてリヨンを見て、私を見てと挙動不審の行動を取ります。
ああ、リヨンの足元を照らさないといけないけど、尻もちついている私を放ってもおけないんだな、と私は理解し、「私は大丈夫です」と立ち上がりながら、
「リヨンの足元照らしてください、私はランタンがありますし、転ばれてあの綺麗な顔や体に傷がついたら大変です」
とセンドレスを急かしました。
センドレスは頷いて早足でリヨンの傍らまで歩き、足元を照らします。
私は後からゆっくりとついていく感じで歩いて行きました。
明かりが照らされる先に、センドレスが彫っていたという彫刻が立っています。
「まぁ…」
リヨンは言葉をなくしてその彫刻を見つめました。私も追いつき、その彫刻を目の前にして息を飲みます。
その彫刻は彫りかけなのは一目瞭然でした。女の人と、周りには草花…しかし、その彫りかけた一部でも目を奪われるほどに精工で滑らかで…。
「これ、あなたが?」
リヨンは興奮したようにセンドレスに話しかけます。センドレスは、軽く顎を上下に動かして頷きました。
「素敵ね。これだけでも十分見応えがあるわ」
「…できれば作りかけだから、あまり見てほしくない…ですが」
どこか気恥ずかしそうにうつむいてセンドレスは答えます。
「けど、やっぱり夜にやらなくてもいいんじゃなくて?こんなランタン程度の明かりの中でやることないじゃない」
リヨンはそう言いながら彫刻をそっと撫でました。
と、私はふと思いました。
「…その彫刻の女の人って、もしかしてリヨン?」
「えっ」
リヨンが驚いた表情で私を見て、彫刻をマジマジと見ました。
「…似てるかしら」
「だって、髪型のウェーブとか、目と口の形とか、顔のラインから肩の形とか…彫刻と並ぶと本当に似てるもん。リヨンがモデルなんじゃないの?ねえセンドレスさん」
私はセンドレスに目を向けますが、センドレスは黙ってそっぽ向いています。
「本当にこれ、私を模したの?」
「……」
リヨンが聞いても、センドレスは動かず黙って横を見ています。
黙っている時間が長くて、私は耐えられなくてそっとリヨンの耳元でささやきました。
「何も言わないってことは、そういう事なんだよ」
「あら、どうしてミクロはセンドレスが何も言わなくても言いたことが分かるの」
リヨンは私を見ながら言いました。
「え…なんとなく。言葉にするのが恥ずかしいように見えるから…それか、女王のリヨンに似せて彫ったのがバレてバツが悪いのかも…」
「まあ、悪口は小さい声でも女王である私に言えるのに、そういう事は言えないの?」
「照れ屋なんですよ、きっと」
そして、恐らく一度見ただけのリヨンの容姿をここまで再現できるんだから、もしかしたらセンドレスもリヨンの事を悪く思ってないのでは…と思いました。
私は恋愛事などしたことはありませんが、他人の恋愛事情となるとなぜか察する能力が高いです。もしかしたらこの流れで二人がくっついたりしたら…!
ああ、いけません。先走っては。こういう事は他人がくっつけようと動くとこじれるものです。
ああでもニヤニヤしちゃう。
「…ふーん」
リヨンはどこか誇らしいような、それでも嬉しそうな表情で微笑んで頷きました。
「センドレス」
「…はい」
センドレスは追い詰められた犯人のような声で小さく返事をしました。
「別に責めてるわけじゃないのよ。ただ、ちょっと驚いただけ」
「…勝手に断りもなく、女王に似せて申し訳ありませんでした…」
センドレスはためらいがちに謝罪しますが、リヨンはウキウキとした表情で、
「どうして?私嬉しいのよ?あなたにこんなに綺麗に作ってもらっているんだもの」
と彫刻の頬を撫でます。
センドレスはリヨンを見ました。その目の中には色んな感情が揺れ動いています。
そしてその後、今までと同じように…いやどこか、はにかむように視線を横にずらしました。
「ねえセンドレス」
リヨンに声をかけられ、センドレスは顔を上げました。
「どういう風に作るのか、見せてくれない?説明もしてくれる?」
「…王宮に戻らなくていいのですか」
センドレスがもっともなことを言いますが、素直に聞くようなリヨンではありません。
「いいでしょ」
柔らかくても、NOを認めさせない口調です。
「…少しだけなら」
センドレスはノミと金づちを手に持ち、ボソボソとした声で説明しながら金づちを振るい打ちます。
それを、リヨンは頷きながら傍らで見ています。
私は少し離れ所にしゃがみ、微笑ましいものを見る目で二人を見守りました。
ああいいなぁ。若い男女の恋愛って…いや私もまだ若いですけどね?




