天女の気持ち
私はひとまずランドの居る所へと戻りました。
この建物に来ればそのうちリヨンとまた会えるのではないかと考えたからです。
それにリヨンは別の仕事があるみたいだから周りをうろつくわけにもいきませんし…。
戻ると、もう大工たちは野太い声で何か言いあいながら仕事にとりかかっています。
と、そんな中、例のお頭の倅が地面に座って紙を眺めています。
何の気なしに私は近寄って声をかけました。
「こんにちは」
倅はちょっと驚いて顔を上げました。私はしゃがんで目線を合わせます。
リヨンは引き込まれるような深い青い瞳ですが、この倅の目は淡い緑色の瞳です。
確かに、リヨンの言うように人の目を真っすぐに見る人のようです。
その目は力強く、真っすぐ自分という人を見られているように感じます。
うーん、この人は目で女を落とせる人なのかもしれない。それほどの不思議な目力を感じます。
と、倅の視線が横にずれたかと思うと、また私の目をみて倅は自分の顔を指さしました。
「それ生まれつきか?殴られたのか?」
「え?何がですか?」
「頬が赤黒い」
倅が自分の頬をなおも指さします。
あ、そうだ。そこを差す場所は初日に兵士に殴られた所です。
いままで身だしなみはメイドさんたちにやってもらってたから鏡で自分の顔は見てなかったけど、そっか、やっぱり痣になって残ってるんだ…。
今まで誰も何も言わないのは優しさ故だったんでしょうか。
どうりで顔の筋肉が動くと鈍いジンジンとした痛みが襲ってくると思いましたよ。
「ちょっと、兵士たちといさかいがありまして…」
言葉尻を濁して簡潔に答えました。
倅はそれについては何も言わず、手に持っている紙に目を戻して言いました。
「女王が俺の顔が大したことないといったわけだ」
「…?どういうことですか?」
倅は私の顔をまたチラッとみて、
「それを毎日見ていたら、俺のなんて見慣れたものなんだろ」
…そんなに私の痣は酷い状態なんでしょうか…。
そういえば昨日ローゼに同じところをビンタされましたが、それで痣が広がったんでしょうか…。
しかしこの人、雰囲気はとっつきにくいけど話すとちゃんと返してくれる人ではないですか。
「お名前はなんていうんですか?私はミクロ。ちなみに女王はリヨン」
ちゃっかりとリヨンの紹介も欠かしません。
「…センドレスだ」
倅はそう言って手を遠慮がちに差し伸べてきました。
私も手を差し出して握手します。
とても大きくてガッシリとした手です。まさに職人といった立派なものです
「ここの女たちは…人の顔なんて気にしないんだな」
手を放してセンドレスは呟きました。
「そりゃそうですよ。女王のリヨンは別にあなたたちの顔じゃなくて腕を買ったんですから。国で一番の者たちを雇いなさいって命令したんですよ」
すると、センドレスの静かな目に、みるみるうちに嬉しそうな光がともっていきました。
「そうか…」
言葉はそっけなく一言で終わりましたけど、全体的に嬉しそうな雰囲気が漂っています。
前に男友達から借りたギャルゲー風味に言ったら「バッチリいい印象を与えたみたいだぞ!」という感じです。
「ミクロは女王の付き人か?」
センドレスが持っている紙は設計図のようで、それに色々と書き込みながら聞いてきました。
「客人という立場ですね。本当はこの王宮に居る身分ではないからわきまえろってあそこのランド大臣によく言われてます」
そういうと、センドレスはふん、と鼻で笑ってニヤッと口元をゆがめました。
馬鹿にしているのか、おかしかったのかは分かりませんが、そこまで嫌な感情ではありません。
しばらくお互い無言で、センドレスは文字を一生懸命紙に書き、私はぼんやりとそれを眺めていました。
「女王、美人で可愛いでしょ」
なんとなく口に出した言葉に、センドレスはそれまで動いていた手を静かに止めました。
「……俺はそれにどう答えれば良い…?」
凄く返答に困っているような返事です。表情を見ても困惑以外の感情が読み取れません。
「私は美人だし性格も可愛いと思うけど」
「俺がどうこう言える身分の人じゃない。下手に言うと後々面倒になる」
センドレスは紙にガリガリと文字を綴り終え、立ち上がりました。
「親父!」
そしてそのまま歩いて行ってしまいます。
「…リヨンのこと、可愛いって共感してほしかったなー」
リヨンはセンドレスの事を気に入っているようです。そのセンドレスがリヨンの事を可愛いって言ってくれたら私も嬉しいのに。
「お前はまた何をしている」
声に振り返るとランド大臣です。
「いや、さっきリヨンに絡まれてた人だなって思って」
ランド大臣は相変わらず私に対して不機嫌そうな表情をします。
「お前はいつまでここにいるつもりなんだ?」
ちょっと傷つく言い方です。
「そんなにピリピリしなくても、メイド長が私の欲しい物を持ってきてくれたら帰りますよ」
そういうと、唸るようにランド大臣が言葉を発しました。
「お前はメイド長を脅してでもいるのか?」
「ち、違いますよ!」
今のは確かに言い方が悪かったです。
私はかいつまんで話を伝えました。大事なリモコンをローゼに取られたこと、それをメイド長が回収してくれると言ってくれたことなど。
さすがに毒殺の件は黙っておきました。
「…そうか」
話し終えると、ランドはどこかホッとした表情を浮かべました。
「ならお前はそれが手に入ったらすぐ居なくなるのだな?」
ずいぶんと嬉しそうな顔してるじゃないですか。さすがに私もイラッとしますよ?
「女王様の傍に愚民が居て悪かったですねー、そうですねー」
ちょっとふて腐れて私は嫌味くさく言いました。
どうせ私は貧乏暮らしの長い平民ですよーだ、っていうか、現代ジパングは身分なんてないから平民の集まりですよーだペッペッペッ。
「お前は、リヨンからどこまで聞いた?」
「何をですか」
また何か文句でも言ってくる気ですか。私は警戒して聞き返しました。
「この王宮に来る前の事だ」
「大体聞いたんじゃないですか」
リヨンが話したくない事以外、ですが。
「お前にここに居てほしくない事はお前の身分もそうだが、それだけじゃない」
ランドは続けます。
「我々が暮らした所は本当に辺境で、隣家などしばらく歩かないと無いような所であった。そこにリヨンに唯一の友がいたのも聞いたな」
おっと、そこは全く聞いていません。私はランドの話に耳を傾けました。
ランドは私をジロジロと眺め、口を開きます。
「リヨンと仲の良かったその友に、お前は背格好があまりにも似ているのだ。だからあまりリヨンの傍に居てほしくない」
「平民の友達だからですか?」
また身分の話かとうんざりと聞き返すと、
「死んだからだ」
その一言に私は振り向いてランドの顔を見ました。ランドは言葉を続けます。
「いや、殺されたと言った方が正しい」
「どうして…」
殺されたんですか、と聞いていいものか悪いものかわからず、私は言葉を飲みこみました。
「聞いてないか」
ランドに聞かれ、私は首を縦に振りました。
「この国を追われ、辺境で暮らしている間にも飢饉は広がったままだった。リヨンと仲の良いその娘の家は、貧乏のあまり娘を娼館へと売り飛ばした」
娼館…。
『娼婦から成りあがったからだとか…』
博士の一言が戻ってきて、私は思わず身を乗り出しました。
「まさか、リヨンを娼館に売ったとかはないでしょうね!?」
「馬鹿を言うな!」
ランド大臣の一喝が周りに響き渡りました。遠くで働いている大工たちも手を止め、こちらを見ています。
ランドは一瞬気まずそうな顔になり、手を振って何事もない事をアピールしまし、そして押し殺した声で私を睨みつけました。
「私は前王妃から直々にリヨンの事を頼まれたのだ、それをどうしてリヨンをそんな所へやらねばならん!」
「…ごめんなさい」
確かに、これはあまりにも軽率な一言でした。私もさすがにすぐ謝ります。
けど、私が心配するようなことはリヨンにはなかったようです。
…でも、リヨンと仲の良かった子が…。
色々とぐるぐる考えていましたが、ふっと気づきました。
「…さっきから大臣、リヨンの事リヨン女王じゃなくてリヨンって呼び捨てだね」
そういうと、ランドは一瞬顔を強ばらせました。
「長い間女王としての身分は隠して父子として暮らしていたんだ、仕方無いだろう」
咳払いしながら言い訳がましくいいます。
「けど、リヨンはそういう、父と子という間柄で接して欲しいんじゃないですか?」
昨日のメイド長の話を思い出して私はランドに言いましたが、ランドはまた嫌そうな顔です。
「私は早くリヨンを女王としての立場を自覚させたいのだ。今まで身分の低い立場で過ごしていたから、一人前の女王として君臨してもらいたいのだ!」
「けど、それまでお父さんだった人が急にへりくだった態度で接してきたら関係がギクシャクしちゃうんじゃないかなぁ」
「やかましい!私とて、リヨンを女王に戻すか、それとも農夫の娘としてそのまま過ごさせるか悩んだんだ」
ランドがまた声を張り上げ、慌てて大工の方をみて口を閉ざしました。
ちょうどその時大工たちは木材を運び、石を運びと忙しそうだったのでランドの言葉は聞いていなかったようです。
というか、リヨンを農夫の娘として過ごさせることもランドは考えていたんだ?
その返答に私は驚きました。
ランドはリヨンを女王にさせるかさせないか悩んだ?
そしてリヨンはローゼの働きが無かったら女王になっていなかった?
どういうことだろう?
私がどうしてかと考えていると、どこまでも冷静な声が聞こえます。
「まあ珍しい。ランド大臣が声を荒げるなど」
この声は…。
私とランドが振り向くと、そこにはメイド長が立っていました。
ランド大臣はバツが悪そうに肩をすくめ、鼻から溜息をつきました。
「もしかして、リモコンを持ってきてくれたんですか!?」
私が顔を輝かせてそういうと、メイド長は私の目をみて告げました。
「申し訳ありません。昨日ローゼの部屋周辺を探したのですが、該当するものは見つかりませんでした」
「えっ嘘、だって…あ、そうだ!」
私は思い出しました。
「ローゼは胸にリモコンを挟んでいたんだよ!ローゼの胸に!胸に挟まれてなかったですか!?」
そういうと、ランドもメイド長も嫌そうな顔になりました。
この二人、よっぽどローゼの事が嫌いなんだろうな、とすぐ分かる表情です。
「そのようなもの、ありませんでした」
メイド長はきっぱりと言い切りました。
「……嘘…」
すがるようにメイド長を見ますが、メイド長は相変わらずの表情で同じ言葉を、まるで子供に教えるかのようにゆっくりと繰り返しました。
「そのようなもの、ありませんでした」
私の目の前が真っ暗になりますが、頭を回転させました。
「そうだ、ローゼが兵士に連れていかれた時、胸からどこかに落ちたんじゃ…ないかな…?廊下とか…」
希望を託してメイド長に聞きましたが、表情を変えるどころか、うつむき加減にまぶたを閉じ、首を横にふりました。
「我々は毎朝掃除しますが、そのようなものは見つかりませんでした」
そして再び言い切られます。
私の顔から血の気が引いていくのが分かりました。
他に、他に何かあり得そうなことはないか。
「そうだ、ローゼを連れて行った兵士が持っているとか…」
「あなた以外、何に使うのか分からないものを持っていく人がいますか」
メイド長にピシャリと言われました。
他に、他に…他に…他に…他に…
私は必死に考えます。
しかし後はもうあり得ない妄想程度の考えしか出てきません。心臓が恐怖を感じる時のようにバクバクと激しく脈うちます。
「あ、あれが…」
私は体の力が抜けてその場に膝をつきました。
「あれがないと…帰れないんです…本当に…」
昔話の天女が羽衣を取られて帰れないと嘆く気持ちが、今すごく分かりました。
あの天女はこんな絶望感を味わっていたんですね?
孤児院のお母さん、孤児院のお兄ちゃんたち、お姉ちゃんたち、弟たち、妹たち、学校の友達、博士…
私はもう皆に会えないんですか…?
私はここで生きて、そして歳をとって、そしてこの地で亡くなるんですか…?
私の頭からするすると血が引いていくのがわかります。
そして目の前がぐらっと揺れて、手が地面についたところまで覚えていますが、そこから記憶が曖昧になりました。




