6.櫻の園は満開でした。
※20160326 第二回お仕事コンに向けて改稿しました。またサブタイトルを変更しました。
ずいぶん長い夢を見ていた気がする。
どこか知らない場所をさまよっている夢。でも、幸せな夢。
昔の……夢。
「ねえ、起きてってばっ」
やだ。起きたくない。いい夢だったのに。
邪魔しないでよぉ。
「起きないと、くすぐりの刑だぞぉ」
なにそれ、かわいい。
誰かが体を触ってる感じ。体の感覚がまるでないのにそれは分かる。夢なのに。
「夢じゃないってば。起きなさーい」
鼻をつねられてようやくわたしは目を開けた。光がまぶしい。
「よーやく起きた。お寝坊さんやね。ガイドさん」
ガイドってなんだっけ。えっと確か面接は昨日で……。あれ?
「ガイドってだれ?」
「とにかくほら、体起こして」
無理やり引っ張り起こされる。
やだ、まだ寝てたいのに。
「ちゃんとこっち見て。あなたはだぁれ?」
目をこすって目の前の二人を見る。大学生ぐらいの男性と、中学生ぐらいの女の子。
見覚えがない。
「誰……?」
「あたしたちは置いといて、あなたはだれ?」
女の子が言う。この声、さっきの夢の中のかわいい子だ。
目がパッチリしてて、くりくりパーマの茶髪の上に伊達サングラス。
かわいくってぐりぐりしたい。
「あたしは萌。緋桜萌」
「めぐみちゃんね。あたしは日置――あ、この年だからまだ結婚してへんか。一之瀬里美。でこっちが」
「高梨涼太」
やわらかい低い声。大学生のほうね。
革ジャンに柄物のTシャツ、ジーパンにスニーカー。なんか再放送してた昔の刑事ドラマに出てきそうな優男だ。
結構ハンサム。
「どこまで覚えてる? 船に乗ってたこととか、ガイドのこととか。僕らのことも」
「船……ガイド?」
なんだっけ。
ガイド。
どこかで聞いた気がする。誰かをどこかに案内する役。
この二人も、見覚えはない。
田舎でよく遊んだたー坊はまだ中学生だし、駄菓子屋のマミはもっと大きい。
少なくとも大阪弁の友達はいなかったはず。
「覚えてへんの? 脳みその中も若返っちゃったの? 直前の記憶まで消えるもんやの?」
「いや、僕はそんな経験ないけど。ガイドさん、覚えてない? 船で門が開かなくて、彼女にタックルされてすっ転んで」
「あー、そやそや。あの時はごめんねぇ。いきなり二人とも消えたもんやからびっくりして。どこも痛いところない?」
船?
門?
でも、確かにおしりと肘は痛い。
そっと肘にさわってみる。押すとあちこち痛いっぽい。
「えと、大丈夫、みたいです」
「立てる?」
差し出された手を借りて立ち上がる。
あれ、前にもあったような気がする。
こんな感じに手を借りて、立ち上がって……。
そのあと確か……。
落っこちる感覚が戻ってきて、あたしは手を振りほどき、しゃがみこんだ。
「いやっ、落ちるっ!」
「だいじょうぶだいじょうぶ、もう落ちひんから」
落っこちる前から記憶が巻き戻っていく。
そうだ。ガイドになって船に乗って、案内してた。品のいい老紳士と、大阪のおばさん。
「思い出したみたいやね」
顔を上げると、二人が同じように手を差し伸べていた。
思わずこぼれた涙をぬぐうと、二人の手を借りて立ち上がる。
「はい……あの、日置さん、と、高梨さん……?」
「せやねん。こっちの世界に来たらすっかり若返っちゃって。でも、まさか中学生まで戻るとは思ってへんかったわぁ。服装までほら」
日置さんはそういい、くるりと回ってみせる。
「わかがえ……?」
「そう。僕も最初は驚いたよ。全力疾走できるのが嬉しくて、そこらじゅう走り回った」
自分の手を見下ろした。それほど幼い手になってるような気はしない。
どこかが変わってるような感じもないし、サイズも縮んでない。
「めぐみちゃんはそれほど変わってないように見えるわね。ガイドの制服のままやし」
「ここでは自分のなりたい姿になれるそうだからね。君は若いから戻りたい昔の姿がまだないからじゃないかな」
少し不安になって頭に手をやる。が、獣耳は出ていない。尻尾もない。
「落ち着いたみたいやね」
「はい。あの、ここってどこなんですか?」
「ガイドさん、周りを見て」
高梨さんの言葉にようやく辺りを見回した。
ピンクの風。
ピンクの波。
視界の全てが桜色に染まっていた。
薄紅から濃い紅、二重に八重。風がやさしく通るのにあわせて波打ち、さざめいている。
視界を遮る花びら。
ピンク色の世界だ。
「すごい……」
空を覆う桜の枝。
こんなに満開の桜が一面に広がってるのなんて、見るのも初めてだ。
「普通なら咲く時期が違う種類の桜も一斉に咲いてるんだ」
「きれいやねえ。花見酒としゃれこみたいところやけど」
「うふふ、ありがと」
二人のでもわたしのものでもない声が後ろから聞こえた。
「やあ、来たね」
「誰?」
振り返ると、桜柄の振袖を着た女の子が立っていた。
日置さんよりも幼い。小学校高学年ぐらいだろうか。おかっぱ頭の少女はしかし子供らしくない笑みを浮かべている。
子供、というよりは妖艶な女の笑みだ。
「彼女は手弱女。この桜の園を維持している女の子だ」
「一人で? この桜を? すごいやないの」
「うふふ、ありがと。褒めてもらえると嬉しいわ」
「手弱女、こちらが一緒にきた日置里美さんと、新人のガイドさん」
「よろしゅう」
「よろしくお願いします」
わたしと日置さんが会釈をすると、彼女はわたしのほうをじっと見つめた。
「あなた、名前は?」
「あ、す、すみません。緋桜萌と申します」
「めぐみ、ね。覚えておくわ。よろしくね。それにしても珍しいわね、涼太さん。他の人を連れてくるなんて」
涼太さん、と言われて高梨さんは心持ち顔を赤らめた。
ああ、そういえばさっき名乗ってたっけ。高梨涼太さんって。
「連れて来たわけじゃなくて、巻き込まれたというか、事故というか……」
「せやねん、なにが起こったんかもわからんかったし」
二人はそろってわたしの方を見た。
「え、いや、あの。……わたしにもよくわからないんです。すみません……」
「まあ、仕方がないよ。今日が初めてだったって言ってたし」
「まあ……涼太さんがいうならいいけど」
桜色の少女はちらと彼のほうをみてそっぽを向いた。
なんというか、わかりやすい。
「いつもは一人ずつ門をくぐるから、桜の園で他の人に会ったことはないけど」
「たおやめ、やったっけ。なあ、どういう仕組みなん?」
二人の会話に日置さんが割り込むと、少女はちょっと唇を尖らせた。
「どの桜の園に出られるかはランダムなのよ。門が開くと誰かの桜の園につながるの。だから、同じ門から入れば、同じ桜の園に着くの」
「ランダム? 僕は君の桜の園以外には出たことないけど」
「それはっ、たぶん、何かの間違いよっ」
ぶっきらぼうに言う少女の顔はほんのり赤かった。
「で、なにが起こるのん? 確かに桜は比べ物にならないほど素敵やけど、それだけとちゃうよね」
「それは――ちょっと、あなた案内人よね。なんで事前に話してないわけ?」
「え?」
わたしのほうをきっとにらみつけた少女は、わたしの腕をつかんだ。
「この人、初めてでしょ? ちゃんと説明しておいてもらわないと、私たちの仕事が増えちゃうじゃないの」
「説明って……」
もしかして加賀美さんが新規の人探してたのって、何かレクチャーしなきゃならなかったからなの?
だとしたら、取り返しのつかないこと、やっちゃったの? もしかして。
血の気が引くというのはこういうことなんだ、とくっきりはっきりわかるほど、頭からさーっと血の気が引いた。
「無理だよ、彼女は今日が初めてだそうだから」
「初日なら、先輩ガイドの言うこと聞いてなさいよっ。言われてないことまでやってんじゃないわよっ。まったく……最近の若い子はこれだから……」
「まあまあ。それに彼女もほら、反省してるし、怯えちゃってるじゃないか」
「わ、私はいじめてるつもりなんかないんだからねっ!」
ふん、と横を向くと、ようやくわたしの方をちらりと見て口を開いた。
「ここはね、いわば夢の中。時の流れない場所。門さえつながればどの時代からでも来られる。あなたたちの時間ではすでに亡くなった人とだって会うことが出来る。地上の案内人は門まで導くだけだけど、私たちは迷い込む人たちをつなげるのが仕事なの」
「そうなん? 誰とでも会えるわけ? すごいやない」
はしゃぐ日置さんの声を聞きながら、わたしはパンフレットの話を思い出していた。
こういう門があちこちに開くのはわたしも知っているから、そこまで驚きはしないけど。
誰でも行けるわけじゃない幽玄コースの説明が見える人は、桜の園に来た誰かが呼んでいる人なのかな。
それとも時を越えてまで会いたい人がいる人?
――いとしい人や大事な人に会いたいと願っている人?
「ちょっと、そこ騒がないでくれる? それと話はちゃんと最後まで聞いて」
「はーい。なんかたおやめちゃん、先生みたいやな」
日置さんがきゃらきゃらと笑うと、桜色の少女の頬がピンクに染まった。
「なっ……わたしは先生ではありませんっ。とにかく、こちらの桜は繊細なんですから、登ったり枝を折ったりしないように」
「桜って折ったらあかんの?」
きょとんと首をかしげる日置さんに、高梨さんは口をはさんだ。
「桜折るバカ梅折らぬバカ」
「なによぉ、人を馬鹿よばわり?」
「いや、ことわざ。桜は繊細だから、折られたところから腐って落ちるんだって」
「えっ、そうなん? 知らんかった」
「そうよ、だから今後は気を付けてよね。せっかくきれいに咲いたんだから」
少女の言葉に、日置さんは少しほっとしたようで、眉間のしわがのびる。
「うん、今後は気ぃつけるわ」
「それから、こっちで何か勧められても何も口にしないこと」
「え?」
これにはわたしも声をあげてしまった。
のどが渇いても、水一杯もらっちゃいけないのだろうか。
「なんか日本神話の世界だね」
くすくすと高梨さんが笑っている。
きっと何度となくこちらに来ている彼はよく知っているのだろう。
わたしは日置さんと顔を見合わせた。
「わからないならいいよ。何も食べたり飲んだりしなきゃ大丈夫だから」
「食べたらどうなるん?」
「食べちゃダメって言ってるでしょ?」
「わかってるわかってる。食べへんって。でもどうなるか気になるやん? なあ?」
日置さんに同意を求められて、わたしもうなずいた。
万が一にでも間違って何かを口にしてしまったら。
望まずして何かを食べさせられたとしたら。
どうなるの?
「……戻れなくなるからよ。もうこの話はおしまい」
少女はじろりとわたしの方をにらむと話はおしまいとばかりぷいと横を向いた。
高梨さんは肩をすくめると少女の方に手を置いた。
「ところで手弱女。三人で来ちゃったけど大丈夫なのか? 誰か一人の会いたい人にしか会えないってことはない?」
「そうね……たぶん大丈夫。あなたたち二人は会いたい思いが強いから」
手弱女は唇を尖らせながらも振り返り、日置さんと高梨さんを指差した。
「時間もないし、はじめるわ。二人ともその場に立って目を閉じて。風の音や葉ずれの音に耳を済ませて。声が聞こえる方角にあなたの会いたい人はいるわ」
二人は素直に目を閉じ、吹いて来る桜色の風に身をゆだねた。
わたしも思わず息を止めた。
なんだか、自分の呼吸音が邪魔になるんじゃないか、なんて思ったからだ。
どれぐらいだろう。五秒、十秒。
先に動いたのは日置さんのほうだった。
ぱっと顔をあげ、「おっちゃんや、おっちゃんの声やぁ」といいながら彼女は走り出した。
「初めての方にしては早いわね」
「そうなんですか?」
少女の独り言に応じると、彼女はうなずいた。
「初めてだと何を探していいかわからずに立ち尽くしてしまう人が多いのよ。涼太もそう」
「僕はまあ、迷い込んだようなものだったしね」
「あら、今回もだめ?」
彼女が言うと、高梨さんは両手を広げて見せた。
「僕は過去の誰に会いたいと思ってるわけじゃないし。手弱女に会いに来てるんだから」
「またそんなことっ……」
横目でにらみながらも、手弱女の耳はピンクに染まっている。
「何度言ってもうんって言ってくれないんだから」
「あたりまえでしょう?」
見る限りでは手弱女もまんざらではないように見えた。どころかバカップルがいちゃついてるようにしか見えない。
「えっと、あの、私、少しこのあたりを散策してきますね」
そろりそろりと後ずさりながら場を離れようとすると、少女が振り向いた。
「あなた初めてよね。あまり遠くに行かないでね。川から向こうは姉様の桜の園なの。越えてしまったら戻ってこられなくなるから」
戻れなくなったらどうなるの、と聞こうとしたが、すでに二人は背を向けて歩き出していた。
しかたなく、わたしは反対方向に歩きはじめた。