3.ブリーフィング
本日二話目の更新です。
20160326 第二回お仕事コンに向けて改稿しました。また、サブタイトルを変更しました
加賀美恭子は目の前の新人を眼鏡越しに上から下まで検分した。
肩でぱつんと切りそろえたさらさらストレート。
薄い口紅以外はほぼすっぴん。口元の引きつった笑顔。
制服が間に合わなかったのか、肩や胸の辺りはぶかぶか。なんだか制服に着られてるみたいだ。
左胸には見習いのバッジ。それから紫のバッジ。ミニのタイトから覗く足も細い。
ひょろっとした子。
それが加賀美恭子の彼女の第一印象だった。
船の上で二時間踏ん張る体力、あるのだろうか。
でも、紫のバッジをつけているということは、社長の認めたスペシャルに違いないってことだ。
――ならば、手加減する必要はないわね。
そう結論付けて、恭子は頬に落ちてきた髪をかきあげた。少し気取って眼鏡を押し上げる。
今日から彼女の指導教官役だ。
「緋桜萌さんね。私は加賀美恭子。あなたの教育係を任されました。これから三ヶ月間、よろしくね」
「は、はい。よろしくおねがいします」
目の前の新人は深々とお辞儀をする。
素直なところと礼儀正しいところはプラス。でも、おどおどしたところはマイナス。
恭子は柔らかな微笑みを浮かべた。
「緊張しなくていいわよ。それに、私たちが緊張していたらお客様が声をかけづらくなるから、なるべく自然体で、スマイル。ね?」
「はい」
新人は力の抜けた微笑みを浮かべた。この笑顔は大プラスね。うん、かわいい。
「仕事の内容は聞いてる?」
「あ、いえ、あの、ガイドの仕事で船に乗る、とだけ」
「じゃあ、うちの船に乗ったことは?」
「いえ、初めてです」
「じゃ、ざっと説明しておくわね」
一枚の紙を渡す。今日二人が乗り込む観光船のパンフレットだ。
「今日乗るのはこれ。大川の桜見物ティータイムクルージング。帝国ホテルの裏手にある船着場から出て、大川の桜を見ながらゆっくり回って帰ってくるコース。所要時間は二時間。船は船内にレストラン、船上に広いデッキがあるのが特徴」
「はい」
パンフレットを食い入るように見る新人の目が輝いているのに恭子は気がついた。
「桜の時期になるとよくテレビで紹介される船だから、見たことあるんじゃない?」
「はい。この船に乗れるなんて、夢のようです」
嬉しそうに声を弾ませて、新人は顔を上げた。
黒塗りのボディに金の装飾を施されたこの船は、ほかのクルーズ船に比べると大きくて立派に見える。
新人の初仕事の時は必ずこの船に乗ることになっていた。
それはこの娘と同じように、この船に乗ってみたいと憧れを持っていることが多いからだ。
恭子だって、初仕事の時には先輩に連れられて胸を躍らせながらこの船に乗ったものだ。
「でも桜見てる暇はないわよ。ガイドって思ったより忙しいから。それに、この船にはもう一つのコースがあるの」
「もう一つの?」
「そう、スペシャルコース」
首をかしげる新人に微笑みかけると、恭子は彼女の手からパンフレットを取り上げ、裏を返した。
「ここ、幽玄コース。私たちのメインの仕事は幽玄コースのお客様をエスコートすること」
「エスコート、ですか?」
「そう。幽玄コースは誰でもいけるコースじゃないのよ。一部の方だけに開かれたコース。だから、一般のお客様には秘密にしなきゃいけないの。でも、幽玄コースのお客様は一般のクルージングのお客様と一緒に乗ってくるのよ。一般のお客様に気づかれないように幽玄コースのお客様をさりげなく門までご案内するのが私たちの仕事」
「あんない……」
恭子は萌の紫バッジを指差した。
「幽玄コースのお客様はリピーターがほとんどだから、そのバッジを見たら向こうから声をかけてきてくれるわ。合言葉があるからそれを確認してね。これが今回の合言葉。毎回合言葉が変わるから間違えないように」
四つ折りにした薄紫のメモを渡す。
新人はそれを広げてぶつぶつ口の中で繰り返しつぶやいた。それからポケットにしまい込む。
「新規のお客様は私が把握してるから、私がエスコートするわ」
「はい」
「それから、一般のお客様への気配りも忘れないように。といっても初日だし、何すればいいかとかわからないわよね。今日は私のあとをついてきてくれる? お客様にどう接したらいいかを見て覚えて欲しいの」
「はい」
「じゃあ、ここまででわからないことはない?」
新人はすこし思案顔をしたあと、口を開いた。
「幽玄コースって、なんですか?」
よくある質問集のひとつだ。
「それは船に乗ってからのお楽しみ。口で説明するより体験したほうが早いわ」
「そうですか……。あ、それと、船から落っこちるようなことって、ないですよね?」
これもよくある質問集のひとつね、と恭子は少し笑った。
「大丈夫よ。自分で船から川に飛び込まない限り、落ちるような場所はないわ。そんな危険な場所があったらお客様を乗せられないもの。安心して」
「よかったぁ。私、水が苦手なんです。それだけが心配で」
心底ほっとしたような新人の声に、恭子はくすっと笑った。
「他にもガイドさんっているんですか?」
「ええ、いるわよ。寮に入ってる子もいるし。そのうち紹介するわね。今日の船に乗ってるガイドは他社からの派遣の子もいるから、会話には気をつけて」
「は、はい」
恭子は時計を確認した。そろそろ時間だ。
「じゃ、行きましょうか、初仕事。スマイル、ね」
「はい」
萌の笑顔に微笑み返して、恭子は先を歩き始めた。