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キャットシーツアーへようこそ! ~桜の園は花盛り~  作者: と〜や
第二章 わたし、がんばります!
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11.口調違うんですけど!

 いったん部屋に戻って、昨夜つるしておいた洗濯物を回収する。

 ハンガーから外しながら畳んで、アイロンが必要なものだけベッドの上に広げておく。あとでアイロン台借りなきゃ、と思いながら最後の一枚を手に取ったとき。


「……え?」


 それは、どう考えてもわたしのものじゃなかった。

 慌ててハンガーから手を放してまじまじと見つめる。

 どう見ても……どこからどう見ても、男物の下着。兄貴のトランクスは見慣れてるけど、これって……ボクサーブリーフってやつ?


「なんで……」


 この寮にいる男の人は一人だけ。火村さん。

 ということは、これは……火村さんのだ。

 もしかして、昨夜お風呂場に突入してきたのって、これを探してたの?

 黒いてろんとした素材のボクサーブリーフをハンガーから外して畳む。

 これから火村さんのところに行くんだし、持って行こう。

 単体で手に持っていくのがなんだか気恥ずかしくて、ハンドタオルに包む。

 兄貴のトランクスなら全然平気なのに、なんでだろう。

 でも……おかしいなあ。昨夜洗濯機に洗濯物放り込む前にちゃんと確認したもの。中は空っぽだったのに、どうして紛れ込んだりしたんだろう。

 とりあえず、部屋の鍵とミニノート、ボールペンとスマートフォンをポーチに入れて、部屋を出る。

 キッチン奥にいるはずの寮母さんに声かけてアイロン台の件だけお願いすると、二階への階段を上がった。


 昨日の夜とは全然雰囲気が違う。

 あかり取りの天窓から燦々と日の光が入っているせいかもしれない。昨夜は本当に不気味だったもの。

 昨日は匂いを追いかけてたから周りをほとんど見てなかったけど、二階の廊下には絨毯が敷かれていて、並んでいる扉は、一枚一枚のデザインが全部違う。

 白い扉、黒い扉、和風の格子戸、彫刻の施された一枚扉。どれも洋風のこの建物によく似合っている。

 火村さんの部屋の扉は、覗き窓のない茶色の扉だった。

 道順は覚えてなかったけど、周りを見ながら無意識で匂いを追いかけていたみたい。迷うことなくたどり着いた扉をノックすると、すぐに反応があった。


「あの、緋桜です」


 鍵が開く音がして顔をのぞかせた火村さんは、困ったように眉根を寄せていた。部屋の中では眼鏡をはずしているのだろう、超絶美形の顔が半分だけ、扉の隙間からのぞいている。


「えっ……?」

「鍵持ってるのに、なんで入ってこないの?」

「えっ? だって、火村さんいらっしゃるだろうと思って……」

「やり直し」


 じろりとにらみつけられる。超絶美形ににらまれると何ともいたたまれなくなるというかなんというか。胸がざわざわするというか。

 って……やり直し? 何のこと?


「へっ?」

「寮母さんに鍵もらったんなら、直接入ってくればいいだろう? 俺がいなかったら諦めるつもり?」

「あっ、えっ、と」

「やり直し」


 パタン、と扉が閉じられてしまった。

 なんか……火村さん、機嫌悪い? わたし、なにかやっちゃったかなあ。

 扉を前にため息をつく。自分の部屋の扉ならまだしも、他の人の部屋の扉を開けるのは、いくら本人から許可されているとはいえ、やっぱり怯む。

 でも、向こう側で待っている火村さんを待たせるわけにもいかない。

 思い切って鍵穴に鍵を差し込んで、右に回す。かちり、と音がして、そっと取っ手に手をかけて手前に引っ張ると、扉が動いた。


「遅い」


 少し開けただけで、火村さんの声が飛んでくる。慌てて扉を引き開けると、むすっとした火村さんが腕を組んで立っていた。


「す、すみませんっ」

「鍵開けて入ってくるぐらい、さらっとこなしてよ。自分の部屋の扉を開けるのに、そんなに気負ったりしないだろう?」

「そ、そりゃそうですけどっ、ここはわたしの部屋じゃないですしっ」

「今日から自分の部屋だと思えよ」

「ええっ? 何でですかっ」


 火村さんの眉間にしわが寄る。ああ、超絶美形の眉間にしわなんか寄せちゃいけませんってば。


「この部屋でパソコンを使うんだろう? 使ってる間に喉が渇いたりトイレに行きたくなったらどうするんだよ」

「えっ? トイレは共同ですし、喉が渇いたらキッチンに降りてお水もらってきますけど」


 寮だし、当たり前だと思ってそう答えたら、火村さんは深くため息をついた。


「そりゃそうか。新人だし知らないよな。……二階の部屋は、部屋の中にトイレがあるんだ」

「ええっ?」

「しかも、俺の部屋には冷蔵庫がある。水も冷やしてある」

「えええっ!」


 二階の部屋って、先輩たちの部屋って聞いてたけど、やっぱり待遇違うんだ。

 ミニキッチンもユニットバスもあるとか言われても納得しちゃうかもしれない。


「トイレに冷蔵庫……」

「部屋の中、案内してやる」


 ぐいと腕を引っ張られて、部屋の中に足を踏み入れる。背後で扉が閉まる音がした。

 なんか一人称が僕じゃなくて俺になってるの、気のせいかな……。

 入ってすぐ右手に扉、正面にも扉。


「ここがトイレ。正面入って」


 案内すると言いながら、扉をわたしに開けろと促してくる。

 びくびくしながら正面の扉を開けると、広い部屋だった。オレンジ色の絨毯が敷かれた部屋には金属製のラックが並んでいて、パソコンらしい機械がいくつも並んでいる。

 その横には木製の机。書斎とかにありそうな重厚な机だ。でも、その上に並んでいるのもパソコンと、モニター。

 壁際にはずらりと木製の本棚にぎっしり本が詰まってる。漫画や小説じゃなく、小難しい専門書らしいことは背表紙だけでわかった。


「ここには近寄らないように。パソコンやモニターにも絶対触るなよ」

「は、はいっ」

「あんたのスペースはそっち」


 指さされたのは、ベッドの横に置かれた座卓。洋風のインテリアで統一されているところに、どうして座卓? なんだかそぐわない。


「えっと……」


 しかも、ベッドサイド。そりゃまあ、机や金属ラックから十分離れた場所って考えると、ここしかないのかもしれないけど、めちゃめちゃプライベートエリアですよね?


「冷蔵庫はあっち」


 引っ張られていったのは、ベッドの向こう側、ベッドサイドに置かれたミラーボードの前だった。


「え?」

「鏡の下が全部簡易冷蔵庫になってる。冷凍はできないから、アイス入れるなよ」

「入れませんっ」


 開けてみろ、と促されて恐る恐る冷蔵庫を開けると、ペットボトルがぎっしり詰め込んであった。水にお茶、炭酸、オレンジジュース。コーヒーもある。


「どれでも好きなの飲んでいいから」

「いえっ、そこまでしていただくわけにはっ」

「……それから、敬語禁止」


 じとっと不満げにわたしをにらみながら。……超絶美形モードで睨むの、やめてくださいよう。心臓に悪いです。


「えっ、でもっ、先輩にため口なんてっ……」

「先輩って言っても便宜上だろ? 俺より年上の緋桜さん?」

「年上……? 何言って……」


 そういえば火村さんのこと、何にも知らない。知っているのは、寮母さんから聞いた『一か所にとどまっていられない事情』だけだ。


「うちの会社のスペシャルが人間じゃないっていうのは知ってるよね?」

「あ、はい」

「俺もスペシャルって話したよね」


 こくこく、と頷く。加賀美さんも蜂谷さんもみんな人じゃないって知ってる。


「俺は火の精霊」

「……せいれい……」

「……の血を引いてるってだけだけど、成長速度は人間と変わらない。今年で二十二だ。あんたは、猫だった間も含めたら俺より上だろう?」


 じっと火村さんを見つめる。

 猫で十八年、猫又になって十二年。合わせれば三十年は生きてることになる。


「それはっ……そうだけど、猫又になってからはまだ十二年だし……」

「だから、敬語はなしな」

「でもっ、ガイドとしては新人ですしっ、火村さんは先輩ですしっ」

「……仕事上はそれでいいけど、俺の部屋ではなし。でなきゃパソコンは貸さない」

「ええっ」

「どうする?」


 どうするもなにも、選択肢なんかないじゃないですかっ。


「わ、わかりましたっ」

「……敬語」

「わかったわよっ」

「じゃ、飲み物選んで」


 火村さんはさっさと水のペットボトルを抜き取った。かなり迷ったけど、麦茶のペットボトルを抜き出して冷蔵庫を閉じる。


「じゃ、パソコンの前に座って」

「はい」

「……敬語」

「わかったっ」


 何でここまでこだわるんだろう。まあ、でもこんな高いものをただで借りるんだし、機嫌損ねるのはよくないよね。

 置かれた座布団の上に座ると、火村さんはすぐ横のベッドに座ってパソコンの各部の説明を始めた。電源の入れ方、終了の仕方。

 ログインのIDとパスワードも教えてもらって、忘れないように手帳にメモを取ってから、スマートフォンで写真を撮る。

 こうしておけば、手帳がなくなっても大丈夫だしって兄貴に教えてもらったんだよね。

 それから、インストールしてあるアプリの説明。


「会社の研修で使うアプリは入れてある。分からないことがあったら聞いて」

「うん、ありがとう」

「それから、スマートフォン貸して」

「え?」


 まだ手に持っていたスマートフォンをするりと抜き取られる。


「会社支給のやつ?」

「あ、はい。それしか持ってない……から」


 敬語になりそうになって、慌てて言い換える。だからじろりと睨むのやめて欲しい。


「じゃ、俺の連絡先登録しとくから」

「ええっ」

「分からないこととかあったら気兼ねなくメールか電話して」


 さっさといくつかのアプリを立ち上げて何やら入力している。

 メールとか電話とか、ここでパソコンいじってる間は受けられないよね? 圏外だし。


「はい」


 返されたスマートフォンを見てると、不意に呼び出し音が鳴った。続いてメールの着信音も。


「えっ、なんで? ここ、圏外ですよね?」

「え? そんなはずないだろ?」


 ほら、と指さしたところには、確かにアンテナが立ってて、いつも見慣れた『圏外』の文字はどこにもない。


「この部屋のアクセスポイントに自動的につながるようにもしておいたし、メールのやり取りも問題ないはずだぞ?」


 不在着信は『焔』と表示されている。これ、火村さんだろう。メールも開いてみると、『焔』とあった。

 連絡帳を開いてみると、四つ目の連絡先に『焔』が登録されていた。


「試しに俺にかけてみろ」


 連絡帳の電話マークを押して、通話ボタンを押す。すぐに呼び出し音が鳴って、火村さんの声が聞こえた。


「うわっ……ほんとに通じた」

「だろ? あー……もしかしたら一階は圏外だったかもな。ここでなら使えるから、困ったらかけて来い」

「は……うん、わかった」

「ついでにメールも送ってみろ」


 メールなら、さっちんや兄貴にも送ったことがあるから大丈夫。

 簡単なメールを書いて送ると、ちゃんとピロリ、と音がしてメールは送られていった。すぐに火村さんのスマートフォンから着信音が響く。


「よし。……って、メールの中でも敬語は要らん」

「えっ、だって、メールは手紙だって教わったから……」


 そう答えると、火村さんはため息をついた。


「まあいい。じゃあ、これで一通り使えるな?」

「はい。ありがとうご……いったぁっ」


 いきなり鼻をつまむのはやめて欲しいですっ。わたしたちにとって鼻は弱点なんですからねっ。

 涙目になりながら睨むと、それ以上の寒さをまとった超絶美形ににらまれた。


「敬語はなし。……今日はいいとしても、明日からこの部屋で警護使ったらペナルティな」

「ぺな……あ、あの、お金はない……けど」

「ああ、そういや初任給もまだだっけ。……じゃあ、そのパソコンにインストールされてるタイピングソフトで対戦バトルして、あんたが勝ったらお願い聞いてやるってのは?」

「えっと……お願いって」


 それって、敬語のペナルティとどういう関係があるんだろう。まあでも、タイピングの練習をするのにはちょうどいいかも。


「なんでもいい。まあ、勝ったらな。じゃあ、俺は少し出かけてくるから」

「あ、はい。行ってらっしゃい」


 素直に返すと、火村さんはちろりとこっちを見て、あの伊達眼鏡をかけた。途端に超絶美形が姿を消す。


「図書館に行ってくる。美織さんから聞かれたら、そう言っておいて。晩御飯は寮で食べるからって」

「はーい」


 一応お見送りして、部屋の鍵をかけた方がいいのかな、とパソコンの前から立ち上がると、火村さんは複雑な顔をしたあと、鞄と上着を持って扉に向かった。

 扉を開けてから振り向いた火村さんは、眼鏡をはずして眉根を寄せた。


「あの……?」

「いちいち見送りに来なくていいから。せっかくの休みだろ。時間は有効に使えよ。それから……使い終わったらパソコンは電源を切って」


 なんとなく兄貴が出かけるのを見送る気分でついやっちゃったけど、迷惑だったかな。


「はいはい。行ってらっしゃい」


 まだ何か言いたそうな火村さんを押し出すと、諦めたようにため息をついて、また眼鏡をかけた。

 そういえばなんで眼鏡、外したんだろう。


「じゃあ」


 鍵をかける音がして、足音が遠ざかる。やれやれ、と肩を回してわたしはパソコンの前に舞い戻った。

 パソコンを使わせてもらえるのはありがたいけど、ちょっと肩凝っちゃうな。ご本人がいない時間帯を狙って使わせてもらう方が、やっぱりいいのかもしれない。


「まあ、いっか」


 この部屋にいれば兄貴にメールするのも大丈夫そうだし、タイピングソフトで勝てばお願い聞いてもらえるし。

 とりあえず起動したタイピングソフトの画面を眺めながら、他のことを頭からシャットアウトした。

 もちろん、ポーチの中のアレもすっかり忘れて。

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