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キャットシーツアーへようこそ! ~桜の園は花盛り~  作者: と〜や
第二章 わたし、がんばります!
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8.わたしじゃありませんっ!

「あ、悪い」

「えっ……きゃあっ!」


 がらりと開いた脱衣所の扉に振り向く前に、声が耳に飛び込んできた。――男の人の声。

 お風呂上りで体を拭いている最中だったわたしはタオルで前を隠し、悲鳴を上げてしゃがみこむ。

 何かが頭上を飛んで行って、ばこんとすごい音がした。


「ぐえっ」


 扉が自動的にからからと閉じていくのがうつむいた視界の隅っこに見える。

 そのまましばらく固まっていたけれど、再び扉が開くことはなかった。

 脱衣所の扉って、すりガラスじゃなくて木の引き戸なんだよね。外からのぞき見されない代わりに、誰か入っててもわからないタイプの。

 ともかく着替えの入った籠を引っ張って扉から見えない場所に隠れると、しゃがみこんだまま大急ぎで下着をつける。いつもなら寝る前だしブラジャーなしでTシャツとホットパンツでも大丈夫だったのに。

 Tシャツとスカートを着こみ、脱いだものをバスタオルに巻き込んでカバンに押し込む。着替えもタオルも隠さなきゃならないなんて。今までなら――。

 頭を振って、ひとつため息を落とす。

 仕方ない、ここが女子寮だと思い込んでいたわたしが悪いのだもの。

 ちゃんと自衛しなきゃ。

 寮母さんが言った通り、あの人――男の人がいるかどうかは匂いでわかったから、さっきは回避できた。

 一度お風呂に入ったんだから、もう今日は来ないよね、と思って油断した。

 ……でも、さっきみたいに向こうから来られちゃったらどうしようもないんですけど。自衛のしようがないわよ。

 脱衣所に鍵が欲しい。それか、時間予約制にして。

 それなら、誰が入ってるかわかるからちゃんと避けるのに。

 脱衣所の扉を開けると、あの人がまだそこにうずくまっていた。頭を抱えて。傍には手桶が転がっている。何かを探してるみたいで、手であたりを探っている。少し離れたところに黒縁眼鏡が落ちてるから、きっとあれだろう。

 そういえば、誰もいないはずなのに何か飛んで行ったなと思ったけど、手桶だったんだ。

 誰が投げたんだろう、おかげで助かったけど。


「あの……」


 あの人は脱衣所の真ん前をふさぐみたいに座ってる。おかげで出るに出られない。退いてほしいな、と口を開いたところで、男が顔を上げた。

 額にまん丸くあとが付いている。手桶がぶち当たったあとなのだろうか。眼鏡をしていた時も確かに整った顔だなとは思ったけど、眼鏡をはずした顔はまさしく超絶美形で、ファンクラブができるというのもすごく納得してしまった。黒縁眼鏡一つでこんなに変わるものなんだ、と思わず感心してしまう。

 そんなイケメン顔をしているのに額に丸いあとつけて、涙目でわたしのほうを見上げてくるものだから、思わず吹き出した。じろりとにらまれて慌てて口を覆い、目をそらした。


「……笑うことないだろ」


 拗ねた口調のその言葉に視線を戻すと、彼はきまり悪そうにそっぽを向いていた。


「覗くつもりはなかった。悪かった」

「あ……」


 はい、と小さな声で応じる。その割には扉開けた時に悪びれた様子はなかった気がするけれど。


「でも手桶ぶつけてくるとかひどくない?」

「あれは、わたしじゃありませんっ!」


 勝手に飛んで行ったものだもの、というか誰かが投げつけたんだもの。……わたし以外に脱衣所にはいなかったはずだけど、もしかしたら姿の見えない人がいたのかもしれない。

 この寮にいるのは全員スペシャルだし、妖怪変化のはずだもの。


「ほかに誰もいなかったように見えたけど」

「みっ、見たんですかっ」

「見えただけで、別に見たくて見たわけじゃ……」


 ぶちっと何かが切れた。

 嫁入り前の裸見たくせに、なんなのよっ!

 気がつけば、右手に転がってたはずの手桶が収まっていた。拾った記憶、ないけどちょうどいいや。

 目の前には座り込んだままの覗き魔がいて、ちょうどいい高さに頭があって。

 わたしは思いっきり、手桶を振りぬいた。


 ◇◇◇◇


「めぐみちゃん、堪忍な」

「いてっ」


 食堂にて、寮母さんがあの人――火村さんの手当てをしている。

 額のまるいのは傷といわけじゃないらしくて、治療の必要はないそうだけど、わたしがつけたあとはやったわたしの目からしても気の毒なほど腫れていた。

 やっぱり平手にしておいたほうがよかったかも。手桶でこすったのか少し血も出てて、さすがにやりすぎだったと反省する。


「……なんで謝られるのが僕じゃないんですか。僕のほうが圧倒的に被害者なのに」

「焔くん、女心をもうちぃと勉強したほうがええで?」

「痛い、痛いです」


 にこっと微笑んだ寮母さんがピンセットでつまんだ消毒ガーゼをぐいぐいほっぺたに押し付けている。


「ちゃんと謝ったのに殴られたのはひどくないんですか?」

「殴られたんは別の理由やろ? めぐみちゃん、もうええよ。部屋戻り」

「あの、でも」


 ちらりと火村さんを見ると、心底いやそうな顔でこっちを見てた。うわ、印象最悪。


「……緋桜萌さん、だったっけ」

「は、い」


 改まった声で呼ばれて、体ごと火村さんのほうを向く。額の丸印はガーゼで隠されていて、ほっぺたの傷には大きな絆創膏。その上から氷の入ったビニール袋を当てた火村さんが怒っているのは一目瞭然だった。

 あの言い方に思わず手が出たのは反省してない。でも武器を使ったことは後ろめたくて、思わず身を縮め、うつむく。と。


「ガイドの顔は商売道具だから」

「――え?」


 怒られると思って縮めた首を伸ばして顔を上げると、火村さんと目が合った。


「傷が消えるまで船には乗れなくなる。……他の人に迷惑かかるから気を付けて」

「はい……すみません」


 そうだ、加賀美さんからも言われてたのに。わたしったらすっかり忘れてた。この人がガイドだってことも……。


「申し訳ありませんでした」


 手を前に揃えて深々と頭を下げる。加賀美さんに教わった、立ち姿での最高級の謝罪の仕方だ。

 繰り返すけど、手が出たのは反省してない。あくまでも、顔を傷つけちゃったことへの謝罪。それ以外は許してないんだから。


「……まあ、額のコレが取れるまではどうせ待機になるだろうけど。やっぱりひどいんじゃない? 額だけじゃなくて頬まで殴るとかさぁ」

「だから、それはわたしじゃありませんってば」


 謝罪は受け入れてもらえたっぽいので頭を上げると、火村さんは若干拗ね気味に唇を尖らせていた。

 何度言えばいいんだろう、あれはわたしのせいじゃないもの。


「まあまあ、おでこの印が消えるまで寮で大人しゅうしとり。逃げ回ってばっかりで疲れてるやろ?」


 救急箱の箱を閉じながら寮母さんは苦笑を浮かべている。


「まあ……今回は多少」


 何かを思い出したのだろう、不意に火村さんは目をそらしてため息をついた。その目は暗い影を帯びている。


「ほな、そう中村くんに伝えとくわ」

「すみません」


 火村さんは素直に頭を下げると立ち上がった。

 先ほどまでのやりとりで、どちらかといえば我の強い人なのかなと思ってたんだけど。寮母さんの言葉には従うのかな。それともよほどのことがあったのかもしれない。


「じゃあ、僕はこれで」


 そのまま、火村さんはわたしの方を見ることもなく食堂から出て行った。

 なんだろう、この違和感。

 いや確かにわたしも悪かったとは思ってるけど。


「めぐみちゃん」


 じっと火村さんが消えた扉を見つめていたわたしの肩にぽんと手が置かれる。振り向くと、寮母さんが眉尻を下げてこっちを見ていた。困った、って顔に書いてある。


「めぐみちゃんが気にすることあれへんよ」

「――え?」

「あれ、うちがつけた印やから」

「は……?」


 内緒な、と人差し指を唇に当てて寮母さんが話してくれた。

 曰く、女の子が風呂に入ってる時に男の子が入ろうとしたら発動する罠、だったらしい。


「ごめんなぁ。ここのところ焔くんもおれへんし、めったに発動することなかったから忘れててん」

「そうですか」


 それにしても、あの印はどうかと思うけど。と言うと、寮母さん曰く、昔は男女混合の寮だと覗き見しようとする男が後を絶たなかったんだって。だから、見せしめの意味もあって額に印がしばらく残るような罠にしたんだそうだ。

 寮生が見れば、何をやらかそうとしたかが一目瞭然だから。


「ま、焔くんにはええ休みになると思うわ」

「わかりました。あの、お願いがあるんですけど」


 わたしはお風呂の予約制とか、誰が入ってるとかの表示を出せないか、と聞いてみた。このタイミングで言うのが最適だと思ったし、先延ばしにしてまたバッティングしたら、同じことの繰り返しになると思ったからだ。

 でも、寮母さんは首を縦に振ってくれなかった。


「みんなバラバラのシフトやし、一人風呂っていうわけでもないから無理やわ。たぶん、焔くんも次回からは気を付けると思うから」


 やっぱり彼が出ていくまでのしばらくの間だから、と言いくるめられてしまう。

 それもどうかと思う。

 寮に部屋があって、でも帰れないっておかしいよ。ストーカーにしろファンクラブにしろ、火村さんの迷惑になってるってわからないのかな。

 まあ、わたしとしては早く出て行ってくれたほうが安心できるけど、それとこれとは別。

 一か所に住み続けられないとか、どこの芸能人だって話。ここのほうがよほどセキュリティ高いよ? きっと。鍵がなければ入れないし。


「まあ、そういうことやから。めぐみちゃんももう寝ぇや」

「あ、はい」


 気がつけばもうずいぶん遅い時間になっていた。食堂から出て部屋に戻ろうとして、そういえば洗濯をしてないことを思い出した。

 なんだかんだばたばたしたおかげで、洗濯できなかったんだ。

 部屋に一度戻って、タオルとかなんだかんだを持ってお風呂場に向かうと、廊下に何か落ちていた。


「これ、眼鏡?」


 黒縁眼鏡。あの時手探りで探してたものだ。

 そういえば、さっきの火村さん、眼鏡してなかった。

 手探りで探してたってことは、これがないと見えないのかな。そう思ってかけてみたけど、視力だけは自信のあるわたしでは度が入ってるのかどうかわからなかった。

 でも、これがなければあのイケメン顔をさらしてるわけで。トラブルの原因でもあるわけよね。

 持って行ってあげるべきだろうか、と考えて火村さんの部屋番号を知らないことに気が付いた。

 寮母さんに預けようかと食堂に戻ってみたら、もう鍵がかかってて。

 とりあえず、洗濯物を洗濯機に放り込んでセットして、出来上がるまで眼鏡をじっと睨みつける。

 洗いあがった服を部屋に持ち帰って干してから。

 二階に続く階段の前にやってきた。

 部屋番号がわからないなら人の気配のある部屋を片っ端から当たればいい。眼鏡がなくて困ってるかもしれないし。困ってないかもしれないけど。

 いつも気になってた二階に上がる口実には、なるよね?


「……よし」


 二階にあがる階段の前で小さくガッツポーズを決めると、わたしは階段に足をかけた。

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