2.お祝い
兄貴の部屋に入ると、部屋の中にはごちそうが準備されていた。
「うわ、すごいっ」
「今日来るって言うから準備してたんだ。ケーキは幸からの差し入れだ」
フライドチキンにピザ、ケーキにサラダ。
田舎では容易に味わえなかったものばかり。もうよだれが出そう。
「改めて、就職おめでとう、萌」
兄貴もわたしたちも別に妖怪だからアルコール飲んだって問題ないんだけど、さっちんが妊婦だからね。コーラで乾杯する。
「ありがと、お兄。さっちん。ごめんね、さっきは誤解しちゃって」
「まったくよ。なんであたしが鉄と」
「でも、一時期お前、俺のこと好きだったろ?」
にやにや笑う兄貴は気が緩んだのか、耳と尻尾が出ている。名前のごとく真っ黒な毛並みなんだ。耳の先だけ白いの。
尻尾もふさふさ。兄貴のきれいな毛並みがうらやましかったんだよね。
「ばーか、いつの話してんのよっ」
そう返すさっちんもなんだか顔が赤い。
わたしも耳と尻尾を出す。赤猫と言われるくらい赤い茶の縞々。
「お前らが三歳ぐらいの時だっけな。萌と一緒に俺の後ろくっついて離れなかったのになー」
「あ、それ覚えてる。さっちんと初めて喧嘩した原因だよね」
猫の生を終えて化け猫になった時点で十八年は生きてたから、三歳って言っても人間の三歳とはわけが違う。中身は二十一歳だからね。
体が成長するのに合わせて力の使い方を学んでいくんだけど、わたしは三年目で十歳ぐらい、さっちんはもうちょっと大きかったっけ。地元の子供たちと遊ぶこともあって、どうしても体に引きずられることはあったっけ。
「そうそう。お前、あの頃よく言ってたからなあ。『お兄のお嫁さんになったげる』って」
「あ、あれは気の迷いだからっ。わすれてーっ」
中身が二十歳超えてるのに、お兄のお嫁さんとか恥ずかしすぎる。でもあの時は本気でそう思ってたっけな。
兄貴といっても、化け猫のわたしたちは血縁関係があるわけじゃない。
化け猫として生まれ変わったときの『親』が誰かってだけで。
生まれ変わったわたしを保護して『子供』にしてくれたのが今の母様。緋桜様。萌という名前も母様がくれた。
「で、どんな仕事なんだ?」
わたしはちょっと考えて、船のガイドの話をした。幽玄コースについては口外していいかどうか聞いたことがなかったから、いちおう言わないでおこう。
「へえ、船のガイドかぁ。萌の制服姿、見てみたい」
「あ、写真あるよ。ほら」
「うお、生意気。最新型じゃねーの」
支給品のスマートフォンを取り出すと、兄貴は新型だってかぶりついた。アプリを立ち上げて写真を見せると、さっちんと二人で見始めた。
「一度だけ体験乗船させてもらったけど、すごかったよ。次に船に乗るのは一か月ぐらい先じゃないかな。ずっと研修してる」
「うわー、なんか制服に着られてる感ありありだな」
「うるさいわね、サイズが大きかったんだもん、しかたないじゃない」
「でもかわいい。いいなー、こういう制服。あたしも着たかった」
「それにしても、支給品が最新型とか、いいよな」
「えへへ」
唯一兄貴に勝てるのがスマートフォンだけってのも悔しいけど、先に人間社会に出てる兄貴にはどうやっても勝てないから、それでちょっとだけ満足しておく。
「ここに映ってるガイドさんたち、みんなあんたと同じ妖怪とかなの?」
「んー、全員じゃないって聞いたよ。あ、その人はわたしの指導員で、加賀美恭子さん」
兄貴が加賀美さんが一人だけで映ってる写真をじーっとみてる。
すべらかな長い黒髪にすらりとした身長、グラマラスボディの加賀美さんって兄貴のもろ好みだもんね。
あ、そっか。今のさっちんは兄貴好みなんだ。まあ、本来の姿は白い髪だって知ってるからアレだけど。
「これ、あとで俺にくれ」
「だーめ。勝手に上げたりしたらわたしが怒られちゃうよ」
「そこをなんとか。てか、お前の指導員だっけ? 保護者としてご挨拶しにいきたいんだけど、いいか?」
「だめだってば。加賀美さん口説くつもりでしょ」
「そりゃーまあ、機会と隙があれば」
ぴぴっと黒い耳が動く。だめだ、こりゃ本気だ。絶対合わせないようにしなくちゃ。
そういえば、加賀美さんって何の妖怪なんだっけ。聞いた記憶がない気がする。
「あれ、これは?」
日置様と高梨様に挟まれて撮ってもらった写真だ。
「体験乗船の時のお客様。いろいろお世話になったの」
「へえ。ま、萌は年上キラーだからな。かわいがってもらえただろ?」
「えー? 何よ、年上キラーって」
「ああ、そうね。萌ってなんでかお年寄りとかには受けが良かったよね」
それは確かに覚えがある。
じいちゃんばあちゃんには本当にかわいがってもらったもんね。
「そういやお前、寮に入ったって言ってたな。見に行ってもいいか?」
「はぁ? なんで?」
「そりゃあお前が一人暮らしするところはちゃんと見て来いって婆様にだなあ……」
「だめだよ。ここみたいなアパートじゃないし、家族連れてきてもいいかどうかは聞いてみないとわかんないし」
「じゃ、聞いといて。婆様に一応報告しなきゃならないからさ」
結構しつこい。婆様の名前を出されると、弱いんだよね。
「女子寮だと思うから、お兄は入れないかもよ?」
「とにかく聞いといて」
「加賀美さんは寮にいないよ?」
「え?」
尻尾がぎゅいと揺れた。さっちんがくすくす笑い出す。
「鉄、わかりやすすぎ」
「……るせぇ」
がしがしと頭をかいてる。あ、ちょっと顔赤い。
「そんなに会いたいんなら、今度加賀美さんのシフト聞いてみようか?」
「頼むっ!」
両手を合わせてわたしを拝む。へー、兄貴のこんな姿、初めて見るなぁ。
わたしはさっちんと顔を見合わせ、二人してげらげら笑いだした。
「ひでっ、笑うなよお前らっ」
「いや、だってさぁ、鉄がそんなに必死なとこ初めて見たもの。本気なのねえ。写真だけで一目ぼれ?」
「……悪いか」
ぶすっとむくれた兄貴なんてめったに見られない。うわー、もしかして明日は雪が降るかしら。
しばらくおなかを抱えて笑ったあと、ぶんむくれた兄貴をなだめるために加賀美さんと会えるようセッティングすることを約束させられた。