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キャットシーツアーへようこそ! ~桜の園は花盛り~  作者: と〜や
第二章 わたし、がんばります!
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1.初めてのおやすみ

「ありがとうございました」


 研修室の出口で頭を下げる。

 今日の研修もきつかった。歩き方、お辞儀の仕方、笑い方。顔の筋肉が引きつりそう。くたくた。


「はい、おつかれさま。あ、そうだ。明日はお休みよね?」


 白板を消していた加賀美さんが振り返った。さらりとストレートヘアが広がる。いいなあ、ロングのストレートヘア。

 わたしの髪の毛は猫時代の名残で色素が薄く、茶色い。肩までで切りそろえていれば何とかまとまるけど、これ以上伸ばしちゃうとうねうねする。

 だから、腰まであるストレートはあこがれだ。


「はい」

「何か予定はある?」

「あっと……兄のところに荷物を取りに行こうかと」


 面接の後すぐ入社して、兄貴のところに行くチャンスがなかったんだよね。昼間に電話したからわたしがここに就職したことは知ってる。

 でも、荷物を持ってくるほど兄貴は暇じゃなかったみたい。


「そう。今は寮にいるのよね? 一階?」

「はい、そうですけど」


 加賀美さんも寮にいたことあるのかな。


「一人で困ってない?」

「いまのところは大丈夫です。寮母さんにもとっても良くしてもらってます。二階の先輩たちにはまだお会いしてませんけど」

「そう。何か困ることがあったら言ってね。研修が終わるまでは私が保護者みたいなものだから」

「はい、ありがとうございます」

「寮母さんにそのうちお伺いしますって伝えておいてくれる?」

「わかりました。じゃあ失礼します」


 もう一度頭を下げて扉を閉じると、退社手続きをとる。

 外に出ると、そろそろ桜は散るころで、はらはらと桜の花びらが降ってきた。





「え? 恭子ちゃんがそない言うとったん?」


 寮に戻って、帰り際に加賀美さんから伝えられたことを伝えると、寮母さんは細い眉を八の字に下げた。


「そう……ほならあの話、進めてもええってことやろか。いつ来るとかは言うてへんかった?」

「それは聞いてないです。そのうちってだけで」


 何か加賀美さんに不都合なことなのだろうか。寮母さんの反応が読めなくて、不安になる。


「あの」

「めぐみちゃんが心配するようなことあれへんよ」

「え」

「大丈夫。任せといて。さ、手ぇ洗っておいで。晩御飯は鶏のから揚げやで」

「あ、はい」


 寮母さんのいつもの艶やかな笑みに丸めこまれてしまい、結局わたしは何も言えなかった。



 ◇◇◇◇


「おにい


 アパートの鍵は預かってなかったから、扉をノックする。今日行くって話はしてあったし、時間も言っておいたはずだけど。

 何度かノックするとようやく応答があった。足音が近づいてくる。


「めぐか。……ちょっとまってろ」


 扉の覗き穴で確認したのだろう、兄貴はけだるそうにそう言ってまた足音が遠ざかった。

 くん、と鼻を動かす。

 あ。――兄貴のにおいのほかにもう一人。

 知らない人の匂いだ。――女の人の、におい。ファンデーションと口紅の匂い。

 女の人が兄貴と休みの朝に一緒にいるってことは。

 そう気が付いたとたんに顔に血が上った。


「あ、あの、お兄、ごめん。わたし、その。ごめん!」

「あ? おい!」


 兄貴の声が聞こえて慌てて踵を返す。タイミング悪すぎ。兄貴が彼女と一緒のところなんていたたまれないじゃないの。

 階段を走り下りる。あー、こんな時にパンプスなんか選ぶんじゃなかった。仕事で履くから慣れとかないと、と思ったのがあだになるなんて。

 パンプスが片っぽ脱げて階段の下まで落っこちる。

 仕方なく片足はストッキングのままなんとか下まで戻ってパンプスを拾ったところで腕をつかまれた。

 足音全然しなかったよ? 今。ちらりと見える兄貴の足は素足で、納得してしまう。


「萌」

「ご、ごめん。邪魔するつもりはなかったの」

「勘違いだ。こっち向け」


 嘘だ。その女の匂いがこんなにするのに。

 てか、こんな状態で兄貴の顔、見られないよ。


「とにかく部屋に戻れ。荷物取りに来たんだろ?」

「それ、あとで送ってくれればいいからっ」

「あのなあ。……お前が就職したってんで祝おうと思ってたんだよ。無駄にさせんな」


 声に怒りが乗っている。

 兄貴はめったに怒らない。私が多少バカをやったところで、人様に迷惑をかけない範囲であれば苦笑しながら窘める程度で。

 これは……わたしが悪い時の怒り方だ。


「……ごめんなさい」


 素直に頭を下げると、兄貴はようやく腕を解放してくれた。


「部屋、戻るぞ」

「……うん」


 浮かれてた気分はどこへやら。ずっしり錘のついた心を引きずって、わたしは階段を上がる。

 部屋の前まで来たとき、兄貴は扉の前から身をずらしてわたしに場所を譲った。


「え?」

「お前が開けろ」


 なんか企んでるのだろうか。そんな風には見えないけど。

 まあいいや、と扉のノブに手をかけて引き開けた。

 刹那、パァンと何かのはじける音がした。続いて火薬の匂い。

 身構えて体を低くしたところにひらひらとピンクや黄色のリボンが降ってきた。


「……え?」

「就職おめでとう!」


 部屋の中からだれか飛び出してきてわたしに抱き着いた。

 さっき嗅いだ知らない人の匂い。


「えっ」


 すぐ横に立っていた兄貴を見上げると、ポケットからごそごそと何かを取り出して紐を引っ張った。

 クラッカーの紙吹雪がわたしと知らない女の人の頭上に降り注ぐ。


「就職おめでとう。……ったく、サプライズでクラッカー鳴らしてやろうと待ってたのに」

「ほーんと。まったく早とちりして」


 私に抱き着いてる人の声。……ってこの声。


「……さっちん?」


 恐る恐る体を離してその人の顔をのぞき込む。

 わたしが化け猫になったときからずっと一緒だった幼馴染の変わり果てた姿がそこにはあった。


「ちょっと、あんた考えてることが顔に出てるわよ。ひどいなー、あんた誰って」

「だ、だ、だって、さっちん、あんなに真っ白な髪の毛……」


 さらさらの背中までの白い髪に赤い瞳が特徴の化け兎、さっちん。本名はなんだったっけ、もう忘れちゃったけど、その雪のような白さが今はすっかりない。

 白かった髪は黒くて腰までまっすぐ。真っ赤な瞳も髪の毛と合わせて真っ黒で、目の横に泣きぼくろまである。なんか妖艶っていうか……エロい。


「だって、白い髪に赤い目の女の子がこんな都会で歩いてたらろくな目にあわないでしょ? 周りに合わせてふつうにしただけよ」

「でもっ、全然知らない人の匂いになってて、てっきりお兄と恋人がいるんだとばっかり……」

「化粧の匂いと染め粉の匂いかな。目だけは婆様の秘術を使ったんだけど」


 その程度じゃわたしの鼻はごまかせない。

 何があったんだろう。この匂い……元の匂いは確かにするけど。


「それだけじゃねえだろうな。さち、結婚したんだって」

「えっ!」

「うふふー」


 兄貴の言葉にわたしは目を丸くした。

 ぺろりと舌を出して、嬉しそうに微笑んださっちんは、さらに下腹部をそっと撫でている。

 もうそれだけでわかる。

 そっか、女になって、妻になって、母になった匂いなんだ。


「さっちん、おめでとう」


 もう、わたしの就職祝いどころの話じゃないわよっ。

 抱き着いて彼女の黒い髪の毛に顔をうずめる。すん、と匂いを嗅いで、さっちんのにおいを覚えなおす。

 幸せそうな匂いだ。


「ありがと。めぐには一番に報告したかったんだけど、くろがねにすぐばれちゃって。ごめんね」

「ううん、いい。本当におめでとう。もう、わたしの就職祝いよりさっちんの結婚祝いしなきゃだよ」

「でも今日はめぐの就職祝いだからね」

「うん」


 額をくっつけてささやきあう。これも小さなころからの癖だ。


「とりあえず……部屋入らねえか」


 気まずそうな兄貴の声に顔を上げると、隣の扉がぱたんと閉じるところだった。住人の人が通ったんだろう。


「ご、ごめん。中はいろ」

「そうね、ごめんね、鉄」

「……まったくだ」


 げんなりした顔で兄貴は短い髪の毛をがしがしとかく。左右のこめかみに生えた白い毛がひと房ずつ揺れていた。

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