1.深青
ー忘れてはいけなかったもの、思い出すための呪い
吸い込まれる様な蒼と絵の具をぶちまけたように深い青。物理の法則通りに落ちていく身体。不思議と怖くはなかった。水面まであと少しってところで目を瞑る。叩きつけられるような感覚を背中に感じて、肺の中の空気が無理矢理吐き出される。目を開けると上には光を散乱して淡く輝く青と下には光を吸い込んでいくような碧が広がっている。何メートルか沈んだところで身体が浮力にしたがって水面まで押し上げられる。水面から顔を出してみると、そこにあったのは先程までの蒼だった。細い雲が流れ、心地良い風が吹き、小さな太陽がある。空は高い。突然、頭の上の方から声がした。
「はじめまして、だよね。ナギ」
声の主は僕の名前を呼んで手を差し伸べた。
「こっちに来るのは初めてでしょう?まずは自己紹介からだよね、私はカナエ。こっちの住人。よろしくね、ナギ」
馴れ馴れしい人だと思った。知り合いに似たようなテンションで似たような恰好の奴がいたけれど、思い出せなかった。
「でもさ、ナギ、君がここに来るのは少し早いんだよね。まだ来ちゃあ行けなかったんだよ。何も思い出していないし、何も知らないし、何より覚悟が無い」
「何の事ですか」
「それすら思い出せないんだろう?だったらまだここに来るべきじゃあなかったんだよ」
彼女の言っている内容が分からない。僕が一体何を忘れている。
「君があの出来事から目を背け続けて今日まで生きてきた結果、先程スクーターと自動車の接触事故に巻き込まれて死んじゃって、ここに来たってわけなんだけど、私は全然納得できないな。向き合う姿勢すら見せなかった君がこんな形でここに来たことが」
自動車事故の話は本当だった。交差点で信号待ちをしていたところに車が突っ込んできて、左腕があらぬ方向へ曲がって、その後突き飛ばされて意識がなくなったのをを思い出す。幸いここでは腕は無事だ。コンビニ帰りに来ていたパーカーも破れたりはしていない。
「だから、私は反省させる意味も込めて君に呪いをかける。君は思い出さなきゃいけない。絶対に。忘れちゃいけないんだよ」
彼女が僕の胸に手を当てる。鋭い痛みが全身を駆けて、すぐに消えた。
「これは君が記憶を取り戻してもう一度ここに来るための呪い」
彼女はどこか悲しそうに俺を見て、ポケットからサイコロを2つ取り出した。
「これから君に試練を課すことになる。多分かなりキツイ。でも、これをやらなきゃ君は前に進めない。覚悟がなきゃ向き合えない。私だってあまりやりたくはないけどやるしかない」
そう言って2つのサイコロの1つを水面に放った。もう1つは空に向かって投げた。
「大丈夫。ずっと見てるからアドバイスくらいはしてあげられる。でも君自身の力で解決しなきゃいけない。まずは彼女を見つけることだよ」
そこまで聞いたところで僕は光の柱に呑まれた。
「じゃあね。ノゾミが待ってるよ」
ノゾミ。よく知っている名前だった。忘れるべきではなかったあの名前。
消えゆく意識の中で見たノゾミと同じテンションで同じ恰好の彼女。カナエの顔はやはりどこか悲しそうにしていた。
暇だったので時間のある時に更新します