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ノヴァーリスの「ザイスの弟子たち」の一考察。「ザイスの学徒」 die lehrlinge zu sais  研究試論

作者: 舜風人

鉱山技師であり

自然哲学の研究者であり


ヤコブベーメの共感者だった


ノヴァーリスが新たな自然哲学のテーゼとして


自然の秘密の解明を試みた、これはそういうノヴァーリスの自然哲学のメルヒェンである。

彼にとって世界はやがて一つの統合されたメルヒェンの王国になるべきだという、

メルヒェンこそ未来の預言者であり

世界はポエムとメルヒェンでこそ解明できるというのだ。


そんなメルヒェンなるものはおそらくすべての人間の魂のふるさとであり、


世界夢(Der Traum in der Welt )であるという。



まあこれをですね。


今風に言い換えるならば、


自然に対する姿勢が


全一的、、総合的に  つまりは、、まるごと総身で、


とらえるということでしょうね。


今の科学の方法とは


分析的に細分化して


細かく細かくどこまでも細分化していく、、という方法でしょ?


その結果どうなったか?

自然の神聖さとか

包容性とか

そういう自然観はまったく無視されてしまった。


簡単に言えば


虹を見ても、あれは太陽光が大気に当たって透過する際の


プリズム効果です、、


ということになってしまって


虹は海の中から、、巨大なハマグリが噴出している


蜃気楼なんだよ、、


なんていうメルヒェン的な説明でもすればバカじゃないの?


なんて言われる現代ですよね。

はたしてそれでいいのか?


自然は分析して細分化して


そうして人間の猿知恵で

チャチなミニモデルを作れたらそれでノーベル賞で

OKなのか?


そうじゃないだろ、という現代科学への


抗議というかアンチテーゼが


ノヴァーリスの思想の淵源なんですよね。


「ザイスの弟子たち」というこの自然哲学メルヒェンは


そうしたノヴァーリスの自然研究に基づく自然と人間の根本的な融和が為されていた古代の理想への帰還の試みであり、


分断化された、、もう現代人には聴き取れなくなってしまった


自然からのメッセージ、、すなわち自然との融合


一体化、、


汎自然論を再提出する試みだったのだ。


人間はしょせんは自然の一部であり


自然の征服者になんかなれるはずもないのです。

空気が水が植物があるから人間も生き続けられる。


その空気は水は植物は誰が作りましたか?

人間じゃないでしょ?

自然が作っておいてくれたからこそ、

こうして人間は生きて行かれる。


そうです。


人間もタダの神の被造物にすぎないのですよ。


いくら威張ってみたところで


自然のおかげで活きられるだけなのです。

自然が無かったら、、即、、死ぬだけです。


その分際を忘れて?科学だなどというものを振り回して


自然を壊したい放題の現代人、


現代人などといっても


古代人と同様、このありがたい自然が養ってくれなかったら


即、、死ですよ。


人間は自然の一部です。


人間が自然征服などと公言するのは、神への冒涜です。


というか自殺行為でしかないです。


自然に守られて人間もかろうじてこうして生きて行かれるという厳粛な事実を忘れてはいけません。


森を切る人は自分のふとももを切っているのと同じなのです。

自然に逆らい壊して分析し、そのくだらないミニモデルを作ることなど愚の骨頂です。自殺行為です。




さて、


ノヴァーリスは「ザイスの弟子たち」の中でこう言う。


われわれの周りにある自然ナツール


たとえば貝殻、木の葉、岩、などすべてが実は

彼方からの暗号文字なのである、


無機物も有機物も本来、同一でありその間に断絶などはないのである。


そういう意味では物理学ほどファンタジーな学問はない。ノヴァーリスはそういう。


古代においてはポエムやメルヒェンは自然からの啓示であり貴重な贈り物だった。



しかし、やがて人間は自然を外在化し、断絶して、自然からの贈り物を受け取れなくなってしまったのだ。


自然を外に置き、、研究対象化し


壊し、、分断し、、揚句のはてには、、毒化?さえしたのだ。


その好例が「公害」ですよね。


そうして、人間の猿知恵で、自然の滑稽な、、あるいは


醜悪な毒でしかないようなミニモデルを作りそれで


「人間は自然を克服した。人間は自然を征服した」と


ぬか喜びしたのだ。


それがルネッサンス以来の実は愚かで醜悪な


近代自然哲学


自然科学の歴史というばかげた本性にすぎなかったのだ。


そんなものではなく、、、


求むべきはより高次の自然との一体化であり、今までぶっ壊してきた自然との和解だ。


それはまさにポエムの復権であり

自然との融和だ。


そして最終的に目指すのは



ポエムによる世界の再構築だ、



シラーはかってある著作において、ザイスの霊廟の碑文にこう記されているといった。



「死すべき人間になど、私のベールを外すことなどできない」と。


だが、、ノヴァーリスは「ザイスの弟子」の中の挿話である


「ヒヤシンスと花バラのメルヒェン」が描いているように、


融和は可能だという。


そのメルヒェンはこんなお話だ。


ヒヤシンスは真面目な学生で研究者、



ある長老から学問の本を渡されるがそれは彼の疑問を一層深めるだけだった、

ヒヤシンスはそんな時一人の少女「花バラ」と出会うが


彼女はやがて見失われてしまう。


ヒヤシンスの憂いは深刻で

悩みの元である疑惑の本を破り捨てて、迷い悩みながら


放浪と遍歴の旅にである。

やっと古代の魔法の国、エジプトにたどり着き、


ザイスの霊廟にたどり着き、


ザイスの霊廟の中のベールを外してみると、



そこにはあの、花バラがいたのだった。


愛とポエムによる


世界の


自然の再構築、


本からではなく、、


直観と清らかな愛こそが


自然の謎を


自然の霊妙な秘密を解き明かすのだという


メルヒェンです、


ノヴァーリスは世界の未来形はこうなるべきだと確信したのです。



すなわち、世界はやがて、高次元のメルヒェンとなり


詩の王国となる。



それがノヴァーリスの思い描いた世界であり


実現すべき


魔術的唯心論の



世界観であったのだ。


今我々が


聖なる自然に問いかけても


帰って来るのは


朧なそして不可解な


暗号のような呟きだけ、、、。


それを解き明かすすべは


現代人の


硬直した、、、、断片化した、、、分析しか出来ない


現代人の思考能力ではもう、無理なのだ。


そうではなく豊穣な古代人のようなポエムやメルヒェンのような、全一的な

包括的なとらえ方で自然の暗号を直観で読み取り、、、


つまり風の声を聴き、、

麦の穂のささやきを読み

川のつぶやきを心の奥で聴き取る、、、。


そういう魔術的観念論こそが今こそ必要ななのだ。

古代人はみんなそういう直観力を持っていてそうして自然を融和して生き延びてきたのだから。


そのように失った感覚を今こそ取り戻して、


愛に帰り


聖なる自然の懐に



全托しえたとき



すなわち


イシス女神の霊廟に


深く額づいたとき



やっと



人間は自然のベールを外すことができ


自然からの霊示を


受信することができ


失った自然との魂の交信を復活させることができるのだろうから。


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