憂鬱な受験生はアニメをアニメを観る
(高校三年生、大阪大学基礎工学部情報科学科志望、新学校に通学中だが塾には通っていない。また、夏休みが始めってから今日まで勉強らしい勉強はできず、そのまま夏休み最終日。
一人で自室に座ってタブレットでこの記事を書いているのが今。)
「はぁ。」
低いため息が閉ざされた部屋に広がる。
一階の親の喧騒は床を通して伝わってくる。
その度に私は身を震わせている。椅子に座るこの足は夏休み前に比べるとずいぶん細くなった。エアコンのつけっぱなしで乾燥しきった部屋で用意した水筒で水を飲み続ける。
部屋を出たくない。
それはなぜ?
もう何もしたくないのだ。
体に活力はもう残っていない。
受験生。高い望みを掲げていた。けれど夏休みで計画は狂った。全ては自分のせいだ。
もう手遅れなのだ。
そのうえで私は何をすれば良いのか。
受験勉強をしないといけない。
その思いはもう思いとしてしか残っていない。
行動につながっていない。現に先ほどまでYouTubeを見ていた。
そうなればその思いとやらは今度は私を苦しめる存在になる。
やらないといけないのに、今日もできなかった。
そんな感情が日を経つごとに積もっていく。
背中は段々とその重みに耐えきれなくなって曲がっていく。
顔は俯き始め、目は自信を失っていく。
ついには自暴自棄になり、活力も失い、楽しいとも思わないものに時間を使うようになる。
気づけば早く明日になることを望む自分がいる。
小学生の頃を思い出してみる。
クリスマスプレゼントを開けるのが楽しみで寝られなかった日。通販で親に注文してもらった玩具が届くまでの一週間が一生のように長かった記憶。
朝起きてから寝るまで喜怒哀楽でぎゅうぎゅうだった思い出。
今の干からびた目玉はそんな世界を映しているだろうか。
今、目の前に広がっている光景はそういったものだろうか。
一日千秋。
そんな四字熟語とは対極にある今の自分。
思わず昔の希望と幸せに溢れていた過去の自分に八つ当たりしてしまいそうだった。
睨む目が鋭くなっていることに液晶の反射で気づく。
「もう、おしまいだ。」
歩く姿は醜い。もう誰からも愛されない。おしまいだ。
こうなってしまう人は何も珍しくない。
大勢いる。
受験生だから、というわけではない。
何かに追われていた人、何かの課題があった人。
そのどれもに可能性がある。
辛いことだ。悲しいことだ。
けれど何かのきっかけで大きく変わることだってあるんじゃないのか。
何か些細なことで「おしまい」を「はじまり」にできる人だっているのではないのか。
はっきりいって全て感情の中の話でしかない。個人の心の話だ。
ある日、目覚めた時考え方が180度変われば「おしまい」は「はじまり」になるんじゃないのか。
しかし当人がこんなことを考えることはない。考えることさえ億劫なのだから。
私はそんな時、たまたまYouTubeではなくDMM TVを開いてみた。
それだけのこと。
DMMTVでおすすめ欄に載っていた「魔法少女リリカルなのは」が目に入った。
自作絵です…なのはです
「なんだろう、これ。」
乾いた指はそっとボタンを押した。
黒い画面でリロードする。
私はヘッドホンを装着した。
始まったのは少女の物語。
願いと魔法が未来を救う希望の物語。
対極にあった二人の少女の出会いの物語。
気づけば次の話に手を伸ばしていた。
頬杖をつき、眉間に皺を寄せ、時々息を吐く。
時には身を乗り出すこともあった。
私の瞳には確かに躍動する彼女たちが映っていた。
決して折れずに戦い合う二人の魔法少女。
その勇姿は冷めきった私の心を再燃させる。
視聴を止める。
ただ映像を観ていただけ。
けれど確かに視聴前と視聴後でその背中は見違えて変わっていた。
そして今、私は文字を打っている。
結果としてはただ、勝手に怯えて自信をなくした受験生がアニメを観てやる気を取り戻した話でしかない。
けれどその中で蠢いた感情のとぐろは想像を絶するほどに巨大で、心の空を覆う黒雲を晴らしたのは決して些細なことではない。
私は彼女たちのおかげで息を取り戻した。
しばしばアニメは現実逃避のものと揶揄される。
それが私は好きではない。
現実逃避であることを認めるとしても、けれどだからと言って糾弾されてもよい理由にはならない。
精神的に追い込まれた人が現実逃避しなければ何をするのだ?
精神的に追い込まれた過去の私のような人が現実逃避せずに今すぐ現実と向き合うべきなのだったらそれは間違っている。
さらに追い込まれるから。
物事には何においても緩急が大切だ。
追い込まれたのなら一度逃して送り出す。
凹んだのなら一度休ませて戻るのを待つ。
現実逃避だけし続けて現実に戻ろうとしないのは確かに問題だが、
緩急の範囲内の現実逃避は良いことではないのか。
つまり、現実逃避をすることに非があるのではない。むしろそれをいけないことだと考える風潮に非があると私は思う。
だから私はこの受験期間、しっかりとアニメを観る。
それは一人で戦わなければならない私の現実逃避先だから。
そう言葉を打ち込んだ後の私の肩はやけに軽かった。
夏休みが始まる前の頃のような懐かしささえ感じた。
部屋は広く感じた。久しぶりにカーテンを引いた。
寂れた住宅が映るだけの窓でも見ないよりは幾分もマシだった。
空は綺麗だった。
白い綿雲の合間で翼を生やした翼人の背中が見えた。
懐かしい笑みが溢れた。
これからどうなるのだろうか。
受験はどういう結果になるだろうか。
気にはなる。
けれどどんな結果になったとしても、またアニメを観ればなんとかなるのだろうな、と
そんな漠然な思いはなぜか正しいと思えた。




