第七章 麗琳の真実
救出作戦の成功から数日後、私は沈麗琳の真の過去について、衝撃的な真実を発見することになった。
その夜、私は杜月笙の書斎で翌日の会議の資料を整理していた。彼は重要な商談のために外出しており、屋敷は静まり返っていた。そんな中、私は偶然、彼の金庫の中に隠されていた一通の古い手紙を見つけた。
それは麗琳の筆跡で書かれた、杜月笙宛ての未発送の手紙だった。日付は三ヶ月前、私がこの身体に転生する直前のものだった。
手紙には、麗琳の驚くべき正体が綴られていた。
沈麗琳はただの娼婦ではなかった。彼女は青幇のライバル秘密結社「紅幇」のスパイだったのだ。北京の名門官僚の娘として生まれた彼女は、辛亥革命で家族を失った後、紅幇に拾われ、復讐の炎を胸に秘めて育てられた。
海上花に身を沈めたのも、革命組織の指令だった。フランス租界の政治情報を収集し、清朝復辟のための資金源を確保することが彼女の任務だった。
だが、手紙にはさらに衝撃的な内容が記されていた。麗琳は、ある日本人男性と恋に落ちていたのだ。
その男の名前は甘粕正彦。日本陸軍の特務機関員で、関東大震災の際に朝鮮人虐殺に関与したとされる危険人物だった。彼は満州から上海への一時転任中に、麗琳に接近したのだった。
最初は任務として彼に近づいた麗琳だったが、次第に本当の恋愛感情を抱くようになった。そして甘粕もまた、麗琳の美貌と知性に魅了されていった。
しかし、愛の代償は残酷だった。甘粕は麗琳の素性を探り、彼女が紅幇のスパイであることを突き止めた。そして、それを利用して紅幇の組織を日本軍に売り渡そうとしたのだ。
全てを知った麗琳は絶望した。愛する男に利用され、裏切られた彼女は、復讐を誓った。甘粕を殺し、自らも死ぬつもりだった。
手紙はそこで途切れていた。おそらく、復讐を実行する前に何者かに殺されたのだろう。そして、その時に私の魂がこの身体に宿ったのだ。
私は手紙を読み終えて、深いため息をついた。沈麗琳の人生は、私が想像していた以上に複雑で悲劇的だった。愛と裏切り、革命と絶望。それは典型的な時代の悲劇だった。
そして、私は理解した。なぜ私がこの身体に転生したのか。麗琳の無念の思いが、時空を超えて私を呼び寄せたのかもしれない。彼女の果たせなかった復讐を、私が代わりに果たすために。
その時、書斎のドアが開いて杜月笙が入ってきた。商談を終えて戻ってきたのだった。
「遅くまで起きているな」
彼は私の表情の変化に気づいた。
「どうした? 何かあったのか?」
私は手紙を彼に差し出した。杜月笙は黙ってそれを読み、やがて深刻な表情になった。
「これを知っていたのですか?」
「薄々は感づいていた」
彼は椅子に座り、疲れた様子で額に手を当てた。
「麗琳の正体が普通の娼婦ではないことは、最初から分かっていた。だが、まさか紅幇のスパイだったとは……」
「では、なぜ私を側に置いたのですか?」
「お前が麗琳ではないからだ」
彼の答えは意外だった。
「最初にお前と会った時から、何かが違うと感じていた。声の調子、仕草、考え方。全てが麗琳とは別人だった」
私は驚いた。彼は最初から、私が別人であることを察していたのだ。
「それでも、お前は麗琳の身体を借りて生きている。だから、麗琳の過去もお前の過去になる」
彼は立ち上がり、窓から外を見つめた。
「甘粕正彦のことだが、奴は近々上海に戻ってくる。満州での工作を終えて、次の任務のためにな」
私の心臓が激しく鼓動した。甘粕正彦。麗琳を裏切り、殺した男。彼が上海に戻ってくるなら、これは復讐の機会かもしれない。
「あなたは、私が復讐することをお許しになりますか?」
杜月笙は振り返り、私を見つめた。
「俺には止める権利はない。だが、復讐は慎重に行え。甘粕は単なる軍人ではない。彼の背後には日本軍の特務機関がついている」
その夜、私は一人で麗琳の記憶を辿った。彼女と甘粕の出会い、恋愛、そして裏切り。その全てが鮮明に蘇ってきた。
甘粕正彦は三十代半ばの男だった。精悍な顔立ちで、軍人らしい規律正しい生活を送っていた。だが、その内面には冷酷な計算高さが潜んでいた。彼は任務のためなら、どんな卑劣な手段も使う男だった。
麗琳は彼の優しさに騙された。甘粕は巧妙に彼女の心を操り、愛情を利用して機密情報を引き出していたのだ。
だが、麗琳も単純な女性ではなかった。最終的に甘粕の正体を見抜き、復讐を決意するだけの強さを持っていた。
私は麗琳の意志を受け継ぐことにした。甘粕正彦への復讐。それは私の義務でもあり、この時代への介入でもあった。甘粕のような人物を放置しておけば、より多くの悲劇が生まれるだろう。
私は杜月笙に相談した。
「甘粕正彦を排除する方法を考えています」
「危険すぎる。奴の背後には関東軍がついている」
「だからこそ、です。彼のような人物を放置しておけば、日中関係はさらに悪化します」
私は未来の歴史知識を使って、甘粕の将来の行動を予測した。彼は満州事変の黒幕の一人となり、数多くの中国人を殺害することになる。今のうちに排除しておけば、多くの命を救えるかもしれない。
杜月笙は長い間考え込んだ。
「もしやるとしたら、どんな計画だ?」
「川島芳子を利用します」
私の提案は大胆だった。川島芳子と甘粕の間には、日本軍内部での権力争いがあった。それを利用して、彼らを対立させるのだ。
「芳子に、甘粕が彼女の失脚を狙っているという偽情報を流す。そして甘粕には、芳子が彼の機密を中国側に売ろうとしているという情報を流す」
相互不信を煽り、最終的に彼らを潰し合わせる計画だった。
杜月笙は私の計画を検討した。
「リスクが高すぎる。失敗すれば、我々が日本軍の標的になる」
「でも、成功すれば大きな利益があります。日本の対中工作に大きな打撃を与えられます」
最終的に、杜月笙は私の計画を承認した。だが、条件があった。
「必ず成功させろ。失敗は許されない」
復讐の計画が始まった。それは同時に、上海の政治情勢を大きく変える可能性を秘めた危険なゲームでもあった。