エピローグ 歴史の彼方で
2010年の春、東京の私立大学の研究室で、私は再び意識を取り戻した。
目の前には、見慣れた光景があった。古い資料の山、コンピューターの画面、そして壁に貼られた上海租界の地図。私は元の倉科玲に戻っていた。
だが、何かが決定的に変わっていた。私の記憶には、沈麗琳として過ごした濃密な時間が、鮮明に残っていたのだ。
机の上には、私が書きかけていた論文が置かれていた。「1920年代上海租界における娼館システムの社会的機能について」。
私は論文を読み返した。そこには、文献からの推測と理論的な分析しか書かれていなかった。血の通った人間の営みが感じられない、乾いた学術論文だった。
私はコンピューターの画面に向かい、新しい章を書き始めた。
「第四章 花魁たちの生きた現実」
私は沈麗琳として体験した全てを、学術的な文章に昇華していった。もちろん、転生という超自然的な体験については触れなかった。だが、当時の女性たちの心情、政治情勢の複雑さ、そして人間関係の機微について、これまでにない深い分析を加えることができた。
論文は完成し、学会で発表された。その斬新な視点と深い洞察は、大きな注目を集めた。私は一躍、中国近代史研究の第一人者として認められるようになった。
だが、私にとって最も重要だったのは、別のことだった。
2015年、私は初めて上海を訪れた。学会の招待講演のためだった。
上海は更に発展していた。超高層ビルが林立し、地下鉄網が張り巡らされ、世界的な金融都市として生まれ変わっていた。
講演の後、私は一人でフランス租界の旧市街を歩いた。多くの建物は保存され、カフェやブティックとして利用されている。
海上花記念館も訪れた。そこには、当時の花魁たちの写真や資料が展示されていた。その中に、沈麗琳の写真もあった。
美しい女性だった。私が鏡で見慣れたあの顔が、古い白黒写真の中で微笑んでいる。
説明文には、簡潔な紹介が書かれていた。「沈麗琳、海上花で最も美しいと謳われた花魁。1928年に謎の死を遂げた」。
私は写真を長い間見つめていた。そして、心の中で彼女に語りかけた。
あなたの人生を無駄にはしませんでした。あなたの体験した全てが、私の中で生き続けています。
その夜、ホテルの部屋で、私は新しい小説の構想を練り始めた。学術論文ではなく、一般の読者に向けた物語として、上海租界の女性たちの人生を描こうと思ったのだ。
翌年、『魔都の花』というタイトルの小説を出版した。それは沈麗琳の人生をモデルにした、歴史ロマンス小説だった。
小説は大きな話題となった。多くの読者が、1920年代上海の複雑で魅力的な世界に魅了された。そして何より、当時を生きた女性たちへの理解と共感が深まった。
私は講演会で、よくこう語った。
「歴史とは、書物の中にあるのではありません。それは名もなき人々が必死に生きた、その息遣いの中にこそあるのです」
それは、沈麗琳として生きた体験から得た、最も大切な教訓だった。
2020年、コロナパンデミックの中で、私は再び上海を訪れた。今度は、沈麗琳の墓参りのためだった。
小紅はもう亡くなっていたが、彼女の家族が墓の場所を教えてくれた。上海郊外の小さな墓地に、質素な墓石があった。
私は白い蓮の花を供え、静かに手を合わせた。
「ありがとう、麗琳。あなたとの出会いが、私の人生を変えました」
風が吹き、花びらが舞った。まるで彼女が応えてくれているようだった。
墓参りの帰り道、私は杜月笙の旧邸宅も訪れた。今は博物館として保存されており、多くの観光客が訪れている。
彼の書斎には、当時の調度品がそのまま残されていた。私が座った椅子、眺めた窓、そして夜な夜な歴史の行方について語り合ったあの場所。
全てが昨日のことのように思えた。
博物館の説明員は、若い女性だった。彼女は杜月笙について、熱心に説明してくれた。
「杜月笙は単なる暴力団のボスではありませんでした。彼は上海の近代化に大きく貢献し、多くの文化人や革命家を保護しました。特に興味深いのは、彼のそばに謎の女性参謀がいたという記録です」
私は驚いた。
「女性参謀?」
「はい。詳しい資料は残っていませんが、沈麗琳という花魁が、杜月笙の政治的決断に大きな影響を与えていたという証言があります。彼女は類稀な先見性を持ち、多くの的確な助言を与えていたそうです」
私の心は温かくなった。沈麗琳の功績が、歴史に記録されていたのだ。
「その女性は、どうなったのでしょうか?」
「謎に包まれています。ある日突然姿を消し、二度と戻ってこなかったそうです。ただ、杜月笙は生涯、彼女のことを忘れることはなかったと言われています」
私は微笑んだ。杜月笙も、私たちの絆を大切にしてくれていたのだ。
その夜、ホテルの部屋で、私は日記を書いた。
「今日、私は確信した。人生には偶然はない。全ては必然的に繋がっている。私が沈麗琳として生きた時間は、決して夢ではなかった。それは歴史の一部となり、多くの人々の心に影響を与え続けている」
2025年、私は定年を迎えた。最終講義のテーマは「歴史と個人~時代を生きた女性たちの物語」だった。
講堂は満員だった。学生たち、同僚の研究者たち、そして私の著作を愛読してくれた一般の聴衆たち。
私は語った。上海租界の女性たちについて。彼女たちの勇気と知恵について。そして、歴史の中で名前を残すことができなかった無数の人々について。
「歴史学者の使命は、過去を記録することだけではありません。過去に生きた人々の心に寄り添い、彼らの人生に敬意を払うことです。そして、その体験を現代に活かすことです」
講義の最後に、一人の学生が質問した。
「先生の研究は、まるで実際にその時代を体験されたかのようにリアルです。何か特別な研究方法があるのでしょうか?」
私は微笑んで答えた。
「想像力です。そして、過去に生きた人々への深い愛情。それがあれば、時間と空間を超えて、彼らの心に触れることができるのです」
それは嘘ではなかった。転生という体験があったからこそ、私は真の想像力と愛情を身につけることができたのだから。
定年後、私は小説の執筆に専念することにした。『魔都の花』の続編として、杜月笙の生涯を描いた『上海皇帝』、川島芳子の物語『東洋のマタ・ハリ』など、次々と作品を発表した。
どの作品も、歴史の中に埋もれた人々の人生に光を当てたものだった。読者からは「まるで実際に会ったことがあるかのような人物描写」と評価された。
私にとって、それらは単なる小説ではなかった。かけがえのない思い出を、物語という形で永遠に残す作業だった。
2030年、私は75歳になった。健康で、まだまだ執筆意欲は衰えていない。
最近、不思議な夢を見ることがある。上海の街を歩いている夢だ。1920年代の上海ではなく、現代の上海。だが、街角で懐かしい人々に出会う。
杜月笙は若いビジネスマンの姿で現れ、相変わらず鋭い眼光で私を見つめる。花影は優雅な老婦人として、温かく微笑みかけてくれる。小紅は可愛らしい少女の姿で、私の手を引いて街を案内してくれる。
そして時々、沈麗琳自身も現れる。白いドレスを着た美しい女性として。彼女は私に言う。
「ありがとう。私の人生を大切にしてくれて」
私は答える。
「こちらこそ、ありがとう。あなたのおかげで、私は本当の歴史学者になれました」
夢の中で、私たちは手を取り合って歩く。過去と現在、そして未来へと続く道を。
目覚めた時、私はいつも幸せな気持ちに包まれている。人生は素晴らしい。どんな困難があっても、愛する人々との絆があれば、乗り越えることができる。
私はまだ、新しい物語を書き続けている。今度は、現代の上海を舞台にした作品だ。急速に発展する都市の中で、過去の記憶と向き合う人々の物語。
主人公は若い歴史学者。彼女は古い建物の中で、不思議な日記を発見する。そこには、1920年代に生きた一人の花魁の物語が綴られている……
それは、私自身の体験を、新しい世代に伝える物語になるだろう。直接的ではなく、象徴的に。しかし、真実を込めて。
歴史は繰り返す。だが、同じことが起こるわけではない。過去の教訓を活かし、より良い未来を築くことができる。それが、歴史学者としての私の信念だ。
そして、沈麗琳として生きた体験が、その信念をより強固なものにしてくれた。
人生は一度きりではない。私たちは様々な形で、様々な時代に生まれ変わり、互いの人生に影響を与え合っている。愛は時を超え、絆は死を超える。
私は今日も、新しいページに向かう。ペンを握り、物語を紡ぐ。過去と現在、そして未来を結ぶ物語を。
魔都上海で始まった私の冒険は、まだ続いている。形を変えながら、永遠に。
机の上には、一輪の白い蓮の花が飾られている。それは、沈麗琳からの贈り物。そして、私自身への約束の印。
歴史の中で出会った全ての人々への愛を込めて、私は書き続ける。
今日も、明日も、そしてこれからもずっと。
―――了―――