第十章 新たな人生への旅立ち
1960年代に入ると、日本は高度経済成長の時代を迎えた。私の喫茶店も、時代の波に乗って繁盛していた。
私は表向きは四十代の美しい未亡人ということになっていたが、実際には沈麗琳の身体の老化は極めて緩やかだった。転生の奇跡か、玲の肉体は1928年の麗琳の年齢から再スタートしたように、緩やかに年を重ねていた。
常連客の中には、大学教授、作家、画家、そして若い研究者たちがいた。彼らは私を「マダム」と呼び、知的で魅力的な女性として慕った。
特に印象的だったのは、若い歴史学者たちとの対話だった。彼らが近代中国史について議論している時、私は時折、貴重な「資料」を提供した。
「実際の上海租界は、もっと複雑で人間的だったのではないでしょうか」
私はさりげなく意見を述べた。
「文献では分からない、人々の生の営みがあったはずです」
若い研究者たちは私の言葉に興味を示した。私の知識の深さと、独特の視点に魅力を感じていたのだ。
時々、上海租界について質問されることがあった。私は微笑んで答えた。
「それは本で読んだ知識ですが……」
嘘ではなかった。私の知識の多くは確かに本から得たものだった。ただし、それが未来の本だったというだけで。
1970年代に入ると、中国では文化大革命が起こっていた。私は日本にいながら、故郷の混乱を心配していた。かつて私が救出を手助けした人々は、この動乱をどう生き抜いているのだろうか。
1976年、毛沢東が死去した。中国は新しい時代を迎えようとしていた。私は既に六十代後半になっていたが、まだ美しかった。
その年の秋、一通の手紙が届いた。上海からだった。差出人は「海上花記念館」となっている。
手紙には、海上花が博物館として復元され、当時の花魁たちの資料を集めているとあった。そして沈麗琳に関する情報を求めていた。
私は手紙を読み返し、複雑な心境になった。私の過去が、歴史として研究されている。それは奇妙な感覚だった。
私は手紙を燃やした。過去は過去のままにしておくべきだった。
1980年代、中国は改革開放政策を始めた。上海も急速に近代化が進んでいるという報道を見ながら、私は感慨深い思いにふけった。
1990年代、バブル経済の狂騒の中で、私は静かに喫茶店を閉じることにした。もう十分に生きた。そして、最後の旅に出ることにした。
行き先は上海。六十年ぶりの魔都。
上海浦東国際空港に降り立った時、私は言葉を失った。かつての小さな農村地帯に、未来都市のような高層ビル群が聳え立っている。
市内に向かうリニアモーターカーの中から見る上海は、私が知っている都市とは全く別の場所のようだった。だが、黄浦江は変わらず流れており、外灘の古い建物群も保存されていた。
私はフランス租界の古い街並みを歩いた。石畳の道は舗装され、リキシャの代わりに自動車が走っている。だが、建物の佇まいには、かつての面影が残っていた。
海上花があった場所には、小さな公園ができていた。案内板には、この地域の歴史について簡潔な説明が書かれている。「20世紀初頭、この一帯には高級娼館が軒を連ね、政財界の要人たちの社交場として機能していた」と。
私は公園のベンチに座り、夕陽を眺めた。遠くから聞こえるクラクションの音は、かつてのリキシャの鈴の音のように聞こえた。
そこで私は眠りについた。穏やかに、満足して。
翌朝、公園の管理人が美しい老女の遺体を発見した。彼女の手には一輪の白い蓮の花が握られていた。身元は分からなかった。ただ、その美しい顔には満足そうな微笑みが浮かんでいた。
地元の新聞に小さな記事が載った。「身元不明の老女、公園で静かな最期」。記事は短く、大きな注目を集めることもなかった。
だが、その記事を読んだ一人の老人がいた。かつて海上花で働いていた元侍女の小紅、今は八十歳を超えた彼女だった。
小紅は新聞の写真を見て、確信した。これは間違いなく沈麗琳だった。六十年の歳月を経ても、その美貌は変わらなかった。
小紅は密かに遺体を引き取り、手厚く葬った。墓石には「沈麗琳」とだけ刻まれている。
だが、これで私の物語が終わったわけではなかった。
なぜなら、私は再び目覚めたからだ。今度は、21世紀の東京で。