とあるサラリーマンの日常
色々丁寧に正確に自分なりに雑にならないように気を付けながら務めていたら、全部背負い込むような形になっていてにっちもさっちもいかないけれど、なんとかかんとか励ましながら仕事してきた社会人としても入社してからも何年目かの働く青年の話しです。
ぶつかった拍子に、勢いあまって後ろに下がり、溝に足をとられ、尻もちをついた。
「ぶっ殺すぞ、てめぇ」
真正面に立つ大きな身体から、大きな声が上がる。
「ぶつかって、ごめんなさい。痛くなかった?」
よくよく見ると、大きな身体から延びる足の傍には白い棒が見えた。
「これって……」
戸惑っている間に、「フン。へなちょこが」と言って、白い棒で地面を軽く叩くようにして確認しながら、避けて移動していきました。
「ムカつく」
立ち上がり、お尻の部分を手で払ってから、去ろうとする背中に鋭いまなざしを向けて言いました。
「謝っていけ!」
「?」
「おじさん、謝ってよ。お互い謝って、気を付けましょうねって言い合ってお別れするもんじゃないんですか?」
「ハッ、何がじゃ、ぼけ。貴様は見えているだろう!」
「それは関係ないでしょ! お互いぶつかってしまったことに謝り合うんですよ、身体は大丈夫か確認し合うんですよ」
「うるさい、ぼけ。おまえは見えているならお前が判断せい。見えんのだワシはっ!」
「そんなもん判断付いてますよ! あなたにも認識していただいて確認していただきたいんです。つまり知っていて欲しいのです。”何があった?”で”知らん”では困るんです!」
「どういう意味だ?」
「どういう意味も何も、誰かが確認しなくちゃって気を揉んでらっしゃるからじゃないですか! 当然です! 自分も気を揉むタイプです。なので知っていてください。あとで何か言われて第三者に”知らん”では困りますから。案件が進みにくくなってイライラするんですよ。嘘を付けない人に無理に嘘をつかすようなものです!」
「なんのこと言っとんねん?」
「なんのこともないですよ。だから、あなたもこのことにどんなことだったのか関心を持って知っておいてください。そして出来れは”すまんな”くらい言ってくださいよ。泣いてしまいます」
「なんじゃそりゃ。どんな理屈だ?」
「うわぁああぁあぁん」
「えぇえぇぇぇええ?! ホンマに泣きおった」
「なんで聞いてくれないんですかぁ~」
逃げないように近寄って、腕をとる。
「残業な気分になるんです。いや、なってるんです、今。
「いや、知らんがな」
「もう、そんな処理嫌なのにぃ~!!後で改めてって、人もその場にいるわけじゃないんですよ。いちいち誰か居たか、どこの人か、今会えるか確認してからアポ取って、お伺いして質問に答えてもらったうえで、確認作業しなくちゃいけなくって、そのうえ、書類作成して提出しなくちゃいけないんですよ。自分の責任で。なのに、”知らない”や”忙しいんで”って言われるんですよ! もう!! そんな案件はごめんです!」
「な、なんやっていうんや?」
「自分が関係している案件くらいせめてスムーズに処理できるように進ませてください。いや、そうします、もう!!」
「もう、もうって。まったく。なんやっていうんや」
「ズズズっ」
「腕はずして鼻拭きーや」
「……」
「どこにもいかんから」
「……わかりました」
カバンからティッシュを出して、盛大に拭く。他の人の目を気にする余裕はなかった。むしろ見たいなら見ろ、いや、見てみろ!!
という危ない思考も見え隠れしているようにどこかで思いながら、せいのっと、鼻をかんだ。
「ぶぶぶぶぶぶぶぶぶっ」
「変わった音すんな」
思いのほか出てきた鼻水は一枚のティッシュでは受け止めきれなかった。汚いので、持つ手を前に突き出す。
「汚い!?」
見えていないはずの大男は、後ずさった。
「勘ですか?」
「冷静に質問すなッ! あっち行け!」
「持っててください。ティッシュと袋出すので」
「厭やわ! そんなもん、持ちたない」
「もう、しょうがないなぁ」
仕方がないので、地面にそっと置いた。
頭上から、「なんでワシが悪いように言われなかんねん」とぶつくさと呟く声が聞こえる。しゃがんだまま、カバンからティッシュを出して、地面に置いた物を包み、また地面に置き。こんどはカバンから袋を出した。携帯用の小さなゴミ袋だ。かさかさビニール袋特有の音が聞こえたのだろう。大男は何の音だかわかったようだった。
「袋まで持っとるんかい?! 変わったやっちゃなぁ~」
「意外と役に立ちますよ」
袋に入れて、口を結び。目の前に差し出す。
「なんか、やめい」
「なんでわかるんですか?」
「嫌がることだってわかっててやってんな、さては、きさま!」
「はい、謝ってくれないので、いたずらレベルの仕返しです」
「おっ?! おまっ?! おまえはなんだ、恐ろしいやっちゃな、計算したうえでしよるんか」
「まぁ、たまに。俺だってね。いいでしょ、そんなことは」
ビニール袋をカバンにしまう。
「何しおった? 今、袋どうしてん?」
「えっ。カバンにしまいましたけど」
「はっ?! カバンにしまった? きったないもんを?」
「そうです。汚いから袋へ入れたんです。これで大丈夫です……つぶしてグシャッてならない限り。最悪、袋から出なければいいんです」
「ホンマに……なんちゅーか、オカンか?」
「何言ってるんですか? 世のお父さんお母さんがなされていることは大半が世のため家族のため子供のため自分のため地域のためでしょうが。むしろそう言っていただけて光栄ですよ」
「出来てるってことですからね」と呟いた。
カバンから名刺を出す。裏に、ボールペンで一筆書く。
「今俺の名刺に何があったか書いておきますから。事情が知りたい関係者さんに何か聞かれたらこれを渡してください」
「いや、そんなことせんでも」
「まだ言いますか。いいから、はい」
白い棒を持つ手と反対の手に握らせて、その場を離れた。
振り向いて一言言っておく。
「ケガはないでしょうけれど、サポートしてくださっている方に今日のこと伝えてくださいよ!」
「……」
「いいですね?」
「……」
「いいですね?」
「し、シツコイやっちゃな。行け!」
「いいですね? 分かりましたね? じゃなきゃ今その方と連絡とり合いますので連絡先教えてください」
「なんてやっちゃ。真面目過ぎるやろ?」
「今、その感想ですか?」
「わかった、わかったから」
「いや、言ったか言ってないか、悶々するのは嫌だ」
「は?」
「連絡します。今すぐ。教えてください」
「いや、お前、落ち着け」
「お、落ち着いてます」
「落ち着いてる奴は、人の両腕持ったりせんわ」
「あっ!? すみません」
「ホンマけったいなやっちゃなぁー」
「わかりました。落ち着きますので、お電話お願いします」
「はぁ。わかったわ。もう、従うから。もうやめたってや」
「まるで俺を悪者みたいに言わないでくださいよ」
携帯電話を出そうとしてくれているようで、カバンに手を入れて出そうとしてくれている。
「操作して相手へかけられますか?」
「掛けられるようにしとるで、安心しーや」
「わかりました。お願いします」
「ああ、分かった。待っとけ」
かけてくれたのだろう。耳に当てだした。電話に出るのを待っているんだ。
「あ、もしもし、ワシや。鳳や、鳳つばさや」
「っ、すごい名前」
「うっさいわ、ぼけ。いや、こっちのことだ。すまんのー今いいか? あぁ、それがのう電話せいってうるさーてのー」
「何言ってるんですか!? もう、出来事はそこからじゃないでしょう? 説明してください相手の方へ」
「あぁ、分かった、分かった。まぁ、あれだ。ぶつかってしまったんじゃ。人とじゃ、物じゃない。今声聞こえただろう? そうその声の主とぶつかったんじゃ。……。いや、やくざやチンピラじゃあらしませんがな、ただの男や」
「……なんかやな説明の仕方」
「どう、って、まぁ、ぶつかって、相手はたぶん転んだんやな。いや、だからな。いやいやいや、どんだけ酷いケガさせてると思ってんねん。ちがうわ、そんなケガしてない、はずや。な?」
「はい。してません」
「ほれ、見てみいしてないって言うてるやんか。あってるやろ」
「電話で誰にどう確認しているんですか? そのセリフは。幽霊だったら怖いです」
「そんなわけあるかい。いやこいつが変なこと言うてくるから。なんでワシが挟まれなあかんねん。自分で説明しー!」
「わかりました。お電話変わります」
「もしもし、只今お電話口変わりました。安藤芳樹と申します。初めまして、突然のお電話申し訳ありません。いえいえとんでもない、詐欺でも何でもありません。先ほど説明がありました通り、接触自己がありました。つきましては、ご本人様から何かこのことについての案件をお話になられたはいいが、”知らん”などと詳しく教えてくれないそんなイヤーな思いをしたくないかと思いまして、えぇ。私としましても、後日第三者交えて話すことに若しなったりして、”知らん”と言われるのは埒が空かないことになるのは嫌なので、ぇぇ。あーやっぱりそうですか。あぁー、そうですもんねー、えぇぇぇ、あーそんなことが。それはそれは。お大変でしたんですねー」
「いや、何の話になっとんねん!」
「しーいっ」
「なぁ?!」
「そこで、えー名刺を渡して……はぁ、えっ?! まぁ……確かに。わかりました。はい、では今私の電話番号を伝えますので、えぇ、登録宜しくお願いします」
自分の携帯電話の番号を口頭で伝えた。
「もし万が一、怪我されていたよなんてことがありましたら、お手数ですがご連絡して頂いてよろしいでしょうか? えぇ、あっ?! それは、大変助かります。こちらもそちらの携帯番号登録しておいて構いませんか? 確実に電話かかってきたら音が鳴るように。どうも登録してない番号からの電話は着信音ならなくて。申し訳ありませんが、よろしいですか? あぁ、ありがとうございます。これで気を揉まなくて済みます。感謝します」
「……なんてやっちゃ、ホンマに」
「失礼いたします」と通話終了のボタンを押してから、先ほどかけていた番号を表示させて、自分の携帯番号に入力を始めた。
「ん? 携帯は? 何しとるんや?」
「さきほどかけていた電話番号を登録しております」
「なんや、それ了解取ったんか?」
「了解は得てますよ」
「ホンマかいな?」
「ホンマですって」
「ホンマって、お前」
「移りましたね、口調が」
「ありがとうございました」と言いながら携帯電話を大男こと、鳳つばさ氏へ返す。
「おお、やっと返ってきた」
「なんですか、その言いぐさは」
「お前も、大概やろ」
「あなたにだけは言われたくありません。それからごめんなさいは、癖にならない程度で構いませんから、いうようにしてくださいね、もう、まったく」
「もう、もう。いう子やのう」
「あなたのおかげで牛になりそうです」
「ウマないからな」
「知ってます。ウマくいおうともしてません」
「なんてやっちゃ」
「もう、結局威圧的なのかビビりなのか、どっちなんですか?」
「お前は、平然となんちゅーことを聞くねんて!? 喧嘩売っとんのか?」
「もうお別れですよ、いいですか。お時間です。ほな、さいなら」
「なめとんやろ、結局」
「もう、家に帰ってお酒をあてと一緒にチビチビと舐めながら頂きたいものです。それでは」
「……ワシも呑たなったわ」
自宅の冷蔵庫にアジの刺身が入っている。これを魚に、買っておいた安くて日本のお酒業界を支えてきたメーカーの日本酒を飲もう。慰めてくれる戦友よ。
足取りが軽くなって、頭の中は楽しい楽しいクリスマスのプレゼントとケーキを頂ける楽しさに包まれた。
ーブーブー。
携帯電話で設定しておいたアラームが鳴った。スケジュール用のリマインダーだ。
そういえばと頭に思い浮かぶは、予定表の文字。
ージム。
「あぁーそうだった。ちょっとどこかで休憩してから、ジム行く予定だった。忘れてた。もうそんな時間なのか?!」
ちらりとさきほどの鳳つばさ氏の顔が浮かぶ。
「なんちゅーやっちゃ」というセリフがなんどもあった。
そのセリフだけで時間取られた。かなり話をしてしまっていたのか。30分くらいは時間かかったわけだ。
パッと済むやり取りのはずなのに。
電話口から聞こえた明るい女性の声を思い出す。
―お体大丈夫ですか? お怪我はありませんか?
良い人だ。有難い。かなり、いや、かなりという言葉のチョイスすら失礼に思えるほどに感謝をしている自分がいる。
あぁ、言ってもらえた。欲しかった言葉。
一気に親しみがこもってきて、鳳つばさ氏を抜きに話しがしたい衝動にかられた。
俺こんなにも誰かに慮ってもらいたかったんだな。疲れてるんだな。
アラームを止めて、時間を確認する。
ジムの時間にここからの移動だと、時間が間に合わない。
「もしもし、はい。そうです。声で? すごい、初めていわれました。はい、あっ、いえいえ身体は大丈夫です。すみません。今外なんですけど、今いる位置からじゃ予定の時間に間に合いそうになくて。申し訳ありませんが、30分近く遅れてしまうと思うのですが空いてますでしょうか? あぁ、よかった。ではそれで、宜しくお願いします。失礼します。ではまた」
空いていた。マンツーマンでついてくれるトレーナーさんの時間が空いていた。よかった。
いるといないとじゃ、意識からくる筋肉の力の入れ具合が違うから、有難いんだ。数少なくしても、やった実感と効果が現れてくれるから助かってる。
気を取り直して、ジムへと足を急いだ。
社会人になって数年たった。
俺も自分自身大人の仲間入りをしてきて、出来ることが増えた。ひとりでも任されるようになった。出来てきているんだ。ここまで来たんだ。また、自分をもうひとつ上へと駆け上がっていくんだ。
無理せず、自分で自分を愛し、励まし、叱り、見守り、聞いてやるんだ声を。そうして一緒に進んでいくんだ。これからも。
青年にとってもすっきりとしたエピソードとなって、新たに前進していることを願いします。
遠慮せずに年上や肩書など関係なく、伝えておかなければならない事柄はありますので、どんな者どうしでも業務連絡としてでもいいので伝えあえる関係がいいですね。
その場にとってその場の人にとって、一番いい方向に事が進むよう転がりますようにしましょうね。