6話
「王妃殿下が勝手にぼくとアルベルの婚約破棄を認めたってこと?」
ピエールが訊けばリュビは眠そうに欠伸をしつつ、事情を話した。
「おれがアルベルを引き取ってレッドライン家がアルベルを虐待していた事実が露見したろ? 王妃の家柄と親しく、今まで王妃の計らいで甘い汁を啜ったレッドライン家を快く思わねえ連中は機会を得たとばかりに王妃の責任を追及した」
王妃様は私の虐待に何も関わってなかったとは言え、家同士の繋がりが強く、王宮で強い発言力を持たせていたレッドライン家の悪事が明るみになると王妃様の責任が問われた。私を引き取る筈だったのはキャメロット公爵家で、権力が集中して公爵家の力を削ぎ落したい機会を狙っていた陛下を焚き付けたのは実は王妃様だった、という体にしたのだ。
王妃様は無実だと叫んだようだが、レッドライン伯爵夫人が王妃様に私の生活状況を嬉々として語っているのを王宮に仕える侍女達が聞いていて、自身の身を案じた数名が告白したお陰で嘘も真実味が増した。
「ここ十年、お前達の家の力はかなり削がれたみたいだな。貧乏くさいぜ」
「なっ」
散々贅沢な生活を送り、貴族の地位にいる自分達が絶対だという態度を取っていたレッドライン家にとって、このリュビの台詞は刺さったに違いない。
現にレッドライン伯爵令嬢はピエールに掴まれていた腕を離してもらうも、またすぐに激昂する様子でいる。
伯爵の方も激昂寸前だが、此方はある程度分別を弁えている分大人しい。
「伯爵家を建て直すには資金援助をしてくれる貴族家が必要。が、おれやキャメロットに睨まれているお前達と縁を結びたいなんて物好きは生憎と王国にはいない。悪徳貴族か商人くらいなもんだ」
「レッドライン家は王妃様にとって大事な家だから、私とピエールの婚約を破棄してキャメロット家と縁を結ばせ、財政を建て直そうって魂胆だったの?」
「そういうことだ。まあ、所詮王妃一人の暴走だ。最終的な決定権は国王にある。ま、その国王ももう間もなく権力を失う」
は? と漏らしたのは伯爵達。私やピエールも知らない。
「もうじき、王太子が王の座に就く。キャメロットが裏で手を回して国王と王妃を失脚させる段取りを随分前からしていた」
「王太子殿下か……なら、当面の間我が家は王家と友好的な関係を築けそうだ」
キャメロット家を嫌う現国王と違って王太子殿下は非常に友好的だ。キャメロット家の協力を得ることは、王家の力を存続させる為に欠かせないと子供の時から解し、キャメロット家を嫌う国王夫妻の影響を受けた振りをしつつも密かに交流を持っていたらしい。ピエールは次男であまり接点はなく、私がリュビと暮らしてからは社交にもあまり出席していない。長男の方が積極的に王太子殿下と交流をしていて公爵と共に秘密裏に動いていたのだと推測。キャメロット家に帰ったら一度聞いてみるとピエールは溜め息を吐いた。
「知らされてなくて嫌だった?」
「ううん。少しは思うけどぼくはアルベルと結婚したら、社交界に殆ど顔を出さないつもりだから、下手に政治に関わらせないようしてくれた父や兄に感謝はしているよ」
この家での暮らしは主にリュビに依頼を持ってくる客人の対応だ。簡単な内容なら私やピエールだけで最近請け負っている。生活費もナイトレイ家が毎月一定の金額を送っている。リュビは断っているがリュビと接点を持ち続けたいナイトレイ家側は聞こえないフリをしていて、溜まる一方の貯金に偶には家族で旅行に行っても良いかなと計画を立てている最中だ。
「じゃ、じゃあ、アルベルティーナとピエール様は婚約破棄されないの……?」
レッドライン伯爵令嬢の声でまだ二人がいたことを思い出した。
「みたいだね」
「そんな、わたくし、ピエール様の婚約者になれるって嬉しかったのにっ」
「知らないよ。恨むなら独断で決めた王妃様を恨むことだ」
ふらりと横に倒れた娘を支えた伯爵は縋る目で私を見てくる。どうしてここで私に助けを求めるのかな。
「私を見ても何も意味がありません。伯爵、ご令嬢を連れてお帰りください」
「アルベルティーナ、八年間も一緒に暮らしていたんだ、少しは助けようと思ってくれないのか?」
「伯爵は一度でも私を助けようとしたことはありましたか?」
「……」
無言。つまり、一度もない。
「伯爵にその気がなかったように、私にもありません。お帰り下さい」
此処にいても無駄だと悟った伯爵はご令嬢を連れて馬車に乗り込み、漸く帰って行った。
「なんだか疲れた……」
話をしていただけなのに二人が帰ると一気に疲労が押し寄せた。
「同感。どうして散々虐げて来たアルベルに助けを求めるのか、理解不能だよ」
「私とピエールの婚約破棄が王妃様の独断で決められたことで良かった。もしも陛下が本当に認めていたら……」
「どうかな」とピエールは仮に陛下が婚約破棄を決定したとしても、王太子殿下が即位すれば、婚約破棄の取り消しがすぐにでもされていたと語る。
「陛下が我が家を嫌っているのは王国に住む貴族なら皆知っている。最後の悪足掻き程度にしか皆思わなかっただろうね」
己の懐を潤す考えしかない国王夫妻と大魔法使いのリュビと親しく他国からも一目置かれるキャメロット公爵、どちらに味方すれば利があるかは、賢い貴族なら判断がつく。
「それにしてもリュビ。レッドライン家が来るって分かってたのに熟睡しないでよ」
「一度寝たら暫く起きれないの。良いだろ、肝心な時に起きてやったんだから」
「それはそうかもしれないけど」
ピエールすら知らなかった王妃様の独断という事実があったお陰で二人は帰ってくれた。もしもリュビが来なかったら、未だに話が続いていた。
「アルベル。家に入ろう。牧場主の奥さんから貰ったクッキーを食べよう」
「そうだね。あ、なら、搾りたての牛乳をホットミルクにして一緒に頂きましょう」
「ああ」
ほら、とピエールに差し出された手を取って家に入った。後ろにリュビも続く。
「リュビも食べるよね?」
「食べる食べる。そうだ、おれが起きた時ミレーゼから連絡があったぜ」
「お母さんから?」
ミレーゼは私を産んだ母の名前。共に森へ行った影響で私と母の年齢差は親子でありながら十歳の差しかなく、親子というより歳の離れた姉妹だ。産んだばかりの娘と次に会った時は八歳になってしまっていてもお母さんは私を泣きながら抱き締めた。
——ごめんなさいアルベルティーナ
何度も謝られた。
命懸けで私を産んでくれたお母さんを恨むなんて全然考えていなくて、本当の母と会えて嬉しかった。
現在二十八歳になったお母さんは、昔からの夢だったパン屋を開店。運営は軌道に乗り、週に一度三人でパンを買いに行っている。四人で住もうと提案を一度したら、自立した生活をしてみたいというお母さんの希望で離れて暮らしている。毎日リュビが様子を見に行っているから寂しくはなく、私とも週に一度は必ず会うから不満はない。
「ホットミルクにチョコレートを入れよう? 甘いホットミルクが飲みたい」
「ハチミツは?」
「ハチミツまで入れたら甘すぎるような気がする」
「ぼくはハチミツも入れようかな。エヴァを見ているだけですごく疲れた」
言葉通りピエールは深い溜め息を吐いた。
嵐が過ぎ去れば、訪れるのは平穏。
「ピエールのホットミルクはうんっと甘くするね」
「そうして」
レッドライン伯爵達は今日を最後に二度と来ることはないだろう。
もしも、来てしまっても必ず追い帰す。
私が望むのは、私とリュビとピエールの——平穏な三人暮らし。
最後まで読んでいただきありがとうございます。