85 俺、愛朱香の塔を訪れる。
下書きで申し訳ありませんが、先に投稿します(近日中に推敲したものに変更しますが、内容に大きな変更はありません)。
追記:すでに清書のものに差し替えてあります。
いよいよ予選当日だ。
昨日、俺はスザクと共に異邦街を訪れていた。理由はもちろん、憲兵によって殺されてしまった彼女について、何か情報が得られるんじゃないかと思ったからなのだが、目立った収穫は、全くといっていいほどなかった。結局、俺は今後の人生で、あの子がどういう人だったのか、なんの手がかりも得られないままなんだろう。
控えめに数回、鳴らされるノック。
こんな朝早くに何事だろうか。
自慢じゃないが、俺は寝起きがいい部類の人間だ。数少ない自分の特技だといっても、いいかもしれない。
戸を開けてみれば、風の羽根亭の主人が、俺に客人だと手招きをしている。
疑問は浮かんだが、仕方がないので、訝しみながらも俺は階下へとおりていく。
確かに、タマーラ商会の女は、当日の朝に迎えに来ると話してはいたが、いくらなんでもやりすぎだろう。非常識な時間帯だ。
自分勝手というのもそうだが、こんなに早くては、拳闘士たちの試合だって始まらないはずだ。悪い意味で、タマーラとの類似点を隠せていない彼女に、俺はいくらかの疎ましさを覚えながら、入り口の扉を開けていた。
「えっ? ラウラ……」
呆けたように俺は独り言ちる。
外で待っていたのは、不機嫌な俺の予想に反して、呪術師のラウラだったんだ。
俺を押しのけるようにして侵入して来たラウラは、すぐに扉を閉め、そのまま辺りを警戒するように、きょろきょろと見回している。
「どうかしたの?」
過剰な反応をしているラウラを心配して尋ねれば、彼女は俺のほうに顔をぐいっと近づけて、小声で怒鳴っていた。
「決まっているでしょう!? 痛鎌咒の件よ」
「あぁ……。もう解呪できたんだ、さすがだね。だからって、こんなに急いで届けてくれなくても――」
俺の言葉を遮るようにして、ラウラは妖刀を押しつけて来る。
やや強引だが、受け取るのはやぶさかではない。
この機会に、使い忘れていた自分のスキルを発動しようと思った俺は、ラウラに隠れて世界攻略指南を開く。たとえ、解呪によって情報の更新がなされていたとしても、どのような働きの呪詛だったのかくらいは、分かるのではないかという推測によるものだったのだが、そこには俺の思ってもみないことが書かれてあった。
つまり、この痛鎌咒というのは、往年の強大な呪術師によって作られた、正真正銘のやばい妖刀だということ。難しいことは俺にはよく分からないが、要するに、ラウラは解呪に失敗したのだろう。
ちょっとの間、現実逃避をしたくて、俺は細めた目で遠くを見つめながら、かひゅーという気の抜けた呼吸をくり返していた。
「……」
いつまでも背中を向けているわけにもいかないので、俺は何度か首を横に振って、頭をリフレッシュさせてから彼女に向きなおる。
「ありがとう……なんていうか、すごく頑張った気配は伝わって来るよ、うん。大丈夫」
……スザクのせいだ。
スザクが俺に余計な気づかいをしたのがいけない。どうせ、俺が持っていても大して使えないんだから、あのまま宝物と一緒くたにして、まとめておけばよかったんだよ。
なんでこう、俺が受け取る女の子からの親切心って、正しい方向に進まないんだろう。どうしてバグが発生しちゃうのかね? もうこれ、なくしたことにしようかな。
その辺に捨てていこうと考えている俺のことを、見通してのものなのかはちょっと不明だが、がしりと俺の肩を掴んだラウラが、いかにも深刻な顔つきでかぶりを振っていた。
「よくないわ! いったでしょう? もしも解呪できないようなら、あなたの旅に同行してでもやりきってみせるって。さっ、いつ王都を立つつもりなのかしら? 今日? 今日よね? 今日がいいわ、そうしましょう!」
「えっ? でも、それはさすがに悪いよ。ラウラは王都の人じゃん。それに、俺たちだって、もうちょっとここにいるつもりだし」
ソーニャのお別れ会だって催したいし、何より爽班たちとも約束をしてしまっている。たぶん、王都にはあと1週間くらい、滞在することになるんじゃないだろうか。
(冗談じゃないわ! 何が王都で有名な呪術師よ! 私の実力で、こんなレベルの解呪依頼ばかり来たら、職業生命が終わっちゃう! これ以上、変な噂が立つ前に店じまいよ)
俺の発言に、なぜだかラウラは頬の筋肉を引きつかせている。
「後生よ! これはそう……う~んと、私のプライドの問題なの! うん、プライドの問題!」
「本当に? なんかずいぶんと考えこんでいたみたいだけど」
「みなまで言わせないでちょうだい! 分かるでしょう!? お金での迷惑はかけないから!」
今にも泣きそうな顔でラウラが迫って来る。
別に、俺は彼女に意地悪をしたくて、こんなことを言っているわけじゃない。なんなら、俺にとってラウラの提案は願ってもないことだった。
異邦街で味わわされた無力感と、目の前であっさりと人を殺されたことによる失望で、ここ最近の俺は、劣等感を刺激されてばかりだったからだ。それを思えば、嘘でも救われると言ってくれるラウラの存在は、とてもありがたい。……ほいほいと仲間に加えると、また、ドロシーに叱られるかもしれないけど。
「……いいよ、一緒に行こっか。でも、こいつの解呪は、別に完遂しなくても全然平気だからね」
たぶん、無理だと思うし……。
ぱあっと安堵したように、表情を明るくするラウラ。その後、起きて来たドロシーたちに、簡単に事情を説明すれば、案の定と言うべきか、ベロニカやコズホゥゼが俺にジト目を向けて来ていた。……コズホゥゼの白眼視は、ちょっと新鮮かもしれない。
ただ、意外だったのは、ドロシーが何も言って来なかったことだ。ため息をついただけで、そこに怒りの色は見えない。なんら憤りを覚えないくらい、呆れさせてしまったのかと、俺は不安になったが、その不安を直視するだけの時間的な余裕はなく、ほどなくして今度こそ本当に、タマーラ商会の人間が訪れていたんだ。
こちらも、この前の女1人ではないかという予想に反して、男女の2人組だった。いつかの、性別不詳の美青年もいる。
土壇場で、ラウラをどうするのか少しもめたのだが、なるべく王都の中を出歩きたくないようで、彼女はかたくなに同行を拒否していた。
「それではゼンキチ様以外はこちらに」
驚く俺をよそに、例の女が告げる。
「だから、いったでしょう? 個人的にタマーラ様からの要望があるって」
それを受け、ドロシーとスザクが目線を合わせて来たが、心配は無用だろうと大きめにうなずいておく。相手がタマーラ商会なので、多少の嫌がらせを受けることはあるかもしれないが、肉体的に傷を負うことは少ないだろう。その点は、タマーラを信用している。裏を返せば、そういう意味でしか、俺はタマーラを信頼していない。
何がなんだかいまいち判然としないまま、俺はドロシーと別れ、女と2人きりになった。
雰囲気はもちろん最悪だ。言わなくても感じ取ってくれ。
なんの声掛けもなく、女は歩きだす。
自分から話をするべきか迷ったが、俺は意を決して口を開く。タマーラ商会の女というだけで、俺は彼女のことを誤解しているかもしれないと、思いなおしていたからだ。
「タマーラ商会も商人牙行にあるの?」
「そうね」
……だとしたら、どうして俺たちは、西のほうに向かって進んでいるのだろう。商人牙行の位置は、この前カリスたちと共に訪れていたので分かる。商業区画の北側だ。現在地からなら、北東へ歩くのが正解になるだろう。
「……。あっ、タマーラが、今そこにいないってこと?」
「……。……うん」
いくばくかの間を空けてから、彼女は答える。難しい質問ではないはずなので、意図的に会話のテンポを遅らせたような感じなのが、微妙に引っかかる。
そのまま俺たちは、船番所にまで到着していた。
船番所っていうのは、王都の水運で小舟の乗降に使われている場所だ。もっと単純に、仮設の港と表現してもいいのかもしれない。ここでお金を払って小渡に乗ることになるのは、すでに俺も経験済みだ。物流の場合は、小渡よりもでかい大渡という船が用いられるのだが、俺たちに縁があるのは、もっか小ぶりの船だけだろう。
乗船する以上、行き先はもはや1つしかない。
「へぇ、意外。タマーラでも住民区画とかに用事があるんだ。……あぁ、それともソーニャを迎えに行って――」
「あのさぁ。さっきからタマーラ、タマーラってなれなしく呼んでいるんだけどさ、せめてタマーラさんにしてもらえる?」
ぎろっと睨んで来る目の前の女に、俺はげっそりとした気分だった。
「……あぁ、うん。ごめんね」
「それに、外部生の選手なら、前日の昼には愛朱香に入っているでしょう?」
「そっか。じゃあ、俺たちはどこに向かっているわけ?」
俺の質問は聞こえなかったのか、船乗りに代金を渡して、彼女は小渡へと乗りこんでいく。
ところで、王都はこの人工河川で、それぞれの区画を分断しているわけだけど、その河川自体がどこの区画に属するものなのかは、決められていないらしい。ちょっと迂遠な言い回しをしてしまったが、河川の上で揉め事が起きたとき、対応するのはどの憲兵になるのかという話だ。
近くの憲兵が対応することもままあるようだが、ここでは船乗りに一定の裁量が認められているという。つまり、渚瑳の町なんかとは違って、ここでは船乗りと呼ぶより、粛僚と呼んだほうが正確なんだろう。実際、この船乗りたちの集団としての組織は渡守粛僚で、公的な性格を多分に帯びていた。
彼女より手渡された硬貨を、水夫の男はまじまじと見つめ、やがて合点がいったとばかりに深くうなずく。俺も促されるまま、小渡に乗船していた。
「珍しいですね、ユーフェミアさん。あなたが王宮区画ではなく、クラスティアナ領のほうに向かうなんて」
「あなたって、暇さえあればお喋りしますよね」
誰にでもすげない対応のようで、ユーフェミアは興味のなさそうな視線を男に返す。
だが、そいつは決してめげない。
「えぇ、だって俺、ユーフェミアさんに親しみを覚えていますもん」
……いきなり何を言いだすんだ。
第三者である俺の存在を見落としているのかと、突然の告白にぎょっとしたが、どうやら恋愛的な意味での発言ではないらしい。
「ユーフェミアさんって、王都の出身じゃないでしょう? 俺、分かるんすよ、臭いで。かくいう俺もそうですから」
「そのレベルじゃ、ここだと珍しくもなんともないんじゃない?」
そう言って、ちらりとユーフェミアが俺のほうを見やる。
確かに、俺も都外の出身だ。……というか、ワールドの出身といっていいのかさえ、疑問が残る。だが、どうにも彼女がここで言わんとしていたのは、俺のことじゃなくてスザクのことだったらしい。それに俺が気がついたのは、だいぶ時間が経ってからだった。
水夫曰く、俺たちが向かっているのは、クラスティアナ領とのこと。住民区画を素通りして、無理やり北東に移動するのだ。
ここは愛朱香にある小エリアの1つだ。王都の建設に多大な貢献をした貴族を、ほかの貴族たちから明確に分離するべく作られたのが、クラスティアナ領になる。
コロシアムの位置するメーベルフレヨ競技場も、愛朱香の中にあるのだから、なぜわざわざドロシーたちと別れたのか、俺はもやっとした思いを抱いたのだが、結局のところ、ルートを分離したほうが、お互いの目的を早く達せられるからのようだった。それに小渡を使えば、運賃もかさむ。
俺たちの目的地とはほかでもない。
豪華絢爛な建物がひしめくクラスティアナ領の中でも、ひと際重要な施設と目されている愛朱香の塔だった。……全く関係ないが、今朝は酔い止めを飲んでいるので、到着早々ゲロをぶち撒けるという、お得意のパフォーマンスはおあずけだ。
「タマーラ……さんは、ずいぶんとすごいところで暮らしているんだね」
長大な白亜の塔をしげしげと見上げながら、とんちんかんな台詞を吐けば、いよいよ不機嫌になったユーフェミアが、俺のことを訝しげに見返していた。
「あなた、さっきから何を言っているわけ? タマーラ様はお忙しい方だけど、人と会う時間くらい、必要に応じて作れるに決まっているじゃない。あなたに会おうと思えば、いつだって会えるでしょう? 思い上がらないでくれる?」
……タマーラより口が悪い。
「……。じゃあ、なんでこんなに日付が遅くなったのさ。もう今日は試合の本番だよ?」
これなら、予選が終わってからでもよかったんじゃないのか。
「そりゃ、無理にでも試合の前に、会わせたかったからに決まっているじゃない」
「誰によ?」
「あなたも名前くらいは聞いているんじゃないの? ハヤテだよ」
その言葉を聞いた俺は、いつかのユーフェミアの台詞が、自然と思い起こされていた。
『そりゃ、王族からの覚えもいいんだし、貴族連中なんかもっとでしょう? わたしにとっては不本意だけど』
ようやく発言の真意が分かった気がする。
ハヤテはタマーラの切り札だからこそ、ユーフェミアはハヤテに依存するタマーラを、好ましく思っていないんだ。
「つまり、ここって……」
「えぇ、そうよ。丸ごと全部がハヤテの所有物」
ハヤテの出自は貴族でもなんでもないだろう。
桁違いの待遇に、俺はぎょっとしながら、愛朱香の塔を見つめなおしていた。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




