83(後編) 俺、合同作戦のお誘いを受ける。
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職人街へと向けて足を進めるワルサールの背後から、若い女の声が響いた。
「ま、待ってくださいよ、小隊長!」
声の主に覚えのあったワルサールは振り向き、そうして足を止める。彼が憲兵の死神であると知っている者が見れば、その噂からは想像できない良心的な対応に、きっと腰を抜かしたに違いない。
「や、やっと追いついた……」
ぜえはあと肩で息をする女を見るにつき、呆れた表情で、ワルサールは頭上に向けて指をさす。
「アホか。ちゃんと天橋を使え」
なんのためにあるんだと言いたげに、自分をジト目で見返すワルサールに、ルネは思わず抗弁をする。
「えぇ……だって、使ったらみなさんいい顔をしないじゃないですか」
憲兵が利用するための天橋。
これを使う者への嫌悪には、大きく分けて2つの理由が存在していた。
それはいずれも、場所に起因するものだといってよい。
専門家はとかく、素人にケチをつけられることを嫌うものである。見当外れの指摘を笑って流せるのは、少数派だ。大多数の人間は、相手の無知をあざ笑うか、そうでなければ己の言葉が重要視されないことに対して、強い不満を露わにする。
憲兵は実に7つもの種類に区分されるが、その中でも商業区画を管轄しているのは、第4の部隊に所属する憲兵である。当然、彼らは司法機関の人間であるため、自分たちが取り締まるべき犯罪については、嫌というほどよく知っている。しかし、犯罪行為に詳しいことは、商業に詳しいことまでを意味するわけではない。商業区画――中でも、多数の店屋がひしめく、市場広場で行われる犯罪というのは、万引きや追い剥ぎといった通常の犯罪のほかにも、経済と密接に関連したものが、どうしても存在してしまう。
例えば、業界全体の値上げである。
これが急激な需要による正当なものなのか、それとも談合に基づく計画的なものなのか。内部の事情に精通していない外野の憲兵が、これを1から調べて追及するのは困難だ。不可能ではないにしろ、極めて高いコストを要求されることになる。
このような問題にあっては、憲兵が闇雲に介入するよりも、広く当事者たちの意見を集めたほうが、スマートなことは自明であろう。そして、それは内部の人間であればあるほど、適切な人物と接触できることを含意している。
こうした名目のもとで、市場広場にあっては、自治ギルドに幅広い裁量が認められている。すなわち、公的に権力の一部を譲渡された組織――粛僚である。ただし、市場広場の上空に広がる、貴族たちのためのショッピング街は、鬻安粛僚の権限を超えているため、素直に憲兵の到着を待たなければならない。
専門的で小難しい話を、できれば自分たちで対処したくないという憲兵側の動機と、外部の人間に余計な口出しをされたくない、という商人側の動機。これらが緊密に結びついたものこそ、市場広場にある天橋の積極的な利用を、住民たちが嫌っている1番目の理由である。とりもなおさず、それは鬻安粛僚の職域に対して、憲兵が踏みこんで活動していることの、明示的な態度として映ってしまうのである。
現実の事情を反映したルネの台詞に対し、ワルサールは強弁な手段をもって一蹴する。
「相手が粛僚だからって遠慮なんかするな」
「そうなんですか?」
「向こうは単に、ビジネスへの影響がなるべく少なくなるよう、早期の解決を目指すっていうだけだ。要するに、当事者の仲裁をするための有象無象。犯罪者をどうこうしてやろうっていう、当然の心意気はまるでねぇ。重大な犯罪は、結局俺たちに引き渡さざるをえねぇんだからな。ぶちかませ。犯罪者を減らすのは、市場広場だろうとどこだろうと、俺たちの仕事だ」
「それは小隊長が乱暴だから、みなさん何も言わないだけで……」
「何か反論がありそうだな?」
ぎろりとワルサールが部下を睨むと、ルネはその場で飛びあがって敬礼をする。
「いえ、なんでもないであります!」
職人街へと、一応は先を急ぐ。
それこそ天橋を使ったほうが、目的地へと早くたどり着けるのだが、ワルサールは現場の雰囲気を掴むため、急行しないときは意識して、一般道を用いている。不必要な遠回りにつきあわされるルネは、いつも体力的にへとへとになっていたが、その行動に対して彼女が文句をいうことは、意外にも少なかった。
東へと足を向けるたび、段々と生鮮食品を売る店屋の数が減っていく。
用途の分からない雑品や、奇抜なメニューがあからさまに顔を覗かせるようになるのは、繁華の中心から離れてしまったことの、ある意味宿命なのだろう。
やがて、それも終わり、ついには職人たちのエリアが前方で手を振っている。
先に来ていたほかの憲兵と合流したとき、第4憲兵の活動が市場広場――延いては、商業区画全体で消極的になっている、2番目の理由が見えて来た。こちらもまた商人の世界らしく、根っこにあるのは金の問題だった。憲兵の1人が、店主から金を巻きあげていたのである。
そこは適法ではない、怪しげな商品を販売している店として、その業界ではよく知られた場所だった。
ワールドにおいて、人々に危険なものと認識されているものは多い。魔物しかり、妖刀しかり。ありふれた魔法であっても、使い方を誤れば立派な兵器に一変するだろう。その中でも、直感と実体が乖離したものとして、自然物が挙げられる。
触れただけで指がぼろぼろに朽ちていく葉っぱ、嗅ぐとたちまち聴覚が麻痺する花。毒性の成分を集めては、急成長をくり返す石などなど。
薬品としての利用も、一部ではなされているものの、その取り扱いには、魔法や魔剣といった戦闘面とは、いくぶん異なる専門知識を必要とする。このような、魔力や大地の力を帯びていないにもかかわらず、不可思議なメカニズムでもって、人々に多大な影響を与える植物などを、まとめて愧毛上と呼んだ。
愧毛上には禁制品――つまり、持っているだけで罪となるものも少なくないが、反面、公には禁止されていない、微妙な領域も確かに存在している。
斑点紫小灰蝶も、その1つだ。
この蝶の鱗粉には、強力な酩酊作用がある。判断力が適度に鈍るのである。
皮膚に触れたり、鱗粉を吸ったりする程度では、汽車の後押しにしかならないが、経口での摂取については、極めて高い効き目を示す。その性質が、立ち並ぶ露店と非常に相性がよいのは自明で、判断力が鈍り、購買への抵抗が少なくなった客たちから、金銭を搾り取るべく、飲食店と雑貨商が結託して用いるという事件が、たびたび起こっている。
そうだというのに、本格的な規制がなされないのには、風紀への影響が微々たるものしかないこともあった。
意思力の低下という剣呑な内容に反して、斑点紫小灰蝶は、人間関係の好みを広げるどころか、極端に狭めるのだ。恋愛において媚薬の代わりに使おうものなら、手痛いしっぺ返しを受けるほどである。
だからこそのグレーゾーンだ。
それを思えば、憲兵たちの行動は明らかにやりすぎであり、恐喝の非難を受けかねないものだったのだが、類は友を呼ぶと道理は決まっている。憲兵が悪人ならば、店主もまた店主である。
勝手知ったる店主が、憲兵の手に数枚の銀貨を握らせると、何事もなかったかのように両者は別れていく。硬貨のやり取りさえなければ、旧友に挨拶でもしたかのようなふるまいだ。早い話が、憲兵たちは目を瞑る代わりに、売り上げの一部を、強引な手法で回収しているのである。
汚職。
これこそが、第4憲兵に蔓延している組織的な病である。こうなっては、仕事はしなければしないほど望ましいとも、あるいは評価できるだろう。
両者の様子を痛ましそうに見つめていた女は、ひとつ大きなため息をついて、仲間の憲兵たちを急かす。
「何をしている……。ワルサール、君もだ」
じろりんちょと冷たい視線を向けて来る上司に、ワルサールは肩を竦めるだけで応じた。
一方のルネは、睨みの利いた上司の顔に怯えるようにして、ワルサールの背中に隠れてしまう。
「どうしてベルベイン補佐官は、あのようなゆすりを見ても、注意をしないんでしょうか?」
「はっ! 補佐官様が職人街くんだりに来てまで、力強く指揮をくだしていること自体が、もはやちょっとした奇跡みてぇなもんだろうよ。意外だったぜ。ちっとは、まともなやつが俺以外にもいたんだな。……んでだ。さっきの質問に真面目に答えるんなら、直属の上司が違ぇんだよ。向こうはセソーレ、俺たちはベルベインだ」
不用意に他人の部下を叱責できない。
その構造に、納得した様子を見せるルネだが、ワルサールへの忠言は忘れない。
「あの……。補佐官を呼び捨てにするのはまずいんじゃ……」
「ろくに仕事もしねぇセソーレなんか、気にすんな。直接の配下じゃなくて、わざわざ第5憲兵を寄越したんだ。全部承知の上だぜ、あのゴミ女が」
自分たちの上司であるベルベインについても、呼び捨てにしていたではないかと、ルネは非難がましくワルサールを見つめたが、ついに彼がその視線に気がつくことはない。
商業区画の東部に広がる職人街は、言わずと知れた王都の重要エリアだ。食事や興行といった娯楽にこそ関心は少ないものの、実務のうえで必要な物品は、すべて揃っているといっても過言ではないほど、品揃えは充実している。今朝から始めた新人の冒険者であっても、金さえ積めば、一流のパーティーと同質のものを、瞬く間に集められるだろう。
だが、そんな華やいだ世界は、王都という広大な領域にとってみれば、ほんの表層の部分でしかない。東へ進めば進むほどに、店の売り上げは低下していき、付加価値の少ない原材料を、製錬するだけのショップも増えていく。使われる人材は無論、日雇いの労働者だ。
安すぎる賃金。
劣悪な労働環境。
生活の基本となる衣食住さえも、十分に満たされることのない社会。
そんな日雇い労働でさえも、天国の職業と思える悪夢が、職人街の南東部には広がっている。
貧民街だ。
それは王都の抱える紛れもない闇であり、我が物顔で魔物が跋扈するワールドで、急速な発展を遂げた王都の、偽らざる犠牲者でもある。
ベルベインが向かおうとしていたのは、まさしくそんな貧民街だった。
だが、いざ貧民街の域内に入ろうとした瞬間、ワルサールと同じ小隊長に列せられた男が、ベルベインの足を恭しく制止させていた。
「おっと、補佐官様。ここから先は、大変卑しい貧民街です。このような下賤な場所は、我々にお任せください」
その言葉が、真にベルベインの身を案じているものでないことは、どれだけ男の態度が丁寧であろうとも、口の端に野卑な笑みを浮かべていることからも明瞭だった。もはやそれは慇懃無礼とさえ形容できる。
「しかし、貧民街の現状は、商業区画の治安を任された者として、見過ごすわけにもいくまい。度が過ぎている」
「もちろんでございます。我々も日頃から、貧民街よりもたらされる悲惨な報告に、心を痛めております」
「……」
「しかし、貧民街の貧困には、商売の問題が密接に関わっているという話。なればこそ、セソーレ様は、そういった分野にも精通している、第5憲兵を寄越したのです。それに……万が一にも、補佐官様が悪漢に襲われようものなら、我々がセソーレ様に叱られてしまいます」
にやついた表情を隠そうともせず、男は滔々と語る。真顔でいるはずだというのに、心なしか背後にいる男たちも、同じ下種な顔を浮かべているようだ。
この男たちが、ベルベインを貧民街に行かせないよう、ここに配されたことは明白だった。
だからこそ、ワルサールは相手の小隊長を鼻で笑う。
「てめぇの日常と、犯罪の区別もつかねぇような委託組にゃ、荷が重いだろう? 遠慮すんなよ。俺が手伝ってやる」
7つある憲兵の中でも、第5憲兵は特殊だ。名目上、各区画からの要請に応じて出動できる、機動性の高い部隊とされているが、実際のところは、その大部分に無法者だった時期がある。
元、アウトロー。
こんな危うげな人材を登用するのには、様々な思わくがあった。
膨れあがった不心得者たちの数を、いっそ彼らに真っ当な職業の道を開放することで、改悛させて減らしてしまおうという福祉の面。
元々は仲間だった者をあえて取りこむことで、内部対立を起こそうという管理者的思想。
そして、いざ汚れ仕事を実践したとき、市民からの非難の目や悪感情を、非正規の人間に偏らせるという、受け皿としての身代わり。
その手法がどうであれ、現に犯罪の数は減っている。
とても潔白なものではないし、軽微な犯罪にいたってはむしろ増えたかもしれないが、吐き気のする悪行は、少なくとも減少傾向にあることだけは疑いない。一定の効果を上げてしまっていることは、確かなのである。
だからこそ、ベルベインは悩んでしまう。
理想論を掲げることは、現状の悪化を導くのではないかと、ためらってしまうのだ。
(……部隊長はこの件について、ご存じなのだろうか。いや……間違いなく、あの人は分かったうえで利用しているのだろう)
第4憲兵の長は商人の出だ。ひょっとしたら、憲兵の中で、最も損得の嗅覚に優れているやもしれない。
そんな自分よりも力を持った相手が、現状を肯定しているというのに、一介の補佐官に過ぎない己に、いったい何ができるのだろうか。
「……」
やがて、ベルベインも今の状態を維持することに決める。
(動かぬ証拠がない以上、今回はこれまでか……)
「そうか……。では、くれぐれも任せたぞ。私たちは別の場所に向かう。いいな、ワルサール」
「……了解」
期待外れだと言いたげに、ベルベインのあとを追うワルサールは、彼女からずいぶんと距離を取っていた。
それが暗に、先の自分の言動を否定したものだということに、気がついていたベルベインは、胸中でひと際大きなため息をつく。
ワルサールの遠慮ない態度を諫めようと、ここでもルネは背後から小隊長に声をかける。
「あんまり派手に行動していると、また部隊長に叱られちゃいますよ」
振り返ったワルサールは、鬱憤を晴らすようにルネをねめつけた。
「そ、そんな怖い顔をしないでくださいよ。ぼくは小隊長についていくって、決めたんですから!」
「……けっ。調子のいいやつだな。それなら、てめぇの言葉を証明してみせろ。行くぞ」
ベルベインに一瞥をくれたワルサールは、彼女とは違う道へと歩きだす。
「行くって、どこにですか?」
「決まってんだろう? 異邦街だよ」
「住民区画は第3憲兵の管轄ですよ!?」
上司の無鉄砲さには慣れていたルネだが、これには驚かざるをえない。鬻安粛僚のときとは訳が違う。同じ憲兵の職域に対する、言い逃れできない侵害だった。
「細けぇことは気にするな。逃げた犯人を追っていたら、たまたま異邦街のほうにまで来ちまっただけだ」
「逃げたって……まだ、ぼくたちは追ってもいないじゃないですか」
「この辺の連中なんざ、叩けばいくらでも埃が出て来るだろうさ。ちょうどよかったな? ルネ、うまく逃がせよ」
「そ、そんな~! ぼくの担当なんですか? こういうのは小隊長のほうが、得意じゃないですか~!」
泣き言をいうルネを横目に、ワルサールは天橋へと向かう。
「俺は一旦宿舎に戻って、どこが標的の根城だったか。そのメモを取って来なきゃいけねぇんだよ」
それが冥界死霊交信を使って、女から問いただすのだということに、気がつけた者はこの場にいなかった。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




