79(前編) 俺、ニアミスをする。
本話は長すぎたので、前編と後編に分割します。申し訳ありません。
コズホゥゼが中々戻って来ないことに、俺は不安を隠せなかった。コズホゥゼは俺と出会うまで、聖女をやっていたのだ。一人前になるべく、俗世から離れて厳しい修行を積んでいたのだから、知り合いに会って話をするような時間など、きっと聖女のうちは持てなかっただろう。
それは分かる。
2人の間に積もる話があることくらい、いくら俺が馬鹿だといっても、そのくらいは理解できるんだが、それにしたって遅すぎるだろう。コズホゥゼは箱入りだが、他人を待たせるのが分かっている状態で、長々とした話をするような、無神経な女ではなかったはずだ。
「ねぇ、大丈夫かな。何かあったんじゃない?」
じっとできずにドロシーに話しかければ、またかこいつみたいな顔でメイドは俺に応じた。
「ご主人様って……」
「何よ!?」
最後まで言ってくれないドロシーに、俺は勇んで詰め寄ったが、ぶん殴られてすぐに後退した。
そんな馬鹿なことをしていたからこそ、公園の奥から戻って来る2人の姿を見かけたとき、俺はすっかりと安堵してしまっていた。……通行人は、いつまでも移動しない俺たちに、冷めた視線を向けて来ていたけどな。主に俺に対してっていうか、ぶっちゃけ全部俺。
「ごめんなさい、待たせちゃったわね。せっかく会いに来てくれたんだし、あなたにも啓示を与えてあげるわよ。コズホゥゼの連れみたいだしね」
緩みきっていた俺は、チェレステの言わんとしていることを、全然理解していなかった。つまり、彼女が誰に対して発言しているのかを、完全に誤解したんだ。……だって普通、コズホゥゼのためにするんだと思うじゃん。なんで急に、チェレステは俺に親切しようとするの?
儀式を始めるチェレステ。
それを見るやいなや、コズホゥゼが声を荒らげていた。
「そうだ、それ! いったい、どういうことなの? 簡略化した天理之儀なんか使っちゃって。元々、天理之儀って、執り行うのがすっごく大変なはずなのに……どうして? あなた、ひょっとして本当は、お客さんたちを騙しているんじゃないでしょうね!?」
これには、チェレステも立ちあがって言い返す。
「人聞きの悪いことを言わないでちょうだい! 儀式なんて多少の違いはあれど、どれも本来は、大規模な手順を必要とするものでしょう? 事前の準備もしないで行えちゃう、禊之儀が例外なのよ。あたしの天理之儀は特別。以前、姉弟子にコツを教わったから、これだけは得意なのよ。……でも、あんたに説教した手前、もう占い師は卒業するわ。聖女の力を使うのは、これで最後」
訝しむのような視線を向けつつも、コズホゥゼは自分を納得させるように、小さくうなずきをくり返していく。
「ねぇ、チェレステ。あなたの姉弟子って?」
コズホゥゼの発言に、一瞬、チェレステは口を真一文字につぐんで黙る。だけど、すぐに頭を振って名前を発していた。
「……テレージア」
その言葉を耳にしたコズホゥゼは、苦しむようにかすかに顔をしかめていた。そんなコズホゥゼの表情がとても印象的で、俺にもその名前が、あまりよい響きを持っていないことを、容易に察せられたのだが、さすがに突っこんで聞くほどの勇気はなかった。
「今はどこに……」
「馬鹿なことを聞かないでよ」
コズホゥゼとは対照的に、それこそ聖女のようにチェレステは優しくほほ笑む。
「……」
「とうの昔に死んでいるに決まっているでしょう? テレージア姉さんは、カムフヨネ聖教会が生んだ歴代最悪の暗巫よ」
そこから先は、コズホゥゼも俺も、もちろんほかのドロシーたちだって何も口にできず、チェレステが淡々と儀式を進めていくさまを、無言で見守るだけだった。
似たような道具。
似たような動き。
でも、それらとはどこか違う、真剣な声音を含んだ美しい祝詞。
一連の作業が淀みなく終わると、チェレステが険しい顔を俺たちに向けていた。
コズホゥゼに対する儀式は、やっぱり一般客に対するものとは別物なんだなと、俺がとんちんかんなことを思っていれば、あろうことかチェレステは俺に声をかけていたんだ。
「あんたにとって、会わなきゃいけない人がいるみたい」
「……ほへ?」
たぶん、ワールドに来てから、最もマヌケな返事をした自信がある。
「場所は……そうね。職人街のほうかしら? 紫色の建物が目印になりそう」
「えっ? うぇ? それはいったい……」
てっきり、占っていたのは、コズホゥゼに関する内容だと思っていた俺は、困惑しっぱなしだった。
「呪術師よ、それも凄腕のね」
……また知らない単語だ。俺、ワールドの常識が足らなすぎじゃね? いくら転生者とはいえ、生活に支障が出るレベルなんだけど。
ドロシーたちと顔を見合わせるも、彼女たちにも心あたりがないようで、みんな一様にきょとんとしている。ちょっと安心した。……もちろん、真実は違った。
(それにしたって、こんな乱暴な天理之儀で、ここまではっきりとした啓示が得られるのも、珍しいわね……。この男、コズホゥゼの連れというだけあって、何かあるのかしら? まぁ、あたしは姉さんの手がかりを得るので精一杯だから、これ以上はもう関われないけど)
どうするものかと俺は悩んだ。
いくら有名な占い師といえども、チェレステとはまだほとんど会ったばかりなのだ。正直、王都という場所の壮大さに圧倒されているのもあって、もう今日はこれ以上、新しいことをしたくない。
だが、コズホゥゼはやったほうがいいと俺の背中を押す。
「小規模とはいえ、本物の天理之儀だから私は賛成」
元聖女のコズホゥゼが言うのであれば、仕方ない。
俺は筋肉の緊張をやわらげようと、太ももの横で手を伸ばす。腰に佩いた金属に自然と手が触れていた。
いつかスザクにもらったダガーだ。
彼女には悪いが、こいつにはあまりいい印象がない。
固い嫌な感触のせいで、おのずと指が切れたときのことを思い出してしまう。
それがどうにも、俺には、ダガーが自己主張をしたように感じられた。
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王都エオンオットは広い。
商業区画や、住民区画といったエリアに分かれていても、その1つ1つの区画自体が巨大だ。当然に、これらの区画は、さらに細かなエリアに区分されることになる。
職人街もその1つで、位置としては商業区画の東側にあたる。
ここは名前のとおり、様々な職人たちが店を構える場所といっていいだろう。鍛冶職人・木工職人・織物職人などなど、立ち並んだ工房からは、いつも職人たちによって放たれた、種々の音色が聞こえて来る。どの通りを歩いていても、ハンマーの音が耳に入らない場所など、ないといっても過言ではない。
もちろん、匂いも特徴的だ。
鍛冶屋の熱する、金属の匂いが漂って来たと思えば、もう隣では、織物の染料が鼻孔を満たしている。武具を求める冒険者から、王都でのお土産を買おうとする観光客まで、職人街と無縁でいられる人間は少ないだろう。
その需要を受け入れられるほど、職人の数は膨大だ。
そのために、ちょっとでも立地のいい場所に店を構えようと、土地を巡っての争いが絶えない。近くの店主ともめることも日常茶飯事だ。いい売り上げを安定して続けていられる店主は、それだけ集客の見込める場所で営業ができる。
逆もまたしかりだ。
そして、チェレステの示した紫色の建物というのは、思いっきり後者にあたる立地にあった。
狭くて臭い道。
ある意味では、それは職人街のデフォルトとも呼べたが、そこはエリアの入り口付近に位置していながら、なお人が訪れにくいという奇妙な場所だった。あまりに入り口に近いため、誰もが素通りするような配置にあるのだ。
周りとの差を強調しようと、建物の色を派手なものに塗り替えたことも、集客という点では悪影響だっただろう。
シンプルに気味が悪い。
今では、そこが呪術師ラウラの店であると知っている者か、あるいは、間違って入ったうっかり屋しか訪れることがない。
そんな紫色の建物のほうから、1人の女が職人街の出口のほうへと向かって、足早に歩いて来ていた。
順調にいけば、もうまもなくゼンキチたちとすれ違うというとき、女に声をかける者があった。
身なりのよい、1人の老人である。
スィロエエサリコ家の執事であるヨハネグラッゾは、約束の時間になっても現れない彼女を探して、方々を歩き回っていたのである。
「ウェンゼル様! こちらにいらしていたのですか」
職業が執事とはいえ、ヨハネグラッゾもまた愛朱香の住人だ。貴族の領域を平然と離れ、大した用もなく、商業区画にまで足を運ぼうとする執事の姿に、ウェンゼルは苦笑いを隠せない。
「ごめんなさい。ずいぶんと待たせちゃったのかな」
「いえいえ。この散歩は、わたくしめの日課のようなものですから、お気になさらないでください。それよりも、ウェンゼル様はどうしてこのようなところに?」
新しい武器を購入して、心機一転を図ろうとする冒険者であればともかく、ウェンゼルはそうではないだろう。それに彼女の手には、買った商品の荷物もない。よしんば、職人たちと世間話をしていただけというのも、ウェンゼル相手には少々考えにくかった。
ウェンゼルを見回すヨハネグラッゾの視線は、執事にたがわない上品なものだったが、抱いた疑問を胸中にとどめておこうとするような、慎ましいものでもない。
「ちょっと草の庵と藁の庭に用事があってね」
「草の庵と藁の庭と言いますと、それこそ冒険者向けの慰撫剤を、販売されているお店ですよね」
「……詳しいわね」
他区画のことにまで博識な執事を、ウェンゼルは素直に称賛していた。
「えぇ。職業柄、どうにも王都のことは、屋敷とは直接の関係がなくとも、覚えておきがちなのです。しかし、そうであればこそ、呪術師であるウェンゼル様が、なぜわざわざ慰撫剤を? それに……失礼ですが、慰撫剤には魔力を回復させる効果が、ほとんどないとも聞きます」
「慰撫剤の認識は正確かな。ほとんどが偽物で、無意味な商品になるよ。ただ、最近、どこかの妖薬師が、白皓荂を使うことで、本物の慰撫剤を作ることに成功したって、耳に挟んだから、ついね。でも、草の庵と藁の庭にないってことは、噂は嘘だったのか、それとも一般向けには売ってあーげないってことだから、どっちみちあたしとは関係がなかったのかな」
「そうでしたか、それは残念でしたね」
期待していただけに、ウェンゼルは分かりやすく肩を落としてみせる。
「ただ、呪術師に対する理解は、ちょっと間違っていると思うかな。確かに呪術師は、魔法を使ってお仕事をするわけじゃないから、そういう意味では、魔力を回復するためのお薬はいらない。でも、あたしみたいに、各地を転々としている流れの呪術師は、長期の旅をする都合で、どうしても魔法を使わなきゃいけないって場面が、ちょくちょくあるの」
「なるほど……これは、わたくしめが不勉強でした」
「もっとも、さっき言ったみたいに、慰撫剤はほとんが偽物だから、あんまり意味はないんだけどさ。……それでもあたしは、気休めに何個か持っておくことが多いかな」
「ウェンゼル様であれば、専属の護衛をつけることもたやすいでしょうに」
好々爺然としたヨハネグラッゾの笑みに、嫌味は見られない。
純粋にそう思ったからこその発言であると、ウェンゼルも分かっているので、彼女もまた笑顔で応じた。
「あっはは……それも、そうなんだけどさ」
(それだと、ウェンゼルじゃない者として行動するときに、ちょっと困っちゃうんだよ)
無論、ウェンゼルが心の中で独り独独ちた台詞を、眼前の執事に伝えることはない。
そこでふと、ヨハネグラッゾが思い出したように告げる。
「いけません! こんなところで油を売っていては、旦那様に叱られてしまいます」
「そうだね。ちょっと急いだほうがいいのかな」
何事もなく合流を果たした2人が、愛朱香へと向かって移動を始める。
歩きだしたウェンゼルの瞳は、自分の横を通りすぎていくゼンキチの体を見逃さない。目ざとく、腰に佩かれたダガーを視界に収めていた。
にわかに立ち止まるウェンゼル。
どうしたものかと彼女は微苦笑を浮かべるが、そんなウェンゼルに、ヨハネグラッゾは疑わしげな視線を送った。
「どうかされたのですか?」
「……ううん、なんでもないかな。行こう」
(今のって……どう見ても呪われていたよね。まぁ、でも……そんなに強そうな呪いじゃなかったし、放っておいても平気なのかな?)
悩んだすえにウェンゼルは、せめて名前だけでも知っておこうと、後ろを振り返ったのだが、すでにそこにゼンキチたちの姿はなかった。
諦めて、大人しくヨハネグラッゾのあとを追っていく。
「それにしても、ウェンゼル様と連絡がついて、本当によかったです。もうダメかと思っていましたから」
「あっはは、あたしが来たからにはもう大丈夫かな。あたしに解呪できない呪いって、この世に存在しないみたいだから」
気負うわけでもなく、淡々と事実を述べるように、ウェンゼルはうなずいてみせる。
そんな彼女のふるまいに、いくらかのそら恐ろしさを感じながらも、ヨハネグラッゾは首肯した。
「頼もしい限りです」
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




