8 俺、ドロシーの父親からドロシーとの交際を許されるも、ドロシー本人に殺されかける。
この5日間、俺は気が気じゃなかった。
宿屋の主人に、タマーラ商会からの言伝を、預かっておくように頼んだことで、宿屋から出歩けるようになったものの、それで退屈さが紛れたわけじゃない。
常に雪烏帽子のことが頭にあるので、どんな作業であっても、長時間集中することができないのだ。
ただ待つ。
そんな簡単なことが、こんなにも苦しいものなのかと、俺は待たされる側の苦労を、嫌というほど思い知らされていた。
『酒場にでも行ってみたらどうですか? 少しは気分も晴れるかもしれませんよ』
右往左往する俺を見るに見かねて、ドロシーがそうアドバイスをしてくれた。
自分だって、薬が無事に届くのか心配だろうに。あとは商会を信じて、待つ以外にできることはないからと、ドロシーはどっしりと構えていた。やっぱりドロシーは、俺より数段大人だったのだ。
そういうわけで、俺は連日のように、ナプキン=パンプキンに足を運んでいた。店名をナプ=パプと略すのが通なのだと、あっという間に俺も常連客の仲間入りを果たした。
日本にいた頃を考えるならば、飲酒は厳禁だ。
俺はまだ成人じゃない。
だが、このアナザーワールドであれば関係ないだろうと、俺は酒を飲んだ。
そして、吐いた。
おえぇ……。超まずいんだが?
誰だ、ビールは旨ぇとかパチこきやがった野郎。
たぶん、原因は異世界ゆえの低品質にあるわけじゃないだろう。
俺が元々、アルコールを受けつけない体の造りをしているんだ。
ひそかに、飲酒が大人になったときの楽しみだったのだが、めでたくご破算である。もっとも、成人する前に俺は死んでいるから、どうということもないんだけどね。えへへ。
自分が気持ちよく酔えないことは分かった。
だが、俺は酒を飲むのをやめない。
飲んで吐いてをくり返し、ひたすら時間が潰れるのに身を任せた。
時々、頭が正常に戻ってしまったときは、酒場に勤めている娘をナンパした。名前はマリアンジェラというらしい。ずっとそげない対応だったし、時々は、彼女を贔屓にしている冒険者たちから、素敵な絡まれ方をしたので、ほとんど自棄を起こしていたといってもいい。
結局、4日目の夜は眠ることができず、その日は徹夜になった。
薬の配達は配下に任せるのだろうと、そんなふうに予想していたのだが、5日目の朝に俺たちの前に現れていたのは、タマーラ本人だった。
「……薬が必要なのは、むしろ君のほうだねぇ」
いまだかつて、一睡もしない徹夜はしたことがない。
鏡で自分の顔を見ていないが、よほど体調が悪そうな表情になっているのだろう。目の下に、特大の濃い隈ができている自覚がある。
俺はタマーラに所定の金額を渡した。
8万金貨。
量が量なので、じかに手渡しというわけにもいかず、タマーラ商会の馬車の中で、人目に隠れて金と薬を交換する形だった。
ポケットには絶対に入りきらない量の金貨を、ドロシーが速やかに取り出して見せたとき、タマーラは目を丸くしていた。
俺の力じゃないんだが、なんとなく、してやったりという気持ちになる。
(へぇ、収納のスキルだ。噂には聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだねぇ。便利だな。こいつは商人に向いているよ。うちに誘いたいくらいだが……こっちの少年に嫌がられるのは、さすがに得策じゃないか。残念だねぇ。うちに来れば、間違いなく100万金貨は稼げるのに)
俺は知らなかったが、このときタマーラのやつは、ドロシーを勧誘しようとしていたらしい。俺のメイドに何しやがんだ、ふざけやがって。
しばらくしてから、計算用の木箱に金貨を収めたタマーラが、おもむろに口を開く。
「毎度。確かに、全額いただいたよ。これからも是非、女商人タマーラをご贔屓に」
形ばかりの礼を言ってから、今度は別件だと主張するように、タマーラが一度手を打ち鳴らす。
「ところで、いったい誰が春日湯返に罹患したんだ?」
「……そっちじゃないが、知りたいのなら足を貸してくれ。金も出す」
薬をもらった以上、呑気にお喋りをしているような余裕は俺にない。
くっちゃべるなら、せめてドロシーの村に向かっているときがいい。
そう思って答えれば、意外にもタマーラは金銭を要求して来なかった。
「ほぅ……。俄然、私はあなたに興味が湧いたよ。お代は結構。どこに向かいたいんだ? 早速、出発しようじゃないか」
「村だ」
「南西にある村だねぇ。分かった」
試したつもりではなかったのだが、タマーラの情報収集能力には、驚きを通り越して、そら恐ろしささえも感じてしまう。
酒場には、ドロシーの村のことを知っている人間が、ほとんどいなかった。
地元の住人でさえ、そんなありさまなのだ。
そうだというのに、タマーラはここいらの地理を完全に押さえている。いくら商人といえども、地元の商会の長であるデリックが、彼女のことを知らない程度には、雪乃の町とタマーラには縁がないはずなのだ。事前の下調べが半端じゃない。
有能だとは思うが、高すぎる能力ならば却って危険になる。
彼女と親しくなるのは、控えたほうがいいのかもしれない。
そんな俺の警戒心を、敏感に感じ取ったわけではないのだろうが、村に向かうまでの道中で、タマーラが俺たちに話しかけて来ることはなかった。
※
村に到着した。
俺が雪烏帽子を何に使うのか、どうしてもタマーラが確認したいと話すので、ドロシーの許可をもらったうえで、俺たちは3人でブライアンのもとを訪れていた。
雪烏帽子という花は、白色のユリに似ている。
ただし、花の中央は緑ではなく水色で、雪という名前がよく似合っていた。
花びらを食う。
その行為にいったいどんな意味があるのかと、俺の差し出した雪烏帽子に、ブライアンは怪訝な表情を浮かべる。しかし、ドロシーに諭されると、やがては花びらをむしゃむしゃと食べ始めていた。よほど美味しかったのか、もっと寄越せと言って来る始末だった。ねぇよ。
もちろん、一応は花びらを洗ってある。川の水なので、どれだけ清潔なのかはいまいち謎だが、きっと何もしないよりはマシだろう。
俺たちが村に来たのは昼前のことだったのだが、その日の午後には、寝たきりだったブライアンが、立ちあがれるまでになっていた。
著効なんていうレベルじゃない。ちょっとした魔法の域だ。
もちろん、劇的に回復したといっても安心はできない。
大事を取って、俺たちはドロシーの家に泊まることにしていた。……タマーラもいるし、何かあると期待したか? 残念だったな。家が狭いので、俺だけ車中泊だ。なんで?
翌日なれば、ブライアンは完治したようで、朝っぱらから元気に村中を走り回っていた。
病気が治っても、長期間に渡って運動していなければ、筋肉が相当衰えているはずなのだが、さすがは女傑ドロシーの父親と呼ぶべきか。たぶん、脳のどこかがバグっているんだろう。根本的に俺とは体の造りが違うのだ。
気にしたら負け。
俺は途中から考えるのをやめていた。
体の調子を確かめるように動いていたブライアンが、いつの間にか俺の前に立っている。
俺は地べたに座ったままなので、見おろされる形だ。結構怖いので、早くどいて欲しい。小便、ちびっちゃうよ?
「許可する」
「へっ?」
突然の一言に、俺は話の流れを理解することができなかった。いったい何を許すというのか。
「命の恩人とあっては、断れまい。お前がドロシーと交際するのを、認めてやる。だが、気をつけろ。あいつは誰に似たんだか、華奢に見えて、とんでもねぇ暴力女に育っちま――」
ブライアンの言葉は最後まで続かなかった。父親を探しに来たドロシーに、背後から思いきり殴られていたからだ。
薄々は知っていたけど、ドロシーさん容赦ねぇ。
ブライアン本人も同じ感想を抱いたようで、ドロシーに小さく抗議していた。
「娘よ……。俺は昨日まで病人だぞ」
「病人? あぁ。でも、そんなに元気があるなら、もう大丈夫でしょう。私もすっかり安心しました」
言わなきゃいいのに、俺は怖いもの見たさから、ついつい話を蒸し返してしまう。
「えっと、ドロシーさん? 今の話を僕はどう受け取れば……」
父親に追加で蹴りを食らわせたドロシーが、吐き捨てるように俺に応じた。たぶん、今のキックはとばっちりだ。ごめんて。
「あなたも殴られたいんですか、ご主人様。足腰が立たなくなるまで、精一杯ご奉仕しますよ? 私、介護もできますので、遠慮なさらず」
「あっ、はい。結構です……」
そうだろうとは思ったが、全くといっていいほど俺の好感度が上がっていない。ポイント稼ぎにならなくても、もちろんドロシーの家族であれば助けたつもりだが、もうちょいラブコメ的な展開を期待してしまう。
「まぁ、胸が小せぇしな」
それならラブもクソもねぇだろうと、俺が絶対に聞こえないはずの音量で、ドロシーのことを揶揄すれば、次の瞬間、俺の意識はかき消えていた。何が起こったかまるで分からないが、たぶんそういうことだ。前世で死ぬときだって、意識があったのに……やばすぎ。暗殺の領域じゃん。二度と彼女の胸を茶化すのはやめようと、俺は心に固く誓った。
ほどなくして、タマーラによって起こされた俺は、彼女と2人で村の中を歩いていた。
「聞いたよ。ここは君のメイドの故郷らしいねぇ。君が救おうとしていたのも、彼女のお父さんだったわけだ」
「そうなるな」
「驚いたよ。まさか、そんな人間が世の中にいるなんて」
「別に、何もおかしくなんかねぇだろう」
俺とドロシーは、世間的には雇い雇われという関係だが、それだけでは終わらない仲だと俺は思っている。過ごした期間は短いけれど、俺にとって、ドロシーが大切な存在であることに違いはない。ラブコメ的な意味じゃないけどね。
少しの間、無言で歩き続けていれば、馬車のある村の入り口にまで戻って来ていた。
そこでタマーラは、再び俺に話しかける。
「君がどうしてそんなに金持ちなのかは、甚だ気になるばかりだが……とりあえず、私が今回知りたかったことについては、知ることができたよ。また、別の機会に会おうか」
言うやいなや、タマーラは俺たちを乗せずに、1人だけで馬車を走らせて去っていく。
「……あぁ、なるほど……。町に戻るためのぶんは、別料金ってことね」
なにも俺は、この村に住んでいるわけじゃないんだけどな。
分かりにくいし、底意地の悪さを隠せていないが、これはタマーラなりの冗談なのだろう。
少し手間だが、まぁ、ドロシーと2人で歩いて雪乃の町に帰るのも、それほど嫌なわけじゃない。
すべてが俺の望んだ台本どおりに運んだのだ。
晴れやかな気持ちになるのも、当然だろう?
俺は微笑を浮かべながら、ドロシーのもとへと走った。
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時を同じくした雪乃の町――その一軒の廃屋。
ここを根城としている冒険者兼盗賊の一団、チーム「オジロワシ」は、次のような会話をくり広げていた。
リーダーの側近ランドルフが、頭領に告げる。
「間違いないっす。タマーラ商会と大口の取り引きをした現場を、目撃していたやつがいるっす。大金を手にしたのは、メイドを連れた小僧っす。間違いないっす!」
顎の髭を撫でながら、チームの長であるオスカーが冷酷な微笑を見せた。
「ほぅ……。ここの裏山の財宝は、俺たちオジロワシがいただく予定だった。そうだな、お前ら?」
「はいっす。兄貴、やっちゃいやしょう! はいっす!」
「そいつらの特徴は?」
別の部下が前に出て答える。
「男のほうは成人したばかりの黒髪。メイドのほうは赤髪のショートカットです」
部下の台詞に、オスカーは満足げにうなずいた。
「決定だ……。標的はメイドとガキ1人。ガキのほうは殺すな。生かしたまま連れて来い。俺が直々に金の在り処を吐き出させてやるよ」
「兄貴自らの拷問っすか。やべぇっす。兄貴自らの拷問っすか!」
嬉々として喋るランドルフの隣で、再び部下が口を開く。
「メイドのほうは?」
オスカーを含めた一同に、卑猥な笑みが浮かんだ。
「好きにしろ……」
ボスからの久しぶりの許可に、全員が雄たけびを上げていた。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ