67 俺、聖女のコズホゥゼに出会う。
花屋の店主と別れた俺たちが広場に向かうと、案の定、スザクの姿はすぐに見つかった。
慌てるほどの場面じゃないのだろうが、早くスザクと再会したかった俺は、その場で駆けだす。結果論でいえば、これがいい縁を結ぶ原因になったのだろうが、当座では大失敗だった。
横から来ていた女に気がつかず、俺は彼女と衝突していたんだ。
衝撃で地面に倒れる俺。
女の方は、素早くドロシーが支えたので転んでいない。……あっているけど、逆じゃね? あっているけどさ。
第2のメイドは何もしてくれないのかと、ベロニカの巨大な胸を恨むようにして見つめれば、彼女はマイペースにあくびをしていた。
「今のはどう見たって、ゼンキチ様が悪いだろうよ。私たちメイドの仕事は、主人の失敗をカバーすることじゃないんだが?」
ふと、グラントリーという単語が頭に浮かんで来だが、言っていること自体は、びっくりするくらいそのとおりなので、俺は何も返せなかった。
「ごめんなさい、急いでいて」
俺はすぐに女のほうに向きなおって、頭を下げた。ドロシーが庇ってくれたので、相手の無事が確定していることだけは、不幸中の幸いだっただろうか。
女からの返事がなかったので、俺はおずおずと頭を上げる。よっぽど怒っているのかと思ったが、どうにもそういうわけではないらしい。
俺たちのことをしきりに見回していた女が、おもむろに口を開く。
「あなたたちって町の人? 全然、そんなふうには見えないんだけど」
「いや、ただの旅人だよ……」
何を聞かれているのか、その意図が読めなくて、俺は警戒しながらも本当のことを伝えた。嘘をつかなかったのは、相手がタマーラじゃないからだ。
そんな俺の答えに、どんなことを思ったのかは分からないが、彼女は少し考えたそぶりをしてから、俺たちにこう返して来た。
「ねぇ、その旅に私も加えてくれない? 今の迷惑代って形でいいからさ」
まるで予想していない返事。
ドロシーが呆れるようにして視線をそらしたのは、彼女の性格からすれば無理もないことだっただろう。
ポケットから、手早く3枚の銀貨を取り出すドロシー。そのまま、有無を言わさずに硬貨を彼女に握らせる。
「無傷の慰謝料としては破格の金額です。それで手打ちにしてください」
倹約家のドロシーにしては珍しい判断だった。そうまでしてでも、これ以上彼女と関わることは、ろくな目に遭わないという意思表示なのだろう。
だけど、女は引かない。
「いや、お金が欲しいわけじゃないんだよ。私も行くあてがないからさ、色んな場所に訪れたいの」
銀貨を突き返して来る女に対し、ドロシーは怪訝な表情で眉根を寄せる。
「その旅行に必要な貨幣は、私たちが持つんですか?」
「……そっか。ここでも、お金が必要なんだ。ごめんなさい、私全然知らなくて」
聞こえないくらいの小ささで、ドロシーがため息をつく。
「行きますよ、ご主人様」
そう言って、女に無理やり銀貨を渡したドロシーが、俺の腕を引っぱった。
ちょっと前までは、俺も硬貨をあげてバイバイするつもりでいた。だけど、女の台詞を聞いてしまったら、急に目の前の彼女が放っておけなくなったんだ。
……こんなに世間知らずなんてこと、あるんだろうか?
常識が不足していると、色んな問題を無自覚に引き起こしてしまうのは、俺自身、身をもって体験している。
それでもまだ俺は男だ。遭遇してしまう被害だって、高が知れている。でも、それが女の子だったら? それこそ、よくない事件に巻きこまれることもあるんじゃないかって、にわかに俺は心配になってしまったんだ。
曲がりなりにも、世界中の女を幸せにすると謳っている俺が、ここで彼女を見逃すことはできないだろう。
小声で俺はドロシーに耳打ちする。
「ドロシー、彼女を保護しよう」
あからさまにドロシーが嫌がったのが分かった。
「はぁ? 何を言いだすんですか。彼女だって、これまで生きて来たんです。ちょっと抜けているところもあるみたいですけど、大丈夫でしょう」
そう言われれば、そうかもしれない。
でも、彼女の非常識さは、ちょっと病的だ。さすがに、俺と同じ転生者じゃないかという発想は、ずいぶんと飛躍しているけど、そこに特別な事情があることは透けて見えている。黙って見過ごすわけにはいかない。
「でも……」
俺がそうやっていつまでもうじうじとしていれば、最終的にはドロシーが折れていた。
「分かりました。私はメイドですので、ご主人様の好きにしてください」
ドロシーの不興を買うのは、俺としても本意じゃなかったのだが、今は彼女を放置しておくほうがまずいだろうと、俺はただちに引き返す。
「君は……何ができるんだろう? 別に、何もできなくても連れていくんだけどさ」
声をかけたはいいが、話の切りだし方が分からなくて、コミュ障全開のムーブになってしまった。
そんな俺に、彼女は驚いたように聞き返す。
「えっ、いいの? あなたの恋人、すごく否定的だったのに」
背後で、ドロシーがピキついたのが察せられた。カリナとはそうでもなかったのに、ソーニャに続いて、ドロシーとの相性が悪い女を引きあててしまったようだ。
「……恋人じゃないから」
ドロシーの恰好は、誰の目にもメイド然としているものだ。そんなドロシーを恋人と勘違いするくらいなのだから、この子はメイドという職業を知らないに違いない。
……いったいどこで暮らしていたんだろう。
世間知らずのまま暮らしている若い女というのは、金持ちのお嬢様が一番想像しやすい。だけど、メイドの不在は、そうじゃないことを示している。
「そうなのね。……う~ん、できるできないでいえば、できることもあるんだけど、あんまりする気がないんだよね。少し前までは、一応、天教会の聖女だったよ」
「聖女?」
「そう」
「聖女って、あの聖女だよね?」
「どの聖女か分からないけど、普通の聖女よ」
聖女なんていう大層な職業が、そうそう何個もあるとは思えない。つまり、これはタマーラとの会話で登場した、聖女にほかならないのだろう。巴苗の町で、畜産の問題を完結させられなかった俺としては、これ以上にないほどタイムリーな出会いだった。
すぐさま世界攻略指南で確かめたくて、俺は彼女に追加の質問をする。
「名前を聞いてもいい?」
「いいけど、教会の代表を務めていたわけじゃないから、全然有名じゃないわよ? まずは、あなたから教えて」
「俺? ゼンキチ」
「ありがとう。私はコズホゥゼ」
「ちょっとまだ、向こうに仲間がいるんだ。連れて来るね」
俺はスザクを迎えに行くふりをして、自分のスキルを発動させていた。身近な人間の欄から、コズホゥゼの項目を探して読んでみる。
……確かに、序列は低いけど、本物の聖女だったみたいだ。
まだ俺たちに気がついていなかったスザクに声をかけ、俺は急いでコズホゥゼのもとに戻った。畜産の疾病を、早く解決まで進めたかったからだ。
「やりたくないところ悪いんだけど、やっぱり力を貸してくれる?」
「……いいけど。その代わりにちゃんと、私も旅の仲間に入れてね」
「あっ、うん。別にしてくれなくても、それはいいよ」
嘘じゃない。
本物の聖女に出会えたのだから、コズホゥゼの交友関係をあたれば、近いうちに協力してくれる人にも出会えるはずだ。コズホゥゼが聖女の力を使いたくないなら、それでもいい。俺のほうにも無理強いするつもりはなかった。
でも、そんな俺の返事を信じられなかったようで、コズホゥゼは目を丸くしてきょとんとしていた。
「……分かった。簡単なものであれば、やってあげるわ。でも、この1回だけね」
できるけど、しない。そんな言い方をする女に、俺は以前も出会ったことがあると、ふと過去のことを思い出す。だからこそ、ついついいらないことを俺はコズホゥゼに聞いてしまう。
「ちなみに、力を使いたくないのって、やっぱり自然を大事にしない人が多いから?」
ユリアーネのことを念頭に浮かべていると、コズホゥゼは呆れたように首を横に振っていた。
(……まるで、妖精使いみたいな口ぶりね。まぁ、本当の妖精使いなら、元聖女とはいえ、ここまで私に好意的じゃないんでしょうけど。知り合いにでもいるのかしら……?)
「違うわ。もう関わりたくないの、教会に」
「そっか……じゃあ、どうしよう」
やっぱり、なるべくコズホゥゼの周辺から、あたっていくほうがいいんじゃないかと、余計なことを考えていた俺は、コズホゥゼの返事を完全に聞き逃していたんだ。
「だから、今回だけはしてあげるってば。簡単なものだったらね」
「ねぇ、ロングフェローって知っている?」
「ゼンキチ……いい加減、人の話を聞きなさいよ」
(ロングフェローって……たしか、ルミステザ聖教会の聖騎士がそんな名前だったような。まぁ、どっちみち私の天教会とは関係ないんだけどさ)
げんなりとしているコズホゥゼに、俺は慌てて言い訳をしていた。
「いや、あの! 今後のことを考えると、一応は聖女の知り合いが欲しくて。あてがロングフェローしかいなくてさ」
「悪いけど、私には関係がないわ」
「そっか、分かった。じゃあ、やっぱりコズホゥゼにお願いしちゃうね。嫌なら別にしなくていいからさ」
「……それで? いったい何をして欲しいわけ? 聖女とはいえ万能じゃないわよ?」
あくまでも今回限りを条件に、俺は経緯を話す。
「巴苗の町……ここから南に行ったところが、その町なんだけど、そこでちょっと邪雰の問題があって。これを聖女なら解決できるっていうふうに聞いたんだ」
「あぁ、禊之儀ね。あっているわ」
「本当に? よかった」
「でも、あくまでも元聖女だからね。失望されたくないから、先に言っちゃうんだけど、そんなに期待されても、できることなんて限られているから」
少しだけ、いじけたように話すコズホゥゼに驚いて、俺は首を横に振っていた。
「えっ? そんなこと全然、気にしないよ。俺がやってもできないんだから。それだけでコズホゥゼはすごいでしょう?」
本心からの言葉だった。
自分よりも秀でた能力を持った相手のことを、素直にすごいと思えるのは、父母が俺に与えた教育の中で、ひょっとすると一番いいプレゼントだったのかもしれない。……ただし、女に限る。
「あなたって不思議な人ね」
「そう……かな。初めて言われたよ」
この町に来たばかりのコズホゥゼには、手持ちがないので、当然泊まるところもないようだった。すでに仲間になったのだから構わないだろうと、招き入れるようにして俺たちは宿屋へと移動する。聞けば、逃げるようにして教会を飛び出したらしく、ご飯もろくに食べていないとのことだった。
「それって平気なの? 怖い人たちが追って来たり、捕まえに来たりしない?」
「うちの教会は、聖女の数が不足しているわけじゃないから、連れ戻しに来るような追っ手はいないと思うけど……鉢合わせたときは気まずいわね」
空腹のコズホゥゼを連れて、少し遅めの昼食を取りに酒場へと向かおうとすれば、ドロシーが自分で作ると、俺たちのことを呼び止めていた。
「ご主人様も、ちょうど切れ味のいい短剣を手に入れたのですから、手伝ってください」
「えっ、うん。いいけど、俺別に料理が得意なわけじゃ――」
「手伝ってください」
「はい、喜んで」
たぶんだけど、これは俺がドロシーの意見を無視して、コズホゥゼを加えたことに対する、ちょっとした意趣返しなのだろう。俺とは違って、ドロシーはいつまでも引きずるような、ダメな性格をしていないので、これでチャラにしてくれるように思う。
メニューはもちろん、ホワイトシチューだ。
ドロシーの指示に従って、俺は野菜を切断していく。
じゃがいも、それから人参とカブだ。じゃがいもに関しては、たまたまかもしれないが、日本で親しんだものとあまり変わらないように見える。だけど、人参とカブは完全に別物だ。
名前は苺人参と洞蕪というらしい。赤紫色をした人参には、キュウリのような小さな突起が無数に生えている。ただし、棘はないので料理に影響はないそうだ。そのまま使うのが主流とのこと。生で食べてみた感じだと、かなり甘く、野菜というよりも果実に近い感じがした。……フルーツトマト的な? 食ったことねぇけど。
洞蕪は中まで緑色の野菜だ。どことなく、ワサビのような清涼感を覚えるが、辛みは強くない。ピクルスにして食べることも多いようだが、こちらもホワイトシチューに使われる代表的な野菜になる。
「ねぇ、ドロシー。これって今までも食べていたの? 俺、全然記憶にないや」
「運よく買えたときには使っていましたよ。王都のほうに近づいているからなのか、食品の種類が増えて来たので、私も嬉しいですね」
「あぁ、そういう……」
ドロシーと話しながら野菜を切っていると、花屋の店主のときに感じたあの鋭い痛みを、やはり指に覚えてしまう。
ドロシーに泣き言を訴えてみたのだが、単なる筋力不足なだけだろうと一蹴された。……ドロシー先生並みの運動性能には、どんなに俺が努力したって、絶対になれねぇですわよ?
「ご主人様、手を広げてみてください」
「……こう?」
言われたとおり、自分の手を広げてドロシーのほうに向ければ、ドロシーが――彼女基準で――軽く殴打して来る。
「これで少しは紛れましたか?」
じんじんする腕をさすっていれば、ドロシーがそんなことを言って俺にほほ笑みかけた。
あまりに雑な治療法に、俺は苦笑いで応えるしかない。
……今度は短剣の握り方にも、気をつけていたつもりなんだけどな……。
ドロシーのおかげで気は散らせたが、嫌な偶然の連続に、俺の心はちょっとだけ曇っていた。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




