66 俺、和鈴の町で名産品を買う。
宿屋でカリナと別れた俺たちは、ソーニャを無事に送り届けただろうスザクと合流するべく、彼女のことを探していた。いくら初めての町に不安があるといっても、元拳闘士の人間と一緒にいるならば、大きな問題も起こらないだろう。1人でも大丈夫なはずだ。それに、スザクのいかれた運動性能に、元拳闘士の男が興味を持つなんていう、予定外の事態にもなって欲しくない。あくまでも、そいつにはソーニャの鍛錬に、全力を傾けてもらいたいんだ。
「スザクさん、どこにいるんでしょうね?」
スザクの現在地が分かれば一番なのだろうが、名前が偽名である以上、世界攻略指南は役立たない。ソーニャの居場所を頼りに、元拳闘士の家のほうにまで来てみたが、それらしき人影は発見できなかった。わざわざいうまでもないだろうが、タマーラからもらった地図は、今はソーニャの手元だ。
「ドロシーと会ったときも、こうやってスザクのことを探したね」
「そういえば、そうでしたね。……あぁ、そのときスザクさんがついつい行きたくなる場所を、ギルドの人に教えてもらったじゃないですか」
言われて、俺も思い出す。雪乃の町で俺たちが広場に向かった理由は、そこが町の中心部だったからだ。
「行こう」
ドロシーにうなずき、俺たちは和鈴の町の中心を目指した。
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元拳闘士ミルコの家は、通りから離れた位置にある。
すでに高齢。
それを理由に引退したミルコは、静かな環境を好んだ。
「だから~! 何度も言っているだろう? 俺は、タマーラにあんたを紹介されたんだって」
玄関の前で声を張りあげるソーニャに、窓の隙間から顔を覗かせたミルコは、とても嫌そうに眉根を寄せる。
邸宅の前に敷かれた柵は異様に高い。
それは防犯というよりも、ミルコの人嫌いを表すものだったが、それでもミルコは、目の前の少女がどうやって玄関までたどり着いたのか、不思議でならなかった。柵は厳重に施錠されているので、内側へ入りようがないのだ。無論、これはスザクのおかげであったのだが、彼女はすでにソーニャと別れ、独り町の中心部へと向かっている。ミルコに経緯を想像することは不可能だ。
「あのふざけた女商人と、いったいどんな約束をしたかは知らねぇけどな、儂が引き受けるなんてことは言ってねぇんだ。勘弁してくれ。第一、儂とタマーラが最後に会ったのは数年前だぞ。そんなもん、もう縁は切れてんだろうが」
「じゃあ、俺とダチってことで、1つよろしく頼む!」
とんでもない理論で頼みこんで来るソーニャに、ミルコは早くも根を上げつつあった。これ以上、ここで問答を続けていても、自分の平穏な暮らしは戻って来ないだろう。目の前の少女が納得して、大人しく帰ってくれるとは到底思えない。それならば、いっそソーニャの修行につきあってしまったほうが、賢いのではないか。
小さなため息。
やや憮然とした表情ではあったものの、ミルコは窓を開けて外へと出て来る。履き物は縁側の近くに置かれていた、古びたサンダルだ。
素早く腕を構え、ミルコが戦闘の態勢を取る。
「分かった……面倒だが少々見てやる。儂も元は正式な拳闘士、そしてお主はそれを志すものだ。似たような立場。ここでは剛武志の掟も関係ない。やるからには本気で来い」
喜びに手を打ち鳴らしたソーニャが、にやりと笑ってミルコへと向かっていく。
拳闘士は貴族を魅せるための競技。その本質は、武芸の美しさにあるのであって、暴力を指向するものではない。ゆえに、拳闘士は実戦のための打撃を堅く禁じている。これが剛武志の掟と総称されるものであり、ソーニャが野盗を足で撃退する理由でもあった。
だが、この場にそのような性質はない。拳闘士同士の戦いであれば、それは他者に見せるためのものと決まっているからだ。
ようやく全力が出せることに、ソーニャは心から感謝して拳を振るう。
しかし、その殴打は難なくミルコにいなされる。それどころか、すり抜けざまに、ソーニャは肩に強打を食らっていた。
よろめく姿勢。
これはミルコの運動性能が高いからではない。
むしろ、逆だ。運動性能はソーニャのほうが明らかに上。今のは技術の差で負けたのだと、倒れたソーニャは理解した。
「……聞こえなかったのか? 本気で来い。出し惜しみなんかするな。お主には魔法……いや、スキルのほうか、あるだろう? それを使え。3度目は言わんぞ」
転んだ際についた泥を拭いながら、ソーニャは内心でミルコに最大限の賞賛を送る。
(……強ぇ。見抜かれているのか。プロ相手に、使わずに戦おうとしていた俺が馬鹿だったな)
心の中で、両方の拳を天に届かせるイメージを持つ。
スキルの発動に、心的な想像など必要ないが、ソーニャはいつもそうして己に活を入れた。それは習癖というよりも、精神統一の儀式に近い。
継続殴打。
ソーニャのまとう空気が変わったことで、ミルコは満足げにうなずいた。
「そう、それでいい」
ほどなくして、稽古が終わる。ソーニャのほうは肩で息をしているが、ミルコのほうに呼吸の乱れは見られない。目の前に厳然と横たわる実力差の大きさに、ソーニャは反骨的な苦笑いしか、浮かべることができなかった。
ミルコは言う。
「ソーニャとかいったか? 体の疲れについては気にするな。これは儂のスキルの問題だ。嫌々ながら引き受けたとはいえ、稽古は稽古だ。手を抜くわけにはいかんからな」
「そりゃ、どうも……」
「お主のスキル。はまれば強いが、欠点もある。拳闘士になるための大会は、トーナメント戦だ。どうしたって、他人に自分の試合を見られることは避けられん。弱点を看破されないよう、なるべく使わずに勝ち進めるなら、それがいいだろうな」
「具体……的には、どのくらいまで……セーブすればいい? スキルなしで行けるほど……易しくはねぇんだろう?」
地面に寝転んだソーニャは、なんともなしに雲を眺めながら言葉を返す。
「そうだな。準決まで、その拳だけで進められたなら、まぁ、今年の大会はお主の勝ちで間違いないだろうさ。ただ、筋がいい割に、戦いのスタイルが無骨なのが、やや気がかりだな。ソーニャ、お主、今まで1度も師はいなかったのか?」
弟子の関係にないからこそ、ソーニャが自分のもとに来たことは、ミルコも理解していた。だが、それでもなお、ミルコはソーニャの口から直接、事情を聞いておきたかったのである。
一方、ソーニャはミルコの言葉に黙りこんでしまっていた。スザクを師匠と慕っているソーニャだが、実のところ、スザクは自分の無茶につきあってくれる大人であって、拳闘士の技術を教えてくれる先生ではない。
ソーニャの格闘センスは、兄たちとくり返した喧嘩の賜物。環境が育んだ天然のものであって、指導者に習って覚えたものではなかった。
個人的に手本としている人間なら、ソーニャにもいる。昔、ソーニャがまだ幼い頃に出会った、旅の元拳闘士だ。渚瑳の町を訪れた彼女との出会いが、ソーニャに拳闘士という夢を抱かせたといっていい。
だが、もちろん彼女は、拳闘士時代の話をしてくれただけで、その技術までをソーニャに授けたのではない。剛武志の掟がなかったとしても、当時のソーニャはまだ子供。決して修行をつけてはくれなかっただろう。
「……。心の中にしかいねぇ」
だからこそ、話を聞かせてくれた拳闘士のスタイルが、ソーニャの模範であり目標でもあった。
なんとなくの事情を察したミルコは、それ以上、師弟の問題には踏みこまない。
「……そうか。じゃあ、ちょっとした天賦だな。お主、儂より才能あるぞ。本当に女か?」
「なっ! てめぇ、勝ったからって調子に乗んな!」
それが、空気を和ませるために吐かれた言葉だと、頭で分かっていても、性別を茶化されることはあまりいい気がしない。もっとも、ソーニャは他人に同じことをするのだが。
憤りを露わに立ちあがるソーニャだが、へろへろでミルコに殴りかかることまではできない。そんなソーニャを笑いながら、ミルコは室内へと戻っていった。
しかし、すぐにミルコの顔からは笑顔が消え、その表情は苦痛に耐えるものとなる。
(……いくら稽古とはいえ、ソーニャの拳を受けすぎたな。継続殴打……あれは相当やばい)
手のひらをさするミルコは、しばらくの間、何度も腕を振って、どうにか気を紛らわせないといけなかった。
※
勇者の狂信的な派閥は3種類あった。このうち、福音派についてはすでに見たとおりである。一方の復権派は、言葉どおり勇者の復権を狙う者。実力行使をもって、勇者の再臨を支援しようというのが、その活動の中心となる。
福音派に様々な団体があるように、復権派にもいくつもの組織がある。これは細かく見ていけば、同じ復権派であっても、微妙な違いが存在していることが理由だった。
例えば、勇者の範囲をどこまで認めるのか、その定義も実に様々だ。
一口に勇者といっても、往年の勇者才蔵が、自分の伴侶と共に多岐に渡る活動をしたことは、人々によく知られている。これは魔物の来襲から集落を守るべく、各地に伴侶を派遣したというのが好例だろう。そのため、勇者といっても才蔵本人だけなのか、それとも、先の町で親川巴苗が抜群の支持を得ていたように、才蔵のそばにいた女たちも含めて、勇者と考えるのかといった部分でも、意味合いは大きく変わって来る。当然、その定義の数だけ団体の種類も増えていく。伝説の勇者が、北方大陸を今のような形にしたのだ。その人気はあまりある。
復権派の中でも、最も多くの会員を抱える希勇の志士は、勇者の定義を最広義に設定していた。会員の数は支部の多さに直結する。早い話が、ここ和鈴の町にも、希勇の志士の支部があったのだ。
仲間の姿をしっかりと目に入れながら、サベージは声高に主張する。
「時は満ちた! 今こそ、和鈴様の御心を世に示すときだ」
対面に座る男は、感慨深げにため息をつきながら、それに応える。
「いよいよか……。本気でやっていいんだな、サベージ?」
「あぁ、もちろんだとも。なんだ、怖がってでもいるのか?」
サベージの発言に、男は激しく首を横に振る。今日という日を待ち望んでいたのだ。男に恐怖などという感情は微塵もなかった。
「まさか、その逆さ。ようやく、俺は自分の力を披露することができる」
意気込む2人とは対照的に、そばで落ち着きなく外を見回すウィロウの瞳は、不安に揺れていた。
「……でも、こんなに味方の数を減らしても、本当によかったのでしょうか?」
希勇の志士は膨大な会員数を誇る。支部クラスであっても、その人員は多量だ。それこそ、場合によっては、ギルドの構成員を上回るほどなのだから、いかにワールドに才蔵の威光が広がっているのか、それがよく分かる。
そうだというのに、アジトの部屋には今、ウィロウを含めてたったの3人しかいない。これから自分たちがしようとしていることの大きさを思えば、彼女が不安に駆られるのは、無理もないものだったのだが、後ろ向きなウィロウの姿勢を、サベージは激しく中傷した。
「馬鹿者が! このメンバーだからこそ、計画は成功するのだ。みだりに数を増やしたところで、計画を露呈するリスクが増えるだけだ。……それに、あいつらのことは戦力にならないから、追い出したのではない。我々は勇者を支える希勇の志士! ほかの町でもやるべきことはたくさんある」
「ご、ごめんなさい……」
自分自身に、価値があることを信じられないウィロウは、他人からの命令を盲目的に聞くことで、己に価値を見出そうとする。その消極的な性格は、必然的に、彼女にすぐ謝るという癖を与えた。そんなウィロウに対し、若干の苛立ちを覚えたサベージは、なおも彼女を叱ろうとしたのだが、それは男の質問によって中断されることになる。
「決行は今宵で間違いないな?」
「あぁ。俺たちは今日、水車を破壊する。この世の文明を、和鈴様のいた時代にまで戻すのだ!」
いびつな革命を頭に思い描きながら、3人は互いが運命共同体であることを、改めて認めようと、それぞれの方法で首肯した。
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広場のほうへと向かう俺たちは、その途中で名産品のムイエットに遭遇した。ムイエットといっても、実際に香水を染みこませた紙ではなくて、渓谷薔薇の現物だ。直接、匂いを嗅いで、香りのよさを体験してみろということらしい。
「どうだ? 兄ちゃんも試していかないか」
そう言われて、花に顔を近づけてみるが、風通しのいい場所に店があるせいで、香りは瞬く間に飛んでしまう。
ドロシーも同じ感想を抱いたようで、呆れるように肩を竦めていた。
「これはダメですね。花を手に持って嗅いでいいなら、また違うかもしれませんけど」
その発言を店主は待っていたようで、ドロシーの肩をつついて看板に目を向けるよう促す。俺は文字を読めないので、ドロシーの解説が頼りだったのだが、どうにも貨幣を払えば、その場で花を切ることも許されるらしい。
「一応、商品だからな。ただで切らせるわけにはいかねぇのよ」
「はは……あくどいやり口していますね」
俺は苦笑を交えて男に応えるが、提示されている価格自体は、妥当なものだとドロシーは言う。それならば断わる理由もないだろうと、俺は了承した。
花1輪の金額は安い。
それこそ、銅貨でもお釣りが返って来てしまうほどだ。この国が発行している通貨は、金貨・銀貨・銅貨の3種類なので、これより下の通貨というのは原則存在しない。だけど、庶民たちの暮らしでは、銅貨でさえ使い勝手が悪いときがあるので、これより安価な屑銭という物が用いられる。
注意すべき点は、屑銭がその地方でしか使えないところだ。ネモフィラ地方には、ネモフィラの屑銭があり、カモミール地方にはカモミールの屑銭がある。そんなものまで一々、俺は管理していられない。町に滞在しているときならばともかく、俺は屑銭を、基本的に次の町に持ち越さない方針でいた。
……だって想像してみてくれよ。ナップザックに、色んな地方の屑銭がたまっていくんだ。しかも、他の地方じゃ用なしだから、きちんと整理しないと使えやしない。銅貨くらいの金額なら俺も考えなおすが、屑銭は世話になったところに置いていくのが、正解なんじゃないか?
ベロニカのぶんも合わせ、俺は3つの渓谷薔薇を購入する。
「おいおい、ゼンキチ様。私に花を愛でるような趣味はないぞ」
そうだよね。ベロニカが可愛がりたいのは、グラントリーのほうだもんね――なんていう冗談がにわかに浮かんで来たが、口にしたら殺される予感がしたので、寸前で思いとどまる。
「俺にもないから、大丈夫だよ。みんなで楽しもう」
花の伐採は店主がするのではなく、気に入ったものを、客が自ら取るという仕組みのようだ。
せっかくなので、スザクに渡されたダガーを使ってみようと、俺はポケットから取り出していた。
花の先端を摘まんで茎を露出させると、俺は刃先を引っかけるようにして、短剣を軽く振り抜く。
スパン。
ほとんど力を入れることもなく、花は俺の手元に入っていた。
恐ろしい切れ味だ。
……痛っ。
あまりの鋭さで指を切ったのかと、何度も手を前後させて見返すが、当然そんなことはない。そうやって俺が不自然に自分の手を見つめていれば、心配してくれたドロシーが声をかけて来ていた。
「どうかされたんですか?」
「ううん、なんでもない」
俺は武具の扱いに慣れていないんだ。おおかた、握り方でも間違ったのだろうと、それ以上深く気にするのはやめた。
花を押しつぶす勢いで鼻の穴に持っていくが、少し甘い匂い――要するに、花の匂いしかしない。やはり俺では違いが分からなかったと達観していると、ベロニカも似たような感想を抱いたようで、興味なさそうに店主の前で花を捨てていた。……せめて、ここから移動したあとにしてあげればいいのに。
「花の匂いだ」
俺と同じ人種を見つけたことに安心すると同時に、こうなるとドロシーが何をいうのかが気になって来る。
期待した目で見つめれば、ややあってから彼女の口は開かれた。
「ベリーのような香りですね。その中に、樹木系の香辛料が、いくらか混じっているように感じられます。私からすると、花壇に面した書斎といったイメージなのですが、みなさんはどうでした?」
「あぁ、うん……そのとおりだと思うよ」
「さすがだ、ドロシー。あんたはいい妻になるよ」
俺たちとは別次元にいることを認めて褒めると、ちょっとだけドロシーは嫌そうに口元を歪めていた。
だが、あとでこっそりと世界攻略指南で調べてみたところでは、どうやらドロシーの感想は的確だったらしい。花壇に面した書斎という評価はともかく、ベリー系の匂いに、僅かにシナモンのようなスパイシーさがあると、渓谷薔薇を使用した香水の項目に書かれてあった。
店屋では香水を作る過程で生まれる、風味のついた液体も売られている。化粧品や料理の香りづけに用いるのが、メインの使い道のようだったが、そのままでも飲料としても使えるそうなので、俺はついつい1つ買ってしまった。もちろん、ドロシーは俺の無駄づかいを呆れていた。
……味?
クラスの女子が、うまそうにアップルパイを食べているのを見ながら、学校で水道水を飲んだときのことを思い出したよ。懐かしいね、ちょっとしょっぱいや。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




