60(後編) モンスター狩りもスタートしたが、やっぱり俺は知らない。
モンスター狩りに馬は使われない。
町の外に広がる漠々とした草原、その一角に柵を設けてフィールドを作り、試合はこの中で行われる。ルールは酷く単純で、モンスターとの1対1のバトルである。
討伐の対象であるインマチュアドレイクは、事前にテゾナリアス家が捕獲してある。このモンスターは、大型の爬虫類然とした魔物で、飛行する能力はない。ただし、しばしば二足歩行をすることが知られており、その際の背丈は、成人男性のそれを超えることもある。主な攻撃手段は、獲物を切り裂くことに特化した4本の爪である。硬質な爪は頑強で、人間の皮膚はもとより、動物たちの堅い毛皮であっても、紙を裂くように傷つけてしまう。
運動性能は8.1。
ドロシーよりはいくらか劣るが、これは彼女が異常なのであって、決して侮れる数値ではない。もちろん、邪法も使う。魔物討伐協会の策定したランクでは、マーキュリーマーメイドや、スケルトンライダーと並んでB+である。個体数の違いこそあれども、スケルトンライダーの群れが、渚瑳の町でギルドの男たちを相手に、邪法を使って完封したことは、記憶に新しいだろう。B+というランク帯は、そういう強さなのである。
幸いなのは硬度が高すぎないところだろうか。
インマチュアドレイクも、広義にはドラゴンに分類できるモンスターだが、ほかのドラゴンに比べてまだ鱗が柔らかく、その数値は6.6と控えめである。
通例では、エオガリアス家からはディートリヒが参加していたため、ワグトリアス家は棄権に近い状態であった。参加することはあっても、極端に手を抜いているか、あるいは早々にギブアップするかの、いずれかだったのである。いうまでもなく、その理由は、どれだけ真剣にやっても、この競技では最下位を脱することができないからだ。
だが、今期の出場者がカリナであることが判明すると、現金なことに、ワグトリアス家は途端にやる気を出し始めていた。幼気な少女が相手ならば、出し抜くチャンスもあると考えたのである。
戦う順番は、直前の種目で最下位だった陣営からだ。カリナとしては、ワグトリアス家の騎士による戦闘を、じっくりと観察し、次の番に備えておくことができる。
もっとも、それも尚蔵画布を用いた戦術では、観察が役立つことはほとんどないといってよい。せいぜい、スタートの合図が鳴ってから、どのタイミングで魔法を放つのがベストかを、序盤で探ることくらいだろう。
厳重な檻の中で、静かに伏せているインマチュアドレイク。
無論、これは、かのモンスターが大人しい性格をしているからではない。金属製のぶ厚い支柱には、いくつもの歯形と傷跡が見られ、これがひとしきり暴れたあとの姿であることが分かる。今の穏やかな姿勢は、闘志を隠している偽りの状態にすぎないのだ。檻から解放されれば、その凶暴性をいかんなく発揮することだろう。
テゾナリアス家の騎士2人が、扉を塞いでいる掛け金を外していく。
1つ、また1つと鍵が開いていくたびに、対峙する騎士の体に緊張が走った。先ほどはカリナの出場に勇んだが、本来であればリタイアしてもいい競技だったのだ。男の心に、後悔の念が生じたのも無理はない。
だが、そんな迷いもほんの一瞬。
すべての鍵が解錠され、インマチュアドレイクが、自由になったのを目にしたときには、すでに男は騎士の面構えに戻っていた。
咆哮を上げながら、襲い来るインマチュアドレイク。
彼我の距離にはまあまあな余裕があったはずだが、さすがに運動性能が8.1ともなると、肉薄までの体感時間は僅かしかなかった。
振り抜かれる強靱な腕。
あたれば痛いでは済まされない。
転がるようにして、横に回避した男が、立ちあがると同時に横薙ぎに剣を振るう。
ラサラサ砂場。
ただの剣技ではない。武器による攻撃に対して、土の性質を与える魔法を同時に使った攻撃だ。土属性も火属性の弱点の1つ。さすがに水属性には劣るが、多少は火に対しても強気に出られる。
加えて、魔法によって剣技が単なる物理攻撃から、魔術攻撃に変化したことも、インマチュアドレイクにあっては有利に働く。インマチュアドレイクの魔術防御は、硬度よりも低い値だからである。これならば、ずば抜けた運動性能がなくとも、モンスターに対してダメージを与えることが可能だ。
「ひゅーっ! やるじゃねぇか」
「なんだなんだ、今年のワグトリアス家は一味違うな!」
口笛と共に、見物人の間から歓声が上がる。
その反応に、ワグトリアス家の領主は、誇らしげに上半身をそらせたが、戦っている本人に、観客の応援を喜んでいるようなゆとりはない。
傷つけられたことで怒りだしたのか、インマチュアドレイクが両腕を上に持ちあげて、騎士の男を威嚇した。
邪法の予備動作だ。
腹の前で交差するようにして、モンスターの腕が2度振り抜かれる。
とっさの判断で、距離を取ろうと男は剣を前に突き出したが、1発目の攻撃で、明後日の方向に得物が吹き飛んでいた。
続けざまに振り回された腕こそ、体にあたらなかったものの、男の運はそこで尽きる。インマチュアドレイクの邪法は3段階の攻撃。両腕で相手のガードを崩してから、火炎放射を放つというものだ。
正面から、もろに魔物の邪法を食らい、騎士が身をよじりながら悲鳴を上げた。
「ぐぅあ!」
その手に武器はすでになく、反撃の目は詰んでいる。拾いに行くことを許すほど、インマチュアドレイクは低級の魔物ではない。
これで終いとばかりに、叩きつけるようにして、モンスターの腕が頭上よりおろされる。
直撃。
大きくバウンドしながら、男は柵へとぶつかり、ようやく停止。動けなくなった騎士は必然的に失格となり、ワグトリアス家のモンスター狩りは、あえなく終了となった。
「ちぇっ、やっぱりダメだったか」
盛りさがったことを隠そうともせず、観客がそれぞれ不満の言葉を口にする。
だが、様子を真剣に見ていたカリナにしてみれば、そのあまりに一方的な試合に、恐怖で身震いすることを禁じえなかった。
(まさか……ここまで)
他家に比して活動が緩やかといえども、戦っていた男も騎士の1人なのだ。自分よりはよほど強いはずだろう。
そんな男が、敵に一太刀浴びせた程度で、やられてしまったのである。カリナが恐れるのも無理はなかった。
だが、自分の夢のためにも、ここでへこたれているわけにはいかない。
「大丈夫。一撃離脱するだけだから」
表面上、それはカリナを制止しようとする、エスメラルダに向けての言葉だったが、実際は自分に言い聞かせているに近かった。
インマチュアドレイクは再利用されない。
公平を期すため、複数人の騎士たちによって、すでにワグトリアス家の試合に使われたほうは、無残に倒されている。カリナの相手は、まだ体力のありあまっている個体だ。
心の準備をするような時間はなく、すぐに別の檻が解錠される。
エオガリアス家から出場する、全く見慣れない女の姿に、観客から訝しむようなざわめきが起こったが、カリナがスキルの使い手と分かるや、その騒音は瞬く間に歓声へと変化した。
檻より飛び出すインマチュアドレイク。
狙いをしかと定め、画布が魔物の正面に来るように、カリナは移動した。
発射する6発のツアツア火球。
飛翔する火球は、迫り来るモンスターを迎え撃つようにして着弾。目標にたがうことなく、その業火を存分に浴びせた。
(怖かった……)
予想もしていない見事な討伐に、一同が静まり返る。
直後、爆発するようにして驚嘆の声が響いたが、それも長くは続かなかった。煙に包まれた中から、獣の動く気配がしたからである。
「……嘘」
思わず、カリナは後ずさっていた。
煙の晴れた中から現れたのは、当然のようにインマチュアドレイクだ。その姿を目にしてなおも、カリナは倒しきれなかったという事実を、受け止めることができないでいた。
なぜ、倒しきることができなかったのか?
それはツアツア火球の群れが直撃する寸前、魔物がかろうじて、防御の姿勢を取ったからである。あるいは、カリナが尚蔵画布を展開した直後に、ツアツア火球を放っていれば、インマチュアドレイクに、それを防ぐすべはなかったかもしれない。だが、カリナはミスをしないようにと、慎重を期した。結果的に、それがインマチュアドレイクに、身構える余裕を与えてしまったのである。
困惑したカリナが、さらに何歩か後退する。
さすがにインマチュアドレイクのほうも重傷のようで、すぐにはカリナを追って来ようとはしない。だが、それも時間の問題だろう。カリナにはもう、戦う手立てがないのだ。
「もういいわ、カリナ! 棄権しなさい!」
エスメラルダが、場外から大声でリタイアを勧めているが、カリナの耳には入っておらず、そちらに反応を示すそぶりはない。
恰好だけはディートリヒに整えてもらったので、その腰には剣を佩いているものの、もちろんカリナには扱えない。装飾となんら変わりなかった。
「カリナ、何しているの!」
インマチュアドレイクが近づいていくに連れ、エスメラルダの呼びかけも、どんどんと悲鳴の色を帯びていく。それでも、一度、恐怖に染まってしまったカリナの心は、外界の事柄に意識を向けることができない。
(怖い……やだ。どうにかしないと……)
自分の中の問題だけで、精一杯。
とても、人の声に耳を傾けるような状態にはない。
しかし、その内向きの思考は、偶然にもカリナに起死回生の手段を閃かせる。
カリナはゼンキチから聞かされていたのだ。己のスキルが、単に魔法のみを対象としているわけではないことを。
『大丈夫。カリナの尚蔵画布にはまだ余裕があるよ。間違いない。魔法だけじゃなくて邪法も防げるみたいだけど、ツアツア火球なら6発だ』
尚蔵画布が保存できる超常現象は、なにも魔法に限った話ではない。魔物の使う邪法も対象に入っている。
これだけでは、あまりに突拍子もない発言で、とてもではないが信じることなどできなかっただろう。
だが、ゼンキチはすでに前例を示している。
(ゼンキチの言ったことは本当だった。ちゃんとツアツア火球は、6発しか受け止められなかったんだ)
それならば、インマチュアドレイクの邪法を吸収することも、できるのではないか。
インマチュアドレイクのランク帯はB。それはすなわち、邪法を使って来るランクであり、かつ、その種類が1つしか報告されていないということだ。
インマチュアドレイクの邪法はすでに、この目でしかと観察している。
模範生な気炎という遠近一体の攻撃だ。
両方の腕を、本来の運動性能よりも早くに振り回しつつ、最後に口から火を吹くというもの。この技は、魔物が持つステータス以上の動きを要求するため、使えば使うほどに、インマチュアドレイク自身も傷ついていく。不用意に発動されることはないし、構えもおのずと大ぶりになる。
まだ、自分にもチャンスが残っているのだ。
「やれる……いいや、私がやるんだ!」
凝視。
注意深く、カリナはインマチュアドレイクの腕を見つめる。
その間にも、エスメラルダは外野から、棄権するように指示を出していたが、カリナはそのことごとくを無視した。集中していて、聞こえなかったわけではない。意識して、エスメラルダの言葉を頭の外に追いやったのだ。
カリナとて、エオガリアス家の一員だ。
以前、ゼンキチに尋ねられたように、ゆくゆくは絵描きとして、この町で生きていくつもりでいる。その夢を実現するために、今、この場でありったけの勇気を、振り絞らなければならないというのであれば、やはり奮い立つべきなのだ。
インマチュアドレイクに接近するのは、誰だって怖い。
当然であろう。
常識外に恵まれた運動性能の持ち主でもなければ、成人男性を上回る力量の魔物を相手に、自分から進んで向かっていくことは、とてつもない心理的負担を強いられる。
だが、カリナはそれをやる。
(……今!)
邪法の気配を敏感に感じ取るやいなや、カリナはインマチュアドレイクへと近づいていった。
無策ではない。
いかに高速な動きといえども、体の弱った今ならば、邪法が展開されるまでには時間がかかる。
カリナの運動性能であっても、予備動作を見てから避けることは、十分に可能だろう。
間違っても、腕の攻撃にはあたってはならない。
それだけゲームオーバーだし、うっかり保存することもダメだ。
物理の邪法を保存できるのかは不透明だし、仮にできたとしても、自分の腕をあんなに早く振り回してしまっては、自損でリタイアが必至になる。絵描きとしても、無闇に腕を傷つけることは認められない。
最後の火炎だけを狙って確保するのだ。
「――ッ」
奇声を上げて、インマチュアドレイクが腕をカリナに向ける。
それを間一髪のところで回避したカリナが、素早くモンスターの正面に立った。
一度、発動してしまった邪法は止められない。
尚蔵画布の効果を知らないインマチュアドレイクは、そのまま画布に向かって火を放つ。
即座に、ストックした邪法を解放して、無防備になった魔物の頭に、カリナは特大の火炎をぶつけた。
いくら相性の悪い属性といえども、これだけ多量に受け続ければ、ダメージは計り知れない。
「やった……」
力の尽きた魔物が、後ろへと倒れこむ。
見事にカリナは、自分の力のみでインマチュアドレイクを討伐したのだ。
「カリナ!」
いてもたってもいられず、駆け寄ったエスメラルダが、カリナの体を抱きとめた。
されるがままに、カリナの体から力が抜ける。
張りつめていた緊張が解け、自分の足では立っていられなくなってしまったのだ。
その後、テゾナリアス家より出場したケラハーが、難なくインマチュアドレイクを倒す。
モンスター狩りにおけるエオガリアス家の順位は、カリナの奮闘により2位に終わった。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




