59(後編) ランタンレースがスタートしたが、俺は知らない。
不意打ちのようにして始まるランタンレース。
だが、よそ見をしている騎手たちではない。気を抜いていたドミニクさえ、僅かな遅れも見せずに馬を駆けていた。
居住区へ向かうまでには、少しだけだが、直線がある。レース開始直後のこの部分で、どれだけスタートダッシュを決められるかで、その後の試合展開は大きく変わる。そのことを百も承知であったエスメラルダは、直線を駆けるやいなや、すぐさまドミニクに対して、己のスキルを発動させていた。
ランタンレースの肝は、地理の把握と、夜暗にも恐れない勇敢な平常心だ。披露したいのは直接的なバトルではないため、試合中は、魔法やスキルの使用が禁止されている。当然、見つかった場合には失格だ。魔法を使ってコースを明るくするといった行為は、すぐに発覚するので、こういった不正に及ぶのは困難である。
しかしながら、その競技精神に反して、当事者にしか分からない手段で、相手の騎手を妨害するのは、もはや暗黙の了解となっていた。試合の結果が、向こう半年の趨勢を決めてしまうので、手段を選んでいられないのだ。第三者によって判別できない不正は、もはや不正とは呼べないのである。
二重拘束。
エスメラルダのスキルの効果は2つある。1つは、己の右手を犠牲に、相手に不動を強いるもの。もう1つは、己の左手を犠牲に、相手に魔法の使用を禁ずるものだ。
犠牲といっても、言葉どおりに腕が失われるわけではない。自由に操作することができなくなる、という表現が正しい。馬上からおりることのないランタンレースで、右手を犠牲にすることは無意味だろう。落馬すれば大幅なタイムロスとなるので、相手に不動の効果を与えるほうが、むしろ損であるし、エスメラルダ自身も手綱の調整が難しくなる。
だが、魔法を禁止することには大きな意味がある。テゾナリアス家から出場するような選手が、魔術の素養を持たないことなど、考えられないからだ。
ドミニクからすれば、敵は女。少々気が引けたが、だからといって勝負を譲ってやるほど、お人よしではない。そもそも、白癩騎士でもなければ騎士道とは無縁なのだ。婦人を大切にしようという精神を、ドミニクは有していなかった。
粛々と試合に臨むエスメラルダを、少しからかってやろうと、ドミニクが風の魔法を発動させようとしたとき、己の体の異変に彼は気がついた。魔法が使えないのだ。
(……。早速、使って来たか。まぁ、そうじゃなきゃ、やりがいがないわな)
魔法を封じられたのは痛いが、大局的には問題がない。ショートカットを使えば、試合に負けることはないからである。
ドミニクが笑いながら、馬を駆ける。
その様子に、前を走るエスメラルダは不審がった。今走っている直線が終われば、コースは道幅の狭い居住区へと入る。この区間での追いあげは絶望的だろう。後続の技術がどうであれ、先頭を走る騎手のペースに従わざるをえなくなる。そうであればこそ、スタートダッシュの勝敗は、馬鹿にできないポイントなのである。
安全策に走りがちなワグトリアス家であれば、捨て身で向かって来ないのも納得できるが、殊に、多数の人員を抱えるテゾナリアス家が、選んで出場させたドミニクが全力で走らないのは、エスメラルダの目には奇異としか映らない。はっきり言えば、勝負を捨てているとしか思えなかったのだ。
(何か策が……? それとも、自分が思っている以上に弱いのですか? まぁ、いいでしょう。どのみち、最後まで抜かされなければ結果は同じこと。自分がエオガリアス家を勝利に導きます!)
先頭を確保したエスメラルダは、自分の有利を不動のものとするべく、ランタンの出力を大幅に下げた。これから先、選手たちを待ち受けているのは、度重なる増改築によって複雑化した、編み目のような道路だ。何も考えずに走っていては、前の選手のランタンを追えばいいだけの後続が、圧倒的に有利になる。ドミニクも抜かりなく、町の地形はしっかりと覚えて来ているだろうが、それでも、むざむざとコースを案内してやる必要はない。自分の疾駆に必要な、最小限の光にとどめる。
建物の配置は、完璧に頭に入っていた。
目を瞑っても歩けるというのは、さすがに大げさだが、エスメラルダはこの町に古くから住んでいるメイドだ。そこいらの市民よりも巴苗の町に愛着があるし、何よりも先代の当主を支えるべく、少しでも暇があれば、町に異変がないかどうか、その様子をじかに見て来た。そんな彼女にしてみれば、飛び出した看板の位置や、路地のでこぼこ具合を諳んじることなど、造作もなかったのである。巴苗の町はエスメラルダの味方だ。夜の闇さえも、彼女に加勢しているかのようだ。
(……こればっかりは感謝しますよ、カリナ)
エスメラルダがランタンレースに出られたのは、カリナが馬上試合への参加を、決意したからにほかならない。そうでなければ、当主であるグラントリーが、出場せざるをえなかったので、このような危険なレースは選べない。エスメラルダが、いかんなく実力を発揮できるのは、今回が特別だからである。
もっとも、カリナの出場を、エスメラルダは全面的に認めているわけではなかった。カリナは画家見習いなのだから、戦闘とは無縁だ。そのような少女を、表にまで引っぱり出さなければならなかったことを、内心は恥じていたし、そそのかしたゼンキチのことを恨んでもいた。
だが、この試合中だけは、そうではない。全身全霊を込めて、1位を取りに行くつもりでいる。
コースそのものに、エスメラルダを脅かすような不安はない。心配なのは、むしろ、他家の用意している妨害の中身だろう。エオガリアス家が準備したのは煙玉で、レース中盤のカーブ手前という、大変嫌な位置に置かれている。
カーブではインコースを取るのが鉄則だ。
最初から視界が不明瞭なのだから、煙玉など悪臭なだけで、大した効果が得られないだろう、という声があるやもしれない。だが、それは誤解だ。騎馬がコースアウトしたかどうかに使われるのもまた、発煙する魔動具。これと煙玉の間に、煙の種類という違いこそあれども、それらを即座に見分けることは難しい。さも、正規の範囲から飛び出してしまったかのように、騎手を不安にさせることこそが、エオガリアス家の策略である。時間を食えば大成功。少しでも気を散らして、スピードを落としてくれれば、御の字だ。とっさに焦らない騎手は少ない。
それがカーブ手前に置いてあるのだ。攻めの姿勢で内側に突っこめば、引っかかる仕掛けであることは間違いない。ましてや、他の障害物と違って、煙玉は小さい。遠目で判断することもできないだろう。
翻って、レース終盤まで、後方で様子を窺っているワグトリアス家は、一発逆転を狙っているのが見えみえである。おおかた、ゴール手前に、照明弾を設置したのに違いない。スプリント勝負とはいえ、目を閉じた状態で疾駆するわけではないのだ。突如放たれる強烈な光で、騎馬の目がやられれば、その間に追っ手が、ゴールを横取りすることもできる。このような作戦でいると見てよい。
(テゾナリアス家はどうでしょうかね……)
乱雑に建った家屋の間を、縫うようにして走る選手たち。
複雑な曲がり角を経て、先頭の選手が中盤の急カーブに差しかかった。
ちらりとエスメラルダが後ろを振り返る。
ドミニクの位置は、レース序盤から変わっていない。離れてもいないし、追いついてもいない距離だ。道幅の関係から、抜かされないのは当然としても、置き去りにもできていないというのは、少し意外だった。いくら後方が有利といっても、ランタンの灯りは限界まで弱めてあるし、地形によるタイムロスも最小限に抑えていた。一応はとっておきなので、馬の本領はまだ発揮していないが、さりとて手を抜いていたわけでもない。第1種目を任されるだけあって、ドミニクもまた強敵だというふうに、少々評価を改める必要がありそうだ。
手綱を左に強く引く。左に曲がれという合図だ。
これだけ闇が深ければ、馬も相当に恐怖を感じているだろうが、ビルキメから借りた汍瀾は、驚くほど素直に騎手の言うことを聞いた。
(いい子だ……。巴苗様に捧げることに不満はありませんが、やはりこれほどの名馬だと惜しいですね)
カーブで一気に突き放すつもりでいるエスメラルダは、ここでランタンの出力を上げた。他家の障害物を見極めるためである。早くも、ここで決着をつけるのだ。
テゾナリアス家による妨害は、十中八九丸太であろう。急カーブを無事に抜けられた地点――ついつい、騎手が安心して気を抜いてしまう場所に、地獄へ叩き落とすための仕掛けがあると見た。
出力を最大まで上げたランタンは、前方をはっきりと照らす。
曲線を描く道路は、選手たちの視線を拒むようにして、待ち受ける光景をいくらか塞いでいるが、丸太が置かれていることは疑いない。タイミングを見計らって、あとは馬にジャンプを促すだけだ。
手綱を強く2回引く。
汍瀾は一切の遅滞なく、エスメラルダの要望に応える。
ランタンが上下に揺れるさまを、後ろから綽々と見ていたドミニクは、エスメラルダの鮮やかな馬術に、思わず口笛を吹いていた。
ドミニクが煙玉に引っかからなかったのは、単純な理由による。すなわち、ショートカットを使えばいいだけなので、わざわざエスメラルダを、全力で追跡する必要がなかったのだ。いくらドミニクが抜け目のない性格をしていても、本格的に馬を走らせることになっていれば、カーブの手前に置かれた煙玉と、接触せざるをえなかっただろう。その場合には、ドミニクとしてもぎょっとしたはずだ。エスメラルダとの差は、ますます離れていたに違いない。
(やるねぇ……。あの角度じゃ、ろくに丸太なんか見えちゃいねぇだろうに。それにあの馬……やたらと早ぇな。気のせいじゃねぇ。……やっぱ、ショートカットを使わねぇと勝てねぇな。悪く思うなよ、エスメラルダ。これは勝負なんだからな。陣営の抱える人の多さも、謀略の数も実力のうちだ)
今までのちゃらちゃらとした顔つきから表情を改め、ドミニクはしっかりと手綱を握った。
まもなく、区画3-C。味方から合図された範囲である。
用心深く、ドミニクが周囲に視線を走らせていく。
レースのコースは、このまま一度左に大きく折れ曲がってから、右側へと戻って来る。そのため、この区画にショートカットを置くとしたら、その位置は右手しか考えられない。カーブを端折る方法以外では、隠し通路を作れないからだ。ここまで条件が揃ってしまえば、実践経験の豊富なドミニクが、それを見落とすことはありえなかった。
名残惜しむようにして目を細めたドミニクが、エスメラルダの背中に別れを告げて、突如として右折する。背後より、テゾナリアス家に迫っていたワグトリアス家の騎士も、それを見るにつき、ドミニクのあとを慌てて追った。
ほどなくして、蹄の音に気がついたドミニクが、自分の後ろにぴたりとついている男の存在を認める。
(まさか、自力で見つけたってわけじゃねぇよな? 漁夫の利か? 気に入らねぇな……)
ショートカットといっても、町中をコースにしている関係上、そうそう都合よく、直線ばかりのルートで構成されているわけではない。正規のルートとは違い、事前に覚えておくことができないため、コースアウトの範囲は広めに設定されているものの、巴苗の町の正確な地図を頭に思い描けなければ、道に迷ってしまうことは十分にありうる。
ましてや、今は月明かりもまばらな夜。
前の人間の背中をただ追っていこうなどと、呑気に構えているようならば、自ら進んで現在地を見失おうとしているに等しい。
ゆえに、ドミニクはランタンの灯りを不意に消した。
ドミニクにとっても、これは決して楽な言動ではない。正規のコース自体は把握しているが、隠し通路に使われる細かな道までもを、完全に暗記しているわけではないのだ。闇の中をいつまでも走ることは、ドミニクといえどもできなかった。
「なっ!」
後方より、驚きの声が上がる。
だが、ワグトリアス家の騎士が、ドミニクの意図に気がついたときには、すでに手遅れであった。男はほとんど促されるままに、ドミニクについて来ただけなのだ。よほど入念に準備をしていなければ、この状態から、隠し通路を脱することなどできないだろう。もちろん、来た道を戻ることも不可能だ。そして、当然のように、この男はそんな努力とは無縁であった。
まもなく、やけくそに進んだワグトリアス家の騎士が、騎馬の足下から煙を上げていた。コースアウトしたのだ。その意味するところは、失格である。
※
レース終盤、最後のストレートに入ったとき、エスメラルダは自身の勝利を確信していた。長大なカーブで勝負をしかけて以降、何度か後ろを振り返ってみたが、ドミニクはおろか、一度も騎手の姿を見かけなかったのだ。自分が一番にゴールできると思うのは、エスメラルダでなくとも自然な反応だった。
それゆえに、ゴールの先にドミニクの姿を見かけたとき、エスメラルダの顔は驚愕に歪むこととなる。
(……そんな、馬鹿な)
無論、悪態をついてみたところで、レースの結果は変わらない。エスメラルダの順位は2位である。
「お疲れちゃん」
嫌らしい笑みを浮かべたドミニクが、帰って来たエスメラルダへと声をかける。それは言外に、真っ当な方法で勝ったわけではないという告白であり、馬上試合を汚しているのは、お互い様だろうという表明でもあった。
きりりとドミニクのほうを睨みつけてから、エスメラルダはグラントリーのもとに戻っていく。当主を前にした彼女は、ただちに頭を下げていた。
「申し訳ありません。かような名馬をお借りしておきながら、自分は結果を残せませんでした」
「仕方ないよ……。運には勝てない」
ドミニクがショートカットを使ったのは、誰の目にも明らかだった。それゆえに、グラントリーは純粋にドミニクの強運を認める。
そんな当主の優しさを否定するようで、エスメラルダの心は痛んだが、今後の馬上試合に対する認識を改めるためにも、間違いを正しておく必要があるだろうと、彼女は力強く首を横に振っていた。
「いえ、恐らくは初めから、隠し通路の位置を知っていたのでしょう」
「まさか、そんな!」
懐疑的な見方をするエスメラルダに、思わず、グラントリーが義憤の声を上げていたが、同じ陣営のベロニカさえも、グラントリーを諫めようとエスメラルダに同意していた。
「そういえば、レースが始まる前に、火の魔法が使われていたな。まさか、あれが?」
「えぇ。十中八九、ドミニクに場所を伝えるためのものでしょうね」
メイドの2人に諭されれば、無垢なグラントリーといえども、考え方を変えざるをえない。グラントリーもまた、不自然に上げられた魔法を目にしていたからだ。反証しようにも、テゾナリアス家が極端に有利な警備という現実で、二の句が継げないでいる。
沈鬱な表情で、グラントリーは頭を抱えた。
「……覚悟していなかったわけじゃないけど、本気で優勝を狙おうとすると、こんなにも大変なんだな。もっとちゃんとした方法で戦いたかったよ」
子供ゆえの浅はかな台詞。
そんなふうに、グラントリーを撥ねのけることは簡単だ。
だが、自分たちのやっていることが、公正でないと自覚している2人には、グラントリーに返す言葉を見つけられない。せめて、このような試合が今回限りで終わるようにと、これまで以上に覚悟を強めるだけである。
事の顛末を知らない観客たちが、今宵の発熱したレースに酔いしれ、市場は大いに賑わっていた。それらと無縁なのは、実際に馬上試合に参加する者たちだけだろう。
「悔しいだろうけど、ごめんね。エスメラルダ、明日のために早く床に就いて欲しい」
うなずいたエスメラルダは、グラントリーの護衛をベロニカに任せ、颯爽と自宅へと戻っていく。
「……何か見ていくか?」
気休めにかけられたベロニカの誘いに首を振って、グラントリーもまた宿屋を目指すのだった。
汍瀾のアドバンテージを活かせなかった、エオガリアス家の惜敗である。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




