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54 俺、族長の娘に出会う。

 巴苗(はなえ)の町における畜産は、羊が大部分を占める。割合でいうと、山羊・馬があとに続き、豚などにもなると、数としては趣味の範囲に落ち着くようだった。


 話によれば、家畜にできる動物というのは、厳密に種類が決まっていて、なんでもかんでも動物であれば家畜にできる、というわけでもないようだ。家畜化可能かどうかを分けるルールには、細かくいくつか条件があるそうだが、その中でも、特に重要な決まり事として、その動物が群れを作るか否かというものがあるらしい。無論、群れを作るグループが、家畜にできるほうだ。


 シバエイカ族とは異なり、こちらの族長は愛想よく対応してくれていたのだが、俺はここでも部族の名前でつまずいていた。


 ……今日、新出語がやけに多いな。

 いじけたように草地を足で遊んでいれば、苦笑を浮かべたドロシーが、再び名前の解説をしてくれる。


「こちらも古語ですね、ご主人様。『_ウィルド』は、たしか『動く』って意味ですから、遊牧民ってことです」


 当たり前のように、古い知識を語るドロシー。

 この世界のメイドは、高給取りの部類に入るそうなので、教養があるのが普通なのかもしれないが、それにしたって、ドロシーの知的レベルはかなり高い。どこでそんなことを知ったのかと感心するが、そばに(たたず)む女商人はその上をいくようだ。


 ドロシーの言葉を耳にしたタマーラが、なんでもないふうにして、発言の中にあった誤りを修正する。


「正確には『歌う』だね。それが転じて、移動するといった意味を持つようになったのさ。雅語だけどねぇ。一方の『ンラ_』は『西の』といった具合さ。だから、真に受けるならば、西側の遊牧民という感じの意味合いになる。『_エイカ』も古語だから、そっちにももちろん意味はあるんだが……少年は『_ウィルド』のほうだけ覚えておくといい。そっちが遊牧民だ。ほかの部族に関しては、定住して畜産を行っているからねぇ。残りのンラエイカ族・ゾミエイカ族なんて、一々、覚えたくはないだろう?」


 お勉強の色が強くて、限界を迎えつつあった俺は、頭を抱えながらうなずいた。日本語に区分できそうな古典でさえ、俺は投げだしたのだ。言葉もほとんど知らないワールド語なんて、もってのほかだった。


「そうさせてもらうよ」


 部族が異なると、具体的に何が変わるのか。そんな声もあるかもしれない。

 ンラウィルド族やシバエイカ族のように、遊牧か定牧(ていぼく)という大きな違いであれば、差も明瞭で分かりやすいだろう。だが、ンラウィルド族を除いた3つのグループは、同じ定牧(ていぼく)に位置している。こちらの差異は、いったいなんなのか。


 大局で見れば、同じスクールカーストの底辺に位置していた陰キャにも、いくつかのグループが存在していたように、コミュニティーが異なれば、たとえ似たような活動をしていても、それはもはや別物だと俺は思うのだが、細かな視点で見ていけば、やはり部族にも違いというものは見られるらしい。


 まず、使う道具が違う。

 ゲージの大きさにも微妙な変化があるし、屠殺(とさつ)に使われる刃物にあっては、部族に伝統的な形をしていて、それぞれに特徴がある。家畜を屠殺(とさつ)する手順や、どこから切り落とすかといった順番にも、様々な違いがあるようだった。


 内容が内容だけに、ちょっとグロテスクなので、俺は真剣に族長の話を聞かなかったから、分かったのはその程度だった。だから、中途半端な理解しか得られていない。もっとも、いかにも学問的なお話だったので、たとえ中身がグロテスクじゃなかったとしても、俺の集中力では途切れていただろう。どのみち、結果は同じだ。


 いずれにせよ、習慣などといった小さなカテゴリーでの、文化が変わるのだ。

 タマーラは、積極的に部族長と話を続けている。

 これはあとで知ったことなのだが、ンラウィルド族は遊牧民であるがゆえに、ほかの部族たちからあまり好かれていない。だから、タマーラたちが積極的に接触したとしても、ワグトリアス家から、そこまで(にら)まれないとのことだった。ドロシーやエスメラルダが普通の対応をしていたので、俺にはそんな事情に、まるで気がつくことができなかった。


 そんな無神経な俺だったからこそ、族長の娘と出会えたのかもしれない。嫌われていることを知っていれば、余計な気を回して、俺も自分から、あまり関わろうとはしなかったとも考えられる。


 タマーラのことを横目に見ながら、俺はもう自分にできることはないだろうと、その辺をぶらぶらし始めた。


 こっちの家畜は、まだ病気に罹患(りかん)していないということだったが、どのみち使われている牧草は直並鴨茅(ひたみかもがや)なのだ。違いはない。ンラウィルド族には幸運なことに、まだ発症していないだけなのだろう。でも、その偶然も長くは続かないはずだ。じきに奇跡は終わるだろう。


 結局、世界攻略指南(ザ・ゴールデンブック)をもってしても、畜産の病気には太刀打ちできなかったのだ。そもそも、広範な情報を得るという作業自体に、世界攻略指南(ザ・ゴールデンブック)は向いていない。どうしたって勉強の要素を多分に含んでしまうため、俺のほうの能力の限界を超えてしまう。


 腰元にまで達する草原。

 あてもなく、そんな直並鴨茅(ひたみかもがや)の中を歩いていると、前方に羊を連れて歩く女の姿が見えた。(とし)は俺と同じくらいだろうか。


 赤い髪の毛。

 赤といっても、ドロシーのような色合いじゃない。ドロシーは目の覚めるような、はっきりとした赤色。こっちの女は、青とか紫とか、そういう寒色の混じっている暗めの赤だ。黒っぽい赤と、表現してもいい。


 放牧は力仕事だと思っていた俺は、彼女のふるまいに素直に感心してしまっていた。


「女の子でも放牧するんだね。てっきり、男の仕事だと思っていたよ」


 この赤髪の女が、ビルキメという名前であることを、俺はまもなく知った。


「羊くらいなら、男女は関係ないよ。馬はちょっと大変だけどね」


 凜とした声音。

 決して、ぶっきらぼうな感じはない。

 てっきり、人嫌いな遊牧民だからこそ、社会になじまないんだとばかり思っていた俺は、彼女のフランクな対応に驚いていた。


 そんな俺の態度から、彼女は俺の心境を察したらしい。

 (あき)れたようにして、(おく)れ毛を耳の後ろにかけている。


「生来、私たちは人好きよ。そっちが勝手に私たちを嫌っているだけで、私たちからすれば、知らない人に会うことって日常の一環だから。……今でこそ、こうして巴苗(はなえ)の町に落ち着いちゃっているけど、本当は、ちょっとずつ違う土地に移っていくものだしね」


「なるほど。夏と冬じゃ、気温がまるで違うから、生えている植物なんかも変わって来るもんね。よく知らないけど」


「……それは移牧。山の上と平地を行き来するものでしょう? 単純に、餌がなくなったら次の場所に移っていくのよ。巴苗(はなえ)の町じゃ、食べきることもないでしょうけど」


 そう言って、ビルキメが、周囲に鬱蒼と生える直並鴨茅(ひたみかもがや)を見回した。

 場所を決めているのか、ビルキメは特定の方向に羊を誘導していく。しばらくして、羊を適当な位置で解放すると、自身は座って編み物をし始めた。食べている間は羊に任せ、こうして編み物をするのが定例なのだという。


「あなたってお(しゃべ)り好き?」

「ごめん、邪魔だった?」


 慌てて俺は聞き返すが、ビルキメは気にした様子もなく、ただ首を横に振る。


「それじゃあ、単に遊牧民について知りたいだけなの?」

「ごめん、どっちも違うかも。でも、女の話を聞くのは好きだよ」


 本心を語れば、ビルキメが露骨な嫌悪感を示した。やっちまったと、俺は即座に話題を変える。


「そういえば、牧畜は無事なんだってね」


 俺としては、ンラウィルド族の幸運を喜んだつもりなのだが、これは悪手だった。タマーラは教えてくれなかったのだが、くだんの病気をンラウィルド族の仕業だとする、不愉快な悪評が出回っていたのだ。さんざん、犯人だと思われているビルキメにしてみれば、俺の発言が、嫌味に聞こえたとしてもおかしくはない。


 ゆえに、ビルキメがまたかと言いたげに眉根を寄せる。


「あなたも、私たちがやったと思っているのね」


 だが、このときの俺は無知。だからこそ、文脈を理解できず、見当違いの答えを返すことになる。


「えっ、なんで? 別に、そんなことは思っていないよ。もし、やっちゃったのだとしても、俺は犯人じゃなくて、どうしたらやらなくなるのかっていう、方法のほうを探したい。……でも、今回に限っていえば、犯人がいてくれたほうが俺としては助かるかも。実は、この病気を止めようとしているんだけど、原因がよく分かんなくてさ。いっそ、人災であってくれたほうがいいな――なんて」


 半ば諦めつつあった俺は、べらべらとビルキメに身の上を語ってしまう。いきなりの自己紹介に(あき)れたのか、それとも、俺の非現実的な発言にアホ臭さを覚えたのか、ビルキメが口を半開きにして俺を見ている。


 ……やっちゃった。

 前にも早口をかまして、ドロシーにたしなめられたことがあるが、まさしく今それを再現してしまった。


「……不思議な人ね。でも、私たちのせいじゃないわよ。何もしていないんだから」


 俺の陰キャムーブについては、水に流してくれるらしい。出会ったばかりだが、ビルキメはすごくいい子だ。


「そっか。じゃあ、俺は君の家畜が無事なことだけ喜ぶよ」


 そのあとも、俺はビルキメと一緒にいながら、遊牧について簡単に教えてもらった。

 放牧というと、俺には牧羊犬のイメージが強かったのだが、ンラウィルド族では飼育していないらしい。


 やがて、群れから()()()てしまいそうな羊を認めたビルキメが、素早く弓を引く。

 矢じりはついていない。

 代わりに、特殊な形状の造りが矢柄(やがら)の先についていて、音が鳴るようになっているのだ。ただし、ここの羊は近くで大きな音が響いて来ると、逃げださず、驚いてその場に固まってしまうため、有意味な範囲かつ、適切な距離を開いたままに鳴らすのが、羊を群れに戻すコツだという。


「熟練の技よ」

「……自分で言っちゃうんだ」


 思わず茶化すと、ビルキメが手にしてた赤い弓を一式丸ごと、俺のほうに手渡して来た。


「やってごらんなさい」

「えぇ……」


 悪気はなかったとはいえ、たしかに俺の自業自得だろう。

 恥をかくだけじゃないかと思ったのだが、ビルキメだってただの女の子には違いない。俺に技術はないが、運動性能だけを見れば俺に()がある。


 そう思って見よう見まねで弓を構え、弦を思いっきり引っぱってみるのだが、まるで後ろにさがらない。


「ふんぬぬぬぬ!」


 一瞬のうちに、鉄製の道具にでも変わったんじゃないかと、そんな気がして来るが、たぶん、これは気のせいだ。鉄の弓だったら、そもそも俺は持てていない。


 渾身の力を込めるも、先に体力が切れてしまい、弓から矢が放たれる。

 ぽとりという擬音は大げさだが、一瞬にして失速し、無情にも俺の矢は地面に落下していく。肝心の音も、出来損ないの放屁みたいな、いかにも惨めなものだった。


 気まずい沈黙に耐えかねて、俺はすぐに口を開く。


「……恐れいりました」

(うそ)でしょう、ゼンキチ? あなた、子供より(ひど)いじゃない」


 ……そんなに?

 俺の名誉のために、こっそりと世界攻略指南(ザ・ゴールデンブック)でステータスを盗み見れば、ビルキメの運動性能はソーニャ並みの数値だった。納得だ。というか、女性の平均3.0ってマ?


 弓を彼女に返しながら、羊が(うま)そうに草をはむのを、俺はぼんやりと見つめる。


「ねぇ、あれも直並鴨茅(ひたみかもがや)だよね?」

「そうよ」

「……。やっぱり、どこでも食べている物は変わらないのか」


 それは何気ない一言だった。分かりきっていた台詞(せりふ)であり、ビルキメに親しさを覚えたからこその、他愛もない返事のつもりだった。でも、次に彼女が発した言葉で、畜産の問題は一気に解決へと進んでいくのだ。


「何、言っているのよ。全然違うじゃない」


 予想だにしていない返答に、俺はびっくりしてうまく唾を飲みこめず、むせてしまう。


「えほ……げほ。えっ? おんなじ牧草だよね?」

「種類はね。でも、町からこんなに離れれば、味も食感も全然変わるわ。そうしたら、羊たちの食いつき具合だって、大きく変わって来る。ほら、まるで別物じゃない。第一、だからこそこうして、放牧のルートを決定しているのよ? (うそ)だと思うのなら、食べてごらんなさいよ」


 人も食べていいものだったのかと、俺は言われるままに、直並鴨茅(ひたみかもがや)を口の中に入れていた。

 もちろん、この牧草は食用じゃない。なんとも言えない雑草の青臭さが、口いっぱいに広がるだけだ。


「……美味しくないよ」

「そりゃ、人の食べ物じゃないもの。でも、味の違いはよく分かったでしょう?」


 勢いに任せて行動してみたはいいが、本来の味を俺は知らないので、ビルキメの問いには答えようがなかった。


 でも、見た目が一緒であっても、中身は全く違うものだというビルキメの視点は、これまでにない新たな捉え方だった。


 そのために、俺は(はじ)かれたようにして世界攻略指南(ザ・ゴールデンブック)を開く。

 抱いた期待を必死に抑えながら、慎重に目を()らして見ていけば、確かに、ンラウィルド族が好んで使っている一帯の直並鴨茅(ひたみかもがや)は、邪雰(じゃふん)の値が極端に少なくなっている。それはつまり、家畜の病気が邪雰(じゃふん)に由来しているという、決定的な証拠でもあった。


「……本当だ。すごいや、ビルキメの言うとおりだね。まるで違ったよ」


 早い話が、町の周辺で、邪雰(じゃふん)の濃度を高くする出来事が、ここ最近に起こったのだ。

 コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。

 次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ

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