53 俺、素人ながらも世界攻略指南で奮闘する。
タマーラはすでに家畜を確認してみたというが、当たり前だが、俺たちは町に入るときに遠目から見かけただけで、まじまじと近くで観察したわけじゃない。何が分かるわけでもないだろうが、実際に見てみる必要があるだろうと、俺は知り合いの商人とやらを紹介してくれるよう、タマーラに頼んでいた。
「そういうことならば、もっと適当なところがあるから、今度はそっちに行ってみようか」
タマーラの案内で、俺たちは、スクワイアに羊や山羊を売っている生産者のほうに、直接向かっていた。早い話が、ワグトリアス家の部族だ。
もちろん、疫病の調査と平行して、馬上試合の対策も怠ってはいない。すでに試合の開催が、間近にまで迫っているので、手遅れかもしれないが、スザクにはソーニャの修行を中断して、ディートリヒの稽古に専念してくれるよう、ベロニカに言伝を任せてある。無論、武闘派のメイドとして、彼女にもディートリヒの力になってくれるよう、お願いしている。もっとも、これについてはわざわざ俺が頼まずとも、グラントリーのために、自主的にやってくれる見込みも強かったのだが、念のためだ。
結果的に、ソーニャの修行を潰してしまうことになったが、ディートリヒに混ざって訓練すれば、当初ほどではないにしろ、いくらかの練習になると信じたい。全部が無駄にはならないはずだ。
打って変わって、俺たちのほうのメンバーには、エオガリアス家の元メイドであるエスメラルダが混じった。彼女の立ち位置はなんとも微妙で、陣営としてはエオガリアス家にあたるのだが、エオガリアス家から、正式に雇われているわけではないので、ワグトリアス家の部族からも警戒されにくいらしい。エオガリアス家寄りの中立――くらいのニュアンスだろうか。
同じ理由で、グラントリーの同行はなしだ。これは不用意に、よその家と揉め事を増やさないための配慮だった。
ディートリヒの邸宅にいたときのグラントリーの様子から、エスメラルダは、彼が詐欺に失敗し、そして反省したという顛末を察したらしい。道中、俺のほうに、世話になったと頭を下げていた。
「自分の教育がいたらぬばかり、みなさまには大変なご迷惑をおかけしました。拳を振りあげた際には、半端なところでやめることなど決してありえず、すべてを破壊する覚悟で臨まなければならない。そんな基本的なことさえも、グラントリー様に伝わっていなかったのかと思うと、自分の不甲斐なさに涙が零れる思いです」
そう言って、エスメラルダがわざとらしく目元を覆う。
悪事を平気でなさそうとするエスメラルダの言動に、俺は、誤って食品サンプルを食べてしまったときのように、ぎょっとしていた。無論、物の例えで、実際に俺にそんな経験があるわけじゃない。同じプラスチックという意味なら、レゴブロックを噛んだ経験が何回かある。意識してが1回、ミスってが3回だ。
ひょっとすると、マルチゴーレムの一件にも、本当の元凶はこっちにあるのではないかと、そんな疑いさえ抱きそうになるが、からくも現場に到着したため、俺の邪推はたちまち霧散していた。
「スクワイアに売られたほうの個体は、私が自分で確認しているので、今度はその大本。家畜を育てている、シバエイカ族の方々に協力してもらおう」
言うやいなや、タマーラがスクワイアと共に飼養場へと入っていく。その背中を追いながら、俺は素朴な疑問をタマーラに伝えていた。
「いくらグラントリー……エオガリアス家の当主がいないからといって、部外者の俺たちが、気安く質問をしても平気なのか?」
スクワイアは、ワグトリアス家の人間ないしは、それに匹敵する存在だろう。それと付き合いのあるタマーラも、まだワグトリアス家側だと言い張れる。だが、俺たちはどう考えても違う。相手を刺激しないというが、エスメラルダも広い視点で見れば、エオガリアス家の人間だ。
心配性な俺のほうを振り返りながら、タマーラが微笑を浮かべる。
「大丈夫だろうよ。ワグトリアス家が病気の調査に移れていない以上、むしろ、私たちが活動しているということが伝わったほうが、現場の人間にしてみれば心理的に助かるのさ。もちろん、ワグトリアス家の本体は嫌がるだろうけどねぇ。そんなことは、知ったこっちゃない」
いまひとつ納得しにくかったのだが、そういうものかと一応は理解した。
あとに続き、俺も中へと進む。
飼養場の中は狭い。
餌をやるための場ではなく、単に逃げられないようにするための柵がメインなので、家畜が移動するためのゆとりこそあるが、そこには最低限の機能しか備わっていない。雨風を防ぐための屋根と、群れ単位で管理するための仕切りだけだ。
「タマーラさん、あちらです」
そう言って、スクワイアが前方で座っている男を指さした。
そうして言うやいなや、スクワイアが小走りで男のもとへと駆けていき、何事か呟いている。どうにも簡単に事情を説明したらしく、俺たちはこのあと、シバエイカ族の男から、現在までに判明していることを聞かされた。
「……。ようやく対策してくれるのかと思ったら、部外者を寄越すとは……まぁ、いい。話してやる」
なんでも、巴苗の町で流行っている病は、家畜の種類を問わない。羊から豚・馬にいたるまで、罹患してしまうことがあるという。長年、様々な家畜と向きあって来た、複数の部族の知見をもってしても、全くの未知の病であり、発症した個体は肌の表面が黒くなって硬化する。皮膚の異常は、ほどなくして急速に全身に回り、まもなく死にいたる。快復に向かった個体はおらず、当然ながら、治療法も不明だ。対症療法としても何が効果的なのかさえ、まるで分かっていない。
幸いにして、人が発症したという報告はまだされていないようだ。せめてもの救いだろう。人も発症するとなったら、それこそ一巻の終わりだ。エオガリアス家を立てなおす以前の話になる。巴苗の町自体が、地図から消えるかもしれない。
人に無害であるならば、肝心の症状について、その現物を見てみたかったのだが、実際に病にかかっている家畜はすでにいないという。その理由を男に聞いてみれば、見かけ次第殺しているからという、いやに殺伐とした答えが返って来た。
「どうせ治らねぇし、何が起きるか分からねぇから売り物にもならん。そうなりゃ、殺すしかねぇだろう」
これが感染して広がる病なのかさえ、俺にはよく分からなかったのだが、万一のことを考慮すれば、リスクを減らすためには仕方のないことなのだろう。
男から話を聞いたところで、何か突破口が思いつくようなこともなかった俺である。自分にできることは少ないんじゃないかと思いつつも、俺はみんなから隠れて、試みに世界攻略指南を開いていた。
すると巴苗の町の項目に、家畜のプロフィールとして、邪雰の数値が高いという情報を見つける。
……邪雰?
なぜ、こんな言葉が出て来るのかと、俺は心底不思議に思った。
渚瑳の町で少年ネイサンと宝探しに興じていたとき、彼から教えられたように、邪雰は魔物の発する負のオーラだ。これと瘴気を俺が勘違いしていたことは、改めて言わなくてもいいだろう。
いずれにせよ、邪雰は魔物に関するものなのだ。当然ながら、家畜は魔物ではない。なぜ、こんな単語が書かれているのかと疑問だったが、やがては俺にも理解できた。
……そっか。魔物は死んでも邪雰は残るんだ。だから、邪雰が使われる文脈は、必ずしも魔物だけじゃない。
図らずも、ここで俺は、瘴気と邪雰の違いを理解したことになる。これとは違って、瘴気は魔物の強さを表すものなので、魔物が死ねば即座に瘴気は失われる。瘴気というのは、邪雰とは完全に異なる概念だったのだ。
これらが、どのように減衰するのかはいまいちよく分からないが、理屈のうえでは、邪雰は魔物が討伐されても、同じだけの値が保たれることになる。
これらの差異を理解したことは、俺にとっては大きな発見だったのだが、ではなぜ家畜が高い邪雰を有しているのかという、そもそもの疑問が解消したわけではない。問わねばならないのは、そっちのほうである。
部族の男へと振り返った俺は、ほかにどうしようもなくて、ありもしない可能性を男に尋ねていた。
「あの……魔物を山羊の餌とかにはしていないですよね?」
とんちんかんな俺の質問に、男が怪訝そうに見返して来る。
「はぁ……? 餌って、食えないだろう? 魔物には邪雰があるんだから」
「そりゃそうですよね。……これの餌は?」
続けて俺が質問を重ねれば、男は鬱陶しそうにしながらも、ついて来いというようにして、顎を素早く動かした。
向かったのは、ここに来るまでにも目にした巨大な草原。あまりにも広い牧草地帯だ。
生えている草の99%以上が、直並鴨茅という1つの植物で占められているという。この直並鴨茅は、本家のカモガヤと違って耐寒性がない。聞けば、アネモネ地方は一年中暖かいそうなので、自生するうえでの影響はないようだ。その一方で、カモガヤは湿気に強くないらしいが、直並鴨茅は耐湿性を手に入れているので、そっちの面でもアネモネ地方に適合している。これが進化による適応なのか調べることは、いくらなんでも学問的で、俺にはとっくに興味の限界だった。
世界攻略指南だけが頼りなので、俺は草の根元をかき分けるふりをしながら、自分のスキルを発動する。すると、直並鴨茅の項目にも、巴苗の町では邪雰が高いという記述を見つけられた。
……家畜の邪雰は、この牧草に由来しているのか? いや、でも、それでも結局、牧草のほうの邪雰は説明がつかないな。なんで、ただの草が邪雰を蓄えているんだ? う~ん、分からん。
「昔からこの草を? 最近、品種を変えたとかはありませんか?」
男が値踏みするようにして、俺のことを頭のてっぺんから、つま先までねめつける。そもそも、直並鴨茅は自生しているものなのだから、短期間で品種を変えることは不可能だった。先ほど同様、質問すること自体が無意味だ。
「ないな……。なんだ? お前さっきから、俺たちを疑っているのか。スクワイアの頼みだから、お前らを案内してやっているんだぞ?」
「すみません……」
そこまでいうのかと、正直なところ、ちょっとむっとしたのだが、グラントリーに余計な迷惑はかけられないので、俺は大人の対応を心がけた。もっとも、すでに心情では、グラントリーを助けているというより、エスメラルダの笑顔が見たい、という気持ちのほうがよほど強かった。……すまんな、グラントリー。男より、やっぱり女だよ。
腕を組んで、俺は大地に生える命の恵みを見おろす。
シバエイカ族の話を総合して考えると、牧草である直並鴨茅は、最近になって、突如として邪雰を増やし始めたものと考えられる。昔から邪雰の数値が高かったのであれば、畜産の間で流行している病が、今回初めて発覚したという事態にはならないだろう。ずっと、これを餌にして来たのだから、もっと前から病気が知られていなければ不自然だ。屠殺される運命の家畜たちは、おのずと短命である以上、累積の結果とも考えられない。……遺伝? 知らん。
そして、何よりも問題なのは、直並鴨茅がどこにでもありふれている牧草で、魔物とはなんの関係もないということだった。特殊な性質を有しているわけでも、牧草のふりをしている魔物というわけでもない。本当に本当の牧草なのだ。
根本的に、邪雰の影響を受けないだろう物事を前に、俺は早くも頭を抱えていた。
そんな俺の姿を見て、ここでできるものは、もうないとタマーラは考えたのだろう。俺たちに対して、次の作業を提示した。
「それじゃあ、今度はンラウィルド族のほうに行ってみようか。シバエイカ族たちと違って、そっちは無事な個体しかいないようだから、何か違いを見つけられるかもしれない」
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




