48 俺、グラントリーと殴りあう。
次章のプロットもどきを作成するため、2週間ほどお休みをいただきます。詳しい進捗状況は、活動報告よりご覧ください。
後ろに手を伸ばし、杏色の髪をした男児が、俺の腕の中でもがいている。
「離せ!」
いくら相手が子供とはいえ、俺の非力な運動性能では、そんなに長くは捕まえておけない。まもなく、グラントリーに、手の甲をがりがりと引っかかれた俺は、思わず腕の力を抜いてしまっていた。
その場で回れ右をしたグラントリーが、俺のことを睨みつける。今さら駆けても俺に追いつかれるのを学んでか、グラントリーに逃亡するそぶりは見られなかった。
本来なら、このままドロシーに選手交代して、ぶん殴ってもらいたいところだが、俺は世界攻略指南のおかげで、幸か不幸か、こいつの事情を知ってしまっている。
やったことはどうしょもねぇことだが、その根性までが腐っているわけじゃない。
グラントリーには父親役が必要なんだ。
ある程度の善悪を示し、かつ、大きめの壁として何度もぶつかっていける。そんな人間が必要だった。
実父がそれを務められれば一番なのだろうが、もうグラントリーにはそれがいない。周りの人間が代わってくれることも、領主の息子という身分を踏まえれば、ほとんど期待できないだろう。
根本的に、グラントリーには、反抗すべき相手がいないことになる。どれだけきつくあたっても、見放さず、自分を愛してくれる存在が欠如していた。
そんな大それた、父親なんてものに俺はなれないが、少なくとも、拳を交えることくらいは俺にも務まる。
「来いよ……。男には殴らなきゃいけない時があるし、殴られなきゃいけない時がある。その年なら、そんくらいもう分かっているだろう?」
割に合わない教育活動。
女の頼みでもないのに体を張るなんて、正直、どうかしていると俺も思う。
だが、ドロシーにだけ血を流させておいて、自分は何もしないというわけにはいかなかった。女神コーザが許したとしても、俺が許さん。30年は根に持つ自信がある。
見よう見まねで、ソーニャに倣ってファイティングポーズを取る。
ちょっと怯えるように首を縮ませていたグラントリーも、傷ついたまま倒れているベロニカを改めて認めると、覚悟を決めたらしい。ゆっくりと俺のほうへと近づいて来る。
彼我の距離、およそ2m。
おもむろに辺りを見回したグラントリーが、俺に痛烈な非難を向けていた。スザクやドロシーといった優秀な人間が、俺のもとに集まっていることを受けての発言だった。
「お前のような恵まれた者に、僕の境遇が分かってたまるか!」
真っすぐに突き出された拳が、俺のみぞおちを的確に捉え、衝撃に耐えかねた俺は踏んばれずに後ずさる。
俺の名誉のためにいえば、グラントリーの運動性能は3.5。俺とほぼ同じだ。グラントリーは年下――つまり、成長の見込みがあるということなので、どのあたりが俺の名誉を守ったのかという、鋭い指摘は無視する。
吐き気。
逆流した胃液が、口の中に酸味を広げた。
グラントリーのほうも、初めて他人を本気で殴ったのだろう。拳の痛みに、少しだけとまどっているようだった。
俺とグラントリーのステータスはほぼ同じだ。言い換えれば、これは俺の一方的な弱い者いじめじゃない。相手が同格なのだから、こちらが遠慮してやる必要もないだろう。
……たしかに、俺は恵まれているほうだ。
才能という文脈の話ならば、論外極まりないが、偶然の結果という文脈ならば、世界攻略指南を手にした。何よりも、優秀な護衛に優秀なメイド、おまけに一時とはいえ、優秀な妹までそばにいてくれる。
だが、俺が恵まれた側の人間であるからといっても、グラントリーは嘆くほどに不幸な人間だろうか。不幸自慢にも似た主張が、正当性を持つほど、グラントリーの状況が悲惨とは思えない。
もちろん、こいつの境遇に憐れむ余地はあるし、同情したいとも思う。生まれながらにして、没落した領主の息子になってしまったという、運命にも似た過酷な事情は、下流の家庭で育った俺には、一生想像することもできないものだ。受けるプレッシャーもまた、段違いに大きいのだろう。
世間の目と、懇意にしていた身内への不本意な冷遇など、色々と悩む問題があったに違いない。
それは俺にも分かる。
そのうえで、まずは一言、言ってやらなければならないことあるだろう。話はそれからだ。
俺は親指にぐっと力を込めて、グラントリーの顔に的を定めた。
「てめぇの悪事を、黙って見過ごしてくれるような仲間が周りにいるのに、なんでもっとお前は素直に相談できなかったんだ――この大馬鹿やろうが!」
ドロシーが慕うくらいなのだから、きっとベロニカは極悪人じゃない。
ちゃんとした方法を選んでいれば、マルチゴーレムを使って、市民を騙すようなこともなかったはずだ。そして、それができるだけの仲間が、グラントリーのそばにはいる。頼り方さえ間違えなければ、ベロニカだって、もっと真っ当な手段で力を貸してくれたはずなのだ。
俺の拳が子供の左頬を正確に捉える。
グラントリーは吹っ飛び、力を使いはたした俺もまた、その場にくずおれた。
「ぜぇ……はぁ」
まもなく、俺のもとへとドロシーが駆け寄って来る。
抱き起こしてくれるのかと期待して腕を伸ばせば、ドロシーはそれを振り払い、俺の顔面を思いきり殴りつけていた。
「……。……痛い! なんで!?」
あまりの衝撃に、最初、何が起こったの全く分からなかった。
味方かと思ったら敵でしたなんていうレベルじゃない。病院かと思ったら、研究所だったくらいの衝撃だ。もはや困惑と表現してもいい。
「男には『殴られなきゃいけない時がある』んですよね? ちょうど今がそのときかと思いまして」
俺とグラントリーは、どちらもメイドの雇用主にあたる。
主人同士が決着をつけてしまうのであれば、なんのために自分はベロニカと拳を交えたのか。そう非難するように、ドロシーが暗い瞳で俺を見やる。だが、俺は彼女の目元が、微かに潤んでいたのを見逃さなかった。変貌してしまった元同僚の姿なんざ、本当は目にしたくなかったのだろう。
「……」
無力感にも似た苛立ち。
仕方ないことだったとはいえ、自分を責めることは避けられないだろう。
鬱憤を俺にぶつけることで、少しでもドロシーの気が晴れるのであれば、やつあたりも悪くないのかもしれないと、俺はドロシーに体を預ける。
だが、2発目の殴打が俺の口内に裂傷を作ったとき、早くも心が折れた。
「ごめんなさい。……あと1発だけで勘弁してください……」
泣き言をいえば、少しは手加減してくれるんじゃないかって、根拠もなく信じてみたが、違った。
ドロシーは、与えられたチャンスを残さず有効活用する賢い子。今まで以上に強く握り固めたゲンコツに、息をはぁっと吹きかけている。
……あかん。俺、死ぬかも。
気合い十分の拳が迫る。
祈るように目を閉じた俺だったが、いつまで経っても死神は面会して来ない。よく考えたら、一番妥当な死神はコーザだった。クソが。
恐るおそる目を開けば、ドロシーの殴打を受け止めていたのは、あろうことかベロニカだった。
「……えっ?」
「もう……いいだろう。その辺にしておけ」
そのそばでは、立ちあがったグラントリーが、怯えるようにして身を竦ませている。ドロシーが平気で俺を殴っているさまを見て、これまで何気なく接して来たメイドという給仕が、実は埒外の人種であったことに気がついたらしい。
そんなグラントリーに、ベロニカが苦虫を噛みつぶしたような表情で、首を横に振っている。
「……やめろ。私をこんなのと一緒にするな」
ぎこちない首肯。
動かなくなったマルチゴーレムを眺めながら、グラントリーがベロニカに向かってため息をつく。
「僕が間違っていたよ、ベロニカ。やっぱり、こんな力になんか頼るべきじゃなかったんだ。……でも、ほかにどうすればいいのか、僕には分からなかったんだよ」
エオガリアス家を再興する話に違いない。
中途半端ではあるが、グラントリーの抱える問題を理解してしまっていた俺は、ついついそれに口を挟んでしまっていた。
「全部1人でしょいこむなよ。なにも、お前の代で、完全に盛り返さなくたってもいいだろうに。他人よりもちょっとだけ真面目に生きてりゃ、結果はおのずとついて来るんじゃねぇの?」
……まっ、俺はその努力をせずに、人生をサボって来たタイプの人間だから、本当のところはよく分かんないんだけどね。
もっとも、当人の置かれた環境次第では、自力での脱出が不可能なことがある。それを認めないほど、俺は馬鹿じゃないし、自分の生来の才能を、努力の結果だと言い張るほどナルシシストでもない。
「だから、1人じゃ手の施しようがないってんなら、手伝ってやるさ。もっと気楽に頼れよ、周りにさ。せっかく、優秀なメイドがいるんだから」
俺としても、次にユリアーネに会うまでに、少しは成長していたい。エオガリアス家の問題が、俺の発達にも繋がるのであれば、グラントリーが男であっても、手を貸すのはやぶさかではない。……まぁ、言葉を濁さないなら、不本意だよ。ヌザリーマと違って、実はグラントリーは美少女でした、なんてこともないしね。
俺が寝転びながらも、精一杯恰好つけて話せば、途端にドロシーが冷や水を浴びせていた。
「ご主人様は、もう少し自重することを覚えてください。身近な相手にもたれかかりすぎです」
……今、いい話をしていたつもりだったのに。
台無しにされたので、俺はドロシーを半眼で見やる。たぶん、狙ってやったことだろう。
「どうかな……。僕にはスキルがあるから」
マルチゴーレムを操作していた能力についてだ。
たしかに、使い方を誤れば、恐ろしい能力だとは思うが、スキルを所持していること自体は、珍しい以外の何物でもないだろう。何か特別な悪さをするとは思えなかった。ドロシーだって、どこにも迫害されている様子がないし。
「そんなこと、別に気にしなくても生きていけるだろう?」
「気味悪がるだけだよ、こんなスキルなんか……」
「……」
考えもしなかった、そんな可能性。
いくらそれがスキルの効果だと分かっていても、魔物を意のままに操るというのは、怪しげな能力でしかない。市民がそれを訝しみ、グラントリーのことを疎んだとしても、決しておかしくはないのかもしれない。その身分もあいまって、一層好奇の目にさらされることだろう。
「……でも、そうだね。もう少し、僕は1人だけで歩く方法を、見つけないといけないのかもしれない。たぶんきっと、これはいい機会だったんだ。別れよう……ベロニカ」
予想外の発言に、ドロシーの元同僚が取り乱す。
「なっ……なぜ? 私があんたに何かしたのか、ご主人様!」
必死になって、グラントリーはぶんぶんと首を横に振る。
「違う――違うよ。君がそばにいたら、僕はまた、ダメな頼り方を君にしてしまう気がするんだ。エオガリアス家を、受け継ぐにふさわしい人間になってから、また君に会いたい。……ちょっと、わがままが過ぎるかな?」
言葉を発しようとするベロニカよりも早く、ドロシーが口を挟む。何も言わなければ、ベロニカが、グラントリーを引きとめてしまうことを察したのだ。
「それがご主人様の望みであれば、メイドはつき従うのみです」
失望を露わに、ベロニカがドロシーのことをきっと睨んだが、それも一瞬のこと。まもなく自分に言い聞かせるようにして、ベロニカが小さなうなずきをくり返す。
「……そう。……そうだな。待つよ、グラントリー。私はいつまでも、あんたを」
事実上の解雇。
必然的にベロニカは行くあてを失うことになる。重たい空気と沈黙が一帯を覆った。
だが、その流れを変えたのもまた、ドロシーの提案にほかならない。
「ベロニカさんさえよければ、うちに来ませんか?」
「「えっ?」」
思わず、ベロニカと俺の声が重なる。
何か文句はあるのかとドロシーが俺を凝視したので、俺は姿勢を正して首を横に振っておいた。
「じゃあ……えっと、給料はドロシーと同じで、1月あたり金貨2枚で大丈夫ですか?」
雇用することに不満はない。むしろ、ドロシーの心情のほうが、俺にとって頭痛の種だった。だが、それも本人から言いだすくらいなのであれば、すでに心の中の霧はあらかた晴れたのだろう。
大食衣嚢で金貨を見せれば、呆れたようにベロニカがため息をついている。
「クレバリアス家にいたとき以上か……。あんた、いったいどこの富豪だ?」
「あはは……」
その質問には乾いた笑いしか返せない。
敵対していた相手を、時間を置かずに仲間にするというのは、なんとも微妙な心境ではある。だが、まじまじとベロニカの容姿を見つめれば、鎖骨の下に、存在感を強調している2つの膨らみがあった。
例のメイドとは比べるべくもない。スザク以上のボリューム。男として、このでかい胸の誘惑に、勝てなかった部分があることは、何をおいても、できるだけ詳しく記述しておかなければなるまい。
アネモネに向かったほかの同僚はどうなったのかと、ドロシーが重ねてベロニカに問えば、もうエオガリアス家では働いていないとのこと。
「ご主人様からマルチゴーレムの話を聞いたとき、私がその場でやめさせた。すでに金もあったしな。あいつらは今回の件とは無関係。何も知らないよ」
すでに仕事も見つけているようで、心配は無用であるという。もっとも、その大部分がメイドを辞することになったそうなので、ドロシーの表情は浮かないものだった。さすがに、今さら俺が雇用するわけにもいかないだろう。こちらについては割りきるほかない。
さて、問題になるのは詐欺の後始末だ。
心理的には大きな被害が出ていないといえたが、それでも、グラントリーが意識的に市民を騙したのは、紛れもない事実だろう。エオガリアス家復興のためとはいえ、得た銅貨はすべて不当なものだ。
しかし、そうかといって闇雲に金を返すわけにもいかない。むしろ、真実を告げることで初めて、自分は詐害に遭ったのだと傷つくことになる。特に、それは西親川の町で顕著だ。実際、ほかでもなくマルチゴーレムは、グラントリーの札によって退散させられていたのだから。
俺が葛藤を続けていれば、何に悩んでいるのかを察したようで、グラントリーが苦笑しながらかぶりを振っていた。
「それは僕がやるよ。きっと僕がやらないといけないことだと思うから……。どれだけ時間がかかってしまったとしても」
「……そうか。それもいいのかもしれないな」
明確な目的があったほうが、成長もしやすいだろう。
贖罪という動機は、消極的な進歩しか与えないようにも思えたが、グラントリーならあるいは大丈夫だ。俺とは全然、知性も向上心も違う。……俺が下って意味ね、言わなくても分かるだろうけど。
これ以上は寄り添うべきじゃないと、俺はもう何も口にしなかった。
マルチゴーレム。
元を正せば、これはグラントリーの札から始まったものだ。
渚瑳の町から続いた一件が、ようやく幕を閉じた。
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巴苗の町の屋根の上。
半壊したエオガリアス家の屋敷を見つめる、1人の少女がそこにあった。
薄い笑み。
口元に張りついたような能面と、どんな感情も示さない真っ暗な瞳のせいで、第三者が少女の内心を推測することは、ほぼ不可能だ。
決して分かりあうことなどできないような、なんとも薄気味悪い少女に、背後から近づく1つの人影がある。
それは驚いたことに、少女の仲間のようで、彼女は少女に気安く声をかけた。
「お嬢、⦅アネモネの大洞窟⦆に、仕掛けを増やして来ましたよ――って、何を熱心に見ているんです?」
少女が関心を持って視線を向けることに、物珍しさを覚えたのか、彼女は意外な様子で少女に尋ねる。
「ん? グラントリー。捕まっちゃった。せっかく強くしてあげたのに」
いかにも残念という言葉づかいではあったが、その物腰に反して、少女の声音にはほとんど変化がない。それどころか、グラントリーがゼンキチに改心させられたのを、どこか喜んでいる節さえある。
グラントリーのスキル「反間操作」には、Aランクの魔物を操れるような力がない。言い換えるならば、本来、グラントリーはマルチゴーレムを操れないのだ。ここに少女が関係していることは、もはや疑いようがなかった。
「そうですか……Aランクの魔物が倒されたんですね」
少女と違って、こちらの彼女は素直に不満を口にする。
ふむと、訝しげに首を捻っていた彼女が、まもなく得心顔で何度か首を動かした。
「お嬢のお気に入りでしたもんね、あの男の子は。取り返すつもりなら、あちしも協力しますよ」
「ううん、いいや。だから、ヤオミーハ……洞窟のほうはもういらなくなっちゃった」
突如として、⦅アネモネの大洞窟⦆の地形が変更する。
この事件が、ギルドの視線を釘づけにし、マルチゴーレムへの対応を、後回しにさせるためのものであったことは、言うまでもない。洞窟内に山賊を招き入れたのも、もちろんこのヤオミーハだ。元々、⦅アネモネの大洞窟⦆は、町の外と繋がってなどいないのである。
これらは、グラントリーを陰から支援し、詐欺をやりやすくするために行われたもの。
「げげっ……そういう」
グラントリーの援護をしなくなった今、おのずと、⦅アネモネの大洞窟⦆に加わった地形の変更は、その意味合いを失う。少女の発言が、キャンセルの注文であることを理解したヤオミーハは、額に冷や汗を浮かべていた。
やれやれと言いたげに、大げさに両手を広げたヤオミーハが、西親川の町へと引き返す。
「ばいばい、グラントリー」
まもなく、少女もまた巴苗の町から姿を消した。
〈続く〉
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




