44 俺、北西の町に到着する……。
それらしき集落も、主だった痕跡も見つからないまま2日が経った。
道幅の関係で、西親川の町から馬車は出ていないものの、南部の渚瑳の町からは、北西に向かって定期便が出ている。
グラントリーも、途中からそれを使って移動したのかもしれない。これでは、いつまで探してみても、グラントリーの痕跡は見つからないだろう。
それでも、相手は移動するのも一苦労なマルチゴーレム。足跡くらいは発見できそうなものだったが、振り返ってみれば、グラントリーは魔物を操れるのだ。律儀に足跡を残しておくわけもない。話しあったすえに、俺たちも相乗り馬車に乗車させてもらっていた。
行き先は北西の町。
さすがに、徒歩と違って馬車は快適だ。
揺れこそすれども、疲れないし涼しいし、何よりもスピードが速い。
稜線が終わると同時に、景色は草原に変化する。
すさまじい広さ。
見渡す限り、一面の緑だ。
「……」
俺がまだ日本で生きていた頃、住んでいた場所は田舎だった。ド田舎と呼べそうなオフラインの環境じゃなかったが、地方都市さえもが煌びやかに思えるような、なんとも中途半端な町で、どこにでもありふれた市町村の1つだった。横を向けば、そこいらに田畑があったし、だからこそ、こういう青々とした風景には見慣れている。
だが、あくまでもそれは俺がいた近所までの範囲の話で、遠くにまで目線を向ければ、電線に電柱・家やマンションといった人工物が、必ず視界の端に姿を覗かせて来る。緑に囲まれて育ったといっても、所詮は、人間によって区画されたレベルの話に過ぎない。
それがワールドには全然ないんだ。
正真正銘、地平線の先まで草原が大地を埋めつくしている。
圧巻の彩り。
目を疑うほどの牧歌的な光景に、一瞬、自分がなぜこんなところにまでやって来たのかという、肝心な目的さえも、忘れてしまいそうになる。ワールドに取りこまれるなんて言い方をすると、ちょっと笑われるかもしれないが、現代日本では、決して接することのない緩やかな時間と、どこまでも続いていくのどかさに、思考が曖昧になっていくような錯覚を抱く。
もうこのまま、4人で暮らしていくのも悪くないんじゃなかって、そんな穏やかな妄想が頭をもたげるんだ。
晴れた午後――窓辺。
日の差す椅子に腰かけて、俺はヌザリーマに薦められた本に目を落としている。
部屋の奥にはドロシー。
忙しなく体を動かしながら、働くようにと俺に小言を呟いている。手に持っているのは、調理用のナイフと新鮮な葉物野菜だ。魔動具に載せられた鍋が、ことことと音を立てている。
ほのかに香るミルクの匂いで、あぁ今日もまたホワイトシチューなんだなと、俺が苦笑を浮かべていれば、窓の外にいる2人の女が目に映る。スザクが慣れない牧畜をやっていて、ソーニャが、近所の子供に護身術を教えこんでいるんだ。
決して訪れることのない未来。
今よりも環境と時期が変わって、恵まれた体で生まれたりなんかして、おまけに才能なんてものまで手に入れたりできれば、俺でもありえたかもしれない未来だ。
世界にいくつもの可能性があって、宇宙すらも無限に存在するのであれば、たぶんどこかにいる俺が叶えてしまっている。
でも、なんでそれは、この俺じゃないんだろう。
日本で生まれて、ワールドにやって来た羽柴善吉は、どうしてダメダメなままなんだろう。
肺腑を潰す幼気な憧憬が、ありとあらゆる体の隙間に入りこんで来て、このままじゃえずきそうだった。
早く着いてくれ……どこでもいい。
気が変になりそうで、俺はぎゅっと瞼を閉じた。
※
どれほどの時間が経っただろう。
5分だった気もするし、3時間だったような気もする。
ドロシーに小突かれて目を開くと、丘の上に立つ町が視界に入った。
ようやくの人工物だ。
巡回中なのか、騎乗する兵士の姿も、草原のいたるところに見える。
隊商の数もかなりのもので、馬車を引く商人たちが、続々と町へと向かっていた。その集団に、俺たちも混ざるような形だ。
草原の中を、ゆっくりと移動する羊飼い。
この町の主要産業は、見て分かるとおりの畜産だ。他の追随を許さない広大な草生が、潤沢な飼料となって町の伝統を支えている。
アネモネ地方とカモミール地方を隔てる親川山脈から、だいぶ離れているため、人の往来も盛ん。ここは交易の町としても発展を遂げたのだ。
牛歩で進む渋滞を見やりながら、俺はふと思い出したことをドロシーに尋ねる。
「そういえば、ドロシーが来たがっていた町も、あれなのかな?」
妄想は落ち着いたので、もう俺の心も正常に戻っていた。そうでなければ、口を開くのも億劫だっただろう。
「そうかもしれません。クレバリアス家で一緒に働いていたメイド長……ベロニカさんたちがいるかもしれないんです」
「へぇ。屋敷の名前とかって分かるの?」
「たしか、エオガリアス家だったかと」
納得したように俺は何度もうなずいたが、優先すべきなのはグラントリーとマルチゴーレムだ。それはドロシーも理解しているようで、自分の用事は後回しでいいと俺に話していた。
昼過ぎに町に到着。
思っていたとおり、ここが巴苗の町で相違ないらしい。
情報収集も兼ねて、早速、俺たちは宿屋に向かっていた。移動の休息も含めて1~2日は泊まるだろうから、ここでも先に宿屋を確保してしまおうと考えたのだ。
部屋の数は、念のために3つ。
ドロシーとソーニャは、一緒じゃないほうがいいだろうと、そう思っての判断だったのだが、余計な気をつかうなと、俺はドロシーに睨まれていた。
「……ちょいと話が変わるんだが、ここいらで最近、巨大なモンスターを見たっていう噂は耳にしているか?」
「なんだ、あんたたち冒険者なのか?」
これまでの町とは異なり、治安は兵隊が維持しているようで、冒険者は珍しいとのこと。宿屋の主人が興味深そうに、俺たちに遠慮のない視線を向けるので、俺は苦笑を浮かべながらもうなずいた。
「まぁ、そんなところさ。それで、どうだ?」
実際のところ、俺たちの中で冒険者と呼べそうなのは、剣豪のスザク1人だけだったが、戦力という意味では、申し分ない。どこのパーティーにも引けを取らないだろう。十分に方便として通用するはずだ。
「い~や、俺はさっぱり知らないねぇ」
……ここも外れか。
馬車に乗ってからは、小さな集落に一切立ち寄っていない。あまり考えたくはないが、道に隣接していない村々であれば、通り過ごしていたとしても不思議ではなかった。
主人に礼を言って、宿屋を出ていこうとすると、ソーニャが思いついたように別の質問をしていた。
「じゃあ、グラントリーって名前になら聞き覚えがあるか?」
俺たちの探し人は、あくまでもグラントリーだ。
その意味で、直接名前を聞くという手法が、無駄だとまでは思わないが、あまり有効的とも思えなかった。これまでの経験から、俺はすでに、この世界で苗字がほとんど使われていないことを、学習している。雑に言えば、同名の人間が多すぎるのだ。逐一、それらをチェックしていくのは、さすがに骨が折れる。
第一、どこのグラントリーかと尋ね返されても、俺たちは居場所も職業も何も知らないので、答えようがない。まさか、マルチゴーレムを操るグラントリーだなんて、馬鹿正直にいうわけにもいかないだろう。おまけにタマーラのように偽名だった場合は……いや、札の効果は本物なので、実名のほうが売りこみやすいのか。それならば、実名の見込みもある。
俺が独りでに思索に耽っていれば、主人の意表を衝く一言で我に返された。
「グラントリー? そりゃ、エオガリアス家の坊ちゃんか?」
「えっ……」
困惑したようなドロシーの声が、ぽつりと零れる。
予想外の返事に、俺も固まってしまって、主人とはソーニャが対応してくれていた。
「悲惨なものだよ。先代の領主が若くして亡くなっちまってな。グラントリーの坊ちゃんは、まだ子供だってのに領主になっちまってよ。おまけに、エオガリアス家の力は、もうずいぶんと衰えただろう? もっとも、最近じゃまた力をつけて来ているようだが……それも、嫌な評価がつけられちまっている」
「それは、どういう評価だ?」
「あぁ、大したことじゃない。怪しげな札を売ってぼろ儲けしているとか、そういうくだらねぇケチをつけられているんだよ。どうせ、ろくでもねぇ誰かが流したものに決まっているさ。俺は全く信じちゃいねぇぜ。坊ちゃんの境遇には、心から同情しているからよ」
もはや確定といってもいいだろう。
信じたくはないが、ドロシーの元同僚が勤めている屋敷の男児が、今回の詐欺の首謀者だ。そして、それはベロニカの雇用主でもある。小さな子供1人で、すべてのことをなしているとは思えないので、ベロニカが主人の悪事を知らないとは考えにくい。何かしらの形で、グラントリーに協力をしていると判断せざるをえなかった。
俺としても、予想だにしていない事態に驚きを隠せない。
きょろきょろと不安げに辺りを見回すスザクに促され、俺は落ち着いて話をするべく、今しがた取ったばかりの部屋へと向かっていた。
「見逃してくれませんか?」
開口一番、部屋に入るなりドロシーが俺にそういった。
「……」
うまく言葉を返せない。
自分にとっての善悪が揺らいでしまう。グラントリーの詐害は止めるべきだと思うが、ドロシーの悲痛な面持ちを見ていると、それが正解とは思えなくなる。俺はなんのために、ここに来たのだろう。身近な人間の――それも、ワールドでも生きていけるんだと思わせてくれたドロシーの――感情を一番大切にするべきなんじゃないのか。
詐欺の規模は大きいが、1つ1つの額面自体はそうでもない。
赤の他人が、ちょっと不幸になったくらいで、義憤に駆られることもないだろう。俺が過敏なだけで、世の中の人間は気にしちゃいない。それならば、ドロシーの内心に配慮するほうがよほどいい。
気持ちが全く定まらなかった。
「……。マルチゴーレムは、なにも人的被害を出しているわけじゃない。やっているのは、あくまでも小づかい稼ぎだ。とりあえず、マルチゴーレムの術者と、グラントリーは無関係だとしよう。術者は、意図して市民への危害を避けているようだが、いつ気が変わるのかは分からない。だから、これを放置することは、やっぱり難しいと思う。だけど、幸いなことに、大本の脅威であるマルチゴーレム本体が倒されれば、術者とグラントリーも考えを改める公算がある。自分たちが敵に回しているのが、マルチゴーレムを、楽々と討伐できるだけの力を持った相手だと、いやがおうにも気がつくからだ。都合よく、西親川の町で見張っていれば、マルチゴーレムのほうは必ず現れてくれる。……スザク、次に見かけたら問答無用で切り捨ててくれ。できるだろう?」
「……はい。問題ありません」
淡々と首肯するスザクに、俺はうわの空で応じて、ドロシーを見やった。
「これでいいか、ドロシー?」
「ありがとう……ございます」
力なくうなずくドロシーから目線を外し、俺はもうグラントリーの一件は終わったと思った。あとはいつもどおり、スザクのいかれたパワーが、全部解決してくれると考えたからだ。はっきり言えば、関わりたくなくなってしまっていた。
だが、ソーニャが俺の肩を掴んで激しく揺さぶる。
「おい、兄貴まで何を言いだしているんだ。しっかりしろ! まずは確かめるのが先なんじゃねぇのか!?」
「……そうだけど……」
もっともな指摘だが、状況証拠が揃いすぎている。これは黒だろう。宿屋の主人から札の話まで挙がっているのに、実は別人でしたなどという結末は望めない。
沈黙をもって答えにしようとしたが、ソーニャは引かずに俺を見据える。
「兄貴は俺のパトロンだ。これが赤の他人の事件で、兄貴の気が変わったってんなら俺も何も言わねぇよ。だが、ドロシー! エオガリアス家ってのは、お前のダチの話なんだろう!?」
「ダチって……頼れる先輩ですよ」
「年齢なんか関係あるか! ダチかライバルか家族か、それ以外に結べる間柄なんて、この世にゃ存在しねぇんだ。家族でもライバルでもねぇってんなら、そりゃダチだぜ。ダチの悪事をほっとくつもりかよ!? お前が止めねぇでどうすんだ。そりゃ今はまだ、でけぇことが何も起こっちゃいねぇよ。でもよ、これから先のことまでは保証できねぇだろう! 憲兵や北菔鳳に見つかったら、それこそ『ごめんなさい』じゃ済まねぇんだぞ。確実にごたごたに巻きこまれんだろうが。そんなダチを見捨てるつもりか!?」
ソーニャがドロシーの肩を、割と本気で叩いた。
体に力の入っていないドロシーは、そのままよろけるようにして2~3歩後ろにさがる。
「兄貴も兄貴だ! ドロシーは兄貴の家族だろう? 家族に後悔させるような選択なんか、させてんじゃねぇよ」
ぐうの音も出ないほどの正論を前に、俺は胸中で、ドロシーは家族じゃないなんていう、些末な揚げ足しか取れなかった。
「……」
俺は器用じゃない。
目をそらしたい現実から逃げたところで、近い将来、どこかで後ろめたさを覚えることになるだろう。ドロシーも、たぶん一緒だ。愛着を抱く相手の範囲が、他人よりも極端に狭いというだけで、未来永劫、ずっと良心の呵責を感じなくて済むほど冷血でもない。
ソーニャの言うとおりだ。
ここで奮い立って、立ち向かうべきなのだ。
怖くても、この3人がそばにいてくれるなら、どうにか俺は進んでいける。ドロシーにとって俺は頼りない存在だろうが、それでも、彼女の役に立ちたいという気持ちは嘘じゃない。歩きだすのを怖がっているなら、腕を引っぱってあげたいと思うんだ。なんでもは無理だが、俺のクソみたいな人生なら、丸ごと賭けたっていい。
「ありがとう、ソーニャ。君がいてくれなかったら、俺はまた逃げるところだったよ。……ドロシー。エオガリアス家の屋敷に行ってみよう」
「……。……そうですね。ひょっとしたら、住民を助けようとして、護符を作っているのかもしれないですし……」
そう言って、ドロシーが微苦笑を浮かべる。
自分の発言がありえない動機であると、ドロシーも理解しているのだ。もしも、本当にグラントリーが市民を助けるつもりでいるならば、宿屋の主人が、札に対する悪評を耳にはしていないだろう。グラントリーは、確実に私腹を肥やすためにやっている。その用途がどうであれ、社会の要請に応える、いかにも善良な人物であるという想定には無理がある。
まもなく、外に出た。
さっきよりも太陽は落ちているはずなのに、俺にはやけに日差しが暑く感じられた。
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巴苗の町の一角。
広大な敷地の割に人気を感じない屋敷にて、1人の少年がメイドに向かって頭を下げていた。
「ベロニカ……ごめん。もう限界かもしれない。この前は尾行までされたんだ。うまく逃げられたとは思うけど、本格的に討伐部隊が動き始めたのかもしれない」
それに対し、桑色の髪をした女は、励ますようにして子供の肩に手を置いた。
「何を言っているんだ、まだ全然大丈夫だぞ」
少年は首を横に振り、おろおろ声で胸中の不安を語る。
「でも……もしもだよ? もしも、自警団に見つかっちゃったら……」
間髪入れず、女は遠くを冷ややかに見つめて答えた。それは、決死の覚悟を抱いた者の声音にほかならない。
「その時は、私に脅されて仕方なくやったと言え。いいな?」
「できない! それだけはできないよ、ベロニカ。僕が君をこの件に引っぱりこんでしまったんだ……」
女は薄笑いを浮かべて、少年を抱きとめる。事件の発覚が、いずれ時間の問題であることを理解しているのだ。
「心配ないぜ、ご主人様。あんたは、必ず私が守ってやる。だから、そのときはご主人様も、他人に暴力を振るう決心をしてくれ」
「……うん。分かった。僕、やってみるよ」
震える太ももを拳で打ち据え、少年はメイドの悲壮な覚悟に応えた。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




