89 俺、ソーニャの試合を見守る。
下書きで申し訳ありませんが、先に投稿します(近日中に推敲したものに変更しますが、内容に大きな変更はありません)。
俺にとっては慌ただしいくらいだが、ソーニャからすれば待ちくたびれるほどだったのだろう。両肩を勇ましく回したソーニャが、コートの内側へと入っていく。
予選の選手は全部で96名。これはソーニャを含めた人数だ。
A~Hまでの、それぞれのブロックの優勝者が、ベスト8として本選出場をかけて戦うことになる。本選とはプロの試合のことで、予選の勝者3人が無条件で本物の拳闘士になることができる。救済措置もあるらしいが、ちょっとコネの側面が強いので、俺たちの場合は、こちらをあてにはできない。真正面から、結果を出す必要がある。
目先の目標は、ひとまずベスト8になることだろう。そこから先は、対戦相手がまだ決定されていないので、戦術はおろか、心構えの準備さえできないに違いない。
そのためには4回戦を突破すること。これが絶対条件になる。
ソーニャとナサニエルが互いにファイティングポーズを取る。だが、俺の目には、ナサニエルに緊張感が足りていないように見えた。
ソーニャは外部生だ。
つまりそれは、剛武志の極みで2年にも渡る研鑽を、積んで来ていないということだ。その油断は、スタミナを節約したいという欲求に変わったらしい。結果的に見れば、待ち受けているシードとの対戦を見越して、ナサニエルは魔力を控える決断をしたのだ。外部生というそれだけの理由で、ナサニエルはソーニャのことを見くびった。
その一瞬の心理変化を、ソーニャは敏感に嗅ぎ取ったんだと思う。もちろん、ナサニエルには男として、自分のほうが身体能力に優れているはずだという、過信もあったのかもしれない。
試合開始の合図がなされるやいなや、ソーニャはナサニエルへと急接近していた。
そこに今までのような遠慮は一切ない。
ガードした相手の両腕を、力で無理やり破壊するように、上から強烈な二発をお見舞いする。ナサニエルの運動性能は、5.6。ソーニャとの差を考えれば、その場で踏んばれるはずがない。ナサニエルが滑るようにしてあとずさる。
リングにいるのが俺なら、今ので勝敗が決しているところだが、さすがに相手も経験者だ。これだけでは倒れない。
ナサニエルの顔つきが変わる。
不足していた緊張感も、ソーニャの殴打で完全に充填されてしまったかのように見えた。
……大丈夫なのか、ソーニャ?
オーエンのときとは、状況がまるで違う。ハサウェイの気づかいは、ここにはない。魔法やスキルの使用は禁止されていないんだ。
「ご主人様、もう少し落ち着いたらどうですか?」
いつの間にか中腰になっていたようで、ドロシーが苦笑いをして俺を見つめていた。促され、今一度、俺は席に腰をおろす。自分以外にも、試合に夢中になっている人間がいるのではないかと、会場を広く見渡せば、中腰どころか完全に起立している人を何人も認めた。
「でも、俺以外にも結構いるよ?」
俺の指さすほうに目線を向けたドロシーが、今度こそ呆れている。
「どう見ても、警備の人じゃないですか……」
言われてみれば、彼らの視線は試合ではなく、俺たち観客席のほうに向いていた。神経質そうな顔つきで、ぎょろぎょろと目を動かしているので、度が過ぎた応援が行われないよう、厳しく監視しているようだった。
風韻闘技場は、野球やサッカーのスタジアムとは少し形態が違っている。観客席が、弧を描いた一面にしか存在しないのだ。
中のコートを仕切っているのは、石灰のような簡易的な白線で、ボクシングのようにしっかりとしたリングが作られているわけじゃない。それに、床も地面だ。
ナサニエルの腕が光るよりも早く、地面すれすれをソーニャが疾駆する。相手の魔法は成就しない。肉薄したソーニャが抉りこむようにして、下からナサニエルの顎を跳ねあげた。
見事な直撃。
明らかにノックアウトだが、ソーニャに油断はない。
素早く背後に回ると、今にも倒れそうな背中に向けて、数発の追撃を食らわせていた。このままナサニエルを殴り殺すんじゃないかと、俺が不安になりかけたところで、裁定官がソーニャに勝利を宣告する。
「……ふぅ」
自分で試合をしているわけでもないのに、俺は口から熱い息が漏れていた。すでに拳闘士になることを確信しているのか、それとも自分の気持ちを高めているだけなのか、どちらかは分からないが、ソーニャは観客席に向かって、笑顔で何度も大きく手を振っている。俺たちの席は把握していなさそうなので、未来のファンへ向けてのサービスだろうか。
なんだか、ただ観戦しているだけの俺のほうが、よっぽど疲弊してしまった気がする。
結果的に見れば、この対戦はソーニャの圧勝だったと言えるだろう。だが、それはあくまでも1回戦だからだ。次は、そうそううまくいくとは思えない。相手は初戦を免れた、シードになる。
戦うコーナーはそのままなので、ソーニャたちに移動はない。ほかの試合が終わるのを待ってから、第2試合が始まった。
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ナサニエルとは違って、サディアスにうぬぼれはなかった。良くも悪くも、臨機応変な対応ができるほど、彼は器用な戦法を持っていなかったからである。常に、自分の最も得意とする方法によって、相手を打ち負かしていた。すなわち、スキルである。
試合開始の合図と共に、サディアスが一歩、前へと足を踏み出す。その瞬間に、彼の四字祝賀は発動されていた。
対峙するソーニャは思いきり目を見開き、その足が硬直したように突然停止する。自分では決してサディアスに勝てないという直感が、ソーニャの体を地面に縫いつけるようにして、動けなくしていたのである。
はっきり言えば、ソーニャはサディアスに恐れをなしていた。
まだ拳を交わらせていない中での急停止。その不自然な動きは、いくら戦いに不慣れなゼンキチであっても、訝らせるには十分だった。
(……どうしたんだ、ソーニャ?)
さっきまでとは様子が全然違っている。
思えば、初対面のときからソーニャは好戦的だった。渚瑳の町で出会ったとき、落ち着いて話をするよりも前に、まずソーニャはドロシーに蹴りかかって来たからだ。剛武志の極みでこそ、彼女にも思うところがあったようで、堅実な構えを見せていたが、本来のソーニャはアクセル全開の攻撃型。攻撃することを躊躇しないし、こういうふうに相手の隙を窺うようなスタイルでもない。
異様だ。
あからさまにソーニャは、対戦相手のサディアスを警戒している。
やっとの時間をかけ、どうにか両腕を持ちあげたソーニャだったが、それは格闘家のファイティングポーズなぞではなく、ずぶの素人が反射的に身を守るような、たどたどしいものだった。
隣で戦っている選手が、ちらりとサディアスに視線を向ける。まだ試合中にもかかわらず、いったいなんの確認をしたというのか。
異常だ。リングの上で何かが起こっている。
そのことだけはゼンキチにも理解できたが、具体的な内容はさっぱりであった。
ソーニャの緩慢な動作を認めたサディアスが、今度は魔法を使う。目に見えて分かるような超常現象は起きていないため、身体強化の魔法を使ったことが、ゼンキチにも見て取れた。
迫り来るサディアス。
その視界に、肉薄する男の姿はしかと映っていたのだが、なおもソーニャは動けなかった。
振り下ろされた拳がソーニャの左肩を直撃する。
ぐるん。
衝撃に耐えられなかったソーニャの体は、腰から回転するようにしてリングの中を滑っていく。地面に打ちつけられたことを知らせる痛みを感じても、ソーニャは立ちあがることができない。頭の中では、いつかミルコに教えられた忠告が、まざまざと思い起こされていた。
『いいか、ソーニャ? 流派の中でも、特別に面倒なのが虚顎流と瑣結流だ。もっとも、お前がやるのは、所詮は予選だ。プロ同士の試合とは違う。幸か不幸か、実力に極端な差が開くことはありえん。お前はやたらと喧嘩慣れしているしな』
『……今のは褒められたのか?』
『まあ、聞け。どれだけ修行を重ねた候補生だろうと、本質はお前となんら変わらん。それでも絶対に負けるっていう予感がしたなら、それは相手が虚顎流だからだ。こいつらに対して、目覚ましいような対策ってのはない。メンタルだ。徹頭徹尾、メンタルさえ強く持てれば、虚顎流についてはどうにかなる』
堂々と語るミルコに対し、ソーニャはやや冷ややかに応じる。
『じゃあ、その瑣結流とかいうほうはどうすんだよ?』
『瑣結流は多数の試合をこなせるようなスタイルじゃないからな。こいつらの心配は、プロになってからでいい。拳闘士の予選はトーナメント制。必ず一定の試合数を戦わなきゃいけないような予選で、本格的な瑣結流の使い手とまみえることは、まずないと見ていいさ』
ミルコとの会話がよみがえって来たことで、どうにか頭が正常に働き始める。
(そうか……こいつが虚顎流か)
体のダメージ以上に、心への負担が大きい。危うく、一撃で戦意がくじかれるところだった。
拳闘士にとっての大原則は、対戦相手へのダメージを拳由来に限定するというものだ。しかし、この拳殴圏のルールに、メンタル面に対する規制はない。ゆえに、これを逆手にとって、相手の戦う気力を削ぐことに勝算を見出す流派が、虚顎流である。
サディアスのスキル「狐狸虚勢」は、自分の見かけ上の運動性能を、任意の値に変更するというものだ。変更可能な範囲は1から100までであり、こうして書き換えられた見かけ上の強さを、周囲の人間は本物の強さだと誤認する。強さに対する嗅覚が敏感であればあるほど、このスキルは重たい制約となって相手にのしかかる。
だからこそ、対戦相手のソーニャはサディアスに恐れをなし、観客席で見ているだけのゼンキチには、ソーニャの感じている脅威が伝わって来ない。スキルの範囲外にいるからだ。
無論、このスキルによって変わるのは、あくまでも表面上の値――粉飾値だ。実際の強さを数値化した概念である実数値が増減するわけではない。サディアスの運動性能そのものは同じままだ。
それでも、オーラとでも呼ぶべき圧倒的な気配が加わった状態ならば、本来の強さは、現実以上の意味を持つようになる。相手を精神的に追い詰め、早期の決着をつけようすとする虚顎流の真髄を、サディアスは体現していた。
実際、サディアスのステータスは決した高いものではない。実数値だけを比較するのであれば、ソーニャのほうが顕著に上回っていた。これは1回戦を見物していたサディアス自身も、己の能力が劣っていることを自覚している。
だからこそ、である。
サディアスにしてみれば、なにも自分よりも格上の相手に狐狸虚勢を使うのは、ソーニャが初めてというわけではない。そのためのシマシマ筋力である。魔法によって加算した運動性能の実数値は、今、僅かにソーニャを超えたのである。
本来であれば、決定打にならないような僅差であるが、四字祝賀によって極端にまで上昇した見かけ上の強さは、事実以上の効果をサディアスの手にもたらしていた。
間違いなく、ソーニャの戦意を砕いた。
サディアスにはその確信があった。個人がどれだけ努力しても、到達できないほどの高みにいる相手。そう誤認させるだけのパワーが、狐狸虚勢にはあるからだ。
だが、サディアスの期待に反し、ソーニャはここでようやく立ち上がる。
「……?」
訝しげにサディアスがソーニャを睨む。
ミルコにアドバイスをもらっただけだったならば、さしものソーニャも、負けるイメージしか湧かないような相手に挑むという無謀を、実践することはできなかっただろう。
だが、そうではない。
彼女が普段、練習相手としているのは、小細工なしで運動性能が100.0を超える、正真正銘の怪物だ。見せかけだけのステータスとは、圧も強さも格も、何もかもが違う。
「俺の師匠を舐めるなよ……」
それはとても小さなつぶやきだった。
誰に聞かせる言葉でもない。自分にはっぱをかけるためのもの。
これまで欠かすことなく練習して来た自分を信頼するための言葉であり、もう一度、己の拳を力強く空へと掲げるための合図だった。
にやりと、ソーニャがサディアスに向けて不敵にほほ笑む。
反骨精神に満ちた表情を目にしたサディアスは、一瞬、ソーニャに対して怯んだ。そうして怯んだ自分自身を恥じるように、今度は憤怒の顔つきに改める。
自分の優勢は変わらない。シマシマ筋力の魔法が解けたわけでも、狐狸虚勢が破られたわけでもない。圧倒的に有利なのは、依然として自分のはずだ。
ソーニャの正確な運動性能は分からないものの、身体能力の強化によって、彼女を上回るだけの実数値を手に入れたことは間違いない。
だが、なぜだ。
狐狸虚勢の呪縛がいまだ健在でありながら、どうして眼前の女は笑うことができるのか。サディアスには、その真意が分からなかった。
ソーニャの動機は単純である。
ミルコのおかげで、すでにサディアスの四字祝賀を見切っていた。
見せかけの強さで相手から反撃の意思を奪う。この虚顎流らしい戦い方は、多くの試合で成功を収めたことだろう。その功績がシードという立場にも表れている。
だが、対戦相手からのカウンターを受ける機会のない試合をいくら続けてみたところで、拳闘士にとって避けては通れない、人に殴られるという経験が増えるわけではない。根本的にサディアスは慣れていないのだ。スポーツに内包されている、痛みを受けるという側面に、サディアスは向きあえていない。
少なくとも、体中の汗を出し切り、お互いのスタミナを使いつくすような消耗戦などとは、無縁であったことだろう。
素の実力はほぼ同じ。
拮抗しているか、サディアスのほうが多少は強いかもしれない。だが、持久戦に分があるのはソーニャのほうだ。すなわち、勝ちは明白といえる。このあとの試合を考えるならば、馬鹿正直な消耗戦は避けるべきだろう。
それならば、戦いの技術でサディアスを上回る。これがベストだ。運動性能の差が、意味を失うほどの立ち回りをするのだ。
これがソーニャの導き出した勝利への道筋だった。
殴りかかるサディアスよりも早く、ソーニャが握り固めた拳を深く突き出す。
両者の拳が重なる地点は、サディアス寄りだ。これでは、サディアスのほうだけが、腕の力を正しく相手に伝えられない。押しこまれる形で、サディアスの腕が動く。
そのまま、ソーニャは拳の軌道を変えた。
滑るように腕が伸びていく。
自分の頬に命中しそうな彼女の腕を、どうにかサディアスはかわして避ける。
無論、それはソーニャにとっても想定内だ。すぐさま、左手を握り固めて、別方向からサディアスを狙う。
強引に回避。
軽めのバックステップと、首を後ろにそらせたサディアスが、なおもソーニャの攻撃を逃れる。
ソーニャの左手は上がったままだ。
相手の視線を集めるように持ちあげられた腕の下で、ソーニャがそれとなく自分の左足をサディアスに向けて詰める。
「――ッ」
消える。
ほとんど倒れるようにして、ソーニャの頭が下がる――その瞬間に、低めの体勢から放たれた強烈な右ストレートが、サディアスの腹部を完璧に捉えていた。
「うぐっ……」
これにはたまらず、サディアスが苦悶を表情を浮かべる。男の注意は、自分自身の体に向いてしまった。
この隙を見逃さずに、ソーニャの追撃が入る。
妨害のために持ちあげていた左腕を、スナップを利かせて反転。裏拳が、サディアスの顔面に炸裂した。
鼻にあたり、一瞬、サディアスがのけぞる。
目を瞑った視界では、対戦相手の攻撃を防げる道理はない。
間髪入れず、ソーニャは渾身の力で、右の拳をサディアスの顔にぶつけた。
今度こそ、サディアスの鼻は明後日のほうへと折れ曲がり、真っ赤な鮮血がリングの床にしたたった。
まさか、こんなはずでは――。
そう言わんばかりの表情を浮かべたサディアスが、歯ぎしりをしながらソーニャを睨みつける。
まだ、サディアスは倒れない。
さすがに、格上の相手を数回の殴打だけでは、倒しきれない。ひと呼吸を入れるべく、ソーニャは深追いを避けた。
だが、相手に考える暇まで与えてしまおうとは、ソーニャも思わない。
短く、呼気を吐くのみで、ソーニャは再びサディアスに迫る。
伸びる左手。
直前の印象を拭いきれず、痛む鼻っ柱を庇おうと、反射的にサディアスの腕が上がった。
ジャブ替わりの左手はそのままに、むき出しの脇腹をソーニャの右手が襲った。
慌ててガードを下にすると、今度は不自然に空いた顔面に、彼女の拳が命中する。骨と骨がぶつかり、サディアスは目の上を切った。
身の危険を感じたのか、それとも、拳闘士の本能が反撃しないといけないと悟ったのか、いずれにせよ、サディアスは有利な身長差を活かしたカウンターに出ていた。
上から小娘をねじ伏せるように、サディアスの太い腕が振りおろされる。
だが、もとより足を使った回避勝負は、ソーニャとしても望むところだ。
紙一重で避けたソーニャが、体ごとサディアスの顔面を跳ねあげるようにして、下から突いた。
「やめっ――」
サディアスの悲鳴は間に合わない。
大きくそれた上体はバランスを崩し、リングの床に後ろから沈んでいく。
「おりや!」
躊躇なく、そこにソーニャの追撃が加わった。
計3回の全力パンチは、サディアスの戦意を砕くには十分だった。
サディアスが降伏の意思を審判に向けて合図する。それを見て取った裁定官は、直後に試合終了を告げていた。
「勝者、ソーニャ」
締めのポーズとして、両の拳を軽く払ったソーニャだが、この試合は決して順調なものではなかった。
2回戦で、すでに苦戦を強いられたのである。
サディアスのステータスが、たまたま貧弱だったからこそ、どうにかなっただけだ。相手が虚顎流で、なおかつドロシー並みの運動性能だったならば、ほとんど何もできずに一方的な試合が展開されていたことだろう。
そのことを、しっかりと理解していたソーニャは、リングの上で独り、額に脂汗を浮かべていた。
(マジかよ……。侮っていたつもりじゃねぇんだけどな……)
ソーニャにとってサディアスとの対戦は、自分の目指している目標の大きさを、改めて痛感させられるものとなった。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




